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エッセイ(非)創作論

「自分に書けるもの」の発見

作者: 湯田久印

今回もやはり一部は活動報告でも書いた話です。

作品執筆の裏話的な面が強めです。人気作家の裏話なら需要があるかもしれませんが、私がこんなものを書いて何の意味があるのかというと……まあ自己満足でしかありませんね。

※ 最初に断っておきます。

 今回は、今までにも語ってきたように物語を作るのが苦手なわたくし湯田久印が「これなら書けるかもしれない」というものを見出して書き始めた経緯(いきさつ)を語らせていただきたいと思います。

 ですが、これをハウツーのような話だと思わないでいただきたい。ましてや、「これなら自分にも書ける」というのがそういう(、、、、)作品を書いている作家への侮蔑だと思わないでいただきたいのです。

 というのも、「湯田久印には簡単にできること」が「他人にも簡単なこと」とは限らず、また逆に「湯田久印にとって難しいこと」が「他人にとって難しいこと」だとも限らないからです。


 世間にあるハウツー本はたいていの場合「多くの(、、、)人がつまずきそうなこと」に重点を置いて解説していることと思います。けれどもそれが全ての(、、、)人に当てはまるとは限りません。

 現に、「物語が書けない、思いつかない」なんていう悩みに答える小説指南書は見たことがありません。まあ、そんな悩みに答えようとしても付ける薬はないでしょうけれど。



 さて、そんな私が拙作『兄妹のヰタ・セクスアリス』を書こうとするに当たって、大いに参考になったのはまず志村貴子さんのマンガ『敷居の住人』でした。あれは本当に思春期の少年のウダウダした日常を淡々と描くだけで、何も劇的なことは起こりません。

 主人公に想いを寄せる女の子の気持ちが主人公に知られてしまう――なんて場面があっても、そこでぶつ切り、その先は描かれることなくいつも通りに日常が続きます。

 それでいて思春期の鬱屈や不器用な人間関係、「ヤリたい」気持ちなんかは身を切るような鋭さで描かれています。


「これだ!!」と思いました。

 志村さんの表現力の足元にも及ぶかどうかは別にして、こういう日常だけで描けるものがあるんだ、と。

 拙作が基本的に困難を設定してそれを乗り越えるようなストーリー展開にならず淡々と展開しているのも、そういうスタイルを意識しているのが一因です。もちろん私にそういうのが書けないというのはありますが、「あえて開き直って書けないものを書こうとしない」というのは一つの決断でした。



 それからもう一つ念頭にあったのは、変態が自分の変態性について思索する思弁的小説の系譜でした。それこそマゾヒズムの語源となったザッヘル=マゾッホとかです。

 作中のあとがきでも触れましたが、思えばそこには植芝理一さんのマンガの影響もあったのかもしれません。書き始めた時にはあまり意識していませんでしたが。


 思弁的小説というのも、私にとって「これなら書けるかも」という方向性の一つでした。

 何しろ、外から見れば特に事件は起こっていなくても、主人公がアレコレ考えているだけで書けることがあるのですから。



 名作を例に挙げて「これなら書ける」というのはずいぶんとナメた態度に聞こえるかもしれませんが、私は決して作品に込められた工夫や作者の手腕の巧拙を言っているわけではないことを繰り返し強調しておきたいと思います。

 私が言っているのは、あくまでスタイルが合うか合わないかです。


 もうお気付きかもしれませんけれど、湯田久印は本来アカデミズムの人間です。

 考察の方が得意なのです。


 こうして「淡々とした日常」「性」「思弁」といった方向性を組み合わせる方針が決まりました。


 モチーフはすんなり「妹」で決まりました。なんとなくこの分野にはまだやれることがあると思ったからです。

 その上で「シスコン」「ブラコン」を主題にするいうよりも、むしろ「最高の相性の兄妹が存在したらどんな感じだろうか」とシミュレーションしていった感じです。

「性癖をパートナーにカミングアウトできる? そのタイミングは?」なんて話題も着想源になりましたね。



 さて、知識がなくても考えることができることはありますが、やはり先人が考えてきたことを助けとするのも重要なことでしょう。

 すると学的知識を引用する蘊蓄(うんちく)小説という方向も思い浮かびましたが、これは主人公の幼少期から話を始めるにはどうも相性が悪い。そこで成長した主人公の手記という形で話を始めて幼少時から多少の小難しいことは書けるようにしておき、また序盤は蘊蓄は控えて主人公の成長とともに増やしていく形にしました。これにより展開とともに考察を深めていくことができる可能性も生まれました。――成功したかどうかはともかく。



