夜のサキュバス
自分の周りを五月蝿く飛び跳ねる敵。
裏切り者として処した騎士の盾を持つ同じ神殿騎士。
それが、事もあろうに下等な生き物を庇い自分に刃を突き立てて来る。
イグロスの怒りは頂点に達し、そして、アドナキエルの力を全て解放した。
アドナキエルの持つ馬上槍が炎を纏う。
それまでイグロスの姿を維持して居た上半身が、異形へと変わる。
白銀の天羊騎士の鎧が、黒色へと変わり腰から生える大きな鴉の如く翼。
下半身は馬のそれに変わり、八本の足が体を支える。
「死ねぇい!」
その足、全てで地を蹴りエリシャへと襲いかかる。
突き出された穂先を手にした盾で受け止めるが、下から突き上げる様に突かれた馬上槍に体を浮かされ、そのまま後方へと跳ね飛ばされる。
受け身すら取れずに地に叩きつけられ、そして、地に転がったエリシャは、しかし、何事もなかったかの様に、平然と立ち上がる。
その額から、山羊の如く角が二本、天に向かい伸びて居た。
再び突撃の構えを見せるアドナキエル。
それを迎え撃つべく盾を構えるエリシャ。
彼女の口元が、ニヤリと歪む。
心から楽しそうに。
「鮮血の檻!」
アドナキエルの頭上から、声が響く。
直後、赤く輝く槍がアドナキエルの周囲へと降り注ぐ。
背に蝙蝠の如く翼を生やしたマーリーがアドナキエルの動きを阻害する。
日は沈み、彼女の時間が訪れた。
次いでマーリーはエリシャへとその瞳を向ける。
「幸運の悪夢」
彼女の足元から数百の黒い蝶が現れ、そして、上空へと羽ばたきながら消えて行く。
エリシャが、糸の切れた人形の様にその場へと倒れ込んだ。
左手で握り込んで居た盾が地に転がり落ちる。
マーリーがエリシャそのすぐ側へと降り立つ。
そして、地に転がる盾を忌々しそうに睨みつけ蹴り飛ばす。
乾いた音を立てながら盾が地面の上を滑って行く。
「エリシャ。これ以上は駄目だよ。戻れなくなる」
しゃがみこみ、魔法で眠りに付いたエリシャにそっとそう声を掛けながら抱きかかえ持ち上げる。
そして、振り返る。
マーリーの魔法によって身動きの取れないアドナキエルが侮蔑の視線を投げかけて居た。
それは、彼女にとって幾度となく味わった視線。
最早、何かを感じる事すら無くなって久しい。
「出来損ないが!」
その言葉を無視し、マーリーは再び空へと向かう。
アドナキエルの頭上を飛び越え。
逃走を図るマーリー。
しかし、そんな彼女の背後からアドナキエルの投擲したランスが迫る。
「後ろ!」
丘の上からミラーシャが咄嗟に声をかける。
その声にマーリーが振り返り、迫る馬上槍を見とめ咄嗟に避けようと動く。
しかし、それより早く翼と肩が馬上槍の餌食となった。
空中で暴力の餌食となり、体勢を崩し地へと落下するマーリー。
何とか身を捻り、抱えたエリシャが叩きつけられない様に自らの身を下敷きにする。
全身を打ち付けたマーリーの元へ、十体のレイスが音もなく忍び寄る。
その気配に気づいたマーリーは、静かにエリシャを地に横たえ痛む体を推して立ち上がる。
「ミラーシャ! 二人で逃げて!」
そう叫び、迫るレイスを迎え撃つべく丘を下って行く。
「血鎌・アダマス」
かざした右手に赤く光る大鎌が現れる。
彼女の血を纏う魔法の武器。
それを直ぐに左手へ持ち替える。
馬上槍が掠めた右手は満足に動かせそうに無かった。
アドナキエルはまだ血の槍に阻まれその場から動けずに居る。
それが解かれる前に逃げられるだろうか。
マーリーは小さく舌打ちをした。
迫るレイス。
それは皆、神殿騎士の格好をしている。
殉教した魂を元に何らかの儀式により作り出された存在。
それは生前と変わらぬ強さを持っていることを彼女は知って居た。
一人ならば……。
しかし、今は捨て置けぬ存在が二人居る。
「私も変わったな」
呟きながら、大鎌を振るう。
全身を使い、大振りに。
迫るレイスはその一撃を剣で受け止める。
しかし、鎌の鋭い刃はレイスの首へと伸びる。
頭を刈り取られ、レイスは静かに消滅する。
「黒く爆ぜろ」
間髪おかずに魔法を放ち、迫るレイス達を蹴散らす。
幾度と無くサイスを振り回し、そして、魔法を放つ。
しかし、押し寄せるレイスの群れを半分消し去った所で相手の刃が彼女へと届く。
消え去るレイスの、すぐ背後から突き出された槍がマーリーの腹部へと突き刺さった。
焼け付く様な痛みに動きを止めるマーリーに、更に二本、三本と槍が食い込む。
「黒く爆ぜろ」
その魔法を放ち纏めてレイスを消し去った後、彼女は膝を付き静かに自らの血溜まりの中へと崩れ落ちて行った。
◆
丘を駆け下りる。
言われた通りにエリシャの元へと。
一際大きな爆音。
その手前で、小さな影が崩れ落ちる。
「マーリーー!!」
私は叫び声を上げ、手綱をしごく。
馬は私の声に応え懸命に駆ける。
盆地の底で、再びあの化け物が動き出すのが見えた。
……誰か……助けて……。
「マーリー!」
馬から下り彼女の元へ駆け寄る。
下からはゆっくりと化け物がこちらに向かって来る。
倒れ込んだマーリーは血だらけで、でも、微かに、とても弱々しく息をしていた。
「マーリー!」
起きて!
