五十七話
薫風とグレンが一手で沈んだことにより、アルスとルヴィナは苦しい戦いを強いられた。
戦況は一気に防戦へと変遷し、ルヴィナも弓ではなく剣に持ち替えて戦っている。アルスもルヴィナも二対一の状況にも関わらず全く攻勢に移れないでいた。
なんとかして攻めるタイミングを作って挟撃を仕掛けても、ベテルギウスの両手に握られた二本の刀に防がれてしまう。そうしてそのまま弾き飛ばされ、それに対して二人で中距離から魔技を飛ばして反撃をしても闇に吸い込まれるだけだった。
アルスもルヴィナもベテルギウスに剣術面で劣っている要素はない。そんなことよりも問題なのがベテルギウスは二人に数回斬られても痛いだけで済むが、二人はベテルギウスの反撃を一発完璧な形で貰えばそれだけで大きなダメージを受ける。戦線復帰できなくなるまでに受けられるキャパシティは決して大きくない。
激しいベテルギウスの攻撃に倒されはしないが、何もできない二人。ダメージだけが確実に溜まっていくのを二人は感じていた。
このままでは駄目だとわかる。かといって打てる手立てもない。ダメージが嵩むほどに披露も伴い、二人は敗北を覚悟した。
死ぬ覚悟なら、騎士になったときから出来ていた。
だがそれでも負ける覚悟はしていない。
仮に自分が死んだとしても目標を達成すること。それが仕事をするということだった。それも出来そうにない。
勝てなかった場合、ベテルギウスはアルスの事もルヴィナの事も許しはしないだろう。誰も許しを請おうとは思わないが、そういう道がない事は二人にもわかっていた。
自分の事だけを考えるのなら。ルヴィナと心中するのも悪くはないのかもしれないな。 そんなことを思わなくもない。
でもルヴィナはきっとそんな事を望みはしないだろうということもアルスにはわかりきっている。アルスはそんなルヴィナだからこそ……。
ルヴィナが自分の事だけを考える事がそもそも出来ない。
そんなことを考えようと思わないし、考え付くこともない。
何故ならルヴィナが選ぶのはそれとは対極に位置するものだから。
「……このままじゃ私達は負ける。」
「そうだな。はっきり言って俺にはここから勝てるビジョンも手段も浮かばない。」
「……ねぇ。」
「なんだ?」
「後始末。頼むね。」
「何の話だ……?」
「……。」
アルスがルヴィナの瞳に見たものは、諦めではなかった。正確に何であったかは言語化出来るものではなかったが、希望に満ちたものでもないことは確かだった。
「アルス。約束、守れなくてごめんなさい。カオルとグレンくんにも約束破ったこと謝っておいてほしい。」
「何をする気だ……!?」
「……今までありがとう。」
アルスの感情はルヴィナを止めようとした。でも止めてどうなるものでもないという理性がそれを拒んだ。
ルヴィナが何をしようとしているのかアルスにはすぐにはわからなかった。約束とはなんだろう。
アルスとルヴィナの間にはいくつも約束があった。
薫風やグレンとは一緒に世界を回る約束もした。
ルヴィナはこの時に一体いくつの約束を破ったのだろう。
ルヴィナは持っていた『零の剣』をその場に起き、深呼吸をし敵を見据えた。
ルヴィナの中にいるウィルに一つの頼み事だけをしてルヴィナは行動に出た。
「『紅水』『変質』『壊華』!!!」
ルヴィナの魔技を見て、アルスはルヴィナにここまで背負わせたことを悔いた。
本当にこれしか道はなかったのだろうか。今更考えても仕方がない。それでも、考えずには、いられなかった。
ルヴィナが使った魔技はかつて暴走したアルスを止めるために使ったもの。禁じられた魔技。
血を使った禁術はルヴィナの精神を蝕み、一度ルヴィナはこれを使ってから精神的に少し壊れていた。
今回の禁術でルヴィナは精神は──
ルヴィナは血で出来た刀と鎧を纏った。顔から、身体から、血の気がどんどん失せていく。ルヴィナの顔色は真っ白になっていた。真っ白な肌の中にあり色の残ったルヴィナの瞳だけがアルスの脳裏に焼き付いた。
