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~幽世ノ華~大江戸検死官事件帳  作者: 横溝周一郎
第二章 割腹殺し編
11/11

 凌雲が現場を後にしようとするや否や、「ちょいと待てえ!!」、「旦那の御通りだぁ!!」と言う横柄な大声が響いた。南町奉行所の村垣伝助と、御用聞きの権蔵だ。

 「厄介な野郎が来た・・・。」

 勇五郎と仁吉、そして悪評を知る浄海もまた同じことを思って伝助らを見た。

 「これは南の村垣殿か。」

 「おや寺社方の速水右近様、巷で発見された凄惨な死骸が自社に運ばれたと耳にしましてな、何か御力になればと参上いたした次第でございます。」

 最もらしい事を言っているが、実際は手柄を横取りし北町奉行所の鼻を明かす事が目的である。

そして助兵衛で知られる権蔵の目的は—

 「旦那ぁ、辰巳芸者が切り刻まれるなんざぁ勿体ない話ですねえ。」

 下心しかない邪魔者の三人を怪訝な面持ちで見た勇五郎の視線を感じたのか、伝助の方から近寄って来た。

 「近藤様、御顔の色が優れませぬが大丈夫ですかな?」

吐き損なって唾で濡れた口の周りを懐紙で拭い、勇五郎は毅然とした態度で伝助に返事をした。

 「お気遣い無用。ところで村垣殿、何用でございますか?」

 「今はまだ、北の月番ですぜ?」

 「邪険にしなさんな江戸屋の若旦那、こっちだって十手持ちの御役目を果たそうとしてんだぜ?」

 「何言ってやがんでえ、油揚げ目当ての鳶のくせに」と呟く仁吉の誹りは、我が物顔の伝助や権蔵の耳には 入っていない様だ。まさに馬耳東風と言う奴だ。

 邪魔者扱いする勇五郎の言動など意にも介さぬ伝助は、黙々と検死を行う凌雲の方を睨みつけた。

 「おい藪医者、性懲りもなくまだインチキ蘭学をひけらかしに来たか?」

 何時もの難癖だ、気にする事は無いと検死を続けた。続いて凌雲は、死骸の口の中に銀色の簪を差し込む。蔦吉の体は、体を裂かれている。状況と傷口を観察し、凌雲の頭にある考えが浮かんでの事だ。

 「どうした兄貴?」

 「ちょいと気になる事がな・・・。」

 仁吉に考えを述べようとすると、後ろから「蔦吉っ!」と言う聞き覚えのある嗄れ声が聞こえて来た。まさかと思って振り返ると、そこにいたのは松葉楼の甚兵衛だった。今は小者に六尺棒で行く手を阻まれている様だ。

 「甚兵衛さん・・・。」

 「あの人って、兄貴が言ってた松葉楼の?」

 「何故だ、他言はしておらぬ。」

 三人が驚いている横で、伝助がまるで自分の屋敷に客を招き入れる様に甚兵衛に手招きをする。

 「おぅ来たか、入りな。構わねえ、死骸の身内だぁ。」

 「村垣殿、まさか・・・。」

 「ここへ向かう途中にたまたま知り合いましてな、事情を話した所実際自信の目で確認したいとの事でしてな、お連れ致しました。面通しにもなりますからなぁ。」

したり顔で言う伝助。偶然出会ったなど大嘘だ。手柄欲しさから面通しをさせる為に、直接松葉楼へ向かったに違いない。

 此方の気遣いも知らず、この男は余計な事をする。患者の体調が悪化した場合、責任を取れるのかと凌雲は静かに憤慨した。

 凌雲に代わり、食って掛かったのは勇五郎だった。

 「何て事をするのだ村垣殿、如何に御役目のためとはいえあんたには遺族を気遣う心は無いのか!?ただでさえ甚兵衛殿は体調が優れぬとか、あんたは病床の者に止めを刺したいのか!?」

