二十二話
降りやまない雨の中、薫風はスティングレイへと戻った。水面はかなり高くまで上がっており、スティングレイは水面で浮かんでいた。
その浮かんでいるスティングレイへニコルを乗せた薫風が飛んでいくとスティングレイの方から一本の矢が飛んできた。雨で視界は悪くなっていたが薫風はすんでのところで、それを回避した。
矢を射ってきたのはルヴィナであった。
「なにするんだよぅ!」
薫風が問いかける。どしゃ降りの雨の中、びしょ濡れのルヴィナは考え事をしているようであった。
「うーん。やっぱりそうなるよね。」
「何の話? というか!こんな雨の中で何してるの?風邪引いちゃうよ!」
「……うん。そうだね。」
どこか上の空のルヴィナを、薫風とニコルはスティングレイへ押し込むように連れて運んだ。
「うわっ びしょびしょじゃん!ルヴィナさん何やってたの?」
「滝行……かな?」
「いや、ほんと何やってるの?……とりあえずタオル使って。」
ルヴィナにタオルを渡すとルヴィナはぼんやりしたまま薫風とニコルの身体を拭こうとするので、少女は急いで訂正した。
「薫風君とニコル君はアタシが拭くから!ルヴィナさんは自分の身体を拭いて。」
「え……あぁ。うん。ありがとう。」
「ねぇ!聞いてよ!ボクが帰ってきたらルヴィナ、ボク目掛けて矢を射ってきたんだよ!ひどいと思わない?」
「えぇ!? なんでそんな事……?」
「魔技の練習をしてたんだよ。」
誰にも知られてはないがルヴィナは日課としてニコルと一緒にトレーニングをしていた。殺しあいではないが、ルヴィナは武器の特性上手加減などはほとんど出来なかった。それでもニコル相手に五分にもならなかった。ニコルがいない為一人で練習をしていたのだ。
「ボクがやられてたらどうするのさ!」
「それはないよ。そういう魔技じゃないから。」
「どういうこと?」
「外で練習してたら、カオルから連絡が来て、なんとか返信できないかなって考えたんだよね。一方通行だと不便だしさ。」
「あれがそうってこと?」
「そうなんだけど……使い物にならないね。当てないといけないってことは当たる範囲にいるってことだからそんなに困らないもんね。」
距離や高低にとらわれず、どこへでも声を届けられる薫風のそれと比べると、ルヴィナのものはひどく劣って感じられた。属性の差による得手不得手と言ってしまえば、そうなのだが、それだけで物事をすんなり納得して片付けるのではなく足掻けるだけ足掻こうというのがルヴィナのルヴィナらしさだった。
「……って! ボクが連絡するより前からずっとやってたってこと?ルヴィナバカなの!?」
「うん。結果無駄だったからバカなのかもしれない。」
「結果の問題じゃないよ!」
「大丈夫だよ。風邪引いたりはしないから。」
「どうしてそんなことが言えるの?」
「ねぇ、バケツかなにかある?」
そう問うルヴィナの手には剣が握られていた。薫風には見覚えのない姿ではあるが、ルヴィナの弓はルヴィナの意思で剣に形を変えることが出来る。
その鋒からは水滴が滴り落ちていた。少女はルヴィナにバケツを手渡す。
「ルヴィナ、それなに?その剣はルヴィナの?」
「うん。私の弓。ウィルオブフラッター。」
「へぇ!ルヴィナの弓って変形するんだね!」
「うーん……。まぁ……そうだね。」
ルヴィナが少し濁したのは変形という表現が正しいかわからないからである。ルヴィナの弓は腕輪の魔力を使って、大気の魔力を弓や剣を構成している。ルヴィナ的には別のものを作り出しているので、弓が変形して剣になっているかと言われると…… ということである。
バケツを受け取ったルヴィナがバケツへ剣を向けたかと思うとその瞬間ルヴィナの剣から大量の水が溢れだした。バケツが一杯になる頃にはルヴィナの体は乾いていた。
「えっ なにそれ。ルヴィナさん手品師なの?」
「手品じゃないよ。さっきの雨の中で色々模索して、触ってる水ならある程度操作できるようになっただけ。」
「へぇ……便利そうだねぇ。」
「便利……かなぁ。使い道がもっと閃けば便利になるかもだけど……。」
「でも!ルヴィナさん。雨に濡れて体温が下がってるんだから風邪引くかもしれないのは変わらないよ。」
