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~幽世ノ華~大江戸検死官事件帳  作者: 横溝周一郎
第二章 割腹殺し編
13/13

 「先生っ、お待ちしておりましたよ。」

 凌雲が抱いた心配事は当たり、大勢の患者が今か今かと帰りを待っていた。

 挨拶も早々に、凌雲は作務衣を着直した。

 さっきまで暇つぶしに置いてある将棋盤で遊んだり、うとうとしたり、滑稽本を読み笑いながら待っていた患者が我先に診てくれと駆け寄って来た。

 よくもこう毎日患者が現れるものだ。まさか、わざと疾病をこさえているのではないかと邪推させる程だ。あれはいかん、これは御法に触れると何かと喧しい世の中のせいで、皆心身共に参っているのだろう。

 外の物干しに洗濯物を干していたお喜代が、背中越しにぶつぶつ小言を言っていた。

 「御役目が終わったらまっすぐ帰ってくださいましな、今まで何処をほっつき歩いていたのですか?」

 「遊び歩いていた訳では無い、養生所に顔を出していたのさ。」

 患者を診察しながらも、お喜代の問いかけにはしっかりと答える。情報通のお喜代の事だ、何か耳寄りな情報を得る事が出来るかもしれないからだ。

 「なぜ養生所に?呼び出されたのですか?」

 「そうじゃない、泰然先生の御機嫌伺いにな。」

 「泰然先生の。」

 「おろくは生前祝言を控えていてな、泰然先生は仲人だったのさ。落ち込んでやしないかと思い、養生所にな。」

 「それは、愕然となされていたでしょう。」

 「表には出していないが、がっかりしていた様だ。置屋の松葉楼とは、親しくなされていたようだからな。」

 お喜代に話しかけながらも、患者たちの言葉に耳を傾ける。やはり売れっ子の芸者が五臓六腑を取り除かれ、死骸で上がったと言う噂で持ち切りだった。

 「先生は恐らく、神田川の割腹殺しに出向いていたんだな。」

 「ああ、瓦版で見たよ。どえらい事件があった物だねぇ。」

 江戸八百八町では、今回の凄惨な死骸の事を割腹殺しと呼ばれている様だ。

 「神田川には、河童が住んでいるのだろうよ。尻子玉を抜き取るって話だ。怪談物によると、尻子玉ってのは臓物の事らしいぜ?」

 「ひえ~、恐ろしいねえ・・・。おちおち川沿いを歩けねえや。」

 「大丈夫だよ、飲兵衛のオメエのは不美味そうだから食わねえよ。」

 馬鹿話をして笑い合っていると、杖を付きながらひょこひょこと歩く御隠居が嫁と思わしき女に付き添われて入って来た。

 「おぅいろは屋の御隠居さん、どうだい近頃は?」

 「ええ、先生のお陰で大分良くなりました。そろそろ薬が終わりますので、参りました。」

 「そうかね、今しがた先生が帰って来たところなんだ。一寸待つことになるけど、言いかえ?」

 「ええ、構いません。お忙しい方ですからねぇ、先生は。」

 「時々ぶらりどろんと消えちまう。鉄砲玉と言うか、糸の切れた凧と言うか。」

 随分な物言いをされているが、お喜代の小言にはもう慣れている。馬耳東風を決め込み診察を続けていると、気になる事を口にした。

 「なぁおたけよ、儂ももう六十を過ぎ無理が利かなくなった。此処へ来させてもらうのも、億劫になっちまったよ。」

 「お父っつあん、其ればかりはしょうがないよ。」

 「お前、海老市さんが手に入れたと言う永命丸の噂を知らないのかい?」

 「ああ、偉い先生が作ったと言う御薬ですか?」

 「そうだ、効果覿面だそうだよ。羨ましねえ、お金のある方ってのは良い薬が手に入るんだねぇ。儂の様な小商いじゃ、手も足も出ないねえ。」

 養生所で宗哲が言っていた事と同じような事を言うご隠居、聞くと言う噂だけが独り歩きし、凡人の間まで完全には出回っていないらしい。

 「永命丸、どんな薬なんだい?」

 治療の手を止め、凌雲が隠居に聞く。

 「おや先生、興味がおありですか?私も詳しくは知らないのですが、具合の悪い場所によって袋が違うそうなのです。頭ならこれ、足ならこれと言う感じで。」