 「落ち着かれませ若旦那ぁ、遺族の為と言うのならば早急に一件を解決する事こそ肝要。その様な甘い御考えでは一人前にはなりませぬぞぉ。」

 伝助の胸ぐらをつかみ、今にも殴り掛かりそうな所を仁吉が必死で制止する。

 「静かにしろ!」

 すったもんだの騒がしさに、凌雲は語気を強めて制した。凌雲の言葉の強さに、二人は黙り込んだ。

 「今は南北揉めている場合ではあるまい。」

 二人の喧嘩を制止した凌雲は、死骸の前でうなだれる甚兵衛の方を見る。

 「蔦吉ぃ・・・・。」

 「甚兵衛さん、間違いないか?」

 「見まがう訳がござんせんよ・・・・、何故蔦吉が・・・。」

 「甚兵衛殿、あまり気を落としませぬよう・・・・。」

 凌雲と共に、治郎兵衛も友人である甚兵衛を慰める。

 「稼ぎ頭がこんな事になっちまって、可哀そうになぁ・・・。」

 「お察ししやす。」

 慰めているのか煽っているのか、伝助も権蔵もニヤニヤしながら甚兵衛に言葉を投げかける。こんな奴らに同心株、十手を与えている御上はどうかしている。

 「金などどうでも良い・・・、蔦吉は身寄りがなく私が娘の様に育てた子・・・。祝言の日を、楽しみにしていたのに・・・・。」

 膝から崩れ落ちる様に地面に手を付き、その場で泣き崩れた甚兵衛。娘同然に目を掛けていた者を亡くした甚兵衛の落胆ぶりに、凌雲も勇五郎もかける言葉が無かった。

 「甚兵衛殿、蔦吉さんの無念は御役人が晴らしてくださいます。あまり気を落とさないで・・・、今はお任せしましょう。」

 大量の涙で泣き腫らした目を治郎兵衛に向けると、肩を貸されてゆっくりと立ち上がった。治郎兵衛の慰めの言葉のお陰で、少しは落ち着きを取り戻した様だ。それを見届けた凌雲は、検死を再開した。詳しく調べていると、凌雲の脳裏にある考えが浮かんだ。

 「もしや、この傷は・・・。」

 確かにこの傷口に近い物を見た事がある。それは昔、長崎鳴滝塾。自分に本格的な外科治療を仕込んでくれたシーボルトによる本格的な開腹手術に立ち会った際だ。日本にも外科手術は存在する。しかし、当時の日本では本格的な開腹手術は行われていなかった。故に鳴滝塾で行われている手術は最先端といえた。

シーボルトの元にはこの本格的な開腹手術を目の当たりにしたいと言う医学生が集い、鳴滝塾は多くの門人を抱えていた。凌雲もその門人の一人だった。

 今回の死骸の傷口は、この開腹手術の方法に酷似していたのだ。

 「もしそうならば・・・。」

 何時もと違う凌雲の様子を逸早く察知した仁吉は、伝助に悟られぬ様にそっと聞いた。

 「どうしたんだよ兄貴、何か解ったのか?」

 「ああ、とんでもない事がな・・・。」

 その話声を聞き逃さなかった伝助、まさに地獄耳だ。

 「おい藪、何がとんでもねえ事なんだ?」

 「良く聞こえる耳だ。」と、凌雲は思った。しかし、下手に誹ればどう言い訳をされるか解らない故に声にはしない。

 「ああ、だが憶測にすぎに。」

 「当て推量でも良い、聞いてやる故に言え。」

 何かと蘭学者を目の敵にする南町奉行所の連中に効かせるのは癪だが、御役目に私情を挟むのはあってはならぬ。

 凌雲は、伝助に自身の考えを述べ始めた。

 「この一件、医者が関わっているやもしれぬ。」

 「はぁ?何故そう思うんだ?」

 「傷口がな・・・。」

 そう言いかけると、「おい!入ってはならぬ!」、「黙れ無礼者、どかぬか」と言う野次馬の行く手を遮る小者の大声が聞こえた。勇五郎が振り返ると、見た事の無い駕籠が停まっており、共侍が小者を押しのけていた。共侍が掻き分けた間から、白い作務衣を来て薬篭箱w抱えた医者の弟子と思われる物に導かれ、風雅な十徳を羽織った坊主頭の中年がずかずかと入って来た。