「ネコちゃんやカオル程じゃないよ。」
「それはそうかもしないけど、そういうことじゃなくてさ。もっと自分を大事にしなきゃダメだよ。」
「ありがとう。少し休ませてもらうね。」
そう言ってルヴィナは去っていった。
「ねぇ。」
「うん?どうしたの、薫風君。」
「ルヴィナのこと。何か知らない?なんていうか……調子が良くなさそうなんだよね。」
「アタシはあまりルヴィナさんとの付き合いが長いわけじゃないから、その辺りの事は詳しく知らないけど、魚人達のところで宴をしてたとき、嫌な予感がしてるって言ってたからそのせいかな?」
「ルヴィナにしかわからないものかぁ……。ごめんね、こんな話をして。」
「ううん、大丈夫。薫風君もルヴィナさんの事想ってるんだなって……少し安心した。」
「安心?どういうこと?」
「ルヴィナさん、アタシ達といて笑ってても、どこか寂しそうだったから。」
「それはボクもずっと感じてたけど……でもそれはルヴィナと出逢った時からそうだったよ。だけどルヴィナはあまりそれに触れてほしくないのかなって。」
「それはそうかもね。だからこそ気丈に振る舞ってるんだろうし。」
「ボクに何ができると思う……?」
「……アタシにはわからないよ。だけど、薫風君は多分変に気を遣ったりする方が、ルヴィナさんに気を遣わせることになると思うよ。」
「……。」
「あぁ、いや、薫風君が悪いって意味じゃなくてルヴィナさんは多分だけど、その辺に関して敏感だからさ。」
「……そうかもしれない……。」
「ルヴィナさんの事を気にかけてあげるのは大事だと思うけど、薫風君が普通に仲良くしてあげることが一番だと思うよ。」
「……うん!そうだね!」
「ふふふ……ルヴィナさんが言った通りだね。」
「なにが?」
「薫風君は結構色々考えてるよってルヴィナさんが言ってて、そう言われた時は驚いたんだけどさ。」
「ルヴィナがそんなことを…… って!驚いたってなにさ!」
「ごめんごめん。 薫風君は自由奔放って感じだと思ってから他の人の事を考えてたりとかってあんまりしないのかなって思ってさ。他者に縛られない的な?」
「ボクは自由人ではありたいけど、ボクが自由でいるためには他の人が面倒を引き受けてくれないといけないからね!」
「そ……そうだね。」
薫風は冗談のつもりで言ってはいるが、その語気に冗談めかした雰囲気はなく、少女には薫風の物言いが本気かどうかわからない。
そんなこんなで二人はしばらく雑談した後眠りにつくことにした。二人が気付かないうちにニコルはどこかへ去っていた。恐らくどこかへ寝に行ったのだろう。
朝になっても豪雨は止まない。
「……。」
「薫風?どうした?」
神妙な顔つきの薫風にアルスが問いかける。
「えっ!? ううん! なんにもないよ!」
「そうか?……あぁそうだ。昨晩わざわざ服や食料を取りに行ってもらったのに先に寝てしまって悪かったな。」
「全然! 遅くなったボクも悪いし、アルスこそ調子良くないみたいだったけど大丈夫なの?」
「正直に言えば本調子とは言えないな……魔技は使えるには使えるし、まぁ大丈夫かどうかで言えば大丈夫だろう。」
「ボクが心配してるのは戦闘面だけじゃなくて……!」
「あぁわかってる。ありがとな。元々体調が悪いってわけじゃないんだ。」
「そうなの?風がないとこだとボクは調子悪くなっちゃうけど……。」
「俺は薫風ほど魔力に近しい存在じゃないからだろう。」
「うーん?そうなのかな?ボクにはそんなに違うように感じないけど……。同じ魔技使いなんだし少なからず影響はあると思うんだけどな。」
「風邪みたいなものなのかもな。人によって症状の重さが違うんだろう。」
「なるほどね?」
そんな他愛のない話をしながら、時間が過ぎ……日が経った。薫風はほぼ毎日のように白波のところへ行っては食料などを運んできた。白波と仲良くやっているのであろうことはアルス達にもわかったし、そんな薫風を見て和やかな気分にもなった。
雨は降り止まない。