 確かに効能や患部によって薬は違う、だがその際薬の名称や種類も違う。この永命丸とは、様々な種類がある様だ。

 「もし手に入ったら、これ程有難い事はござんせんよ。飲むだけで悪い所が治るんですからねぇ、儂の足も治ってくれりゃいいんですが。」

 美沙が聞けば角が生えそうな話、だがこれ程までに噂の種になっている永命丸についてを知りたい気持ちになった。

 「海老市さんは、どこで手にしたんでしょう。」

 「天助(てんすけ)大尽のご紹介ですよ。」

 「天助?」

 「天竺屋助左衛門てんじくやすげざえもん様、鎌倉河岸の大きな廻船問屋。最近では廻米業にまで手を伸ばしております。」

 天竺屋助左衛門、紀文こと紀伊国屋文左衛門きのくにやぶんざえもんの再来とされる大商人。幕閣の要人にも得意先がいる程だ。医者と廻船問屋、ある意味では何の不思議もない取り合わせだ。

その大商人の推薦があれば、信用して間違いないと言う事だ。

 「大商人のお墨付きか・・・。」

 「ええ、そんな御偉方のお墨付きならば聞くに決まっておりますよ。正に医者いらずの妙薬ですわ。」

 「医者いらずか。」

 そう言う歯に衣着せぬ隠居を嫁は叱り、此方に謝罪した。だが凌雲からしてみれば、世の中が医者いらずになった方が良いとも考えている。医者にしても薬屋にしても、人の病すなわち人の不幸を糧にしている生業だ。そんな生業の者が食いッぱぐれると言う事は、其れだけ怪我や病に苦しむ者が減ったと言う事。

 それこそが真の泰平の世の中、凌雲はそう考えている。

 「まあ、無い物ねだりをしても始まらぬ。誠に微力だが、俺も出来る限り治療に当たらせてもらうから安心しろ。」

 「はい、ありがとうございます。」

 そう言うと隠居は、他の患者が読み終えた滑稽本を手に取って読み始めた。それを確認すると、凌雲は再び治療に戻った。

 永命丸に思いを馳せるのは、自分だけではない様だ。

 待っていたのは、何れも御厄介な患者では無かった。軽く怪我をしたか、この所続いている雨で風邪を引いた者が殆どだった。診察をし、適切な薬を処方し直ぐに仕事が終わった。これ程に早く診療が終わるのは、滅多にない事だ。

 「丁度いい。」

 凌雲は医療道具を片付け、作務衣を椅子の上に脱ぎ捨てると普段着である紺色の十徳を羽織り外へ出ようとする。

 「先生、どちらまで?」

 台所で家事をしていたお喜代が声を掛けた。

 「ちょいと行かねばならぬ場所があってな、飯はいらぬ。」

 「まさか・・・、コレの所ですか?」

 「馬鹿を言え。」

 俗っぽく小指を立ててニヤつくお喜代に、凌雲は苦笑いをして見せる。町役人として、奉行所に代わって町内を差配する大家の女房とは思えぬ言動だが、この気さくさもお喜代の魅力だ。

 「紺屋町まで行ってくる。」

 「紺屋町と言いますと、海老市さんの所ですか?」

 「そうだ、永命丸について知りたいと思ってな。」

 「聞けますかねえ、海老市さんは相当に気難しい方だと聞いていますから。」

 「別に作り方を盗もうと言う訳じゃない。特に問題はなかろう。」

 「そうですかねえ。」

 心配そうに見つめるお喜代に、凌雲は笑顔を浮かべる。

 「案ずるな、揉め事を起こしはせぬ。」

 「頼みますよ、町方に目を付けられると厄介ですからね。」

 「解っているとも、迷惑は掛けるよ。」

 「行ってらっしゃいまし。」

 喜代に、送り出された凌雲は、海老屋のある神田紺屋町まで歩きだした。

 

 八丁堀竹島町から半刻程歩いたところで、海老屋に到着した。海賊橋から本所材木町一丁目を江戸橋に向かって登って行き、蔵地および米河岸沿いに暫く過ぎ、道浄橋を渡り大横丁を抜け地蔵橋を渡った場所が紺屋町だ。神田紺屋町、横手に稲荷社、町会所附請負地が立つ。此処に海老屋市兵衛方があった。商人の町、特に反物や太物を商う店が集う場所であるだけに華やかな街並みだ。

