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「だから大丈夫だって。いや、帰らないよ。……じゃあね」


 ある日の夕方、シガンがスマホの通話を打ち切った。コウと一緒に犬をなでていたアオが顔をあげる。コウは犬を怖がらなくなった。あんまりしつこくかまうので、犬は前足でぺしっと拒絶した。額を押され、コウはむうっと頬を膨らませる。


「シガンさんのご家族?」

「姉。大きいほうの。親が心配して、帰ってこいって言ってる」

「……帰らんの?」


 動けるとはいえケガをしたことだし、顔を見せてもいいんじゃないか。離れていると心配するんじゃないかとアオは思った。家族との関係は悪くないように見える。


「別に、そこまでじゃないし……」


 困惑するようにシガンがうめいた。親は大学中退後も面倒を見てくれるし、バイトを休むと言ったら十分に援助してくれた。しつこいとかうっとうしいと思いながら甘えて頼ってしまう自分が嫌だ。


「ほーん……」


 そんなもんかとうなずいたアオの背を、トントンとコウが叩く。叩く力加減はかなり上手になっていた。しかしコウはなかなか話そうとしなかった。


「おしゃべり苦手なのかな? コウくん、もっとお話ししよ?」

「お話しねえ……」


 シガンは一度自分の部屋にひっこんで、大きめのスケッチブックと色鉛筆の入った箱を持ってきた。


「やる。文字は書けるか? ……いや。まあ、好きにすればいいさ」


 そう言って青い色鉛筆を出し、紙に飛んでいく鳥を描いた。横からコウが不思議そうにじいっと見てくる。今度はぐるっと丸を描いて、にこにことしたシンプルな顔を描く。コウの目がぱっと見開かれた。ぎこちなく同じ表情を作ろうとする。


「ほら、ぐるぐるぐるーって」

「……ぐるぐる」


 コウは色鉛筆を受けとりシガンの顔をうかがった。シガンはなにも言わない。じっと待っているので、コウは隅に小さくぐるぐると描いてみる。もう一度、シガンのことをちらっと見た。それからシガンが描いたぐるぐるの上に重ねるように、ぐるぐるを大きくしていった。


「いいかんじのぐるぐるだな」


 コウはちょっと驚いて、にまっとするとまたぐるぐるを描きはじめた。シガンがコウの長い金の髪を緩く三つ編みにまとめ、赤いヘアゴムで留める。描いているときぱらぱらと落ちてくるのをはらっていたから、このほうがいい。


「三つ編みちゃんだな。ユエンさんとおそろいだ」


 アオが声をかけると、コウは不満そうに頬を膨らませた。「え、嫌なの?」。




 そんなこんなで翌朝、アオが見回りから戻ってくると、起きてきたコウがスケッチブックを抱えて飛んできた。「見て」というようにアオをつつく。


「お、なーに描いたんだ?」


 アオが聞くとコウはもじもじとしてスケッチブックを体で隠した。見てほしいはずなのに、恥ずかしいのか見せずにいる。


「いいじゃん、みーせーてー」


 そう言って手を出せば、バシッと勢いよく渡してきた。そこにはコウの描いたぐちゃぐちゃがたくさんあった。あちこち紙からはみ出してしまっている。たくさんの色が混じって一見黒く見える、複雑な色の重なりは夜空のようだ。


「ほおー……楽しいなあ、嬉しいなあ」

「……たのし?」

「えーっと、うん。もっと描きたいなあって思うこと」

「……かく」


 奪うようにスケッチブックをとると、コウは色鉛筆を握った手を動かした。思いっきり線を引く。表情はあまり変わらないが、とても楽しそうに見えた。アオは奥から出てきたシガンに声をかける。


「シガンさん、ありがとね」

「ほっといても描くようになったから楽でいいさ」




 夕ご飯前のお風呂の時間になった。コウは夢中で絵を描いている。ぐるぐるとぐちゃぐちゃに混じっていびつな丸や三角が生まれてきた。


「コウくん、そろそろお風呂入るぞ」

「……うん」

「ふはははは、お絵描きは終わりだー。入んないと、こちょぐるぞー」


 アオが腕や腹をこちょこちょとくすぐると、コウはむっとした顔になる。くすぐったいのをガマンしているのか、お風呂に入るのが嫌なのか、両方か。もぞもぞと体をよじらせ逃げようとする。


「じゃあお風呂まで早かったほうが勝ちな」


 アオが足を出した瞬間、コウが走り出した。小走りでアオが後を追う。「走るな!」と見ていたシガンがどなった。


 シガン宅の風呂は狭く、脱衣所ももちろんそうだ。しかも寒い。アオは服を脱いで、洗濯カゴに放りこんだ。同じく服を脱いだコウを抱えて風呂場に入る。


「……コウくん、もっとわがまま言っていいんだぞ」


 おとなしすぎると思った。嫌な表情になっても口に出さない。不満そうにしながらも黙って言うことを聞く。いい子といえばそうかもしれないが、心配になる。


「わがまま?」

「なにがしたいとか、したくないとか。なにが食べたいとか、食べたくないとか。くるくる踊ったっていいし、じたばたしたっていい。別に、理由がなくてもいいんだ」

「……うん」


 これはわかっていない「うん」だな。冷たい風呂場に入って足元からお湯をかけていき、最後に肩からザバッとかぶった。


「これでよしっと。じゃあ入ってー」


 パシャンと音をたててコウが風呂桶に入った。アオも追って湯につかる。二人とも髪を結んで頭の上で留めている。風呂は小さく、二人だときつい。湯はあがっていっぱいになり、少しこぼれた。あんまりこぼすともったいないとシガンに怒られる。お湯が揺れ、「はあー……気持ちいいなあ」とアオが吐息をもらした。


