1-③
それからしばらくは手元に集中していたのだけど、お昼を少し回ったくらいかな。
……その間ずっと、要所要所で別の視線を感じるもんだから、腹が減ったことも相まって、いよいよなんというかアレだ。鬱陶しい。
なんですかね? 僕の顔はそんなに愉快でしょうか。
なんて、胸の中で悪態つきながら――ふと盗み見た彼女の顔。その際に、パチリと視線がかち合った。
机の上にはいつものように勉強道具を広げてはいるが、開いたノートは女子特有のハートマークやらなんやらと、落書きが少しあるだけの、ほとんど真っ白なまま。
彼女はずっと、どういう理由なのか、僕の顔を眺め続けていたようだ。
「あ、……その」
うろたえるように彼女は口ごもる。
まぁ、妙な面のモブを面白がって見ていただけで、それが突然、目が合ったとなれば、誰だってそうなるだろう。
だけど、目が合ってしまった手前、無言で視線を逸らすほど僕も行儀悪くないつもりだからさ。
それこそいつものように皮肉なんて言った日には、裏で暗躍しているかもしれない彼女の仲間達に、どんな陰口を叩かれるかわかったものではないからね。
だから、
「……今日の服も、よく似合ってますね」
可愛いです。
さらりとかつ出来るだけイヤミに聞こえないよう当たり障りのない言葉を添えた。
最後の一言は、口から出てすぐに『うわっ、今のキモくない? 』と心底後悔したが、言ってしまったものは仕方がない。
一言多いとはまさにこのことだろうけど、吐いた唾は飲めないのだから、諦めるよりほかはない。
クラスの女子ならば、ジロジロ見てんじゃねーよと、即座に嫌悪感をあらわにする場面だろうね。
この少女が、そんな勝ち気な台詞を吐くとは思えないけれど、でも、御多分に漏れずというか予想通りというか。
ふいに俯くもんだからさ、あの綺麗な髪が邪魔をして表情は覗えなかったけれど、かろうじて見えた口元を、わなわなと震わせていたのだから、――まぁ、そうだよな。
こんなヤツが、あんなキモい台詞を口走ったんだ。彼女の反応も納得の範疇。しばらくは、苦笑いしか出てきそうにない。
それに、そもそもだ。
もちろん、多少の強がりは混じっているけれど、今更だ。今更、彼女にどう思われようと知ったことではないわけで。……嫌われようとなにしようと、痛くもかゆくもない。
それこそ、女子に嫌われるのは初めてではないし、僕自身、彼女との出会いから今この日まで、未だにイタズラや罰ゲームの類いかもと疑っているのだからさ。
だって、そうさ。
あんな出会い、まるで物語のなかにしか存在しない。
たとえ現実に起こったとしても、あれは、僕みたいなモブが当事者として体験してはいけないものだ。それこそ貫目が違いすぎる。
半年前のあの時、僕はたまたま居合わせて、少し力を貸しただけ。それでいいじゃないか。
偶然、目の前で事故を起こし火のついてしまった車両へと、真っ先に駆け寄ったのは僕だけど、やったことといえば、車内に閉じ込められた彼女に、『大丈夫だから。絶対に助けるから』と声をかけ続けたことだけ。
非力で馬鹿な僕では変形した扉をどうにも出来なくて、結局ドアをこじ開けたのは、後から来た他のヤツ。
それこそ、黒煙にまかれ、咳と涙でグズグズになっただけのおマヌケさん。それが僕さ。
そう、他人の開けた扉から、気絶した運転手を引きずり出したのはたしかに僕だけど、車内から彼女を救いだした、一番頑張っていたアイツこそ、彼こそが主人公だろう。
キミと同じ学校の制服で、なによりもとても爽やかなイケメンだったじゃないか。
アニメに出てくるような女性顔負けの中性的な甘いマスクは、思わず同性の僕すらもドキリとさせたほど。
それに、彼は明らかにキミへと好意を寄せていた。
あんな心の底から安堵した表情と、愛しいですと言わんばかりの熱視線を見てしまえば、第三者の僕にだってわかるというもの。だからこそ、あの彼は、あれほどまでに頑張ったのだろう。
それこそ絵になる二人の出会いに立ち会えた。あぁ、コレこそが王道だよと、目の前の光景に僕は感動すら覚えたのだ。
だからこそ、――僕は彼女のあり方を否定する。
美しい主人公達が並び立つからこそ、物語は輝くのであって、彼女のようなヒロインが、どんな気まぐれであったとしても、僕みたいなモブに時間を使っているヒマはないはずだ。
もしこれが罰ゲームやイタズラでないのなら、おそらくは僕に対し、僅かとはいえ世話になったからと恩義を感じてくれているのだろう。どうにかして礼をせねばと躍起になっているのかもしれない。
素晴らしいことだ。誰もが出来ることではない。
それこそが、この少女の魅力なのだろう。けど、……でもさ。
誰にも知られず、霧や霞のようにフレームアウトすることこそが、モブのモブたる役割のハズ。
僕は、美しい物語が見たいのであって、勘違いしたいわけではない。どれほどトチ狂ったとしても、これ以上、キミという物語に、無粋に出しゃばるつもりはない。
