五十四話
雷鳴が轟き、氷雨が大気を劈く。
闇が広がり、星芒が暗闇を切り裂く。
そんな景色を眺めている女性に薫風は声を掛けた。
「ルヴィナ……?」
その相手は顔も体型も間違いなくルヴィナそのものだったが、薫風にはどこか彼女が別人かのように思えた。
ルヴィナの持っている魔力の感覚がいつもと違ったからである。
「カオル……。どうして……ここに……?」
ルヴィナのどうしてというのは理由というよりも、どのようにしてという手段が疑問だったが、アルスが持っている剣を見てすべて理解した。
「どうしてじゃないよ!ボク達はルヴィナを止めに来たんだよ!」
「止める?……そうね。残念だけどもう止められないよ。どうやってここまで来たのか知らないけど、カオル達は家にお帰り。」
「もう止められない?ルヴィナは……ルヴィナじゃないの?」
「私は……まだ私だけど。もうほとんど全部終わって、後は……私のクオリアがなくなれば完成らしいよ。」
「クオリアってなに?」
クオリア。感覚質。個々人が持つものに対しての印象などそのもの。
「さぁ?ベテルギウスがそう言っていたってだけ。私も名前ぐらいしか聞いたことないけど、『感じ』そのもの……みたいなものかな。」
「感情ってこと?」
「うーん。多分そうじゃないけど私も詳しくないからそれでもいいよ。」
厳密な基準で言えば感情も含めて、柔らかい、赤い、面白い、甘い等の五感や第六感で得た情報のすべてが該当する。
それらはすべてあくまでも経験則に基づいた主観的なものであり、その主観性を失うことでサフィーナの復活は完成するということである。
「でも……まだルヴィナのクオリア?がなくなってないなら、まだ間に合うよ!ねぇルヴィナ?こんなことやめよ?」
「……やめる理由が『私』にはない。」
「ルヴィナのバカ!わからずや!」
「……そうだね。」
ルヴィナの悲しげな眼が、余りにも饒舌に喋るので薫風はそれ以上何も言えなくなってしまった。
「姉御はそれでいいのかよ。」
グレンはそれでも黙っていられなかった。なんならルヴィナの事もアルス同様に殴りたいぐらいに思っていた。
「今、姉御がオレたちの事を悲しませている事実を押し退けてまで、通さなきゃいけないわがままなのかよ。」
「これがわがままであることはわかってる。でも譲るつもりはないよ。」
「だったらこっちも押し通るだけだ。姉御、武器を取れよ。勝負して決めようぜ。」
「それに私が応じる理由はないよね。何もしなければ私の望みは叶うわけだし、グレン君も私を殺したら本末転倒でしょ。」
「オレ達への義理も何もないって言うのか……?」
「義理や優しさで折れていい話じゃないんだよ。グレン君も命を賭してでも救いたい命があったんじゃないの?それと同じだよ。」
「そんなことわかってる!!なんで……なんでオレ達の声が聞こえないんだ……!」
「聞こえてるよ。ありがとう。」
ルヴィナにはグレンと薫風の言葉が刺さっていて、そこにある二人の想いもわかっていて。
ルヴィナには二人の優しさがあまりにも痛かった。
それがルヴィナの精神的ストレスに拍車をかけてしまったことも悲しい事実として存在する。
「ルヴィナ。俺がルヴィナを止める資格はないのはわかっている。だが、一つだけ聞いてほしいことがある。」
「……サフィの事?」
「そうだ。サフィーナは……
「それなら、教えてもらわなくても知ってる。」
「そうなのか……?」
サフィーナが殺された経緯についてはルヴィナは知っていた。
しかし知ったのはアルス達と別れた後の話である。
「フローレンスから聞いたのか?」
「フローラはそんな野暮な事しないよ。私が知ったのは、ベテルギウスがサフィの魔力を私に入れた時に、サフィの記憶をほとんど全部受け取ったから知ってるってだけ。誰に教えてもらったわけでもなくただ『知ってる』。」
「そうか……。」
魔力と記憶の関係性についてアルスは知っていたので、ルヴィナの言うことをすんなり理解できた。
「……ずっとサフィーナの事をルヴィナに話さなかった。それを薫風とグレンに話したら咎められた。」
「……だろうね。」
「……今まで本当に……すまなかった。」
「別にいいよ。言ったと思うけどサフィが帰ってくることを邪魔しないなら、なかったことにしてあげる。」
「サフィーナがそんな事、望むわけないだろう……?」
「サフィはね。とても優しいんだ。」
「……?」
