学園祭編 その2 展示物、決定。……どうして
ゼミ室の空気が、いつもよりピリついていた。
ホワイトボードには学園祭までのタイムラインがびっしり、机の上には仕様書や申請用紙、各部門からの報告のプリント。先輩たちは誰もが忙しそうにキーボードを叩いたり、端末に出たりしている。
(うーん……なんか私だけ手が空いてる……)
正ゼミ生ではないとはいえ、何もしないってのも気が引ける。
私は近くを通った教授の背中に向かって、思い切って声をかけた。
「あの、教授。なにか……私にできること、ありますか?」
教授は手に書類を持ったままこちらを振り返り、眼鏡越しに軽く微笑んだ。
「橘くんか、助かる。ちょうど手が足りなくてね。展示候補の確認に行ってもらえるかい?」
「確認……って、展示物そのものですか?」
「そう。申請は通ってるけど、実際に展示したときに危険がないか確認したい。特に、周囲への影響や、部外者が見ても問題ないか……あ、そうだ。一番大事なのは制御ができているかどうかだ。そこは重点的にチェックしてくれると助かる。」
「わかりました。行ってきます!」
先輩たちの視線が、生暖かい。……どゆこと?
確認って、ただ見てくるだけでしょ?
そういえば、他の班が何やってるのか、ちゃんと見るのって初めてかも。自分の班のことでいっぱいいっぱいだったし。
私はリュックを背負い直し、キャンパス裏手の第一研究棟へ向かった。
第一研究棟の三階、AI開発班の部屋は一見静かだった。けれど、扉の向こうからは低くうなるファンの音と、カチャカチャというキーボードの打鍵音が断続的に聞こえてくる。
(ここが、展示可能って報告出してた学習型AIのとこ……だよね)
扉横のインターホンを押すと、中から電子ロックの外れる音がして、やや眠そうな先輩が顔を出した。
「おっ、こなっちゃん? どうしたの?」
「教授のお使いで確認に来たんですよ。報告出してたやつ、実際に展示できるのかって」
「あー、そっか。お疲れ様。さ、入って入って〜」
……部屋の中、思ってた三倍くらいカオスだった。
モニターの明かりがちらちら瞬いてるその中で、椅子にはTシャツ短パンの学生が一人、うつ伏せで爆睡中。机にはカフェインドリンクの空き缶が十本以上転がってて、壁のホワイトボードは数式とネットワーク図が書いてあるっぽいけど、下手に色変えてるもんだからカラフルに絡まってロールシャッハテストみたいな模様にしか見えない。
「……ほんとに、ここでAI、動いてるんですか?」
「昨日まで動いてたんだけど、今は止めてるよ。っていうか止めざるを得なくなったんだよね」
「へ?」
その言い方、やな予感しかしない。
「もともと、うちのAI同士を対決させて進化的アルゴリズムによる改良がどうなるかって方向でやってたんだけどさ」
「ふむふむ……って、対決?」
聞き返す間もなく、先輩は続けた。
「いつの間にかプロンプト書き換えるって行為を学習しちゃって、気づいたら──」
先輩がカチャ、とモニターの一つを点ける。
そこには赤文字のログがずらりと並んでいた。ちょっとまって赤文字ぃ!?
