五十話
「ベテルギウス……。」
「にゃはは……ベテルギウスだなんて。そう呼ばれるのはいつ以来かな?今までみたいにネムレスって呼んでくれていいんだよ。」
「否定はしないんだな?俺達を今まで騙してたんだな?」
「騙してた?それは違うよ。アルス達には人間を救ってもらった。それは嘘じゃない。」
「お前の目的のための方便だった。そうだろ?」
「その話は誰から聞いたんだい?」
「……わかっているんだろう?」
「……あーぁ。めんどくさいなー。どうせシリウスだろう?いいかい?君達はシリウスの言葉を真に受けているけれど、シリウスも悪魔なんだから鵜呑みしちゃいけないよ。」
「シリウス『も』……な。」
「人間は最初に聞いた意見を正しいと思い込む性質がある。だから僕が何を言っても納得はしないんだろう?」
「アンカリングだね。私はベテルギウスの言う事も聞いてもいいとは思うけど、シリウスの言葉に説得力はあったから、私を納得させるのは難しいと思う。」
「まぁ納得しないならそれでもいいさ。信用は大した問題じゃないしね。それはそれとして、僕はここまで手伝ってもらったお礼をしないといけないね。」
「お礼?」
「とりあえず、これはもう要らないね。」
ベテルギウスが言う『これ』が何であったかにすぐに気付いたのはアルスだけだった。
「さてニコル?君の願いを叶えようじゃないか。」
「にゃぁ。」
「うん。そうだね。」
「アルス……?願いって何の話?ネコ助は何を言ったの?」
「わからない。」
「わからない?アルスはネコ助の言葉がわかるんでしょ?」
「いや。俺がわかるわけではない。着けていた指輪の効果でわかっていただけだ。その指輪が……ベテルギウスに回収された。」
「さっきの『要らないね』ってそういうこと……?」
「あぁ。」
ベテルギウスはニコルに手伝ってもらう条件として願いを可能な限り叶えるという約束をしていた。ニコルはすべてそのためにベテルギウスのために戦っていたのだ。
だがニコルもベテルギウスが悪魔であることは知らなかった。というよりもニコルの世界にはそういったファンタジーの存在が否定されていて、喋る猫というだけでかなり異端であったため、ニコルは当初は願いどうこうより好奇心でベテルギウスの提案に乗った。ニコルはそもそもは猫ではない。ただの一人の学生だった。
「でもニコルの願いを叶えるのはちょーっと難しいかなぁ。」
「ネコちゃんの願いは何なの?」
「サフィーナさんを蘇らせてほしいってさ。事実、彼女は純粋な人間じゃないから、不可能ってわけじゃない。」
「……!それは本当……!?」
「……本当だけど、言っただろ。難しいって。実は前々からニコルがそう願っていたのは知っていたから、出来る限りのことはやっていたんだけど、彼女は純粋な魔生物でもないから入れる器がないとどうしても厳しそうなのさ。遺体が残っていればよかったんだけどねぇ……。」
「……。器ならここにある。」
ルヴィナは自らの胸に手を当てて言った。彼女自身の身を捧げるという意味だったことはその場にいた全員がすぐにわかった。
ベテルギウスの言う『純粋な魔生物』『純粋な人間』というものを理解しているのもニコルとルヴィナ(と無関係なミルザム)だけであった。当然アルスや薫風達からすれば話についていけていない。
「おい!ルヴィナ!何言ってる!?」
「なるほど。一卵性の双子かぁ……やったことはないけど試してみてもいいかもねぇ。」
「勝手に話を進めないでくれ!」
「邪魔しないで。」
「邪魔とかそういう話じゃないだろう!」
「あんたが黙って見てるなら、あんたの罪をなかったことにしてもいい。」
「何!?」
「あんたを殺さないであげるって言ってるんだよ。」