 ところで蘊蓄小説と言えば何を連想しますでしょうか。

 私にとって、まず思い当たるのはやはり京極夏彦さんです。

 もっとも京極さんは大変綿密に物語を構成される方でして、その点ではそもそもストーリーの書けない私とは対極にあるのですが。ただ「蘊蓄を喋っているだけでこんなに読ませるものが書けるんだ」というのは、これまた大いに啓発的なことでした。


 京極さんの小説でもう一つ凄いと思い、影響も受けたのは情景描写です。あの人の書く文章を読むと映像的な場面がありありと脳裏に浮かんできます。

 そういうわけでビジュアル的なイメージを伝えることには気を遣っているのですが、そもそも視覚的に劇的な展開が少ないのはやむを得ますまい。



 そんな方針を考えたのが2016年の年末行楽中のこと、帰ってくると元旦から一気に書き始め、予約投稿で2017年1月3日から更新開始しました。

 もう1年ですか、早いものですね。作品の方はR-18へと移転しましたが。



 書くに当たっては「どうせ流行(はや)り物は書けないのだから」と、今日日(きょうび)流行りのスタイルは無視しました。タイトルのままに古典作品のオマージュもやってます。

 最初に「小説家になろう」で開始した時のタイトルは『Hedonistic Love ~あるいは兄妹のヰタ・セクスアリス~』で、「あるいは」でメインタイトルとサブタイトルを繋ぐスタイルからしてフランス語でままある書名の形を意識していました。第1話で先祖の家系に遡って主人公の素性を語っているのも海外小説スタイルのつもりです。

 なお、後に「流行らないと思い込んでWEB連載で読者を引き付けるように工夫しないのはもったいない」との意見をいただき考え方を変えた部分もあり、またそれが改題や改稿にも繋がっていますが、多くの方針はそのままです。


 ある種の「リアル志向」みたいなものがあるのもそのせいです。

 登場人物の人生を「こうなるとしたらどのようにしてか」「こうしたらどうなるか」とシミュレーションするのも、古めかしいのは承知ですが自然主義めいたものがありました。


 私小説に(なら)って実話に基づいたエピソードも盛り込みました。

 どこまでが実話かなんて野暮(やぼ)な話はしませんけれど、いかにも実話めいたエピソードと隣接していると、フィクション部分まで本当らしく見えてくるというのはありますし。

「作者の実体験かと思う」という感想をいただいた時は本当に嬉しかった。やってきたことの成功を感じたからです。もちろん全体として高評価の感想だったのもありますが。


 ついでに自分の中では、会話文の一つの理想型は室生犀星『あにいもうと』だったりします。……奇しくもこれも兄妹という題材ですが、そこはあまり関係ないと思います。

 実際の会話は日本語としては破格だったりするんですが、『あにいもうと』はそれを実にありのままに表記しているのです。

 結局、室生犀星の境地には及ばず、日本語として比較的綺麗な会話文を書くことになっていますが。


 なお地の文の文章についてはあまり悩みませんでした。これまた、文章の書き方に苦労しておられる方には何の参考にもならないことですが。

 まあ少年時代には江戸川乱歩とか、後には上記の京極さんとかの影響を受けてそれを真似つつ、ストーリーとか借り物でも二次創作でも書いてたことはありましたからね。それがベースにあって、一人称「俺」の主人公の語りということでラノベ調も少し入れた感じです。それでも文章が長ったらしかったり硬かったりするきらいはあるかもしれません。


 もういい加減使い古された表現ですけど、「学ぶ」とは「まねぶ(真似ぶ)」ことですから。

 今でも特定の作家を念頭に置いて「この場面、あの人ならどう書くだろう」という風に考えることはよくあります。



 そんなわけで「自分にはこれしか書けない。受けなくても仕方がない」という開き直りのような姿勢で書いてきました。

 まあひとたび評価がもらえる世界に来てしまえば欲も出て、ブックマークの数に一喜一憂し始めたりもするのですが……。

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