魔法馬車を見つけたからには
私は奥様の荷物を全部箱詰めすると、まずそれをどうするべきか悩んだ。
どこに片付ければいいの?
すると、私の悩みを知っているかのようにして、奥様の部屋の窓から三角形に折られた紙が私に向かってするっと飛び込んできたのだ。
私は迷うことなくその手紙を受け取り、クラバータの意図を知った。
「城の地下に馬車がある。そこの荷台に君のものを片付けろ」
私のものって、素焼きの人形にお洋服も何も無いわよ?
あなたが言うのは、私が今片付けたばかりの奥様の荷物、衣装箱の中身ね。
彼は本気で私に奥様のものを全部与えるおつもりらしい。
だけど、この大きな衣装箱をどこに片付けるかは今の悩み事の一つだったから、私はよっこいせと衣装箱を担ぐと手紙の指示通りに地下に行ってみた。
凄いわよ、弟が二人入りそうな衣装箱なのに、私は軽々と運べるの。
これこそゴーレムの特性。
「ゴーレムが力持ちなことは博識な伯爵様の方がご存じのはずなのに、どうして伯爵様は私に普通のメイドがするような仕事しかお与えにならないんだろう?」
彼が私に命じたのは、食事の用意と、部屋のお掃除、それだけだ。
彼がやろうとしていることこそ手伝いたいのに。
クラバータのことを考えれば考える程、良い人、としか思えない。もしかして、彼は私を十六歳の女の子としてしか見ていないのかしら。でも、どこから見ても今の私ったらゴーレムよ?
「子供は守られるべきでしょう」
私の身の上を知ったクラバータは、そうだ、こう言って怒ったのだ。そのことを思い出したら、私の足が急に重く感じた。私はクラバータが私に軽い仕事しか与えないことに感謝するべきなのに、胸の奥に重石を感じるみたいになった。
どうしてクラバータの厚意を残念だとしか思わないだろう、私は。
私を女と見た男達は、私がいくらでも体を売れるように最初に手ほどきしてやるなんて言って、まるで赤ダニのように私に群がって来たじゃないの。
私はあの日の出来事を思い出し、その時の恐怖を思い出した。
私は思い出した恐怖から逃げるように瞼をぎゅっと閉じ、私の視界は真っ暗になった。今の私に瞼なんか無いのに、ちゃんと真っ暗になった。だけど瞼なんか無いから、今度は瞼の開け方が分からなくなった。
「私はなにをやっているの?そんなんだからクラバータ様は私を子ども扱いするばかりなんじゃないの」
「君はいっぱしの男だってできないことをしたんだ」
クラバータが私を褒めた言葉が頭の中に浮かんだ。
そうよ、私をそれで成人扱いしてくれたじゃないの。
さあ目を開けましょうか、ルピコラ。
「出来ないわ。だって違うもの。何もしなかったが正しいんです、伯爵。怖くて逃げただけなんです。何も考えずに逃げ出せる窓から飛び出しただけなんです」
本当の本当は、あの時の私は弟の事など何も考えてもいなかった。
あの日は本当に怖かっただけだった。
私が弟の借金も背負えるゴーレムになれたのは、皮肉にもあの嫌らしくも金に汚い娼館の男のお陰でしかないのだ。
「嘘つきでごめんなさい」
私は右手を胸に当てた。
心臓だって無いはずの胸から鼓動なんて感じはしなかったが、私の胸は重苦しい痛みでずきずきと痛んでいる。
「心が死んだら土塊だって崩れるんだよ?」
「どうしてあなたはそんなに優しいの?」
「あいつには癒しの方が必要だもんな」
「彼をお願いね」
私が呟いた疑問の答えみたいにして、奴隷市場で私を買った若い夫妻の言葉が脳裏に蘇った。
「どうして優しいかって?傷ついた人の心がわかるから。それはあなたこそ傷ついている。そうよ、あなたこそ裏切られた人だった」
「クラバータと呼んでくれ。この先私の名を呼ぶ女性はいないだろうからね」
私は両目を見開いた。
それから背中の衣装箱を背負い直すと、真っ直ぐに自分の進む方を見つめた。
