188 急転
全体の戦況は一進一退のようだ。この調子なら山を超えられるか…
彼我の距離が詰まってケルート人達は慣れ親しんだ短弓を射る者が多くなっている。日本人の俺には考えられなかった事だが、女性も当たり前のように、器用に短弓を撃ちまくる。
「ケルテイクは普通のおばちゃんが短弓を当たり前に射れるんだな…」
嬉しい誤算だ。これでこちらの想定戦力が4割ほどUPすることになる。達者な男性は一度に2矢3矢と放っている。日本の弓術でも似たような技があったようだが、現実に見るとあり得ない技術だ。
…俺は指揮官だけを狙撃するか…
自分の弓はダナイデ製の素材で特注品なので、量産型の長弓より精度が高い。指揮官級でも積極的で戦意の高い者を狙い撃ちにすることにする。
…まずは…あいつだな…
中庭の階段の下で兵を鼓舞して次々押し上げている者が居る。そのくせ自分は絶対に上がろうとせず目立たない場所に控えている。
…指揮官が撃たれないように注意するのは組織としては正しい判断だが…
「そういう奴を見ているとムカつくんだよな…」
キリキリ…ブン……
長弓の長い弦から生まれる低い発射音が耳元で鳴る。狙ったわけではないのだが放たれた矢が指揮官の目を射抜き頭蓋を貫通する。
当たったか…人を射抜いたのになんとも思わなくなっている。殺らなきゃ殺られる。戦争は綺麗事じゃないからな。大量破壊兵器が非人道的とかなんたらは、現実の戦争になれば無意味な泣き言だ。強いて言えば戦況に余裕がある側が戦後の主導権を取りやすいように論っているだけの建前に過ぎない。
「それを本気で信じているおめでたい奴も居たけど…なっ!」
ブン……
また一人、城壁正面の火の帯の後ろで遊んでいる兵を、側面に誘導している指揮官を射抜く。今度は名人芸のラッキーパンチではなく、敵の指揮官の膝に当たり貫通した。だが、強威力の長弓の直撃だ。ほとんど片足がもげてしまったようで地面を転げ回ってもがいている。
「ミドリ、どうやら首に赤い布を巻いているのが指揮官らしい。赤いのを巻いている奴でうるさく声を上げている奴を狙え!」
「黄色いのを巻いているのも居ますが?」
「黄色で動きの良い者は居ないようだ。たぶん、階級が赤い奴のほうが上だ。赤い奴をしとめていけば敵の動きは鈍る。」
ミドリが至近距離に見える赤い指揮官を撃ち始める。俺は少し遠目に居て前線に兵を送り込んでいる奴を狙撃する。指揮官が急にバタバタ討ち取られ始めたのに気がついたのか、敵の動きが見る見る悪くなった。
「どうやら敵兵も、自分たちの指揮官がどういう奴か気がついたようだな。」
兵を鼓舞して全然に押し出していた指揮官が逆に兵たちにお前が行けと詰め寄られている場面がちらほら見れる。練度の低い軍隊に有りがちな光景だ。
「練度が低い部隊は指揮官先頭が必要なんだよな…ケルート攻めのときのムロータ将軍のように…」
そういやガ島戦でも大勝利した第一次ソロモン海戦では三川中将座乗の鳥海が先頭で突っ込んだんだった。あれがもし、通常通り鳥海を部隊の中心や後方に配置していたら、あそこまでの一方的勝利は無理だったろうな。なんせ、鳥海先頭の単縦陣で突っ込んだのに、最終的には3つの集団に分裂しているほど、部隊としての行動のすり合わせができてなかったから。指揮官先頭でなければ恐らく戦闘の途中で全艦ばらばらになっていただろう。
「赤いのがほとんど隠れてしまって出てこなくなったようです。」
敵の勢いも急激にしぼんでいる。いつのまにか敵兵が正面側の火の帯の向こうにあつまってしまい戦闘自体が終息している。火の帯の煙の向こう側で怒号が聞こえる。
「伊織、やつら急にどうしたんだ?もう一息で右側が結構危なかったんだが。」
「まあ、敵の組織の脆弱さが出たうちわ揉めだな。急造軍隊だからな。ガラディーのように、自分も戦闘の矢面に立つ人間には無用な心配だから気にしないでいいよ。」
「伊織もさほど前線に立たないだろ。だが誰もお前の指示に疑問など感じていない。」
「それは、信用してもらえる材料を先に渡してあるからな。弓とかの武器とか、情報とか。なにもない人間が組織のコネだけで指揮官になってもいつまでも兵が従うわけがない。」
「?そういう実績があるから指揮官になるのじゃないのか?」
「まあ、本当はそうなんだが、組織の枠組みを先に作って人間を後からはめ込んでいくと、実績が追いつかないからな。いきなり大軍を組織すること自体相当な無理をしているんだ。」
さて、やっとこれで敵の総攻撃を兎にも角にも頓挫させた。いよいよ次が問題だな。