数日が経った。ルヴィナは使いはしないが、その間に少女からスティングレイの操縦方法を学んでいた。アルスはアルスで一人で魔技を考えたり武器の手入れをしたりと時間を潰すことに事欠かなかった。
雨は降り止まない。
降り止まないので水位は日毎に増していき、ついに本来の水位まで戻るほどになっていた。
少女と白波達は再会をとても喜んだ。アルスと薫風はそれで全てが解決したと思っていた。
じきにネムレスが来るだろう……そう思ってはや数日。ネムレスが現れる気配はない。
アルスと白波も仲良くなるのに時間はかからなかったが、ルヴィナだけはどうにも『海賊』というものが好きになれなかった。個人個人のことが嫌いなわけではない。現にルヴィナと少女は仲が良かったと言ってもよい。
ただ、ルヴィナは道徳的に正しくない『海賊というもの』という括りで好ましく思えなかった、ということである。そして少女は故意に海賊という身元を隠し船乗りを自称していた事実もルヴィナには重くのしかかった。
仲が良かったが故に裏切られた気持ちもひとしおだった。
そういう風に思う人間がいるから少女は言い出せなかった。それはルヴィナも理解している。
そしてルヴィナはその重い感情も素直に表に出さないでいる。
雨が降り始めてから、何日が経っただろう。この世界での問題は解決したと思って海賊の洞穴でしばらく待っていたのにも関わらず一向にネムレスが迎えに来る気配はない。
「ねぇ、なにもおかしいと思わないの?」
ルヴィナがアルスと薫風に問いかける。
「なにが?ネムレスが迎えにこないこと?」
「ルヴィナはネムレスが心配なのか?あいつなら大丈夫だろう。」
ネムレスなら大丈夫。そこはルヴィナも疑ってはいない。なぜならそもそも危険なところにネムレスは来ないからである。
「そうじゃなくて……いや、そうなんだけど。心配とかじゃなくて、なんで迎えに来ないのかって話。」
「ボク達を労ってくれてるんだよ!」
「ネムレスに限ってそれはないと思うよ。」
「なんでそんなこと言うのさ!少しは信用してあげてよ!」
「信用してるからそれはないと言えるんだよ。ネムレスはそんな感情で行動を決めるほど感覚的に行動してないよ。」
その辺りはネムレスとニコルはとても似ている。
この世界の異変がまだ終わってないんじゃないか。そう言いかけてやめた。それはルヴィナの憶測にすぎず、それが正しいという根拠もどこにもなかった。それでもつたえるのが仲間として正しい関係性であることもルヴィナは理解していたが、どうにもそんな気になれなかった。
ルヴィナはこの異変に対してアルスやニコルの手を借りることがなにか良くない気がしていた。『気がする』というもので行動を起こすのは愚かしいかもしれないと思いながら。
「ルヴィナ?どうしたの?」
そんなことを考えながら少しはぼんやりしていたルヴィナを薫風が不安に思って確かめる。
「大丈夫。なんでもない。少し外に出てくるね。」
「えっ……この雨だよ?」
「うん。濡れてもすぐ乾かすから。ちょっと行ってくるね。」
そう告げてルヴィナは急ぎ足で洞穴を出た。誰にも見付からないようにスティングレイに乗り込むことにも成功した。
スティングレイの操縦は恐らく大丈夫だろうとルヴィナは踏んでいた。教えてもらいはしたし、実際に動かすのは初めてではあるが、元々一人で十全に動かせる程度のものなのだから出来ることも限られている。
「……。」
ルヴィナは慣れない運転に緊張していた。そういう気持ちは乗り物にも伝播する。臆した人間の運転はふらつきや臆病感が傍目からでもわかるほどである。それにより更なる恐怖を呼ぶ。そんなこともよくあることだった。
ただルヴィナにとって幸いだったのは一度このスティングレイに乗って深海まで進んだことだった。深海まで潜っても大丈夫な強度が保証されていて、深海へ進むその過程での敵性存在による危険性もないことがわかっているため、緊張こそすれど、恐怖というものはそこまでなかった。
ルヴィナは決して特別豪胆というわけではないが、臆病というものとは程遠いぐらいの気持ちの強さはあった。
スティングレイはルヴィナの操作に従って順調に海を潜っていく。静かな暗い海を突き刺す一筋の閃光、スティングレイ。