「だからサフィなら、最初こそ泣くかもしれないけど乗り越えて私の分まで笑って生きてくれるよ。」
「サフィーナの優しさに甘えて、そんな酷な道を歩ませるのか……?」
「……あんたがそれを言う権利はない!!」
アルスが『酷』と言った道は、ルヴィナが今日まで歩んできた道とそれほど変わらない。
「それにさ、サフィの事を望んでるのは私だけじゃないから。」
そう言った直後、遠くの空で流れ星が堕ちていくのをアルスは視界の端で捉えた。そして星が堕ちていくその元の方から一条の光がアルス達の所へと飛来した。
それはニコルだった。
「正直さ。私も、グレン君とかカオルとかの話を聞いて、思う所がないわけではないんだよ。」
「だったら!ボク達と帰ろうよ!」
「そうだね。カオル達がネコちゃんに勝てたらね。ネコちゃん……後は任せるね。」
ニコルは絶対に折れない。
先程空を駆けた流れ星はニコルがミルザムを倒して叩き落とした痕跡で、ミルザムとの激戦の後でもニコルはアルス達に勝つつもりで全力で構えている。
「薫風、グレン。ニコルとは俺が一人でやる。やらせてくれ。」
「旦那のこと信じてねぇわけじゃねぇけど……厳しいと思うぜ。それに姉御のことも懸かってるんだ。一人に任せる理由がねぇよ。」
「……でもアルスは勝ってくれるんだよね?そこまでわかった上でアルスだけがネコ助と戦って勝ってくれるんだよね!?」
「あぁ。必ず勝つ。任せてくれ。」
アルスはニコルに向き直り、剣を構えた。
「にゃあー。」
「もうお前が何を言ってるのかもわからないが……何でだろうな。どう思ってるのかはわかる気がする。」
「にゃあ。」
「もうお互いもう退けないよな。」
口にはしないが、お互い大切な人の命が懸かっているのだ。
アルスとニコルの二人はルヴィナとサフィーナの命を天秤にかけた。そしてその天秤はそれぞれ異なる方を掲げ、二人はそちらを捧げる選択をした。
一方のために他方を切る選択を。
ニコルの大きさは普段通りに戻っている。ミルザムと戦っている間に消耗し戻ったのだろう。
小さくなったニコルは大きい時と比較して魔力の圧が弱い。反面、高速移動によってニコルが視界から外れた後、位置の特定に時間がかかり、ニコルの攻撃を被弾しやすくなる。
アルスが『零の剣』を持っていたなら大きい方が良かったかもしれないが、今ならどちらでもただ脅威なので小さいなら小さい、大きいなら大きいで相応の対応をすればいい事を考えれば、ある意味アルス的には『対ニコル』として正々堂々戦えて良かった気持ちも少しあった。
小さいニコルは必ず正面から攻撃はしてこない。
ニコルの戦い方はかなり『合理的』で理に適っていない戦い方を絶対にしない。
アルスもそれをわかっている。
真正面からニコルが駆けてくるのをアルスは確認し、そのまま攻撃するわけはないのでどこかへ飛ぶだろうと警戒をしながらも、ニコルがそのまま攻撃し来ることも一応意識をしていた。
前述の通りニコルはとても合理的だ。
だからアルスがニコルに対しての警戒の仕方がそうなることまで考えて、ニコルが選択したのは真正面に『疾』で高速移動することだった。
ニコルの魔技には欠陥があり、発動前に必ず バチッ という音が鳴る。
その音をアルスの耳が捉えた瞬間にアルスは周囲を警戒する。
だからニコルの選択に反応できない。
ニコルの『爪』がアルスを襲い、アルスを大きく吹き飛ばした。
ニコルはこの一手で、アルスに大ダメージを与え、そこから傷によって得た相手へのアドバンテージで一気に短期決戦を決める算段だった。
しかしそうはならなかった。アルスは攻撃をもらう直前に『壱の剣』を無意識で使い魔力で自身を守っていた。
ニコルの魔技にはもう一つ大きな欠陥がある。
ニコルに限った話ではないが、そもそも雷属性というものが相手が電力を帯びていると流れが鈍くなる。その上でニコルは魔力以外の攻撃能力が乏しいので、雷属性持ちに防御されると途端に苦しくなる。
もちろんノーダメージではないが、イメージとしては火のついたマッチ棒で燃えない相手に殴りかかっている状態であり、魔力の消費量を増やせばマッチ棒がバットになったり木刀になったりはするが、ニコルの場合魔力を注いだ時のリターンが雷魔力に大きく割かれるので、その部分が完全にないとするのならコストに見合わない事になる。
であれば、ニコルが取れる手段は二つだ。
ニコルは『猫』を使った。使いたくはなくても使うしか手がないなら四の五の言っていられない。
