四十一話
狭間の世界を抜けた先、新しい世界の手前。
移動している最中、ルヴィナは誰かに優しく手を引かれる感覚を覚えた。そこに悪意も敵意もなく、目を瞑っていたルヴィナは導かれるままに着いていった。
ルヴィナは仲間の全員が何者かに導かれたのだと思っていたが、実際にはそうではなく、ルヴィナははぐれてしまった。
ただニコルだけが、ルヴィナの動きに気付き、ルヴィナに着いてきていた。
ルヴィナが目を開くとそこは、真っ白な雲と真っ青な空の真っ只中にあるような輝かしい世界であった。やわらかい風と暖かいひだまりの匂い。
「……?」
辺りを見渡し、ニコルしかいないことに気付く。
「ねぇネコちゃん。カオルやグレンくんがどこに行ったか知らない?」
ニコルは首を振る。ニコルの話す言葉は相変わらずルヴィナには聞こえないが意思疎通に困りはしなかった。
「そっか……どうしようね。多分私だけはぐれたのに着いてきてくれたんだよね?」
ニコルはうんともすんとも言わなかったがルヴィナは誰かに手を引かれてここに来た自覚はある。つまりはそういうことだろう。
ルヴィナはこれからどうしようかと途方に暮れていた。コンタクトが取れない状態ではぐれたのは初めてのことであったし、それも自らの落ち度となれば当然である。
ルヴィナが考え込んでいるとニコルは呆れたようにルヴィナを置いて歩き始めた。
どこへ向かうのかと問い掛けてみても返事はない。
しばらく歩くと空から羽音が聞こえてきた。足を止め見上げると、白い翼を持ち金色の髪をした所謂『天使』と呼ぶべき姿をした何かがルヴィナ達の元へと舞い降りてきているのが見えた。
ルヴィナは見た目に惑わされたりはしないが、それでもその天使の見目麗しさは驚嘆に値した。
「ルヴィナ様、それにニコル様ですね?」
「……あなたは?」
見ず知らずの相手に名前を知られている事に対してルヴィナが抱くのは警戒心だった。
「フロウエル様がお呼びです。着いてきてくださいませんか?」
言葉遣いこそ丁寧だがルヴィナの質問に答える気はなく、また物言いには威圧感すら感じ取れた。
拒否させるつもりもないといった感じである。
だがそこまでせずともルヴィナは着いていくつもりであった。
何故ならルヴィナを呼んだのが誰であってもそこには意味があるはずだから。ルヴィナを導いたその手が暖かくやわらかなものであったから。フロウエルという名前にどこか聞き覚えがあったから。
「ネコちゃん、悪いけど着いていくね。ネコちゃんはどっちでもいいよ。」
そうは言ったがニコルが着いてこないことはないだろうとルヴィナはわかっていた。もしニコルがそうするつもりであるならばそもそもはじめからルヴィナに着いてきてはいないだろう。
「久しぶりね。ルヴィナ?」
聞き覚えのある声。見覚えのあるニつの影。
一つは声をかけてきたフロウエルの影。小さな人型の体に蝶のような翼を持つ可愛らしい影。
もう一つはルヴィナが見たくない影。四足歩行の猫の影。
「なんであなたがここにいるの……?」
あまり考えたくないが問いかけるしかなかった。
「フローラ……。」
一方、アルス達も新しい世界へと着いていた。
ルヴィナが着いた所とは打って変わってとても暗く、風もない深淵のようなところだった。なんだか薄ら寒い。
とても静かで足音がやけによく耳に残る。
「うわっ!真っ暗だよ!アルスー火を点けてー?」
薫風に言われてアルスとグレンは同時に鋒に火を灯した。
アルスは地面に剣を向けていたため足元が明るくなっただけだったが、グレンは槍を上に向けた状態で火を付けたため、薫風の真横で突然火が点き薫風は危うく焼けてしまうところであった。
「あっっつ!バカグレン!なにするんだよ!危うく焼き鳥になるところじゃないか!」
「アホか。焼き鳥ってのは切り身を串に刺して焼くんだ。丸焼きになることはあっても焼き鳥にはなんねぇよ。」
「そういう話じゃない!」
やいのやいのと二人が言い合っている中、アルスは周りにニコルとルヴィナが居ないことに気がついた。
「ルヴィナ?ニコル?」