 絵でありながら、活きの良さを感じさせる海老が書かれた暖簾。海老屋に違いない。

 「御免、誰か手の空いた者はいないか?」

 凌雲の呼びかけに気づいたのは、帳簿と照らし合わせながら丁稚と共に反物の数を確認している番頭だった。

 「はい、いらっしゃいまし。」

 「俺は高柳凌雲と言う蘭方医だが、主の市兵衛殿はおられるか?」

 「ああ、貴方がおろく医者と噂の凌雲先生でございますね。御噂はかねがね伺っております。申し訳ありませぬが、旦那様は今しがた寄り合いに出かけられました。」

 死骸を扱う医者が訪ねて来ては見せの恥であると、居留守でも決め込んでいるのだと思われたが、番頭を見る限りそうでは無さそうだ。

 「そうか、海老屋殿ともなると付き合いも広いだろうな。」

 「恐れ入ります。当方と昵懇の天竺屋様と三国屋様、それに御典医の先生とお会いになると申しておりました。」

 留守だから帰れとでも言わんばかりの番頭、それにしては口が軽い。大物でも並べればこちらが怖気づいてしまうとでも思ったのか。どちらにせよ、あまり歓迎は去れていない様だ。

 「三国屋と言うと?」

 「御上より名字帯刀を許されております、宗像重兵衛(むなかたじゅうべえ)様です。」

 「ああ、三重大尽か。」

 巷で三重と呼ばれている大商人の宗像重兵衛、姓の名乗りと帯刀を許されるのだから相当な権力者である。故に名前ぐらいは知っている。

 「三国屋と天竺屋、何の寄合かな?」

 「さあ、そこまでは手前どもにも解りかねます。」

 「そうかね、何処へ行ったのかは解るか?」

 それを聞くと番頭は一瞬黙り込み、今度は番頭では無く手代と思わしき者が勝ち誇ったような顔をこちらに向けて言った。

 「旦那様は半端な店は選びませぬ、決まって船宿の港屋さんを御贔屓にしておりまする。」 

 そう言い切った手代を、番頭が余計な事を言うなと制する。だが、良い事を聞いた。

 「港屋か、鶴亀屋と負けずとも劣らぬ名店だ。」

 「まあ兎に角、旦那様は何時お帰りになるかも解りませぬ。折角お越しいただいたのに、申し訳ありません。」

 「そうか、では失礼しよう。邪魔したな。」

 これ以上邪魔をしては店に迷惑だ。市兵衛の居場所も聞きだす事が出来た。其れに港屋ならば、良く知っている。行きつけの鶴亀屋と同様、柳橋一帯は庭の様な物だ。なにも聞けなかったとしても、何か収穫があるに違いないと湊谷まで足を運ぶ事にした。


 浅草下平右衛門町、代地河岸辺りに船宿「港屋」がある。波打つ絵が描かれた暖簾が特徴的な湊屋の暖簾。この辺りには他にも船宿が存在するが、この港屋は良店として有名だ。暖簾を潜ると、港屋の半纏を羽織った店の者がさわやかな笑顔で出迎えた。

 「いらっしゃいまし。」

 「この店に海老屋市兵衛殿が来ているそうだが、案内してくれぬか?」

 「海老屋殿のお連れ様ですか、奥座敷へお越しください。」

 「うむ。」と渡り廊下を渡り奥座敷へ行くと、胡坐をかき六尺近い短槍を持った浪人がいた。恐らく用心棒だろう。四肢は鍛えられており隆々とし、口の周りには髭を蓄えパッと見た所鍾馗の様な強面だった。

 だが凌雲は、この浪人をどこかで見た気がした。

 凌雲の目線に気が付いたのか、用心棒が目線を向けて来た。

 「何だ貴様。」

 「用心棒殿、怪しい者ではない。俺は高柳凌雲と言う医者だ。」

 「医者だと・・・、其方どこかで見た事があるな。」

 「生憎、俺は初めてだ。」

 「左様か、怪しい者ではないな。待っておれ」

 そう用心棒は、襖の前に跪き中の者へ声を掛けた。

 「失礼致す。」

 「何方かな?」

 「市兵衛殿に御意を得たいと、高柳凌雲と言う医師が訪ねて来たが通しても良いか?」

 すると市兵衛とは別の、聞き覚えのある声が聞こえて来た。

 「おお、凌雲殿か。入られい。」

 聞き覚えのある承認の声を聞くと、用心棒が襖を開けた。中には五十絡みの商人風の男が二人に、凌雲と同じ医者姿の男が一人。医者姿の男は見覚えがあった、永命丸の生みの親であり凌雲を南町の難癖から助けた御典医、柴山悦堂だ。