「今度こそ逃げない」
私は一歩、また一歩と階段を降りて行った。
今度こそ私にできる事をやり遂げるために。
その十数分後、私はクラバータには敵わないと思い知らされていた。
大きな地下倉庫にあったのは、彼が私に指定した馬車であるが、それは馬がいなくとも魔法力だけで走ると言われているものだった。
「でも金属の箱?にしかみえない」
操縦席も荷台も全部鉄の幌で覆われている。その形状によって、敵を殲滅する炎の中でも、あるいは、襲い掛かってくる敵陣の中でも、きっと簡単に壊れやしないはずだと思わせた。
だからここに私の荷物を片付けろと指示したのだろうか。
初めて見た金属の乗り物にただ圧倒されながら一歩踏み出した。すると、魔法馬車が、私を待っていたという風にして、自分でドアを開いたのだ。
開いたドアから中も覗いてみれば、馬車の操縦席らしきところに赤ん坊サイズの金属でできた筒と書類束がある。私はまず衣装箱を下ろし、それから書類束を取り上げてページを開いた。
「まあ!動かし方と一番近くの町への道順まで書いてある。ええと、それでこの金属筒が馬車を動かす燃料ね」
つまり、クラバータは私に馬車を操縦してここから出ていけと言っている?
自分の魔法力を充填した燃料まで用意して?
「ひどい」
鼻など無いのに、私は鼻を啜っていた。
昨日出会ったばかりの伯爵から、どうして私こそ離れがたいと思うのか。
「と、とにかく。荷物を片付けて、それで、それで」
「彼をお願いね」
「そうよ。あの美人に頼まれたのよ。居座ってやればいいのよ」
私は書類を操縦席に放ると、書類に書いてあった荷物入れの方のドアを開けるために操縦席にあった操縦桿の近くのレバーを引いた。
「きゃっ」
どうしたことか。
操縦席内に明かりが灯っただけじゃなく、戦車の前と後ろにあったらしき灯篭にまで明かりが灯ったのである。
「魔法燃料が無ければ動かないはず」
私は自分の両手を見返した後、操縦席に乗り込んだ。
そして、書類に書いてあったように操縦の準備をしてみたのだ。
ただし、説明書にあったように燃料を投入口に入れなかった。しかし説明書にあったように私は操縦席に座り、動力が動き出すはずのネジを回したのである。
ぶるるる。
「反応した!それで、燃料計はどんな感じ?って、空っぽなはずなのにもうすぐ燃料切れそうな値を示しているわ。これって、私が魔法で作られたお化けみたいなものだからかしら?」
私は未来が開けたような心持ちになっていた。
だって、これならば、クラバータにこれに乗り込まされて城から追い出されても、私は自分の意志でここに戻って来れるのだ。
それでそれで、いざという時には伯爵様を無理矢理にでも乗せて逃げてしまえばいいのよ、と。
そう、絶対に彼を死なせはしないのだ。
良い人だもの。
今の私には牛並みの力があるんだから、いざという時は嫌がっても無理矢理に彼を戦車に乗せ、首都か彼の親族の待つ領地に向かうのだ。
私は戦車の中で大声を上げていた。
死んでから、いいえ、父のせいでソラリスの町が破壊された日から、笑う事を忘れていた私が、大声を上げて笑っていたのだ。
だって、クラバータを失わない方法を見つけたのよ!
お読みいただきありがとうございます。
窓から飛び込んできた三角形の紙は、紙飛行機ですが、飛行機って概念が無いと思いこんな漠然とした表記です。
また魔法馬車にしても、自動車という概念が無いので馬車表記ですが、設定でこれを製作した人としては小型戦車の試作であります。そして、戦車は大昔からあるものだからと、御者台でも運転席でもなく操縦席と表記してます。
そのうちに魔法世界では自衛隊の十式ぐらいに進化するんだろうな、そんな風に考えられる今の時点では装甲車、ガワが固くてスピードがそれなりに出るものだと思ってください。