プロローグ
弟は私にしがみ付いて震えている。
それは仕方がない。
私達はこれから奴隷市場に並べられて売られるのだ。
未来が怖いと震えるのは当たり前だろう。
私達が売られるその理由は、私達の町、ソラリスが侵略者達によって破壊された事による。
町が受けた被害はぜんぶ、私達の父の失態によるものだ。
大酒飲みの彼は前後不覚になるほどに酒を飲み、事もあろうに、城塞の門扉の鍵を閉め忘れたのである。
「お姉ちゃん。俺達はこれからどうなるの?」
弟は私を見上げた。
カブのような真ん丸の顔は、まだ幼児の面影を残すぐらいに幼いのに、私と同じ紫色の瞳が赤色にしか見えないぐらいに泣き過ぎて充血していた。私は弟の柔らかい頬を撫でてから、自分の顔の筋肉全部に力を込めた。
自分の表情が笑顔になっていればいいなと思いながら。
「大丈夫よ。何とかするから。私が何とかするから!」
「姉ちゃん!」
私は自分にしがみ付く弟の体を抱き締め返した。
「私が借金を返す。だから、また一緒に暮らせるのよ?」
「姉ちゃん!」
「可愛いゴーレムでしょ!私が落札したのよ!」
私は若い女性の明るい声にはっとした。
気が付けば私の腕の中は空っぽで、弟を抱いてなどいない。
私は自分の体に両腕を回していただけだ。
私はまた白昼夢を見ていたようだ。
どうせ見るならば、家族で幸せだった頃の記憶の方がいいのに、どうして私が毎回見る夢は弟と離れ離れになったあの日の記憶ばかりなのだろう。
でも、あの日の怖い記憶じゃない分良いのかもしれない。
「ごめんね。ナピナ。お姉ちゃんは一日も我慢できなかったから、ゴーレムになる方を選んじゃった。もう会えないけど大丈夫だよね。借金は私が全部背負ったから、あなたは一人でも大丈夫だよね?」
私はここにはいない弟に謝っていた。
また一緒に暮らせるわよ。
そんな言葉を弟にかけたくせに、私はたった一日も我慢できずに命を絶つ方を選んだのだ。
だって怖かった。
物凄く怖かったから、私は娼館の窓から飛び降りていたのだ。
私を覗き込む男達は、手足がおかしな恰好になっている私をニヤニヤしながら見下ろしていた。誰も助けてはくれなかった。
これじゃあ一銭にもならないな、と死体になりかけの私を蹴った人もいた。
「おい。借金管財人の財務省の役人を呼んで来いよ。ゴーレムにしてしまえばこいつに払った金の分は取り戻せる」
「ひでえな。永遠の借金返済の奴隷にしちまうのか」
そう、奴隷だ。
借金を消すまではゴーレムとして人様に奉仕せねばならない、永遠の奴隷。
「あいつが頼んだのは大男のゴーレムじゃ無かったか?」
「いいの。ゴーレムだったらみんな力自慢でしょう?大きいも小さいも無いわ。でも、せっかくなら可愛い方がいいじゃないの。ねえ二コリー。この子だったらクラバータは絶対に喜ぶはずよ」
「全く君は。あいつは人間嫌いになったんだ。それも女嫌いの方だ。それなのに思い出すような小さなゴーレムを贈ろうなんて考えるなんて。バラみたいな可憐で可愛いだけじゃなく、やっぱりトゲを持ってたか。でもね、愛しているよ、アルビー。君には先見の明がある。確かにこの子ならいけるかもな。あいつには癒しの方が必要だもんな」
悲嘆にくれる私の目の前で私の購入を騒ぎ立てる若夫婦。
金色の髪に鮮やかな緑色の瞳をした騎士風の若い男性は、隣のバラのような女性、白薔薇のような可憐な女性の肩を抱いただけでなく、彼女の頬骨の当たりに軽いキスをした。
何て無邪気で幸せそうな人達。
彼らはこの土塊ゴーレムの中に人の魂が入っているってご存じかしら?
私の心に久しぶりに怒りの炎が燃えた。
そのおかげで私はほんの少しだけ自分を取り戻せた気がした。
父が処刑されるどころか私と弟を残して逃げたあの日から、私には闘志なんてものを抱けなくなっていたのだ。
私は右手に拳を握った。
頑張ろう。
私の働きで弟は普通の生活ができるのだ。
「全くあいつは引き摺り過ぎだもんな。」
「仕方が無いわよ。一番の部下と奥様が駆け落ちしてしまうんですもの。どんな人だって傷ついておかしくなります」
白バラアルビーは私にしっかりと視線を向けると、親友にするみたいにニコッと素晴らしい笑顔を見せつけた。
「彼をお願いね。私達の大事な親友なのよ」
お読みいただきありがとうございます。
二万文字程度で終わらせたかった物語ですが、書いている時点でもう二万字を超えてしまいました。
四万ぐらいで終わらせる予定です。
最後までお付き合いいただけたら幸いでございます。