「まぁ、そう来るよな。」
そうなると正面から撃ち合うとアルスが不利になる。アルスが雷の魔力で守りを固めればダメージはかなり抑えられるが、フィジカルの差があるため、純粋な力押しでアルスが勝てない。
そうなるとどうなるか。アルスとニコルの立場が逆転し、ニコルの攻撃を避けながらアルスが攻撃するという形になる。
立場が逆転して立ち回りが逆になっても各々の性格までは変わらない。
基本的にアルスは自分から攻撃しようとしない。相手の攻撃に合わせて対応して勝つスタイルだ。後の先を意識した戦い方は騎士団流ではなく、アルスの我流であり、それは個人戦でこそ本領を発揮した。
普段はニコルやルヴィナが機先を制して状況を整えてくれたのでそこから攻めればアルスは十分で、アルスに主に求められていたのは盾としての仕事だった。
逆にニコルはというと、必ず自分から攻めた。
ニコル自身が耐久力が高いわけでもなく、スタミナも多くはない。なので持久戦になることを強く嫌った。
早く倒せれば被害もそれだけ減り、体力も残せる。その一戦が全てならいざ知らず、戦いが続くのであれば一戦一戦は手短に済ませるべきだという判断である。
他の仲間がいるのならいざ知らず、ニコルが一対一で戦うならその傾向はより顕著になる。
ミルザムと戦いニコルの体力も魔力も消耗していて、ニコルは勝ち急いでいたこともあって、攻撃偏重に拍車がかかっている。
二人はそれぞれ、旅を始めてから初めて自分らしい戦い方をしていた。
周りも気にせずに、伯仲する相手との一対一の戦い。アルスもニコルもこの時最も真剣に、そして最も自由に戦いを愉しんでいた。
負けられないという想いから解放され、ただ楽しく全力で相手を斃そうとだけしていた。狂気的なまでの殺意だった。
薫風もグレンもその二人を見て、この二人は言葉数は少なくても通じ合っていんだということを感じた。
こんな状況でもなければ親友になれただろう。或いは既になっていたのかもしれない。
「どうしたベテルギウス? 随分と弱いじゃないか。」
「そういうシリウスこそ、その弱いぼくと互角だなんて焼きが回ったんじゃないかい?」
「相変わらず口の減らないやつだ。」
「君もね。」
シリウスとベテルギウスの戦いは、傍から見ればとても『弱い』や『焼きが回る』等といった言葉が当てはまるようなものではないが、シリウス達からすれば全盛期ほどの力はない事も紛れもない事実だった。
ただし力が落ちてもあくまでも公爵位の悪魔の範囲内であり、それが世間的に影響を与えることはない。
互角と言いつつも状況はシリウスがやや優勢にあった。それはベテルギウスの実力の低下量と、シリウスが衰えた分の差が如実に表れた結果と言える。
氷の剣が闇を切り裂き削り取っていく。
ニコルは攻撃をしてもしてもアルスにいなされていた。
ニコルの攻撃をアルスは直接防御は出来ないにしても、攻撃を流しながら、隙を見て反撃を入れていけばいいわけで、ニコルから攻めてくるのであればアルスのスタミナの消費量は、相対的に少なくて済む。
アルスにとっては分のいい勝負となっていた。
「ニコル……もういいだろ……。このままじゃお前は勝てない。」
「ぐるる……!」
ニコルは諦めるつもりはまったくない。
ここまでなんの為に戦ってきたのか。その答はニコルにとってはサフィーナを蘇られるためという一点に集約されている。
ここで諦めることは今まで戦ってきた意味を否定する事になる。アルスやルヴィナへの情がニコルにないわけではないが、諦める理由になることはなかった。
ニコルは最後の手段に出るしかないことを悟った。
ニコルの奥の手だ。
ニコルの様子からアルスも、ニコルが何かをやろうとしていること、そしてそれに全てを賭けていることを察し、身構えた。
『臨』『猫』『統』『射』『魁』『尽』『烈』『在』『全』
誰もが思いつきはしてもやりはしないニコルの最終奥義。
持ち得る全ての魔力を解き放ち相手にぶつける最強の魔技。使えば当然暴走するので、他の誰にも真似できないがニコルの中には魔聖獣がそもそもいないので、暴走する事によるリスクは大きくない。
この魔技はニコルの『最期』の手段。
全部の魔力を使うということは魔力で構成されているニコルは……。
そんなことはニコルもアルスも百も承知だった。だからアルスは全身全霊を以てニコルの信念に応えることにした。
それほどまでにニコルは、サフィーナを愛していた。




