二十話
スティングレイは特に異常もなく海面まで上がることに成功した。異常があったとするならば、海上の世界の方だろう。
「うわっ!すごい雨!」
少女のその声を聞いた薫風は喜んでいた。
「雨ってこんなに空から水が降ってくるんだね!ボクが住んでたとこは雨って存在は知ってたけど、ほとんど縁がなかったから新鮮だよ!」
「そうなの?雨がないのに雨の存在は知ってるんだ?」
「薫風が居た世界に雨はあったが、薫風が住んでいたところは雲の上だったからな。雨は降らないんだ。」
「あっ……なるほどね!……でも本当に久しぶりの雨だなぁ。しかもこんなにどしゃ降りだなんて……。」
大雨。豪雨。篠突く雨。
降り注ぐ数多の水の弾が、スティングレイの屋根をノックする。
「ちゃんと雨降ってきたんだね。」
スティングレイが海中から出てきたことを察したルヴィナが話しかける。少女は『大丈夫なの?』と訊きかけて、アルスに制された。
少女はそれに不信感を抱いたが、ルヴィナに大丈夫か訊いたところでルヴィナは大丈夫としか言わない、ということをアルスは理解しているし、それを無理して言わせることでルヴィナに『自分は大丈夫』というある種の呪いをかけることになることもわかっていたからである。
それが正しい判断であるかは誰にもわからない。例えルヴィナがそういう形に収まったとしても、優しい言葉が欲しいこともあったりするのかもしれない。アルスの考えを少女と薫風は受け入れることにしたが、その選択はとても冷たいものだったかもしれないとアルスや薫風は後になって考えることになる。
「海底に居たあいつが俺達の今回の標的だったのか?」
「きっとそうだよ!雨がなくなった世界からボク達が颯爽と雨を取り返して円満解決さ!雨のお陰か海水面も上がってきてるみたいだしね。」
薫風の言う通り、海面は先刻よりもかなり高い位置にあった。ルヴィナだけがその事に違和感を覚えたが、『考えすぎだ』と思うことにした。アルスも薫風も何も感じ取ってはいないし、ルヴィナがそういう意味で一番信頼しているニコルですら、特に気にしている素振りもなかった。
ニコルの機微の聡さはルヴィナや薫風のそれとはまた異なる性質を持っていた。薫風は魔力の流れや重さ等を強く感じる事から魔力をもった相手の敵意などに強いが、ルヴィナは人としての対話スキルなどから来る人間の感情の動きをよく見ていた。ニコルはそのどちらでもない。何故かわからないが、なにかがわかる。そういう異質な感じをルヴィナはニコルから感じていた。
そもそもルヴィナにはニコルとの対話が出来ないのだから、ニコルを『読めない』としても何ら不思議ではない。
「ねぇこれからどうするの?アタシは水位がある程度戻って人里に帰れるまではすることがないんだけど。」
「そうだな……俺達は……。」
アルスが次の言葉を言う前に、遠くから走ってくる影が見えた。よく見るとそれはガディッドであった。
「すまない、少しスティングレイから降ろしてくれ。」
「えっ……あぁ、うん。でも……潜水艦だから傘はないよ?」
「まぁ……仕方ない。」
痛いほどに降り注ぐ雨に降られるガディッドは、心なしか嬉しそうに見えた。
「ガディッドさん。どうかしたんですか?私達に何か用でも?」
「どうかしたとかじゃないよ!むしろこっちの台詞さ!君達だろう?雨を取り返してくれたのは。」
「そうだよ!ボクたちが深海まで赴いて難敵を打ち倒してきたのさ!」
「えっ!?レヴィアタンを倒したのかい!?」
ルヴィナが否定するよりも先に、ガディッドが矢継ぎ早に次の言葉を並べる。
「まぁ詳しい話は後にしよう!魚人の皆にアルスさん達の話をして、それからしばらくして雨が降りだしたから、アルスさん達のお陰なんだってわかったからさ、コーラルーラルで宴をやるから呼んでこいって言われて呼びに来たんだよ。もうすぐここいらも沈んじゃうかもしれないから、お礼も出来ないのは申し訳が立たないってさ。」
「この雨の中で……?ボク濡れると飛びにくくなっちゃうからしんどいんだけどな……。」
「まぁ薫風、そう言うな。腹は減ってるんだろう?」
「それはそうだけどさぁ……。」
不平を言う薫風を宥めて、アルス達はコーラルーラルへと向かった。勿論、スティングレイを操縦してくれていた少女も連れて。
アルス達はコーラルーラルの長である魚人と話をして、特別な感謝と料理を振る舞われた。
そこでアルスにとって意外だったのは魚料理が出てきたことであった。
「なぁガディッド。魚人は魚を食べないから魚肉を食べる人間が怖いんじゃなかったのか……?」
