第2話
「ご当主様!お産まれになりましたよ!男の子です!」
突然、大きな声が響いた。視界を覆っていた眩い光が収まると、急激な寒さが肌を刺す。
「無事に産まれてよかった…!」
重厚で深みのある男の声。…ん?
意識が混濁している。門をくぐってから、いつの間にか気を失っていたようだ。というか、全身が濡れていて、おまけに結構寒い。
重い瞼を無理やり持ち上げると、まず視界に飛び込んできたのは、太陽の光を反射しそうなほど見事な禿頭と、戦場を幾度も潜り抜けてきたような強面の巨漢だった。
こわっ!誰こいつ?凶悪犯か何か?
「おぎゃあ、おぎゃあ?」
「お前は誰だ」と問いただしたつもりだったが、喉から漏れたのは情けない赤ん坊の泣き声だった。自分の意思に反して手足がバタつくと、その小ささに戦慄する。
赤ちゃんになってる…。どうやら、無事に転生できたらしい。
…らしいのだが。
「おお、泣き声をあげているぞ。元気そうな子だ。ほら、儂がパパじゃぞ〜」
えっ。
嘘だろ。美形に産まれたいと、あれほど切実に、優先順位第一位で真摯に願ったのに。
この、岩石を顔の形に削り出したような男が父親なの…?
あの駄女神、僕の唯一のささやかな願いさえも聞いてくれなかったのか?
ていうか、記憶が一切消えてないんだけど!「記憶の引き継ぎはない」とか言っておきながら、あいつ、仕事が適当すぎるだろ!
内心で女神への罵詈雑言を並べていると、禿頭の巨漢――父と思われる男の両手が僕の脇に差し入れられ、軽々と持ち上げられた。
顔が近いよ!無理無理!!これ、赤ちゃんじゃなくても泣くわ!!
「ご、ご当主様!そんな力強く赤ん坊を抱っこされてはダメです!!」
「大丈夫じゃ。初めての子どもでもないし、わかっておる」
側近らしき人物の制止をさらりといなし、父は僕をそっと胸に抱いた。
急な浮遊感に心臓が止まるかと思ったが、意外にもその抱擁は柔らかく、絶妙な力加減だった。赤ん坊の脆い体に一切の負荷を感じさせない。
混乱は尽きない。なぜ記憶が残っているのか、なぜ女神はあんなに不親切だったのか。けれど、とりあえずは新しい世界に生を受けたのだ。
今世では、何が何でもモテたい!! 父親の顔を見た瞬間は絶望したが、どうか、どうか遺伝子が致命的な仕事をしませんように!!
女神様、美形で産まれることだけは契約(?)したはずだぞ!!信じてるからな!
ーー
あれから10年の歳月が流れた。
結論から言えば、あの女神もそこまで鬼ではなかったらしい。僕が今いるのは、魔法が存在し、魔物が跋扈する王道のファンタジー世界だった。
どうやら女神様はある程度希望を聞いてくれたみたいで、ここは、魔法が存在するファンタジー世界みたいだ。
幸運なことに、僕はそこそこ裕福な貴族の家に生を授かった。豪華な屋敷、整えられた庭園、そして身の回りを世話してくれるメイドたち。
そして、これが僕にとって最も重要なことだったんだけど――親の遺伝子はしっかりと機能した。
正確に言えば、めちゃくちゃ美形である母親の遺伝子が、父親の強固な岩石遺伝子に対して完全勝利を収めたのだ。
窓に映っている自分は、凛々しいイケメンというよりは、女顔の可愛い中性的な顔立ちをしている。
けれど、父親のあの顔を引き継がなかっただけで、神に感謝すべきだろう。贅沢は言わない。
髪も、(今のところ)あの眩しい禿頭とは無縁だ。母と同じ、艶やかな緑髪。
…にしても僕、前世で知らないうちに救世主レベルの徳を積んでいたんじゃないだろうか?女神があんなに誠実に願いを聞いてくれるなんて。
もしかしたら、会ったときに女神の容姿を褒めたのが効いたのかもしれない。やはり女神は褒めて伸ばすに限る。
「おいソラ、なにボーッとしてるんだ?」
応接室の窓に映る自分の美貌に酔いしれていると、呆れたような声が飛んできた。
そこに座っているのは、僕の幼馴染、ソニア・ヴァルキリーだ。
僕より一歳年上で、燃えるような赤髪をポニーテールにまとめ、意志の強そうな吊り目が特徴的な、まさに「男勝り」という言葉が似合う活発な少女だ。
彼女はヴァルキリー侯爵家の令嬢で、僕の姉のマリンと同い年ということもあり、アシュタロテ伯爵家とは家族ぐるみの付き合いだ。
11歳にしてすでに凛とした美しさを備えているが、数年もすれば社交界の華になるのは目に見えている。