 招かれざる野次馬と踏んだ権蔵が、いち早く坊主頭の中年に凄んだ。

 「やいやい、テメエ何者だ!?見世物じゃねえぞ!?」

 権蔵をすかさず共侍が睨みつけ、「無礼者!」と鳩尾の辺りを鐺で突き、突かれた権蔵はたまらずその場で蹲った。

 「何をしやがるんだ!十手持ちと知っての事か!?」

 「不浄役人が何をほざく、此方におわす御方は将軍家御典医、柴山(しばやま)悦堂(えつどう)先生なるぞ?」

 思いがけぬ大物の存在に、伝助も久六も腰が抜けそうになった様だ。将軍家御典医と言えば、将軍家の縁者や幕閣大名の医療一切を司る住職だ。格式こそ旗本以下、御家人以上の大したものでは無いが、その権勢は相当な物であり御典医の駕籠は老中の駕籠先さえも譲らせる事が出来たとされている。

 凌雲の様な町医者とは、比べ物にならない権力者だ。

 悦堂はゆっくりと蔦吉の死骸の前へ近づき、その気配に凌雲も振り返った。

 「何だお前さんは?」

 「何と言う事だ、これが本当に人間の所業なのか?」

 「誰だ、役人なのか?」

 「申し遅れた、私は柴山悦堂と申す。人伝に凄惨な死骸が見つかったと聞き、何か力になれぬか訪れた次第。」

 「それはそれは、無礼の段平に御容赦を・・・。」

 「堅苦しい謝罪は無用、其方が自ら検使を引き受ける蘭学医か?」

 「左様、高柳凌雲と申します。」

 軽く挨拶を交わすと、悦堂も凌雲の隣で同じように屈んだ。凄惨な様子にも眉一つ動かさず調べるその様は、正にその道の玄人と言える。

 「凌雲殿、貴殿は何か解ったかね?」

 そう問いかける悦堂の様子が面白くないのか、伝助が間を遮った。

 「御典医様ぁ、こんなオランダ医者崩れの話なんざあてになりませんぜ?」

 「いや、同業者の意見は決して無駄にはならぬ。さあ、遠慮なく意見を聞かせてくれ。」

 身分ある御典医にそう言われ、難癖けん制が十八番の伝助も押し黙った。

 暫くは静かにしているだろうと、凌雲はじぶんの仮説を利かせ始めた。

 「悦堂殿、もしやこの一件には医者が関わっているやもしれませぬ。」

 凌雲の言葉に、今まで表情を変えなかった悦堂の表情が険しくなった。

 「何故そう思う。」

 「この傷口を見られよ。」

 「傷口、これが如何したかな?」

 「滑らかだと思いませぬか?」

 「そうよな・・・。」

 検死を続け、淡々と自身の考えを述べる凌雲。それをしばらく見ていた伝助らは、如何にも面白くなさそうな様子だった。

 「何が滑らかな切り口だ、どうせ切れ味のいい刃物漬かったんだろうよ。」

 「とすると村垣の旦那ぁ、此奴は新しい刀剣を手にしたお侍えの試し斬りじゃねえですか?」

 「かもしれねえなあ。」

 バカな事を言う、試し斬りで此処までする物か。役人の看板を上げているなら、もっと真剣に事態を診て欲しい物だ。

 「二人共、少し黙って貰えないか。」

 横からぐちぐちとヤジを飛ばす伝助を見かねた勇五郎は、与力として伝助をけん制した。若手にいなされ、伝助はへんと鼻で笑って見せそっぽを向いた。

 「確かに、包丁や刀にしては滑らかな切り口だな。」

 「この切り口はもしや、外科手術によるものではないだろうか。」

 「外科手術とな?」

 「手前は嘗て、長崎に置いて間近で見た事がございます。その時の切り口に、酷似しております。外科手術には専用の刃物手術()()を用います。手術刀は切り開いた皮膚を縫合する為、滑らかな切り口を作る独特の切れ味を持ち合わせております。他の刃物では真似できませぬ。」

 「儂は本道医故、外科手術には携わった事は殆どないのだが、本職の外科医たる其方がそう言うのなら間違いないのだろうな。」

 凌雲の言葉を聞いていた悦堂は、徐に蔦吉の亡骸に目をやると口に銀簪が差してある事に気づいた。医学の心得の無い物にすれば、いたずらにしか見えないが、これもれっきとした検死の術だ。