声をかけてみても近くにいる気配はない。
「薫風、グレン。ルヴィナとニコルを見なかったか?」
「オレは見てねぇけど……。」
グレンが薫風に目を遣るが、薫風も首を振るだけだった。
「そうか……はぐれてしまったのかもしれないな。」
「とりあえず探し続けてみるけど、今さっと探してみた感じこの辺にはいなさそうだよ。」
「いつも悪いな。」
「全然!最近戦闘じゃあんまり活躍できてないからこういうところで有用性を見せていかないとね!」
薫風は冗談めかして言っているが、戦闘面で薫風の役割が少しずつ薄れているのは事実として存在し、薫風はそれをとても重く受け止めていた。
「姉御達はどうしたんだろうな?今までもこういう事があったのか?」
「いや、今までこんなことは一度もなかった。だがルヴィナがニコルと一緒に居るのなら戦いが起こってもまず大丈夫だろう。」
「それはそうかもしれねぇけどよ……。世界レベルで離れてしまってんなら合流できるかもわからんぜ。」
「そうだな……だがルヴィナ達の心配ばかりもしてられない。俺達は俺達で安全とは言えないからな。とりあえず何かないか探しながら進もう。」
そう言って一行は歩き始めた。歩きながら状況整理などを進めていく。
「アルスー。さっき探した時も思ったんだけど、ここって風吹かないのかなー?調子出ないよー。」
「旦那に訊いてもわかんねぇだろ。」
「そりゃそうなんだけどさぁ……。」
「調子が出ないっていうのは魔技を使うのに差し支える程度のものか?前の世界のルヴィナみたいに?」
「あ、いや。そこまでじゃない……というかそういうんじゃなくて、なんて言うかな……アルスが歩くのに水中と陸上じゃ陸上の方が抵抗が少ないでしょ?」
「そうだな。」
「ここだと風を送るのに周りに魔力が充満しすぎてて、送る風が引っ掛かる感じ?がするんだよね。今までのところだと風が吹いてたから魔力っていうのは分散して広がっていくもんなんだけど。」
「俺は魔力を感じ取れないからよくわからないが、そんなに違うものなのか?」
「そうだねぇ……これだけ魔力が溜まってると多分呼吸してるだけであんまり体に良くないよ。瘴気って言ってもいいぐらいには溜まってる。」
「瘴気?」
「うん。瘴気って言ってもわかんないか。ミアズマってやつだよ。」
「瘴気でわかる。大丈夫だ。要は空気が良いところを探したいってことだな。」
「まぁそうだね。でもそううまい話もないかもしれない。風がないってことはもしかしたらここは閉鎖空間なのかもって思うんだ。」
「それはどうだろうな。屋内には見えないが……。」
「あっ!アルス!遠くに建物がありそうだよ!あっちの方!」
アルスが薫風が指さした方を見ると、かなり遠くの方にぼんやりとした薄明かりが見えた。
「向かってみよう。」
しばらく歩いた。
その建物は大きな屋敷であることがわかる。
アルス達は庭園を歩いていたのだろう。見回すと真紅の薔薇が暗闇で音もなく笑っている。それはアルスにはとても綺麗でとても不気味に見えた。
「アルス!上だよ!」
薫風が叫んだ。その声に反応し、アルスは理解するより前に後ろに飛び下がった。
アルスの目の前を真っ白な刃が縦断した。
アルスが相手を見ると、白い肌と赤い瞳、そして黒紫の鳥のような翼が特徴的な美しい女性がそれとは不釣り合いな、両手を広げた程の大きさのある、よくわからない不思議な形をした刃物を二つ持っていた。
その刃物は両方ともナックルガードの方が反っているにも関わらず刃がついているのは反っていない側であった。それをそれぞれ逆手に持っている。
「何するんだよ!ボク達が何かした!?」
「私はこの屋敷の女中兼、庭師。庭師の仕事は庭の植物の手入れ。それと……庭に入り込んだ虫の排除です……!」
アルス達は襲ってくる相手に対処するしかなかった。
「どうしてここにいるのって?そんなこと決まってるじゃない。ここが私の……ううん、私達の故郷だからよ。」
フローレンス、もといフロウエルがルヴィナの質問に答える。
しかしその答は今一つ的を射ない。
「故郷……。」
