四十四話
ルヴィナはフロウエルと共に魔界へのゲートを潜り、静かな暗闇へと舞い降りた。ルヴィナはこの魔界に息苦しさを感じた。あまり長く留まりたくないとも思った。
「迎えが来るって言ってたけど誰かに連絡とかしてたの?」
「してないわ。してなくても来るのよ。」
「その人はフローラの知り合い?」
「人じゃないけど……まぁ知り合いと言えば知り合いになるかな。」
それからしばらく他愛ない会話を続けた。フロウエルは昔から寸分変わらずフロウエルだった。今も昔もルヴィナが好きなフロウエルだった。今も昔もサフィーナとルヴィナのことを大事にしてくれるフロウエルだった。
「あっ……来たわ。久しぶりね、えーっと……今はミルザムだったっけ?」
「お久しぶりですね。フローレンス。」
飛んできたミルザムを一目見てルヴィナは、そのミルザムが天使である、いや天使であったのだろう事を理解した。
この世界を訪れた際にフロウエルの元へと案内した天使と似ている何かを感じたからである。顔も声も背格好も何もかもが違うのにも関わらずルヴィナはそう感じた。
これがシリウスの言っていた魔力の特色というものである。ルヴィナは意図せずしてそれを感じ取っていた。
しかしミルザムの翼は黒紫である。ルヴィナが見た天使は真っ白な翼を持っていた。アヒルとカモの違いみたいなものだろうとルヴィナは判断した。
「ミルザムのとこにアルスっていう人間来てない?」
「はい。来てますよ。そちらの方もお仲間とお聞きしお迎えにあがりました。」
「そう。なら丁度良かった。それじゃ宜しくね。ルヴィナ、いい子にするのよ。」
そう言ってフロウエルはゲートの向こうへと飛び去っていった。
「あの、はじめまして。ルヴィナと言います。」
「はじめまして。ルヴィナさん。私はミルザムです。シリウス様のお屋敷で庭師をさせてもらっています。そのシリウス様のお屋敷にアルス様、薫風様、グレン様をおもてなししております。他にお仲間様はおられますか?」
「いえ、その三人と私とネコちゃんで全員です。」
「……なるほど。そうですか。」
「? 何かありましたか?」
「……いえ……。それでは向かいましょう。」
ミルザムの反応は不自然でありルヴィナは不思議に思ったが、後になってその理由はわかった。
シリウスの屋敷の玄関へ着くとルヴィナの元へ薫風が文字通り飛んできた。
「ルヴィナ!ルヴィナ!心配したんだよ!急にいなくなるんだから!」
「うん。カオル、ごめんね。」
「アルスもグレンも心配してるよ!さぁ、早く行こ?」
「そうだね。」
薫風に連れられてアルス達のいる部屋までルヴィナは向かった。
「アルス!ルヴィナ達来たよ!」
「そうか、無事で良かった。」
ルヴィナはアルスを見てどこか少し元気がないように感じた。元よりそこまで明朗快活と言えるような人間性ではないが、何かを考え込んでいるように思えた。
「なにかあったの?」
「……いや?なにもない。ルヴィナは今までどうしていたんだ?」
「……。」
言いたくないことなのだろう。それならルヴィナも無理に聞こうとはしない。
アルスもルヴィナも自らの出生などについて語る気はなかった。だからアースのこともシルヴィアのこともお互いは知らないままだった。
その部分に触れない範囲でお互いの今までについての会話が進む。周りもその二人の様子を見ていた為、アースの事についてこれ以上触れる事はなかった。
「この世界……と言っていいのかわからないけど、この魔界よりずっと清浄な所に連れて行かれてた。」
「そこから逃げてきたってことか?」
「逃げてきたわけじゃないよ。ちゃんと送り出してもらった。私を連れて行ったのはフローラだったんだよ。」
「フローラ……?」
「うん。フローレンスって言ったほうが伝わるのかな。」
「あぁ……あの、サフィーナと一緒にいた妖精か。」
「そう。フローラ本人は妖精じゃなくて精霊だってずっと言ってたけど。」
この世界における妖精と精霊の定義の差は、人間の姿をしているかどうかであるが、フロウエルは『人間の姿をしている』などという人間主観の定義を嫌ったため精霊であることを主張している。妖精から言わせれば妖精の姿をした魔力もない異臭を放つ二足歩行生物が人間である。
「ねぇねぇ!なんでその妖精さんはルヴィナを連れてったの?」
「……その子は私の友達だからね。久しぶりに話がしたかったみたいだよ。」
嘘ではない。
ルヴィナは薫風とこの話を続けないために、シリウスらしき人物に挨拶を先に済ませようと思った。
「はじめまして、ルヴィナと申します。こっちのネコちゃんはニコルです。貴方が……シリウスさんですか?」
「そうだ。わたしがシリウスだ。はじめまして。ルヴィナさん。」
