第8話
森での騒動から、数日が過ぎた。
ーーあの後。
「マリン、ソラ。ソニア嬢はしばらくうちには来れない。侯爵から、しばらく謹慎させると連絡があった」
屋敷の執務室、重苦しい空気の中で、僕たちは父からめちゃくちゃ怒られた。
無断で街の外へ出たこと、そして魔物との遭遇。一歩間違えれば、この屋敷に帰ってきたのが遺体であった可能性すらあったのだ。
貴族の子として、そして一人の親として、父が激怒するのは当然のことだった。
ソニア姉の謹慎も、妥当な判断だろう。彼女は今回の遠征の主導者であり、未来の侯爵家を背負う身としての自覚に欠けていた。
だから、それは仕方ないのだがーーー。
「マ、マリン姉?トイレ行きたいんだけど…」
「分かったわ~。一緒に行きましょ?」
「いや、一人で…」
「駄目よ。ケガしたらどうするの?大丈夫、お姉ちゃんがすぐ治してあげるから」
マリン姉が過保護になった。いや、過保護なんてレベルじゃない。
屋敷に戻った直後はまだ冷静だったはずなのだが、父からの冷徹な説教を受け、「弟を失うかもしれない」という恐怖をまざまざと植え付けられてしまったらしい。
好意を向けられるのは悪い気はしないけど、流石にトイレは1人で行かせてほしいかなあ。
「だ、大丈夫だよマリン姉。ここは家だし、魔物なんて出ないよ」
「こけたり滑ったりしてケガする可能性もあるでしょう?使用人に暗殺者が紛れてるかも」
そんな物騒な輩がいたら、遅かれ早かれ死んでるよ…。
見かねた父が、眉間に深い皺を刻んで助け舟を出した。
「ハァ…。マリン、お前は今から回復魔法の修行だろう。先生ももう来ているんだ、さっさと行ってきなさい」
「…そうね。万が一ソラちゃんが死んだ時のために、蘇生できるようになっておかないと…」
こわいよ。
マリン姉は、未練がましそうに何度もこちらを振り返りながら、先生の待つ部屋へと消えていった。
ちなみに僕に武術や魔法の指導者はついていない。
以前、父に「僕も学びたい」と志願したことはあったのだが、魔力測定の結果、才能が壊滅的に欠如していることが判明したのだ。
「う~ん、何もしないのも暇だし、僕は少し外に出かけてこようかな」
「ソラ、うちは謹慎なんてしないが、外は気をつけなさい。特に、魔物が出るような場所は駄目だ。分かったな?」
「は~い。そもそも僕は戦えないから、大人しく街で遊んでるよ」
父の許可を取り付け、僕は軽やかな足取りで屋敷を出た。
ーーー
「こんにちは~。リリはいますか?」
街へ出たのは、退屈しのぎという名目もあったが、何よりあの事件の後、リリがどう過ごしているか気になったからだ。
街外れにある彼女の家は、相変わらず風が吹けば飛びそうなほど粗末な佇まいだった。
しばらく玄関先で待っていると、ギィと建付けの悪い音を立てて扉が開き、リリが顔を出した。
だが、その表情はどこか沈んでいて、瞳には薄い影が差している。
「…あ、リリ。大丈夫だった?」
「…ソラくん。来てくれてありがとうございます」
消え入りそうな声。けれど、彼女がこうして僕を迎え入れてくれたことに少しだけ安堵する。
「とりあえず元気そうで良かったよ。…あれからお母さんとはどう?」
「それがーーー」
リリの話によれば、どうもママエル(ララというらしい)は、僕たちのことを許してくれたらしい。
勝手に娘を連れ出した不良の友達として、遊ぶことを禁止されることも危惧していたから、許してくれたようでよかった。
「じゃあ、どうしてそんなに悲しそうな顔をしているの?」
「…ソラくんとのことは許してくれたのですが、お母さん、あの日から、すごく忙しそうで…。ほとんど一緒にいる時間もなく、ずっと仕事しているんです。今も仕事中で家にいないので、心配で…」
「そうなんだ」
リリが薬草を採りに行ったって聞いて、余計に責任を感じちゃったのかな?
ララさんについて、もっと話を聞いてみようっと。
「とりあえず、ここで立ち話もなんだし、続きは家で話そう」
「あ、そうですね。汚いけど、こちらへどうぞ」
リリに案内され、家の中へ足を踏み入れる。室内は、外観のボロさに反して丁寧に掃除されていたから、汚くはない。
そして、予想通りのワンルーム。小さなちゃぶ台があるので、そこでリリと対面で座ることにした。
「はい、どうぞ」
ボーっと座ってたら、リリがお茶を入れてくれた。優しい、気立てができるなあ。
僕なんて、家に入るのに何も持ってきてないや。
「そういえば、リリはどうしてこの街に引っ越してきたの?」
「実は、最近お父さんが死んじゃったんです…。で、お金が無くなって、家賃が安くて職場がありそうなここに引っ越しに…」
パパエルは、仕事中に不運にも魔物に襲われ、若くして命を落としたのだという。
というか、前いじめっ子達、リリのこと田舎者!って言ってたけど、ここの方が田舎だったんじゃないか?
「そうなんだ…。それは大変だったね」
「そうなんです。それで、こっちに引っ越して、仕事はなんとか見つかったんですが、あんまり良い環境じゃないらしく…」
アシュタロテの街は、ヴァルキリー侯爵領の中でもそんなに栄えている街ではない。
裕福な人も少なく、治安もそこまで良くはないため、そんな街でコネもなく見つけた仕事が、好条件であるはずがなかった。
聞けば、ララさんの職場は居酒屋で、文字通り「薄給」で身を削って働いているらしい。
「…だから、お母さんが心配なんです。最近、本当に朝が早くて夜も遅くて…。ごめんなさい、暗い話になってしまって。ソラくんには関係のない話なのに」
「ううん。教えてくれてありがとう。それは心配だね」
それから少し雑談をして、僕はリリの家を離れた。
夕暮れの街を一人歩きながら、ニヤリと口角を上げた。
…これはチャンスだ。ララさんの劣悪な労働環境を改善すれば、ララさんとリリの心を奪えるに違いない。
さて、ララさんの職場を見学しに行こうか。
僕は、薄暗い裏路地にあるというその居酒屋へと向けて、歩みを早めた。




