入学式
自宅の郵便受けに合格通知が届いた日、天気は雨だった──。
大学が運営するインターネットの掲示板で合否は確認済みにつき、入学手つづきに必要な同封書類のほうが重要である。高校の卒業証明書や、住民票などを添えて提出する。
気のすすまない入学式は、春の行事である。本来は桜の季節だが、気候の変化により、いつごろからか、式典のまえに花びらは散ってしまうようになった。
湯村は、面接のさいに購入してもらったスーツを着まわして、ひとりバスにゆられて大学へ向かった。両親から合格祝いとして贈られた腕時計は、メタル素材の高級品である。湯村は金属アレルギーのため、リストバンドのうえから嵌めた。息子のやっかいな体質をまるで理解していない証拠だが、よけいな干渉もしてこないため、家庭内での口数は減るいっぽうだ。
「あのひとも、いるのかな……」
去年の秋、大学のオープンキャンパスに参加した湯村が遭遇した学生は、高すぎず低すぎない声の持ち主で、男としての見栄えに恵まれていた。突然あらわれて、「名前は」と訊く。湯村が名乗ると踵をかえし、どこかへ姿を消した。校内を移動するさい、なんとなく似たような背恰好の人物を目で追ったが、本人を見かけることはなかった。
次は◯◯大学総合体育館まえ~
次は◯◯大学総合体育館まえ~
プシューッ、ガタンッ
ピロリンッ、ブロローッ
バスの定期カードをかばんにしまい、少しもほどけていないネクタイを結びなおす湯村は、学部ごとに分けておこなわれるエントランスセレモニーの会場へ足を運んだ。式典自体は基本的に自由参加だが、ほかにすることもないため、一時間ていどの入学式へ出席すると、その後、オリエンテーションも実施された。
こうして、めでたく新入生の一員となった湯村は、軽い足取りで帰宅する同期生を横目に、腹ごしらえのため食堂へ向かった。時刻は昼まえだが、それなりに混雑している。売店でサンドイッチとメロン味の炭酸水を注文して、窓ぎわのテーブルにつく。
「きみ、現役?」と、
いくらも食べないうちに、頭のうえから声がかかった。かじったばかりのサンドイッチをゴクンとのみこんで顔をあげたさきに、短髪の男が立っていた。ごく一般的なスーツに、地味な黒ぶちのメガネをかけている。ほかにも空席はあったが、「ここ、いいか?」といって、湯村の返事を待たず正面の椅子へすわった。おぼえのない顔の学生だが、構内は見知らぬ人間であふれているため、入学式に参加した者同士でも、いちいち記憶に残らなかった。
「そう硬くなるなよ。おれは、さっきのオリエンテーションでとなりにすわった水島瞬平だ。変わった名前だろ。またたくに、たいらって書く。……きみは?」
水島はトレイにのせたブラックコーヒーをひと口のむと、さきに自己紹介をした。湯村は、ぼそっとした声で名乗ったが、水島はききとれた。
「湯村って、繊細なのか」
「べつにふつうですけど……」
「おれも現役なんだ。タメ語でいいぜ」
水島は、一見してまじめな印象をあたえる風貌だが、さっぱりとした口ぶりは、相手の警戒心を解く効力を発揮している。湯村は手もとへ視線を落とし、なるべく目をあわせないようにした。
高校を卒業したばかりの湯村に、連絡を取りあう友人はいない。子ども時代の下手な人づきあいは、念入りに封印してある。ただし、好きなひとは存在した。というより、自覚はなくても意識はあった。じぶんの正気をうたがうべきほどに……。
「それ、残すのか」
「え」
「サンドイッチ。手がとまってる」
「あ、ああ。もういらない」
「じゃあ、もらうぜ」
ひとの食べかけを、なんの迷いもなくパクッとほおばる水島は、かなり心臓に悪い。ふと、オープンキャンパスで間接キスをした男の記憶がよみがえり、動揺した湯村は、炭酸水をのんで咳込んだ。
「だいじょうぶか」と、
原因の本人が訊く。湯村は、ガタッと席を立ち、「バスの時間があるから、おさきに」といって、逃げるように食堂をあとにした。ところが、追ってきた水島に上膊をつかまれた。
「な、なんだよ」
「番号、教えて」
リュックから携帯電話を取りだして云う。水島のほうが上背があり、顔をのぞきこまれた。……近すぎる。正面玄関を行き交う女子学生が、見つめあうふたりへ奇異な視線をよこしてくる。
「なんで……」
「もしかして、だめなのか?」
「だめって云うか、ぼくは……」
不得手な人づきあいは避けたい湯村だが、学科が同じ水島とは、卒業までのあいだ必然的に交流は発生するだろう。しかたなく、すなおに番号を教えた。
「これからよろしくな!」
水島はうれしそうな声をだす。湯村の上膊をとらえる指さきには、ほとんど力をいれていなかった。だが、ふりはらうことができない湯村は、躰が熱くなった。
✦つづく