大きな狼を前にして、ルヴィナは自身が少し怯んだのを感じた。威圧感も魔力の大きさもかなりの物だった。フレアにもルヴィナは同じように圧を感じたものだが、ルヴィナはそういったことにとても敏感であった。彼我の実力差を肌で感じとってしまう。
どんな相手でもルヴィナはアルスやニコルと力を合わせて勝ってきた。だから決して実力差があるからといって尻込みしたり、逃げ出したりするような事はないのだが、それはそれとして危険予知能力に長けていることは良いことばかりではないとルヴィナ自身が思っている。
アルスは仲間の誰よりも胆が据わっていて、強敵相手にも怯まず臆さず全力で立ち向かうことができる。それが他の仲間の精神的な支えになっているところは大きい。が、それはそれとしてアルスはルヴィナとは真逆でこういった実力差等を感じ取る力がそこまで高くなく、相手の実力はわかっていても逃げる選択をすることがあまり上手ではなかった。アルスは自分や仲間達の実力をあまり推し量れていないのだ。
「そうだ、シリウス。俺達だけではなくルヴィナがこの世界に来たこともわかった理由を説明するのにルヴィナ達にも聞かせるべきだって言って断ってたな。」
「その話をする前に、ひとつ断っておく。」
「? なんだ?」
「君達にとってこの話はあまり聞きたくないものかもしれない。聞いた上で後悔する事になるかもしれない。それでも君達は聞いておく必要性があるとわたしは判断する。故にわたしは話すが聞き苦しくなったら聞かなくてもいいし、耳を塞いでも構わない。だがそれをしたところで事実は変わらない。」
とても不自然だ。そこまで念押しする理由がわからない。アルスもルヴィナも違和感を拭えなかったが、聞くしかない事はわかっていたため覚悟を決めた。
「俺達は大丈夫だ。続けてくれ。」
「そうか。」
シリウスは一息ついて、ゆっくりを話を始めた。
「君達からはベテルギウスの魔力の痕跡を感じ取れる。それも極々最近のものだ。我が旧友にして仇敵であるベテルギウスの事はわたしはとても良く知っている。だからその君達から感じ取れる痕跡は紛れもなくやつのものだとわかる。……君達はベテルギウスと接触しているはずだが心当たりはないか?」
「わからない……ベテルギウスはどんな外見なんだ?」
「外見は生前は魔人のような姿だったが、今となっては見る影もないはずだ。ベテルギウスだった魔力の塊はいくつかに分断されているから今も生物と呼べる姿を成しているかはわからない。仮に生物的な姿をしていたとしても小動物のようなものだろう。」
「小動物……か。」
ルヴィナはその話を聞いて、ベテルギウスと呼ばれたその小動物に心当たりがあった。しかし確信はないため確証を得るためにもう少し探りを入れてみることにした。
「シリウスさん。貴方が感じ取っているその痕跡というものはあくまでも痕跡でしかないんですか?」
「アルス君、ルヴィナさん、薫風君、グレン君から感じ取れるものは間違いなく痕跡だ。」
「……。ネコちゃんは……痕跡ではない……?」
「心配しなくても、そちらのニコル君はベテルギウスではないよ。おそらくね。」
「そうですか……。」
「ただ、ニコル君から感じ取れるベテルギウスの魔力は他の四人と比較して異常なほど大きいのも事実だがね。」
ルヴィナは心配しているのはそこではなかった。
シリウスの言葉を受けてルヴィナの心当たりはおおよそ確信に変わった。
ニコルは『ベテルギウスでは』ないのだろう。
「俺には心当たりはないな。」
「そうか。いや、なに。大事なのはここからだ。ベテルギウスの魔力は分断され封印されたはずだが、君達からははっきり感じ取れるのは何故か、だ。」
「それはベテルギウスに俺達が出逢っているからなんだろう?」
「封印されている存在に出逢っているというのも変な話だと思わないか?」
「……封印が解かれているということか?」
アルスの質問にシリウスは静かに頷いた。そして話を続ける。
「ベテルギウスの封印は確実に解かれてきている。まだ完全ではないだろうが完全復活も遠くないだろう。そしてわたしは君達がベテルギウスの手伝いをしていると踏んでいる。」
「ボク達が?そんなことしてないよ!ボク達はただ世界中の人間達を助けてきただけなんだから!」
「そうだろうな。それは嘘ではないのだろう。では質問をさせてもらう。その人助けを頼んだのは誰だ?その人助けのために異世界へ君達を運んできたのは誰だ?」
「えっ……?」
「やっぱりそうなるよね……。カオル、シリウスさんが言ってるのはネムレスがベテルギウスだったってことだよ。」
「ネムレス……今はそう名乗っているのか。」