助けて!
逃げて!
普段は可愛い彼女の顔が苦しそうに歪む。
「エリシャ……と……逃げて……」
目を瞑ったまま、弱々しくそう呟く。
「無理よ!」
私の目から涙が零れ落ちる。
死ぬの?
処刑台では無く、ここで、みんな……。
違う!
背を伸ばせと、そうダイアナさんに叩き込まれた。
私は左手で両目を拭い、右手を自分の腰に回す。
そこに取り付けた銃を取り出しながら、立ち上がる。
まず二発。
丘を上がって来る化け物に、狙いをつける。
震える両手。
私が銃を構えたのを見ても、何も気にせず歩を進める化け物。
奥歯を噛みしめる。
右手の人差し指に力を込める。
二度。
乾いた音が連続し、吐き出された透明な弾丸が化け物へと向って……。
一発は外れ、でも、もう一発は頭を捉えたはず。
その衝撃に僅かに首を仰け反られ、でも、何事も無かった様に平然とこちらに向かい来る。
「何で!?」
続けて二回、引き金を引く。
「来ないで!」
更に二回。
その度に甲高い金属音が響く。
全て、鎧に弾かれたのだ。
更に引き金を……。
しかし、装填された弾を全て打ち尽くした銃は、私の指示に従うことは出来なかった。
私は再び視線を落とす。
死にそうなマーリーの姿が目に入る。
そのまま、その場へとへたり込んでしまう。
「ごめん……なさい。……僕の所為で」
「エリシャ!?」
後ろから力無く掛けられた声に振り返る。
エリシャが苦しそうな面持ちで立って居た。
そして私達の横をすり抜け、化け物の方へとゆっくり歩いて行く。
右手で剣を引きずりながら。
「……逃げてください」
そう、私達に声をかけ。
彼女が化け物の前へと立ちはだかる。
でも、剣は下を向いたまま。
持ち上げる力すら無いのだろうか。
自分の涙でその姿が滲んで見える。
化け物が振るったランスが、あっさりと彼女を弾き飛ばした。
私には再び立ち上がる気力すら……無かった。
体が動かなかった。
「……いやぁ……」
両手で顔を覆う。
涙が止まらない。
みんな、殺されてしまう……。
『顔を上げ、目を凝らし探せ』
……慈悲は、私の内にあった。
「……純真なる力。原始の破壊。
我の呼び声に応え顕在せよ。
憂いを断ち切る盾となれ。
静寂。拒む、全てを」
化け物がランスを突き立てようとしているエリシャ目掛け、祈る様に唱える。
いや、本当の祈りだった。
力を。
今が、その時なの。
だからお願い。
ランスが止まる。
エリシャの頭の直ぐ手前で。
力を拒む盾の魔法……。
出来た。
私は残された手紙の、その力を理解した。
「創生の光。終焉の力。
孤独と絶望を知らんとする者へ再び歩く力を与え給え。
再起せよ〈陽光〉」
マーリーへ両手を当て、更に呪文を紡ぐ。
これで……良い筈。
祈る様に力を込める。
小さな光が、私の手から溢れマーリーを癒す。
マーリーの顔が、少し穏やかになる。
……良かった……。
「ズリエルと同じ力か?」
突然落ちて来た言葉に肩を跳ね上げながら、上を仰ぎ見る。
化け物がこちらを見下ろして居た。
そして、私の顔を見て驚く様な表情になる。
「王女ミラーシャ……。まさか貴方も聖石を?」
何の……事だろう。
「……一緒に来ていただこうか」
戸惑う私に化け物はそう続けた。
一緒に……。
……私が行けば……二人は助かる……。
「フローは、健勝ですか?」
取り繕う様に、そう言葉を返す。
「ええ。再び王となるべく日々過ごしておいでです」
「そうですか。では、私も……その助けとなりましょう」
そう言って立ち上がる。
マーリーとエリシャをちらりと見て、心の中で感謝を送る。
そして、別れも。
私がこいつと去れば、二人は助かるのだから。
「エレノア王妃もお喜びになるでしょう」
義母も生きて居るのか。
私は、手にした銃を腰のホルスターへとしまい込む。
これで、自分を守る。
ジェルメーヌさんに言われた言葉を再び胸に刻み込む。