ベテルギウスへと一直線に飛んでいくルヴィナをアルスはただ見ていることしか出来ない。ルヴィナの意識がどこまで残っているかわからないがアルスに牙を向くようになってしまっては本末転倒だったからだ。
「使わない約束なんて……最初から嘘だったんじゃないか……。」
アルスはそうこぼさずにはいられなかった。
ルヴィナが絶対に使わないつもりだったのであれば『壊華』という魔技は存在しないはずだ。
勿論ルヴィナは可能な限りは使わない選択をするつもりだったが、万が一使うことになった場合は次がないことをわかっているのだから最大出力で我が身を擲つぐらいの覚悟でいた。それは決して間違ったことではない。
だがアルスはルヴィナが禁術を使うという選択肢自体を忘れてしまってほしかった。
念の為。万が一。それはあくまでも最終手段としてルヴィナが持っている事実に他ならない。
アルスはルヴィナが禁術を使うぐらいなら自分が使いたかった。アルスであればまだ一度も使ってないのだからルヴィナと同様一度なら耐えられた可能性もある。せめて一言相談が欲しかった。アルスは禁術を修得していないし、急に言われたところで対応できない。相談してくれていれば……。
相談したところでルヴィナはこの状態でもアルスに使わせはしないだろう。そんなことぐらいアルスにもわかっている。それももどかしい。
なんでいつもルヴィナはそうなんだ。自分で全部背負ってしまう。誰もそんな事望んじゃいないのに。
悪態しか出てこなかった。そうしないとアルスがこらえられなかったから。
ルヴィナは狂ったように飛び回る。
狂ったようには不適切かもしれない。彼女は事実狂っている。
ルヴィナは天から糸で吊るされた傀儡のように規則性と不規則性に揺らされているようでアルスには不気味に見えた。アルスは自分達の為に禁術を使う選択をしたルヴィナに対してそう感じてしまう自分自身を、目から流れそうになる涙と心の奥からの嗚咽と共に噛み砕いて飲み込んだ。
ルヴィナは最初禁術を使った時には笑い続けていて、それはそれで不気味でしかなかったが、そうなると思っていたルヴィナが今度は完全に笑うこともせず息も切らさずに無言でベテルギウスと戦っているというのは客観的に見てもやはり不気味ではある。
ルヴィナの攻撃は苛烈でとても隙の無い攻め立てであったが、それでもベテルギウスと五分だった。
二人がかりで劣勢だった相手に対して、五分になること自体が常識的に考えればあり得ないのだが、それが禁術のやっていることの非常識さである。
アルスが遠距離から茶々を入れることも出来ないほどに二人の戦いはヒートアップしていた。ルヴィナの機動力が高く、高速で動き回るため、下手な遠距離攻撃はルヴィナに当たりかねない。ルヴィナはニコルがいる状態でも縫うような精密な射撃が出来ていた事を思うと弾速の遅さや範囲の広さなどの差異を差し引いてもルヴィナの弓術のスキルの高さが窺えた。
ベテルギウスは五分であると理解しても、仮に負けるほどの実力差があったとしてもベテルギウスが禁術のような力を使うことは出来ない。何故ならそれをしてまでルヴィナやアルスに勝つ理由がどこにもないからである。
ルヴィナとベテルギウスの五分の戦いの最中。
ルヴィナは途中から『泡沫』をいくつも作り始めていた。それは一般的にあり得ないことだ。
ルヴィナが禁術を使っている間はルヴィナの身体をルヴィナの自我は制御できない。魔技は自身の中に居る魔聖獣に魔技を使うことを頼む事で使っているので自我が存在しないルヴィナに魔技は使えるはずはなく、なんなら今のルヴィナは息をするように魔力と魔力を帯びた血の刀や弾を扱えるので魔技を使う必要性もない。
ルヴィナの禁術が切れかけているわけでも、ルヴィナの自我が戻っているわけでもない。アルスは一瞬それに期待したが、現実を見てそうじゃない事を理解している。
ルヴィナが何故『泡沫』使っているのか。