「うーん。そうでもあるけどそうじゃない……かな。人間は食べるために捕らえ、食べるために殺すだろう?ここに並んでるのは寿命だったりケガだったり、そういった理由で死んでしまった仲間なんだよ。おいら達はそういった仲間を頂くことで供養をしてやる。それが魚人のスタイルなんだ。仲間の死は、仲間の骨身になって生きていく。そういう習わしなんだ。」
「なるほどな。でもお前達はそれで食べていけるのか……?」
「おいら達だって仲間ばっかり食べてるわけじゃないさ。海藻とか、苔とか食べるものはいっぱいあるんだ。それに、食物連鎖自体を否定してる訳じゃないんだ。」
「……と言うと?」
「弱肉強食。適者生存。仕方ないことだと思うんだよ。だから食べるな、殺すなって話じゃなくて、怖いなってだけなのさ。海藻も苔もプランクトンも例外なく生きていて、おいら達はそういったものも食べて暮らしているんだから綺麗事じゃ……ないんだ。」
「……。」
「それに。魚人は人間と言葉を交わせるけどさ、サメとかウミヘビとか、そういった類いの獰猛な奴らは言葉も心も通わない。だからおいら達が仲間を供養したくても見付かったときにはサメのお腹の中ってことも日常茶飯事だったんだよ。それも別にサメとかが悪い訳じゃないじゃんか。喋れるから、対話できるから、人間が話を聞かないのが悪いって言えるほどおいら達魚人は強くなくて。仕方ないって、割り切って過ごしてるんだ。」
「でもね、多分本当は魚人の皆はおいらと一緒で、人間とも仲良くしたいって思ってるんだよ。」
「ガディッドのその心はとても大事なものだ。だが……人間はそんなに綺麗なもんじゃない。人間同士で争って人間同士で騙しあって。そういう種族なんだ。」
「おいら達だって喧嘩はするよ。それに、人間のそういうところだけが人間の全てじゃないことぐらい、おいらにもわかる。おいらはアルスさん達以外の人間を知らないからこそ、アルスさん達を見てて、それがよくわかる。」
「……そうか。ありがとな。」
時を同じくしてルヴィナは少女と会話をしていた。
「ルヴィナさん。ルヴィナさんはずっと考え事をしてるみたいだけどあんまり根を詰めすぎると悪循環に陥るよ。」
「そう……かもね。でも私はまだ何か嫌な予感がしてならないんだよ。」
「嫌な予感?」
「そう。何て言うかな……。目の前に火があるのに寒さが止まらないような、そんな感覚。偽りの表面だけの暖かさに誤魔化されて実際には寒いままのような。」
「うーん。考えすぎだと思うよ。」
「うん。私もそう思う。」
「でも、ルヴィナさんぐらい思慮深い人が仲間にいてアルスさんも薫風君も助かってると思う。特に薫風君はほとんど何も考えずに突っ走っていくタイプだと思うし。」
「そんなことはないよ。カオルはあれで結構頭が回るからね。」
「そうなの!?」
感情的にこそならないが、あまり考えずに先に行動するタイプなのは寧ろアルスである。ルヴィナは感情に左右されやすいがとても考えるタイプであり、薫風やニコルもまたそれぞれ違ったタイプである。
感情的になる、というのは怒りやすさも勿論そうだが絆されやすさ、落ち込みやすさなどの面も含んでの話である。
アルスは利や理で動くがルヴィナは情で動く側面が大きい。ルヴィナはアルスのそういうところがあまり好きではなかったが、間違っているとは思ってはいなかった。(尤もルヴィナはアルスのことを憎んでいるので好きとか嫌いとかそういう次元で相手を捉えることはないのだが。)
ルヴィナを悩ませていることで大きなものが、海底で出逢った相手のことである。深海では炎の魔技をフルパワーで使えないと言ったのは相手であるのにも関わらず、去り際に大きな炎に包まれた。それはつまり、制限がかかった状態でもあれだけの力が自分には出せるという誇示であったのだろうか?
そして消え行く時のあの魔技はまさしくネムレスのそれと同じもの。ネムレスがルヴィナ達を魔技で運んでいることは重々承知だが、それがなにをどうしてそうなっているのか考えたことはなかった。魔技には属性がある。炎、水、雷……風。そのどれでもないのは確かで、それを当然のように使いこなす。そして、3つ以上はあり得ないと教わった属性を4つも5つも使える。そして複数使えるからといってどこかが劣っているわけでもなく、アルスよりも強力な炎を、薫風よりも強大な風を使うことができる。魔技というものに対しての『疎さ』がイレギュラーな存在を飲み込もうとしているのが恐ろしかった。
はたして、『自分が知らなかっただけでそういうものもある』と片付けてよいものなのだろうか?