 「毒物を調べておるのか?」

 「はい、もし外科手術をするならば何か薬を用いて気絶ないし眠らせていると思いましてな。もし薬を用いたのなら、変色しているはず。」

 凌雲は簪を引き抜くが、簪は銀色のままだった。この死骸に薬物の類は使用されていない様だ。とすると、もう一つ恐ろしい仮説が脳裏をよぎる。

 「まさか、生きたまま・・・。」

 考えたくはないが、もし薬品が使用されていないとしたらそうとしか考えられない。この死骸は生手酷く悪戯され、挙句に生きたまま腹を裂かれ五臓六腑を切り取られた。

まるで怪談話の双紙本か芝居物に出てくる様な、身の毛もよだつ恐ろしい事が現実に起こったと言う事だ。

 「顔の色が優れぬようだが、如何致した?」

 「悦堂殿、手前には目の前のことが信じられませぬ・・・。よく此処まで、人の体をひどく弄ぶ事が出来る者だ・・・。」

 「であるならば、下手人は悪鬼羅刹か魑魅魍魎か・・・。」

 凌雲と同じ様に、眉間に皺を寄せて難しい顔をして見せる悦堂。悦堂を気遣う様に、あからさまに胡麻を擦って近づいて来た。

 「御典医様ぁ、何も解らなかった藪医者の戯言でさぁ。気にしたら損ですぜ?」

 「そうですよぉ、後の事はあっしら十手者にお任せくだせえ。高名な先生方の御力を、無にするような事、南町は致しやせん!」

 「おい鳥越の、それじゃあまるで北が役立たず見てえじゃねえか?」

 「あん?そうはいってねえよ?」

 遠回しに「北町奉行所では役不足だ」と誹りながら、伝助は自分たちを売り込んでいる。立身出世を夢見る事を悪いとは言わないが、こう言う自己顕示欲と言うか、出世欲の塊の何と醜い事か。今は南だ北だと、拘っている時ではないだろうに。御役目を疎かにする程に、南北町奉行所の間は険悪である様だ

 「左様か、ではお任せするとしようか。凌雲殿、ご苦労であった。貴殿の働きは決して無駄にはならぬはずじゃ。お陰で死者も、浮かばれる事だろう。」

 「御典医様におほめ頂き、身に余る光栄に御座います。」

 普段なら町医者の存在など気にもしないはずの御典医から激励の言葉を受け、この悦堂と言う医者の存在を嬉しく思った。こういう医者が増えれば、疾病や怪我に苦しむ患者が一人でも減るはずと考えたからだ。