 「おぅ、またお会いしましたな。」

 「これは悦堂先生、あの説はどうも。」

 気さくな笑みを浮かべる悦堂と、もう一人の商人。その商人が興味有り気に悦堂へ聞いた。

 「悦堂殿、此方が以前話されていた・・・。」

 「左様、自ら検使の業務を請け負われている高柳凌雲様だ。」

 「おぉ、以前よりお会いしたかった。手前は日本橋三国屋の主、宗像(むなかた)重兵衛(じゅうべえ)と申します。」

 「天竺屋助左衛門です。」

 「海老屋市兵衛です。」

 それぞれに商人らしく、丁寧な挨拶をして来た。挨拶を返し、凌雲は座敷に入り促されるままに座った。

ついでに自分もと言う感じで挨拶をした市兵衛とは違い、重兵衛は如何にも凌雲に興味を持った様子だった。

 「凌雲殿のお名前は、以前より楢原(ならはら)(じゅん)(さい)先生より伺っておりましてな。」

 「淳斎殿か、長崎時代の同門。俺なんかよりも世の中の為になる御人だ。」

 「御貴殿こそ、本来ならば誰もが目を背ける様な検死の御役を進んで、中々できる事では御座いませぬ。」

 「こぞってお褒めに預かり、忝い。」

 「それで、此処へは何の御用で参られたのかな。」

 市兵衛が酒を一口煽ると、凌雲の方を見て聞いた。早速凌雲は、酒の席の腑に気を借りて本題に入る事にした。

 「巷で評判を呼ぶ永命丸、俺も一目拝見したいと思うてな。」

 永命丸の三文字を出すと、四人ともそろって顔色が変わった。何処で聞きつけたのかと驚いた様子だったが、悦堂の方はどこかにこやかな面持ちだった。

 「流石に御町のお手伝いをなさる程の御方、お耳が早いですな。」

 「興味がおありですか?」

 悦堂と市兵衛は、凌雲に聞く。

 「俺も医者、世間の間で医者いらずと評判の薬、あればどれだけの患者を救う事が出来ることか。」

 その言葉を聞いた市兵衛は、一層困り果てた顔になった。

 「困りましたなぁ・・・、世間の連中の口にとは立てられぬと言う事ですな。」

 「先生、其れは御無理と言う物です。製法を教えると言う事は、関係の無い者に真似をしろと言っているようなものですぞ?」

 「御無礼は承知の上、しかし医学を修めた者として新たな薬が生み出され様としているならば、手前も後学の為にその話を聞きたいと思い馳せ参じた。」

 凌雲は噓偽りのない思いを吐露したが、市兵衛は未だ疑っている様だ。

 「貴殿の様な方は多いのですよ、最もらしい事を並べて懐に入り、自分が利を得ようとするのが本心の邪な方、特に近頃職に焙れている蘭学医とか・・・。」

 総髪頭の凌雲を疑惑の目で睨むと、ふんと笑って見せる市兵衛。医者と名乗る凌雲が何者なのか、一見しただけで解った様だ。

 本道医は基本的に剃り上げた坊主頭、外科医は月代を剃らぬ総髪。漢方を主とする本道医、蘭方を主とする外科医、一見するのみでどちらなのか解る。凌雲は後者だ。蘭方医はまだ記憶に新しい弾圧事件により、芳しくない身の上を強いられている。加えて凌雲は町方の命を受け検死を行っている。亡き養父の跡を継ぎ自らに行っているのだが、名の在る者から見れば食うに困った成れの果ての片手業と邪推されている。

凌雲も同じ穴の狢と思われている様だ。

 これ程に疑われてはろくな話は出来ぬ、これ以上此処にいては港屋にも迷惑が掛かり、御典医に市井の医者が直談判に来たと噂が広まれば町方にも累が及ぶ。

 「諦めるか。」

 凌雲は港屋を後にしようと、僅かに体を動かした。

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