第4話
あれから数時間。空は茜色から群青色へと溶け込み、長く伸びた影が徐々に闇に呑まれ始めていた。
「ふぅ、いい汗かいたな。今日はこの辺で終わるか」
ソニア姉が、汗ばんだ額の赤髪を無造作に手でかきあげる。その仕草は驚くほど様になっていた。
夕日に照らされた彼女の横顔は、訓練用の粗末な服を着ていてもなお、一枚の絵画のように凛としていてかっこいい。
少し見惚れていると、彼女が視線に気づいてニカッと口角を上げた。
「お?なんだソラ、そんなに俺のこと見てきて。まだまだ物足りないのか?」
勘弁してください。そんな体力は残っていません。
内心で白旗を振る。僕はスキルの補正もない、虚弱なもやしっ子だ。対して彼女は、あれだけ棒を振り回しておいて、なぜこれほどまでに余裕綽々なのか。
「そ、そんな、もう無理だよ。ヘトヘトだよ。ソニア姉が髪をかきあげてるのがかっこいいなと思って見てただけだよ」
「…へぇ」
ソニア姉は、途端にプイッと顔を背けた。その耳たぶが、夕日の赤よりも鮮やかに染まっているのを僕は見逃さなかった。
あれ?もしかして、今の言葉で照れちゃった??
無意識に、しかもあの直情的なソニア姉を照れさせてしまうなんて、自分の才能が少し怖くなってくる。
「もう、ソラちゃんったら~。女の子にかっこいいはダメでしょ~?」
苦笑いしながらマリン姉が口を挟む。
「ああ、確かに。ソニア姉、ごめんね」
「…べ、別にいい。ちっとも気にしてない」
嘘だ。今、明らかに「もっと言ってほしかった」と言わんばかりの、名残惜しそうな顔をした。
これはチャンスだ。たたみ掛けておこう。前世で培った恋愛バイブルの出番である。
「でも、本当にかっこいいと思ったからつい言っちゃったんだ。僕も、いつかソニア姉みたいになれるかなぁ」
「……お、俺なんてまだまだだよっ。だから鍛錬するんだろうがっ」
「あれ~?ソニア、もしかして照れてる~??」
「うるさいっ!!!」
ソニア姉は逃げるようにドシドシと大股で歩き出した。完全に照れ隠しだ。
よしよし、攻略難易度は意外と低そうだ。褒められるのに弱そうだから、これから定期的に「かっこいい」を処方していこう。
そんな風にほくそ笑んでいると、少し離れた、人気の少ない路地裏の方から、不穏な声が漏れ聞こえてきた。
「い、いたいっ。っいい加減にしてください!!」
「おいおい、これはただの遊びだぞ?」
「悔しかったらやり返してみろよ!田舎者!」
僕たちは顔を見合わせ、声のする方へと足を速める。
建物の陰から覗くと、見覚えのある悪ガキ三人衆が、一人の女の子を囲んで木の棒で小突いていた。
女の子の方は、僕の記憶にはない顔だ。僕は女性に関する記憶力には並々ならぬ自信がある。
彼女は間違いなくこの街の人間じゃない。初対面だ。それにしても、男三人で女の子をいたぶるなんて、情けなさすぎる。
「あいつら、女の子をよってたかって」
ソニア姉の拳が震え、今にも爆発しそうな怒気が伝わってくる。彼女は曲がったことや弱いものいじめが大嫌いなのだ。
正直、危ないことに関わるのは本意ではないけれど、ここで何もしないのはソニア姉の印象が悪くなる。
それに、いじめられている女の子をよく見ると、なかなかに可愛らしいから、唾をつけておきたい。恩を売っておいて損はないだろう。
仕方ない。ここは身体を張るか。
「ソニア姉はあの3人をお願い。マリン姉は女の子を治してあげて!」
「わかったわ~」
「ああ!」
即座にソニア姉が獲物を狙う肉食獣のように突っ込んでいく。
「お前ら、訓練したいなら俺が相手になってやるよ!」
「げぇっ!ソニア!」
「に、逃げろ!」
クモの子を散らすように逃げ出す悪ガキたち。彼らはここら辺に頻繁に顔を出し、たびたびソニア姉の「凶暴性」を叩き込まれている。
街の悪ガキにとって、彼女は天敵以外の何物でもないのだ。
そんな光景を横目に、僕とマリン姉は怯える女の子に歩み寄る。
僕はこれ以上ないほど爽やかで、安心感を与える笑顔を作って話しかけた。
「ほら、もう大丈夫だよ。あいつらは僕達がやっつけたからね。怪我も治してあげる」
女の子の腕には、叩かれた跡が赤く腫れ上がっていた。痛そう。
僕はマリン姉に目配せを送る。自分では治せないのがもどかしいけど、役割分担は大事だ。
「ヒール」
マリン姉が唱えると、淡く温かな緑の光が女の子を優しく包み込んだ。光が霧散した頃には、腫れも痛みも綺麗さっぱり消え去っている。
「あ、ありがとうございます…」
潤んだ瞳で見上げてくるが、涙はこぼれていない。芯の強そうな子だ。
黒髪ショートのたぬき顔。うん、実に可愛い。
この街の顔ぶれなら一度見たら覚えているはずだし、さっきの連中も「田舎者」と罵っていた。最近引っ越してきたばかりなのだろうか。
僕は彼女を落ち着かせるため、サラサラとした質感の頭を優しく撫でながら問いかけた。
うわ、手触りがすごく気持ちいい!!