 「ではこれにて所用がある故に失礼致す。凌雲殿、これからも物言えぬ死骸の声なき声に耳を傾けてくだされ。」

 「はい、お互いに患者の為に努めましょう。」

 「おぅ、ではまたどこかで会えると良いのぅ。」

 丁寧な挨拶をし、悦堂は弟子や共侍を引き連れて駕籠まで戻って行った。凌雲と共に悦堂を見送った勇五郎や仁吉も、悦堂の人柄に驚いている様だった。

 「へえ、御典医にはああいう出来た御人もいるんだねぇ。」

 「ああ、大したお人だ。」

 久々に出来た人間を診た凌雲は、満足げに死骸を供養する文を書き体の上に徐に置いた。

 「和尚、もう良いぜ?」

 「よろしいのか?」

 「ああ、丁重に供養してやってくれ。勇さん、後はお前さん達の役目だぜ?」

 「解った、手間をかけたな先生。」

 「ありがとうよ、兄貴。」

 勇五郎と仁吉が納得し、事態は終了する。はずだったが、先程まで押し黙っていた伝助が再び口を開いた。

 「おい藪ぅ、テメエと悦堂先生の話が本当ならば下手人は外科治療、蘭学を心得る者の仕業って事だな。やはり御奉行の云う通り、蘭学なんざろくなものじゃねえな。」

 「左様で御座いますねぇ、これ以上関わるとろくなことありませんぜ?」

 「そうだな、これで失礼しようか。近藤様、あまり蘭学者を信用しすぎると痛い目にあいますよ?お気を付けなされよ。」

 捨て台詞を残し、伝助と権蔵は高らかに笑いながら現場を後にした。

上が上なら下も下、面倒事は御免被ると伝助がそそくさと立ち去ると、権蔵と久六も後を追う様に続けて去って行った。

 その様子を鬼の形相で睨みながら、大助は舌打ちをして見せた。

 「畜生っ!二度と来るんじゃねぇゲジゲジ!」

 「まぁまぁ若旦那落ち着いて、一刻も早くこの一件を片付けねぇと。」

 「若旦那と言うな、今に俺の手で二つの件片づけて見せる!」

 「力み過ぎると空回りしかねぬぞ?」

 「ああ、我ながら取り乱した。面目ない。ともかく後は任せてくれ、ご苦労だった。」

 そう言うと、勇五郎は足早に万福寺を後にした。

 「じゃあ俺も行くぜ、またな兄貴。」

 早足の勇五郎の足を追いかけて行った仁吉に手を振ると、様子を見ていた右近も一件が片付いた安心感からふうとため息を付いた。

 「やれやれ、ようやく終わったか。」

 「寺社方にまで迷惑をかけた。」

 「これも御役目、気に致すな。其方こそご苦労だったのぅ。」

 「お構いなく、では私もこれで失礼致す。何かあったら、お声をおかけください。」

 「解った。」

 そう右近に軽く挨拶をした後、凌雲も万福寺を後にした。このまま天竜堂に帰り患者を待つべきだが、今の凌雲にまっすぐ帰宅する気はなくある場所へと向かった。

 その足取りは、どこか重た気だった。


 重い足取りで向かった先は、小石川養生所。この敷地内には、嘗て貧しい物が満足な治療を受けられず病に苦しんでいる事を危惧した医師の小川笙船が目安箱へ多くの患者を診察する医療機関の制作を進言する旨を認めた当初をした事で設立した無償診療所だ。ここの森岡泰然は、殺害された蔦吉の仲人を買って出ていた。その蔦吉が殺された事で憔悴してはいまいかと、期限伺いに来たしだいだ。

 凌雲は此処とも縁があり、定期的に出入りしている。養生所の表門を潜り、まずは表門近くの番所に詰める番人に声を掛けた。

 「蘭医高柳凌雲、森岡(もりおか)泰然(たいぜん)先生に御意を得たい。」

 「おぅ凌雲殿か、恐らく薬煎所のいずれかにいるはず。」

 「左様か、では通らせて頂く。」

 勝手知ったると言わんばかりに、ずんずんと養生所を進んでいく。廊下を通り、薬煎部屋の一つに入った。するとその部屋には、二人の男がそれぞれに話ながら薬研を用いて、薬草を調合していた。一人は中肉中背で、細い髷を束ねた坊主頭の老人。もう一人の方は筋肉質で、凌雲と同じ位で黒々とした慈姑頭の男。老人の方が養生所を束ねる肝煎医師の森岡泰然、そして外科医の杉浦宗哲。養生所には本道医が二名に外科医が二名、眼科が一名常駐している。泰然は本道、宗哲は外科が専門だ。ちなみに凌雲もまた、非正規ながらも外科医として小石川養生所に出入りしている。

 「よぉ凌雲殿、珍しく顔を出したのぅ。」

 「泰然先生、ご無沙汰をしております。」

 「急に如何した、呼び出されたのか?」

 仕事の手を止め宗哲が聞くが、泰然は察しがついている様だ。

 「其方が来たのは、神田川新シ橋の一件だろう?」

 「はい、手前が死骸の検死を致しました。」

 「だろうな、この広い御江戸で自ら進んで検死をする医者は凌雲先生位な者だ。」

 「それは褒めているのか?」

 「勿論だ。」

 屈託のない笑顔を向ける宗哲に、やれやれと笑って見せる凌雲。宗哲と凌雲は年も近い上に専門も似ており、会えばまるで兄弟の様な接し方をする。

 しかし、その笑顔も満面の笑みとは行かない。三名とも凄惨な事件を耳にし、何か言いたげと言うか影を纏った様な顔だった。

 「五臓六腑が切り取られていたと言うではないか、恐ろしい話じゃ。」

 「まるで尻子玉を抜く河童の様な所業だ。」

 冗談を交えて言う宗哲に、真剣な面持ちで凌雲が返す。

 「冗談を言っている場合じゃないぜ?宗哲殿?」

 「どういう事だい?」

 そう言われた宗哲は、何事かと目を向けた。しかし、凌雲が現場で断定した情報を聞くと宗哲だけでなく泰然も仰天した。

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