『ADMIN ACCESS GRANTED』
その文字の横には、深夜3時半のタイムスタンプ。
「……管理者権限取得? ええとどこだとしてももの凄くまずいと思うんですけどこれどこのですか?」
「大丈夫大丈夫、外部じゃなくてうちの中央管理サーバだから」
「何一つ大丈夫じゃありません!! って、ちょっと待って、それ展示するつもりだったんですか!? 」
「いや、報告した時点ではまだそこまで行ってなかったんだよ。ちょっと研究結果としては甘いかなーと思って利用可能なメモリ領域広げたらこんなことに……あ、でも成果としては最高だろ? 教授連もひっくり返るぜ?」
「それ立ち上がってこれないほうのひっくり返りかたですからね!?」
「いやいや、学長たちだって同じ技術者仲間だ。AI進化のある意味到達点だってわかってくれるはずだよ?」
「それ学習ってレベル超えてますから! ……って止めざるを得なくなったってことはこの管理権限取得の件だけじゃないですよね!? 他に何やらかしたんですか?!」
「お、鋭い。見つけてすぐに物理的に回線引っこ抜いたまでは良いんだけどさ。解析しようと思ったらパスワード勝手に書き換えて誰もアクセスできないんだよ、困ったねはっはっは」
「それAIの反乱ってやつですからね!?」
「こなっちゃんは大げさだなあ。とりあえず本体は封印した。ネットからは物理的に切断して、電源からも隔離してある。これ以上は何もできないよ。今はみんなでログ解析してパスワード割り出してるところ。」
「その状態で何を展示しようと思ってるんですか!?」
「えーと…アルゴリズムの公表とか」
「自己進化するハッキングツールの思考パターン公表とか論外ですからね!!」
私は自分の端末を取り出し、教授への直通ラインを開いた。
「──AI班、展示不可です。これAIじゃありません。自己進化するハッキングツールです! 中央管理サーバに侵入のログがありますのですぐに通報と強化を!!」
後ろでは、別の学生が「ハッキングツール扱い?」「自己進化って夢だよな。」「まだパス通らないの?」とか言ってる。全員、楽しそう。
一回……いや四回くらい捕まったほうが世間のためなんじゃないだろうか。
次に向かったのは、第三研究棟の屋上実験エリア。ドローン班の拠点だ。
扉を開けた瞬間、金属臭とオゾンのような焦げた空気が鼻を突いた。隅にはよくわからない機械類。誰かがドライバーでパーツを外している。
「こんにちはー、展示候補の確認に来ましたー……」
「あっ、こなっちゃん! 来るって聞いてまってたよー」
工具を持った先輩が、汗だくで顔を出す。
その後ろでは、何人かの班員が作業台の上に乗ったドローンを囲んでいた。全員なぜかめちゃくちゃ静かだ。
「えっと、展示予定って……去年の追尾ドローンでしたっけ? すごい速度でUFOみたいに動くやつ」
「うん、あれを改良して出す予定だったんだけど……ちょっとトラブっててさ」
嫌な予感しかしない。
「……具体的には?」
「先週、屋外テストしてたらね、急に指示無視して飛んでっちゃって」
「……へ?」
「本来、GPSで決めた範囲外に出たら自動帰還する設定なんだけど、それを無視して飛び続けて──」
「……無視って、え、それ暴走!?」
「墜落しないで今でもちゃんと飛んでるから……脱走? 今、市内のあちこちで目撃されてるんだけど、動きに法則性がなくて……」
「追跡……できてないんですか?」
「一応、捜索用ドローン出したんだけど、捕捉できないんだよ。完全に自律行動してるっぽいんだよね。なんか……制御系のメモリに、どっからかAIが入り込んだんじゃないかって話になってて。今、同型機で解析中」
「野良AIとか入り込むものなんですか?! それと電源とかどうなってるんです? 電池切れで墜落して人や車なんかに当たったりしたら大惨事ですよ!?」
「それが……さ、電池量が少なくなったら学内の給電所で自動でやるようにしてあったのが裏目に出たのか、公共のワイヤレス給電所から勝手に充電してるみたいでさ。困っちゃった」
「そっちの技術のほう展示すべきなんじゃないですか!?」
だめだこれは。私は無言で端末を取り出し、ため息をつきながら教授へ連絡をした。
「──ドローン班、展示不可です。機体が命令無視して暴走……いや脱走? 現在も行方不明。市内で目撃情報ありです」
背後で先輩たちはまだ笑いながら「地図にプロットしていくと何か図形が出てきたらロマンじゃない?」「次は港方面に来ると読んでる」などと盛り上がっている。
先輩たちなんでそんなに余裕なの? ……私が神経質すぎるだけ? ……いや、違うよね!? 絶対に!!
私の判断基準がおかしいのかと疑問を持ち始めた中、最後に向かったのは第一研究棟のロボティクス実験室。
代々『究極の受付ロボット』を目指してるとかで、年々人間らしくなっていくって評判ではあった。今年も改良型の開発が進んでいると聞いていた。
(受付ロボ、去年はちゃんとしてたな。先輩たちの話通りなら、ここが一番マシなはず!)