将来のハーレム候補として、今からしっかり唾をつけておかなきゃ。
「ごめんソニア姉、ちょっと考え事してた。…それにしても、マリン姉遅いね。待ちくたびれちゃった」
「アイツはほんとおっとりしてるよな」
僕が転生したアシュタロテ伯爵家は、現在、父と母、二人の兄、そして姉のマリンと僕の6人家族だ。父はヴァルキリー領内のアシュタロテの街を治める有能な領主でもある。
今日は、マリン姉と僕とソニア姉の3人で、近所の広場へ行って棒術の自主練をする約束だった。
今は、準備の遅いマリン姉を待ちながら、ソニア姉と二人でお菓子をつまんでいるところだ。
ドタドタドタ、という、慌ただしい足音が廊下に響く。
「待たせてごめんねぇ〜。待った〜?」
扉が勢いよく開き、ふんわりとした空気を纏った少女が飛び込んできた。マリン姉だ。
「とても待った。お菓子も全部食べてしまったから、マリンの分はないぞ」
ソニア姉がわざと意地悪く、空になった皿を指差す。
「そんな、ひどいっ!!!!」
マリン姉が、これ以上ないほどショックを受けた顔で固まる。
あ〜かわいい。
透き通るような青い瞳に、僕とお揃いの緑髪。ストレートのセミロングが動くたびにさらりと揺れる、癒やし系美少女。
見た目は完璧なのに、発言がどこか幼くて抜けているところが、庇護欲を激しく刺激する。よし、ここもしっかり唾をつけておこう。
僕は、あらかじめ確保しておいたお菓子をポケットから取り出し、マリン姉に差し出した。
「ソニア姉に食べ尽くされないように、ちゃんとマリン姉の分を残しておいたよ。はい、あげる」
「わぁ!さすがソラちゃん!!優しい!!!だいすき〜」
予想通りの反応。弾けるような笑顔とともに、柔らかな温もりが僕を包み込む。
マリン姉に思い切り抱きしめられ、その感触を堪能する。…やわらかい。
こういう瞬間、僕の恋愛技術は間違っていなかったと確信する。やはり、前世でモテなかったのは、純粋に顔面のスペックが足りなかっただけなのだ。
顔さえあれば、モテ男テクニックは備えているので、こうして美少女の好感度を爆上げできる。
僕は心の中で、前世で培った理論を『モテ男バイブル』と命名した。
「ほら、マリン姉。口にお菓子ついてるよ!」
抱擁から離れたマリン姉の口角に、小さなクッキーの欠片がついているのを見逃さない。僕は指先でそれを優しく拭い、そのまま自分の口へと運ぶ。
えーっと、確かモテ男バイブル第2章18節によれば、ここは少しキザな台詞を添えるべきところだ。
「んっ。マリン姉の味がする。普通に食べるより美味しい!!」
「きゃ~。もう、ソラちゃんったら。口が上手いんだから!」
頬を赤らめて悶えるマリン姉。…よし、完璧。
好感度、間違いなく20ポイントは上がったな。
「はぁ、お前らほんと仲良いな…」
ソニア姉の、呆れた声が聞こえてきた。
嫉妬の火種を見逃すところだった。僕の目標はハーレムの形成だ。ハーレム候補の一人であるソニア姉のケアもちゃんとしておかないとね。
「ソニア姉…。じゃあ、ソニア姉は僕の口元についたお菓子食べてよ!」
「…。ハ、ハァ!?な、なに言ってんだ!」
狙い通り、彼女の顔がみるみる赤く染まっていく。
口では拒絶しているが、その瞳は僕の口元をじっと凝視している。興味津々じゃん。
「ソニアは要らないの~?じゃあ~、私がもらうーー」
「い、いらないとは言ってないだろ!おら、よこせ!」
マリン姉が横から参加しようとした瞬間、ソニア姉が身を乗り出した。
ガッ、と少し乱暴に僕の顎を掴み、口元に残っていたお菓子の粉を指で掬い取る。そして、照れ隠しのような乱暴な動作でそれを口に放り込んだ。
ここが勝負どころだ。僕はわざと頭を下げ、潤んだような上目遣いでソニア姉を見つめる。
「どう…?美味しい…?」
「…まあ、悪くはねーよ」
…フッ、決まった。
ソニア姉は真っ赤な顔をこれ以上見られないよう、ぷいっとそっぽを向いた。
「…お菓子食べたらすぐに広場に向かうぞ」
「は〜い」
効果は抜群だ。二人の美少女を従え、僕は上機嫌で応接室を後にした。
どうか、このまま成長しても、この甘いスキンシップを続けさせてください。
あの適当女神に、今だけは敬虔な祈りを捧げておこう。