あの炎の中、キミを助け出したヒーローこそが主役であって、僕を含め、世界は彼とキミのロマンスを期待しているのだから。
だから、その気持ちだけで充分だ。ありがたいと心から思う。
それに、僕は見たんだ。
ほんの数日前のこと。ごった返す人混みの中で、それこそ遠目にだったけど、……彼女があのイケメンと、仲睦まじく歩いているところを。
本当に美しい光景だった。彼の手にあるソフトクリームへ、カプリと口をつける様なんて、そのイタズラするかのような笑みと相まって、まさに物語の中のワンシーンかと震えるほどだった。
それと同時に、……そう、その時に僕はやっぱりなと納得したんだ。
そうじゃなきゃダメなんだ。
彼女はもしかすると自分の事を、なんて勘違いをし始めていたのが恥ずかしい。そうだ、それこそがこの世界の真理なのだと頷いたのだ。
だけど。
……今僕は、図書館脇の公園で、四人掛けのベンチにふたり。
どうしてこうなった。なんて、僕自身上手く説明できないのだけど、木漏れ日の中、隣で彼女が微笑んでくる。
『――あのっ! 』
そう。
それは、静まりかえる図書館に、とても通る声だった。
突然だったということもある。それに、この少女からこんなに力強い声が出るとも思っていなかったから、虚を突かれたと言ってもいいだろう。
そんな、息を止める僕へ、さっきまで彼女はモジモジと膝の上で指を絡ませていたのだけれど、続けて、
「き、今日。……お昼を、あの、ですね。その、」
そう言うと、隣に置いたリュックを抱きかかえ、震える声のまま、
「ご、ご一緒しませんか!? 」
あとはただじっと、瞳を僅かに潤ませながら、僕の目を見つめてきた。
僕は、たじろいでしまう。
理由はいくつかあるけれど、まず、周りの目が一斉に僕らの方を向いていること。
三席ほど離れた若いOLさんは、出歯亀だろうね。人恋しいのだろうか目を爛々と輝かせ、明らかに勘違いした視線を向けてくるし、別の所からは、勉強中だったであろう男子学生が、こちらを八つ裂きにせんばかりの眼光を飛ばしてきている。
それに、彼女の抱えた大きなリュックにはまさかと思うが、あの、ラノベくらいでしか登場しない王道のイベントアイテム、
「お、お弁当を作ってきたのですが……」
耳まで染めて、伏し目がちな彼女がそう言うものだから、あぁ、待ってくれ。皆まで言うんじゃないよ。
ほら、また別の所から、舌打ちが聞こえてくる。しかも、多方向から複数回にわたる乱れ打ち。
彼女の妙な頑固さは、この二ヶ月間である程度理解している。
隣に座るというあの一件をとってもそうなのだから、おそらく僕がYESと頷くその時まで、この責め苦は終わらないだろう。
でも流石にそれは、主人公ルートでいうところの、メインイベントすぎやしないだろうか。
こんな、ちょっと他では見かけないような可愛くて可憐な少女が、図書館という特殊な空間でもって、手作りのお弁当を武器に攻め込んでくるのだ。
こんなもの、一流の日陰者である、エリートぼっちな僕でなければ光の速さで勘違いしているね。
まさか、こんな冴えない男に彼女みたいな美少女が( ハートマーク )的な。
おいおい、――や。め。て。く。れ。
冗談では無い。冗談では無いぞ。
どんなテンプレシナリオだ。
こんな紀元前から存在してそうなベッタベタなシーン。現実世界で起こりうるはずがないだろう。
これが新発売の書籍だったとしたら、こんな先人達の手垢で汚れきった駄作、もし僕が小売店なら、間違っても第二版を仕入れはしない。
それに彼女も彼女だ。きっとこれは、この子流の恩返しを含めたご奉仕なのだろうけど、赤面するほどに恥ずかしいのならそれこそ無理をすべきではない。
あとついでに小言を言わせてもらえるのならば、もう少しTPOを考えてもいただきたい。
何度も言うように、ここは図書館で、周りにたくさんの人がいて、それでいて、
「……めいわく、ですよね」
えへへ、と絞り出すような笑い声。
きっと、僕の沈黙をNOと受け取ったのだろう。でも、それはいよいよ卑怯だ。
そんな真っ赤な顔のまま、諦めたような笑みをこぼされたとあっては、――断るヤツは鬼か悪魔だろう。
一転してざわつき始めた館内で、
『……ウソだろ、断んのかよ』
『ヤだ、あの子泣きそう』
『ヤだ、俺キレそう』
『ちょっとボク、あのヤロウに暴力振るってこようかな』
どこからともなく聞こえてくるは、悪者を断罪するかのようなものばかり。……あぁもう、わかりましたよ。はいはい、わかりました!
もう、こんなの僕の台詞なんてひとつしかないじゃないか。いわゆる逃げの一手というヤツだ。そそくさと退散するに限る。
もはやモブだからどうのと、自分の思想を優先している段ではない。慌てて本を閉じ、溢れ出しそうな諦めを強引に抑え込みつつ、……ありがとう。
「ちょうど、おなかがすいたなと思っていたんだ」
見事なまでに、彼女の笑顔が咲き誇るものだから、誤魔化すように、僕は頭を掻くしかなかった。