「ルヴィナ……。」
「私から……世界から二度もサフィを奪わないで。」
ルヴィナはグレンのいた世界で禁術を使ってから心が少し壊れていた。その状態で天界でフロウエルと話し、魔界でポルックスの悲痛な言葉を聞いたルヴィナの心はさらに歪んでいた。
そんな折、飛び込んできたサフィーナ復活の希望。ルヴィナがそのために体を差し出すことは、ある意味最も正常な反応であった。歪みの原因がそこなのだから。
「ねぇ!何の話!?ボクを置いて話を進めないでよ!!」
「カオルには関係ない話だよ。」
「関係ない!?関係ないってなに!?」
「……。」
「ルヴィナ……ルヴィナが話を聞く気がないなら力尽くででもルヴィナを止める!」
薫風が身構えたときニコルとルヴィナも同じくして、薫風に対して臨戦態勢をとった。ニコルはそのために戦っていたのだからそれを邪魔されるぐらいなら押し通る覚悟だったし、ルヴィナもおおよそ同感だった。
「ネコ助まで……! アルス!グレン!手伝って!」
「あ……あぁ。」
「ちっ……やるしかねぇのか……。姉御と……くそっ……。」
「……あいつは私がやる。カオルとグレン君はネコちゃんに任すね。」
「にゃぁ!」
ニコルと薫風、グレンの戦いはそこまで長くかからなかった。二人共、先の戦いで消耗しきっていたため、それも当然の結果である。
元々個人のスペックでいえばニコルは頭一つ抜けていた。薫風とグレンが万全でも互角かニコル優勢だったであろう。そもそも二人がニコルの速度についていけるかどうかすら怪しい。
グレンの筋力も当たらなければ脅威にならない。薫風は対ニコル性能で言えば仲間内の誰よりも低く、小さくて速度が早いニコルに対して有効な攻撃手段がない。
この二人でニコルに勝つには『翡翠の拘束』で動きを止めてグレンで殴るのがセオリーとなるがそこまでの魔力もなくまた、ニコルは知っている魔技に対してすぐに解決策を考えることが出来る頭の良さを持っていた。
薫風もグレンも今までも常に全力だったからこそ、ニコルには勝てない。
「ルヴィナ……。止めよう。こんな戦い……意味がない。」
「だったら大人しく縮こまってなさい。別に殺さないであげるって言ってんだからそれでいいでしょ。」
「……。」
アルスは諦めて剣を抜いた。その挙動をルヴィナが捕捉した瞬間にルヴィナは先手を打った。
「『泡沫』!」
いつもの泡だった。アルスはその魔技を何度となく見た。
わかっていれば、警戒も出来る。『泡沫』にルヴィナの矢を当てさせなければいい。当たったとしてもそこから矢が飛んでくることがわかっているのだから対応できる。
そう思っていた。だからアルスは泡の前に陣取った。
「『変質』『水牢』!」
アルスの背後の泡が大口を開けた。アルスがその事に気付いたのはアルスが泡に呑まれた後だった。
息ができない。ルヴィナはアルスの呼吸を読み、呼気に合わせてアルスを囚えた。
アルスが見たことない魔技だった。『見たことない』だけならよくある事だが、この魔技はあくまでも『泡沫』の派生でしかない。
ルヴィナが最初に考えた魔技。それは『泡沫』と『変質』だった。その上でルヴィナは対アルスのために『変質』をずっと使わずに隠してきた。アルスの見ていないところでこっそりと練習することだけは欠かさなかったが、それでもアルスには絶対に見せなかった。
全てはアルスを殺すために。
『変質』は使った魔技を後から別の魔技へ変質させる魔技である。『泡沫』の場合は『水牢』への派生となる。ルヴィナの全ての魔技に変質先が存在する訳では無いが、ルヴィナが魔技を考えついたタイミングが古いものなら大体は存在する。
なんとか『零の剣』により泡を消せたアルスはルヴィナが本気で自身を殺しに来ていることを理解した。