「名乗ってはないです。名前に意味はないと言って本人が名乗らなかったので私が勝手につけました。呼び名がないと不便だったので。」
「なるほど。あいつらしいな。」
シリウスは少し笑っていたが、それでもシリウスには色々な感情が入り混じっていた。怒り、憐憫、悲しみ、恨み、懐かしみ。
「じゃあボク達が今までやってきたことは……。ベテルギウスの手助けってこと?」
薫風はひどくショックを受け、落胆しているのがわかる。確かにアルスやルヴィナも多少なりともショックはあるが、二人からすれば薫風のそれは過剰に思えた。薫風のその心境になっている理由には薫風の過去が関係しているが、当然他の仲間は知る由もない。
「落ち着けよ、アホ鳥。」
「落ち着けって……そりゃグレンはまだ何もしてないからなんとも思わないかもしれないけどさぁ!ボクは、ボク達は今まで頑張ってきたんだよ!!」
「わーってるよ。お前や旦那、姉御が今まで頑張ってきたことも、それによって救われたやつがいることもな。」
「グレン……熱でもあるの?大丈夫?」
「あ!?殴んぞ!」
グレンは普段、薫風に悪態ついたりしてはいるが決して薫風の事が嫌いなわけでも認めていないわけでもない。アルスやルヴィナに対してのリスペクトという精神はないが、グレンにとってある意味で一番対等な関係なのは薫風であると言える。
「……でもボク達がやってきたことがベテルギウスの幇助である事実は変わらないんでしょ?」
「大体、そのベテルギウスってやつがオレにはわかんねぇよ。悪魔だからって必ず敵ってわけでもないだろ。実際そこにいるシリウスだって敵じゃねぇみたいだし。」
「それは……。」
「……なんだ?」
薫風は何かを言いかけて、黙ってしまった。そんな薫風の態度にグレンは釈然としなかったが、言えない或いは言いたくない事を無理に話させるだけの話術がないことを理解している為、グレンはそれ以上聞こうとするのをやめた。
「カオルの気持ちもグレン君の言う事もわかるけど、その辺りはシリウスさんに聞いてみればわかる話でしょ。」
「まぁ、それもそっか。……アホ鳥、いつまでも悄気てないで落ち着いたら前向けよ。」
薫風の気持ちは薫風にしかわからない。薫風は元より感情の表現が大きく、感情に素直な性格ではあるが、基本的には前向きで明るいムードメーカーであるため、意気消沈している薫風をこの旅路で仲間達はあまり見なかった。
他ではアルスが魔力を暴走させた時ぐらいである。その時もその時で薫風は戦えない状態にあった。その事もルヴィナは納得していない。ルヴィナは『あまりよくない表現なのかもしれない』と思いながらも『らしくない』と考えていた。だがルヴィナも薫風も互いにまだまだ知らない事が多い間柄であることも事実であった。
「ベテルギウスが善か悪かを一言で断ずるのは難しい。それは人間でも同じ事だろう。だが、ベテルギウスが蘇れば何をするかわからない。過去と同じようにまた天使達を滅ぼそうとするかもしれないし、そうはならないかもしれない。」
「俺にとって一番の疑問なんだが、そのベテルギウスはなんで昔、天使達を滅ぼそうとしてたんだ?その理由次第では蘇っても天使を滅ぼす理由がない気もしれないだろ?」
「そうだな。ベテルギウスとわたしが元々この屋敷で育った事は話したかな……?ベテルギウスとわたしは魔界に来た人間に拾われて兄弟同然に育ったんだ。そしてその人間に『晦』と『朔』を与えられた。」
「かなたの祖先の人間だな。」
「そうだ。そして仲良く過ごしていた。だが、ある日事件が起こった。その人間が何者かによって殺された。」
「それをやったのが天使なんだな?」
「……ベテルギウスの中ではそうだ。だがそれは正しくない。ベテルギウスは唆されただけなんだ。愚かなことにな。」
「犯人は別にいるのか?」
「あぁ。その犯人はベテルギウスと共に天使の元へと向かった十二の人造悪魔、サテライト。それを作った人間だ。尤もその人間もその十二のサテライトの中の一匹だがな。」
エイプリルからマーチまでの十二のサテライト。シリウスが言うにはその中のマーチこそがベテルギウスを唆し、サテライトを作り出し天使達を襲わせた張本人らしい。
「シリウスさんは、サテライトやそれを作った人間が憎くないんですか?ベテルギウスと同じ心境にならないんですか?」
「ならないわけではない。すべてのサテライトが悪いわけではないし、わたしと仲の良かった人間を殺した存在が憎いという点で言えばわたしもベテルギウスと変わらないだろう。だがサテライトはただ、わたしはベテルギウスがそのサテライトによって狂わされたとしても、わたしの剣を奪ったことは許さない。あの剣は形見だからな。」
シリウスの目には確かな決意が映っていた。