そしてそれを飲み込んだ上で、ルヴィナはいくらシミュレーションしてみても相手に勝てるビジョンが浮かばなかった。炎も風も雷も、岩をも使ってくる未知の相手。使われなかっただけでもっと多くの魔技が使えてもおかしくはない、いや寧ろ使えない方がおかしいぐらいには考えていた。
そうなると最早、森羅万象の全てを意のままに操る力すら持っているかのような錯覚を覚えても無理はない、そしてそれに勝てる目算が立つはずもなかったのだ。
勿論当たり前のことであるが、ルヴィナがそう考えてしまっていたというだけで、事実として相手が天地万物の一切を超越した魔技使いではないし、もし本当にそうだったのであれば、相手は相手なりにもっと違う手を打つこともできたはずである。
アルスよりも炎が使えるのであればアルスができることは全部できる。薫風やニコルに関しても同様。ルヴィナの悩みの中にそういう考えが根底にあって、その考えは間違っているから、完全無欠に思えてしまうのであった。
相手が考えた魔技と結果的にかぶってしまうことはあることで、薫風の『一陣の戦斧』なんかはまさにそれであり、薫風がそもそも『一陣の戦斧』を見せる前に相手が使ってきているし、相手の使い方は薫風の使い方とは異なり移動補助がメインなのだが、薫風の魔技を即興で模倣し、アレンジしているかのような気がしてしまっていたのだ。
なお、ニコルの『猫』だけはニコルにしか出来ない。それは至極当然のなのだが、それはある種例外であるためルヴィナの懸念からは除外される。
ルヴィナはこのようなことをずっと考えていた。今も、潜水艦の中でも、そして戦闘中でさえも。
ルヴィナは戦いの最中、常に物事を考える癖がある。どこに矢を射るべきか、敵の戦いの癖はなにか、味方のコンディションはどうなのか。騎士として戦いの場に身を置いた時からずっとその癖があり、部隊長になってから部下が増え気にすることは多くなった。
その後サフィーナのこともあって正常なメンタルでいられなくなっていたルヴィナに、魔技という別のベクトルの戦術面での悩みの追撃もあり、ルヴィナはずっとパンク寸前であった。
ルヴィナにはもっと休息が必要であったのかもしれない。
大雨も降りやまぬまま、宴は終わり、解散となった。一行はびしょ濡れでスティングレイへと戻った。
「うわぁ……このままじゃボク、風邪引いちゃうよ!」
「えっ……鳥でも風邪って引くの?アタシは鳥用の薬なんて持ってないよ。」
「引くよ!当たり前でしょ!それにボクはただの鳥じゃなくて繊細で優秀なフェザードなの!それに、薬じゃなくて風邪を引かない手段を考えようよ!」
「はいはい。わかったよ。悪かったって。」
事実として鳥は風邪を引く。
「うーん……。でも本当にどうしよっか。着替えなんてアタシの分しかないし、ルヴィナさんですらアタシとは背格好が違いすぎるから多分着替えられないよね……。とりあえずタオルはあるから使って。」
「あぁ……ありがとう。」
四枚のタオルがそれぞれに投げ渡された。タオルをかぶったルヴィナは考え事をしながらも、自分の事をそっちのけで薫風とニコルを拭いていた。
「そうだ、薫風。薫風一人なら上の人里まで飛べないか?」
「え"っ……。うーん。飛べ……飛べ……飛べなくもなくもなくもないけど……。」
薫風が飛びたくないことはよくわかる。それでも出来ないともやらないとも言わなかった。
「悪いんだが事情を説明して、男女用の衣服を借りてきてくれないか?」
「う"ーん。飛んでいくのも借りに行くのもいいんだよ。でもさ、この世界にフェザードって居ないんでしょ?」
「アタシが知る限りでは……そうだね。それにとても珍しいから捕まえて観賞用として飼われる、飼いたい人に売られるかもしれない。」
かく言う少女も買おうとした人間の一人である。
「……。やっぱり怖いよ。ただただ飛んで逃げ回ればいいならいくらでも行くけど、融通してくれそうな人を探し出してっていうのはさ。そんな都合よくいかないよ。」
「薫風君。……人里じゃなくてさ。そこから少し離れたところに洞穴があるんだけど……。」
「……? うん。」
「そこに居るちょっと態度の悪い男達に、このコインを見せたらわかってくれると思う。一応このボトルに手紙を入れておくから多分わかってくれると思う。」
「洞穴だね。わかった!」
「薫風。一応、ニコルも連れていけ。ニコルぐらいなら乗せて運べるんだろう?」
「この雨だよ!?ネコ助可哀想じゃん。ボク一人で大丈夫だよ!それに雨で羽が重いのに高度あげなきゃいけない状態で運ぶのはしんどいから一人のが楽だから一人でいくよ!」
「カオル。こいつはこいつなりにカオルのこと心配してるんだよ。ネコちゃんを連れていってあげて。ネコちゃんも行く気満々みたいだしさ?」
「うーん。わかったよ。ネコ助……よろしくね!」
そう告げて薫風は大雨の暗い空に消えていった。