「そう、故郷。私達が暮らしてたあの世界に私しか精霊が居なかったでしょ。それは私がそもそもあの世界の存在じゃないから。」
「だから異世界のことも知っていた……。」
「そうね。だからこうしてまた会えると思ってたよ。」
「私が移動している時に手を引いたのはフローラだよね?どうしてそんなことを……。」
「ルヴィナには色々知っておいて欲しかったのよ。その上でアルスとかがいると邪魔になっちゃう。ルヴィナが知られたいと思うかどうかわからないしね。」
「……。その知っておいて欲しいことって?」
「ルヴィナとサフィ、それと花の神子について。」
花の神子。ルヴィナの母親であるディアンナやサフィーナが呼ばれていた肩書。
「花の神子……?なんで今更……。」
「今更でも何でもルヴィナは理解しておくべきだと思うからよ。まず、貴方の祖母シルヴィアについてなんだけど、彼女は私のマスターだったのよ。」
「マスター?」
「マスターって言葉自体は気にしなくていいよ。半身だと思ってくれればいい。……そのシルヴィアはこの世界の住民。天使なのよ。」
「お婆ちゃんが天使……。」
自身の祖母が天使であると明かされたルヴィナは驚きを隠せなかった。それは当然シルヴィアが天使であるということよりも寧ろ、ルヴィナ自身がクォーターであることに対してである。
フレアに『ルヴィナは人間なのか』問われたのもそういう意図であったのだろうと今ならルヴィナには理解ができた。ルヴィナは覚えていないが、シグザルのいた世界でもルヴィナが人間である可能性は75%と言われている。
「シルヴィアは天使としての能力の一端として傷を癒やす能力を持っていたわ。そして、それが花の神子となるきっかけになったの。」
「傷を癒やす……。平和の象徴的な意味合いってこと?」
「ううん……『花の神子』はそういう意味になったけど、本来はもっと血腥いものよ。ルヴィナが暮らしていた世界では人と植物が戦争していたのは知ってるわよね?」
「それを花の神子を軟禁することで止めてた。」
「……そうね。じゃあ何でそんなことになってたかって事なんだけど、シルヴィアがあの世界に来た時にシルヴィアは傷付いている人を見つけて、ただの善意で治してあげた。それが過ちだったのよ。シルヴィアはすぐに人間に目を付けられて、女神だ何だと持て囃されたわ。」
「その時には既に戦争が始まっていたものだから、シルヴィアは連日連夜戦争で負傷して帰って来る兵士達を治し続ける事になった。シルヴィアが治した兵士は翌日には戦場へ赴き、怪我をして帰って来る。」
「……。」
「シルヴィアも優しい子だったから、自分が怪我を治すことでまた痛い思いをしにいかなくてはいけなくなる兵士達を見て、怪我人を治すことが正しいのかわからなくなって毎日泣いていたわ。」
重い空気が流れる。サフィーナに同じ能力がもしあったら同じような事になっていたのだろうということがルヴィナの想像に難くなかった。それを考えるだけでルヴィナの胸は痛んだ。
「戦争自体は人間に勝ちの目があるものじゃなかったから、シルヴィアが頑張るだけ苦痛が長引くだけだったのもあって、シルヴィアはとうとう限界を迎えて、単騎で植物達に攻め込んで説得することにしたの。シルヴィアは飛べるから話し合いすること自体は大した苦も無く達成できたわ。」
「その結果が花の神子……。」
「そう。人間達はシルヴィアがいる限りは負けはないって思い込んでるし話も通じない。だから花の神子として戦争を止めることをシルヴィアは選んだのよ。」
「お母さんもサフィもそれを知っていたの?」
「ディアンナは知っていたと思うけどサフィはどうかな……私は教えてないと思うけど。知ってるのは人間の王と植物達ぐらいかな。」
「そっか……。」
「そういえばどうして、お婆ちゃんとフローラはあの世界に来たの?そもそもそれさえなければ……。」
「……シルヴィアがあの世界に来た理由は、ある罪を犯して、今私達がいるところから追い出されたからよ。」
「その罪って?」
「……悪魔を愛したこと。」