アルス目線だと見たところ今のルヴィナが使いたくて使っているようには見えない。いつもなら『泡沫』はルヴィナの立ち回りを強化し、火力上昇にも貢献する、他にはないオシャレ目な魔技だが今のルヴィナは使うわけでもない泡を出しているだけになっている。
戦う上で使い道のない泡に魔力コストを割くのはロスしか無い。泡を出すために若干無理をしているのか、戦い方に違和感すら出てきている。
「……ルヴィナ……そういうこと……なんだよな。仮にそうでなかったとしても構わない。」
アルスはルヴィナの『泡沫』をアルスなりに解釈した。
アルスは剣に魔力を溜めた。
この魔技は、本来チャージ式の魔技だ。アルス自身に適正が低かったからそうせざるを得なかった。
今までは溜めずに使ってきたが、一発で決めなくてはいけないのだから最大限溜めて放つつもりだった。
まだ……まだ……まだだ……。
右腕が燃えている。まだ溜められる。
アルスは自分の魔力が暴走させない範囲で最大限溜めようとしている。だがそれと同時にアルスは自分の魔力は暴走しないという自信もあった。
アルスの魔力はアルスが暴走させた時ですらアルスの味方だったのだから。
そうして溜め続け、溜められる限界にまで達したことをアルスは理解した。魔技としての限界や魔力としての限界よりも先に刀身が保たなかった。
アルスは全身全霊を込めて、乾坤一擲の一撃を放つのであった。
「ルヴィナ……すまない……。『閃変万火』!!!!」
アルスは全力で振り下ろし斬撃を飛ばした。その斬撃は萬の焔となり、ベテルギウスとルヴィナの元へと襲い掛かった。
そしてその二人の近くにあった大量の『泡沫』はアルスの焔によって、大爆発を起こした。
ルヴィナの『泡沫』は火を近付けると爆発する。その事はルヴィナが過去にアルスに対して説明し、アルスも理解はしていたため普段ルヴィナが『泡沫』を使う時にはアルスは火を使わなかった。
そしてグレンが加入してからは『泡沫』以外の選択肢がルヴィナには十分あったので『泡沫』を使う事をやや避けていた。
そのため、火で爆発する事はベテルギウスの頭からは抜け落ちていたのだった。
大爆発に呑まれ、ベテルギウスもルヴィナも大きく吹き飛んだ。アルスはベテルギウスだけを斃そうなどということは最初から考えておらず、むしろベテルギウスだけ斃してしまった場合、ルヴィナが疲弊したアルスに襲いかかってくることになりかねないので、アルスはルヴィナごとやるしかなかったのだ。
アルスはサフィーナに続いてルヴィナまで殺した。
アルスは急に多量の魔力を吐き出したせいで、強い目眩と吐き気に襲われた。貧血に近しい症状だ。
「……ルヴィナ……。」
それでもアルスは、ルヴィナに頼まれた後始末をつけなくてはいけない。
上下左右の歪んだ世界を震える脚を引きずりながら歩いた。そこに置かれた零の剣を拾って、遠くなりそうな意識を精一杯保ちながら。
ここで倒れるわけにはいかない。視界が暗くなってくる。脚が動かない。
とうとうアルスは膝を付いた。ここでアルスが倒れればベテルギウスはまた復活し、ルヴィナの犠牲が無駄になる。
せめてベテルギウスの方だけは付けないといけない。
「お兄さん。後はぼくがやっておくから、安心して休んで。ありがとう。」
「かなた……なのか……?」
アルスはかなたが来たことで少し気が楽になった。かなたに任せておけば大丈夫だろうと思った。
かなたはアルスから零の剣を受け取り、それを持ってベテルギウスの元へと歩み寄った。そして一度零の剣を置いてベテルギウスの使っていた刀の内の一振を手に取り、ベテルギウスを終わらせた。
アルスには逆光でよく見えなかったが、かなたが全てやってくれたことだけはわかった。アルスが一安心したのも束の間だった。
かなたは零の剣を拾い直して、それを以てルヴィナを斬りつけた。
アルスがそれを目にした辺りでアルスの意識はなくなった。
ピッ……ピッ……ピッ……転送シマス
そうして長きに渡るベテルギウスとの戦いは幕を閉じ、アカツキの丘陵には静寂というエンドロールが流れていた。