「コウくんはお風呂好き?」

「すき?」

「俺はお風呂好きだなあ」

「すき……うん。すき……」


 コウは「すき」と何度か繰りかえした。湯気でほかほかと温まってきて、天井から落ちた水滴がよけいに冷たく感じる。


「そおかそおか、そりゃよかった」


 ペチャペチャと手でお湯を飛ばしてやると、柔らかい表情が浮かぶ。もっと笑ったり怒ったりしていいのにとアオは思った。


「さ、頭洗おか」


 アオが声をかけると、コウはぶーっと顔の下半分をお湯に沈めた。髪を洗うのはまだ苦手なようだ。うながされて洗い場のイスに座ったけれど、気のりがしない様子で頭を押さえた。曇った鏡にぼんやりと映ったアオが聞く。


「嫌? うーん、でもきれいにしないと。じゃあ、頭と顔、どっち先洗う?」


 コウが「うー……」と恨めしげな目で見た。


「あたま」

「おし、ちょっとガマンな」


 耳を押さえてシャワーをかける。なるべく低いところから。シャンプーで髪を洗ってからジャバジャバと泡を落としてやれば、コウはやっと大きく息を吐いた。


「嫌だったな、ごめんごめん。よくがんばった。ぴっかぴかだな!」

「……うん」


 アオはまた髪を結んでやり、そのままスポンジでコウの体を洗う。ぷーんと石けんの匂いが風呂場に満ちた。


「ほら、ちんちんも洗うよ」

「……ちんちん、ダメ?」

「ダメって……なにが?」


 ダメの意味がわからない。アオがどういう意味かと聞くと、コウは悪いことをしたかのように肩をすぼめて答えた。


「ジャマ? いらない?」

「いや、いるだろ」


 思わず素のままで返答してしまう。まさか、いらないってことはないだろう。


「だいじだ、だいじ。だからちゃんと洗おうな」


 いまいちよくわからない顔のコウが、興味深げに見てぎゅっとつかむ。すぐそこにあったアオのモノを。


「あうっ」


 なんとも間抜けな悲鳴が風呂場にわあんと響く。


「やーめーてー」

「ダメ?」

「ダメダメ、だいじなの!」


 風呂からあがって着替え、キッチンに向かうとユエンが笑っていた。アオを見るなりくっくっと肩を震わせている。


「コウ、ちんちんはおっぱいと同じく豊穣の象徴だ。だいじなものだよ」

「ちょっとお……ユエンさん、聞いてたの?」

「聞こえた」

「ええ……なんで」


 なんでと言ったところで神だからそんなこともあるだろう。人のように笑い、神らしくなにもしない。なにを考えてるのかわかりにくい一方で、人間の少女と変わらないじゃないかと思うときも多い。つまり、恥ずかしい。


「まいったなあ……」

「だいじ?」


 いまいち「だいじ」という意味がわからないと、コウは目をぱちくりさせた。


 それからスーツに着替えたアオは、ボディバッグと矛を手にした。今日も今日とて夜の見回りだ。吸血鬼はあれ以来見つかっていない。地道に探すしかなさそうだ。


「じゃあ、俺、行ってくるから。お留守番よろしくな」




 街灯が住宅地の道を照らしている。寒空に鳥の鳴く声が妙に響く。アオはゲンを連れて歩いていた。ゲンはユエンの分身、黒い犬の名前だ。なにか名前はないのかとユエンに聞くと「ない」と言うのでシガンが名づけた。


「ゲンゲン、なんか匂いする?」


 匂いを嗅いでいたゲンが、ふいと顔をあげてまた歩きだす。アオが「おさんぽ楽しい?」とたずねると「おさんぽじゃねえよ」と怒った目で見てくる。少し離れれば、ついてくるのを確かめるように止まるのだから仕事熱心なやつだ。ゲンがくるりと戻ってきて手を鼻でつつき、こっちだと歩きだした。


 ゲンは食人鬼が出てきたときの匂いを知っている。土のような匂いだ。ユエンの分身で、匂いを追うのに特化させているらしい。影で探すより広く探知できるという。


 そういえばあの吸血鬼は匂いがしなかった。なにが違うのだろうか。


「ユエンさんもようわからんやっちゃなあ……」


 どこからかコウを連れてきたのはいいが、なにをしたいのかわからない。コウのことを気にかけているのは知っている。でも、あまり手を出そうとはしない。


 そのコウは自分から「チャンバラして」と誘うようになった。ジャンケンだって、すぐに覚えてできるようになった。もうそろそろ外に出していいんじゃないか。ゲンと公園にでも連れていこうか。同じ年頃の子と遊べればいいのだけれど。


 そんなことを考えたとき、ゲンが首をあげた。ワンッとひと声鳴いてアオを見る。


「出たか」


 走りはじめたゲンを追いながら、スマホをとる。出たのは長のナヨシ。


「はい、柊」

「生松です。出ました。方角は、あー……上野駅の東のほう?」

「トモエを行かせる」

「了解」


 鳴神トモエは新橋のケガ人の警護についていたはずだ。その被害者は吸血鬼に大きな恐怖心を残していて、トモエは頻繁に面倒を見ているのだという。


「さあて……」

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