「僕はソラ。君の名前は?」
「リ、リリエルと言います」
震える声で答えてくれた。少し話を聞くと、やはり最近この街に来たばかりらしい。
友達を作ろうと外に出た矢先、さっきの三人に絡まれてしまったそうだ。年齢は僕と同じ十歳。運命的な出会いを感じなくもない。
そんなことを話していると、悪ガキを文字通り蹴散らしてきたソニア姉が戻ってきた。
「ったく、あいつら…。ちゃんと懲らしめておいたから、もう絡まれないはずだ」
「ソニア、おつかれさま〜」
「弱いものいじめする暇があったら、鍛錬しろってんだ。ったく」
追加の運動でさらに汗をかいたソニア姉が、先ほどと同じように髪をかきあげる。そして、チラッと僕の方へ期待の眼差しを向けてきた。
…なんだろう?意図を測りかねて黙っていると、彼女の目つきが徐々に、鋭利な刃物のようになっていく。
「…おい、ソラ。いつまでその子の頭を撫でているんだ?」
あ、しまった。リリエルの髪が驚くほど指通りが良くて、ついつい無意識にずっと撫で続けてしまっていた。
慌てて手を離そうとしたが、リリエルが少し頬を染めて口を開いた。
「あの、私は別に嫌じゃないので大丈夫です!」
よしよし。嫌がられていないどころか、好感触だ。
前世の自分ならあり得ない反応だが、今の僕には顔とスキルという武器がある。
身体を張って助けたんだ、これくらいの役得は神様も許してくれるはずだ。
だが、ソニア姉の方は許してくれそうになかった。髪をかきあげたポーズのまま固まり、その目つきはいよいよ獲物を狩る時のそれに近づいていく…
どうしたんだろう?
ーーソニア視点
おいソラ、なんで何も言わねえ。
さっきは俺のこの姿をみて、かっこいいと言ってただろうが。
せっかくもう一度やってやったのに、なんでその女の頭ばっかり撫でてやがる。その女から手を離せ。こっちをみろ!
…チッ。気に食わねぇ。胸の奥がモヤモヤして、焼け付くように熱い。
なんでこんなに不愉快なのか、自分でもさっぱりわからねぇが…。とにかく、このままではいけねぇ。
もう一度、ソラに俺のかっこいいところを叩き込んでやらねぇと気が済まねぇ。
「…お前ら、明日、森の方に行くぞ。もちろん、そこの女もだ」
「え!?」
アシュタロテの街の近郊には、魔物が棲息する森がある。
伯爵家の私兵が定期的に間引きをしているし、そこまで強い魔物は出ないと言われているが、それでも子供だけで踏み込むには十分すぎるほど危険な場所だ。
「ソニア、急にどうしたの~?子どもだけで森に入っちゃダメって言われてるでしょ~?」
案の定、マリンが眉をひそめて嗜めてくる。理屈ではわかっている。大人たちの言いつけは絶対だ。
だが、ここで退くわけにはいかねぇんだ。理由はわからないが、俺は今、どうしようもなくソラに褒められたがっている。
「ここらの森は魔物もそんなに強くないから大丈夫だ。俺でもいける」
「そういう問題じゃ…!何かあったら…」
食い下がるマリン。だが、俺も一度口にしたことを変えるつもりはねぇ。一触即発の睨み合いが続く中、ソラが仲裁に入るように口を開いた。
「まあまあ、2人とも落ち着いて。僕も森に興味はあったし、少し入るだけならきっと大丈夫だよ」
「ソラちゃんまで…!」
よし。ソラが乗った。
「あの、私も行きたいです!」
「リリエルちゃんまで!?」
予想外に、あの新顔の女まで手を挙げた。
「はい。実は、その、私、母親しかいなくて、お金もあまりなくて…。森の中なら、薬草とか採って売れるかなって思って」
家計を助けたい、か。殊勝な心がけだが、俺の目的はあくまでソラに「かっこいいところを見せる」ことだ。
「マリン姉、少しくらい大丈夫だよ。危なかったらすぐに街に逃げればいいし。不安なら、街で待っててよ」
「……そんなわけにいかないわ。ソラちゃんになにかあったら………」
一瞬、マリンの瞳が凪いだ湖のように静まり、底知れない光を宿した。
いつもはおっとりしているくせに、見たこともないような鋭い眼差しだ。
「…私も行くわ。危なかったらすぐに逃げること。いいわね?」
マリンも折れたか。回復役のヒーラーがいるのは心強い。
計画は整った。明日、魔物を鮮やかにぶった斬る姿をソラに見せつけて、また「かっこいい」と言わせてやる。
…だからソラ、さっさとその女の頭から手を離せ。