そう思いながらガラス扉を開けると、いきなり目に入ったのは体育用のマットと、脚。……脚だけ。
両脚がスラリとマットに立ち、ランウェイを歩くモデルのようにゆっくりとモデルウォークしていた。
腰でバランスを取ってるあたり、本当に女の人が歩いてるみたい。でも、外見がきれいなだけに、腰から上がまるごとない異様さがやたらと際立っていた。
「おー、こなっちゃん来た! 見て見て、今年の脚! 美しくない!?」
「……うん、きれいだと思います。えーと、上半身は?」
「間に合ってないけど、脚だけでいけるから!」
「......一つだけ、聞いていいですか?」
「何々? なんでもドンとこいだよ?」
「受付ロボ……ですよね?」
「美脚特化だけど、そうだよ?」
「上半身、ないんですよね?」
「でもこれだけ美脚なら大丈夫だよ!」
胸を張って答える先輩に、私は遠慮なく直球を投げ込んだ。
「──どうやって受付するんですか?」
ぴしり、と空気が凍る音がしたような気がした。
「え、受付……しないと、ダメ……?」
大丈夫だよね?とすがるような目で見る先輩たち。
ここで同調したらきっと後悔する。私が。だから宣言した。
「受付ロボの存在意義とは」
「「「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」」」」
「去年の上半身は使うの無理!?」
「ジョイントが合わない……乗せても歩いたら腰から折れる!」
「こう足だけで案内させるとか!? 片足立ちも余裕だし!」
「子供が泣くわ!」
ロボティクス班の阿鼻叫喚を背に、私は無言で端末を構えた。
「──ロボティクス班、展示不可です。未完成です。受付できない受付ロボには何の意味もありません。哲学ですか?」
もうやだ。なんで確認してきただけなのにこんなに疲れるの。
「戻りましたー……」
ゼミの扉を開けると、先輩たちは相変わらず忙しそうに資料を広げていた。
その奥で、教授がホワイトボードの前に立ち、展示スケジュールに赤ペンを走らせていた。
私の声に、数人がちらりと顔を上げる。教授もこちらに向き直る。
「おかえり、橘くん。大変だったろう」
「あはははは……」
私はぐったりと椅子に腰を下ろし、机に顔を伏せる。
『AI班:論外。ドローン班:逃走中。ロボ班:未完成』
教授は赤ペンのキャップを静かに閉じた。
「……各班の状況は確認済みだ。君の判断で正しかった。ありがとう」
「いえ……一つでも展示可能であってほしかったです……」
私は声だけ絞り出す。教授は静かにうなずき、口を開いた。
「──となると、展示可能なのは……」
「……」
「……やはり、あのスーツだけ、か」
私は絶望的な気分で、さらに深く机に沈み込んだ。
「……やっぱりアレしか残ってないですよねえ。」
「他に候補がない以上、致し方ない。完成度も高い。性能、見栄え、安全性、すべて揃っているうえに実証試験済み。試作品や完成予想図の展示とは大違いだ。むしろ、展示物としては最高だろう」
「たしかにそうですけど……──展示はいいです。でもそれだけにしてください! 展示だけ!! スーツは置物ですからね!! 絶対に! 何があっても! 着ませんからね!?」
室内の空気が、ふっと静かになった。
先輩たちは誰も口を開かない。ただ無言で、どこか遠くを見るような目をしている。
実験当日のことを思い出しているんだろう。誰も口には出さないけれど。
教授も、少しだけ視線を伏せて、静かに頷いた。
「……わかっている。」
「もし『どうしても』とかそんな流れになったらここの廊下でギャン泣きしますからね!?」
教授は肩をすくめて椅子に座り直す。
「それと!……映像は絶対出さないでくださいよ?」
「それは君と約束したとおりだ。私も命が惜しい。」
周囲の先輩たちが小さく頷いた。
誰も笑わない。むしろ、ちょっと目を逸らしてる。
どうしてこうなった…… あんなに代替物があったのに何で一つも使えないの!?
頭を抱える私の前で教授が
『展示物:衝撃遮断装甲服』とホワイトボードに赤で大きく記入していた。
これが運命ってやつなのかなぁ。