「やっぱりその剣。厄介だね。」
「ルヴィナ……。」
もはやアルスは退くことは許されなかった。アルスはルヴィナにここまで躊躇いのない殺意を向けられると思っていなかったし、同じ意気込みでルヴィナと向き合うことが出来なかった。
ルヴィナにとってはそのアルスの態度に納得はいかなかったが、そこにあったアルスの感情を好都合だと切り捨てた。
「『兆候』」
曇りにする魔技。薫風に対してニコルと合わせて使っていたがルヴィナ一人でも曇りには出来るようにはなっていた。
「『変質』『豪雨』!」
アルスに大雨が降り注ぐ。ただ雨が降るだけの魔技。その雨はとても冷たかった。
その雨に当たり続けることでアルスの体温は徐々に低下していった。アルスが実際にその事に気づくのにまでに時間が少しかかった為にルヴィナの想定以上の成果も得られた。
当然、雨は一滴一滴を『零の剣』で消しても無駄であり、雲は上空にあるのでアルスには対応できない。
アルスは自分から間合いを詰めないと一方的な展開になることを察して、矢をいなしながらルヴィナへ距離を詰めていった。
ルヴィナにとってそれも都合が良かった。
「『岩壁』!」
いつもの壁だ。いつもより大きいけれど、これもなにかあるのだろう。アルスにもそれぐらいはわかるが、わかったとてどうなるかまではわからない。
倒れてくるか、破裂するか。適切な対応はなんだろうか。アルスはこの解答をすべて『零の剣』に委ねた。
「『水落』『変質』『水鏡』!」
補足しておくと水鏡という言葉にミラーという表現は使わない。
『水落』によって岩壁の上から水が滝のように流れ落ちてきた。岩の壁の前に水の層が出来るのでただの岩壁よりも強度が増す。それだけの魔技だ。
それが『変質』によって水鏡へと変わった。当たり前だが滝のように勢いよく落ちていく水が鏡面反射することはまずない。『水鏡』にした時点で水の流れは完全に停止している。
アルスの影が水面に映った。その瞬間アルスと同じ形をした岩と水の塊がアルスと同じタイミングでアルスへと攻撃し、アルスの剣とぶつかった。勿論それも魔技なので『零の剣』で斬れる。ただしぶつかり合うその瞬間は明確に存在し、アルスの(物理的な意味での)勢いはそこで削がれる。
岩壁が消え去ったとき、アルスの視界にルヴィナの影はなかった。その為に大きめの壁を作った。その為にアルスの足を止めさせた。
ルヴィナの手に持たれた剣がアルスの脇腹を背後から貫いた。
ルヴィナが剣を抜いたのと時を同じくして、薫風とグレンがアルスへと飛んできた。ニコルが吹き飛ばしたのであろう。
「……ぐ……ぁ……。」
「ネコちゃん。お願い。」
ルヴィナの合図に呼応して、ニコルがアルス達へ雷の鎚を振り下ろした。それによって強い衝撃を受けた三人は気絶したようだ。
「……。この剣は返してもらうね。」
アルスの持っている『零の剣』をルヴィナは奪い取った。これは元々ルヴィナの祖母が持っていたものであり、ルヴィナの家にあったものだから返してもらうという表現も間違ってはない。
「とどめは刺さないのかい?」
「必要ないよ。この剣がなければ大した事ないただの剣士だし。」
「僕はいいけどね。それじゃあ……ここじゃちょっと都合が悪いから場所を移ろう。」
「……そうだね。」
ニコル、ルヴィナはベテルギウスと共にまた闇の中へと消えていった。
「はい……。ベテルギウスは……。はい。わかりました。」
ミルザムも誰かに連絡を取った後、どこかへと飛び去っていった。
アルス、薫風、グレンの三人は敗北を喫し、沈黙漂う暗闇へ放置されることとなった。
それからどれだけの時間が経ったのか正確に把握できている者はいない。




