学園祭編 その5 なにしてくれやがりますか
翌日。
ゼミ室のドアをノックすると、いつものように教授が顔を上げた。
座ったままだけど、目線にはちゃんと「聞くぞ」って意思がある。
「どうした、橘くん。何か報告かね?」
「えっと……準備委員会の方で、ヘルプから正式メンバーになりました」
「……ふむ、そうかね」
教授はふっと笑って、椅子の背もたれに身を預けた。
「君はいつもそうだ。巻き込まれてるように見えて、いつの間にか中心にいる」
「いやいや、ちょっとドローン関係でやりすぎただけです、はい……はは」
「やりすぎでも結果が出るなら、それは君の長所だよ」
「恐縮です」
「展示はこっちで進めておく。困ったら連絡しなさい。無理はしないように」
「ありがとうございます!」
ゼミ室を出たあと、私は廊下でちょっとだけ深呼吸した。
よし、公認ゲット。
これで何かやらかしても大丈夫。たぶん。
頭の中をすこしだけ切り替えて、私はスマホを確認する。
今日の予定はナシ。じゃ、行きますか。
足早にテロリスト準備室へ向かうと、すでに中からざわざわと話し声が漏れていた。
ん? なに? なんかあった?
「おつかれさまで――」
全員の視線がモニターに吸い寄せられている。
画面中央には、白黒の文字列。……何あれ、文章?
「――こなつちゃん、見て。脅迫状だって」
星野さんが振り返りざまに、モニターを指差す。
そこには、今どき珍しいテキストオンリーのメッセージ。
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【至急公開せよ】
我々は、貴校実験施設にて行われた「局所重力収束実験」において、
事象点の形成が実際に発生していたことを把握している。
公開されていない実験ログに、臨界を超過したエネルギー収束の痕跡が明確に残されている。
シュバルツシルト半径を下回る空間圧縮、
ニュートリノ検出値および重力波干渉計の出力異常は、いずれも自然現象とは整合しない。
これらの数値は、地球上の既知技術では再現不可能なレベルに達しており、
明らかに貴校が管理する加速器・圧縮装置によるものと判断できる。
問題は、そのような危険な実験を外部に一切公開せず、
失敗の事実までもを隠蔽しようとしている点にある。
このまま沈黙を続けるのであれば、
我々は、保有する証拠に基づき、真実を公に開示するための行動を開始する。
これは脅しではない。選択だ。
人類の未来に対する責任を、貴校がどこまで理解しているかが問われている。
このまま公開を拒否し続ければ、我々は真実を暴くための実力行使に踏み切る。
全ては人類の未来のため。
BLACK EYE GROUP
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……いたたたた。
読みながら、思わず眉をひそめた。文章の端々から痛々しさが滲み出てる。
「今年も来たか」
「去年はなんだっけ、超光速通信か」
「あったあった。『すでに完成してる、今すぐ公開しろ』ってやつ」
「その前は異次元ゲートだったな。で、今年はブラックホール」
「進歩してるようでしてない感じが絶妙……」
ブラックホールだの、超光速通信だの。
LHCを一体なんだと思ってるんだろう……。
「会長、これマジなやつじゃないの? 一応教授に報告──」
「もう済んでる」
会長は椅子を引き寄せ、モニターの端を指で軽く叩いた。
「教授会も警察も把握済み。アカウント見てみ?」
言われて確認すると、発信元は学内メール。
一瞬、背中の力が抜けた。
「……ってことは、ほぼいたずら確定ですか」
「そういうこと。ただしな」
会長はそこで一度言葉を切り、視線をぐるりと全員に回す。
「こういうの、笑って流すのは簡単だが、万が一ってのもある。自衛意識だけは持っておけ」
「……はぁい」
笑いが漏れる。真面目に相手してもしょうがない──そんな空気が少しだけ戻ってくる。
だが、会長はその空気を切るように、モニターのウィンドウを切り替えた。
「ただ、放置してたら……さっきまた来た」
表示された新しい文面には、一行だけ。
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通告は完了した。タイムリミットは残り24時間。
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……は?
「ね、無駄にリアリティ入れてきてない?」
「厨二病にもフェーズがあるんだな……」
「タイムリミットって二段構えは珍しいな。」
「……まあ、プロバイダ経由で遮断申請は出したし、特定も警察に任せてるから」
「新手の愉快犯だろ、どうせ」
笑い混じりの声があちこちから上がる。
本気で信じたら負け。適度にバカにして、でも頭の片隅には置いておく。それくらいの距離感で。
私は肩の力を抜いて、小さく息を吐いた。
うん、恒例行事。そういうことにしておこう。
会長が手を叩いた。
「はいはい、話はここまでー。各班、進捗状況報告ー。手が空いてる人は他班のサポートにも回ってー」
張り詰めてた空気がふっと緩んで、日常の音が戻ってくる。
ペンの走る音、ホワイトボードをめくる音、椅子の軋み。
あと、廊下で誰かが何か倒したらしい音。
――でも、脅迫状が頭から離れない。
先輩たちはいつものことって言ってるけど。
作業は止まらない。止められない。
「こなつちゃーん、進行ルート、最終案でいいの?」
「コースだけ決めてあとはあの子たちの自律判断に任せましょう。最悪介入しますから」
作業に集中していると、あっという間に夕方。
そこへ、大学からの正式通達が届いた。
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「脅迫文の影響を考慮し、徹夜作業および泊まり込みを全面禁止とします。
学生は21時までに完全退館してください。
夜間の警備・監視は警備会社が対応します」
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一瞬、部屋の空気が止まった。
「まじで!?」
「去年まで泊まり込みOKだったじゃん!」
当然、不満は噴き出す。私も内心「えー」ってなった。
でも、誰も「やめる」って言わなかった。むしろ、前向きに開き直る声が出る。
「仮眠なし全力コースって考えれば……」
「ポジティブすぎる」
「いや、こうでもしないとメンタル保たんから!」
夜、19時。空はもう藍色に沈んでいて、ビルのガラスに非常灯がぼんやり映ってた。
校内では警備員が巡回を始めていた。制服姿が要所に立ち、無言で視線を送ってくる。
うーん……圧、強い。
「今日はここまでー! シャットダウン確認して! モバイル端末持ち帰って!」
「時間足りねぇぇぇ……」
「明日巻き返す!始発で来るのはOK?」
「ちょっと確認する……6時以降なら認めるってさ!」
会長の一声で、準備室が一気に慌ただしくなる。
荷物をまとめ、携帯メモリをポケットに突っ込みながら、
「終わらなかった」と「終わらせなきゃ」がごっちゃになったまま、私は席を立った。
「戸締まりOKでーす!」
最後に退出するとき、警備員さんに声をかけて、通用口から外へ。
明かりの消えた校舎がやけに寂しい。
渡り廊下の外、街灯の光が窓にぼんやり反射していて、なんか、不気味だった。
「こなつちゃーん、帰るよー?」
「はーい」
だいじょうぶ。何も起きない。ただのイタズラ。
そう、自分に言い聞かせながら、私は星野先輩の背中を追いかけた。