保険制度
厨房に入ると、ジョーイやチーフなど、忙しそうにディナータイムの準備をしていた。忙しいところに話しかけるのも恐縮だが、食事の時間しかジョーイとは話すことがないので、しょうがない。
(ね、ジョーイ、エリカとも話したんだけど、おばあちゃんに一緒に会いにいっちゃダメ?)
(え? アイチャンとエリカ、一緒に来てくれるの?)
(うん。何か、会いたいなぁ~と思って。)
(いいよ! おばあちゃんもお友達が来たなんて喜ぶよ。ディナーの準備が終わったら僕もバイトは終わりだから、一緒に行ってくれる?)
(じゃ、また、終わったころに迎えにくるから。)
想いのほか、ジョーイの表情は嬉しそうだった。私もなぜ、ジョーイのおばあちゃんに会いに行こうと思ったのかよく自分でも分からないが、ジョーイを見てると何故か自分の祖母のことを思い出してしまう。
ディナーの準備も終え、私とエリカは食堂までジョーイを迎えに行った。
(ジョーイのおばあちゃんに会いに行くんだろ? これ作っておいたからみんなで食べな。)
(え?いいんですか?)
(だって、夜、まだ食べてないだろ?)
食堂のチーフがそう言って渡されたのは、サンドイッチだった。一口サイズの小さなのがたくさん入っている。どれも美味しそうだ。
(今日、僕もティラミスを作ったんだ。おばあちゃん、チョコが好きだから。喜んでくれるから。)
ジョーイの作った、ティラミスはお店で売ってるものと同じくらいに完成度が高い。本当にスィーツを作るパテシェにでもなったら、と思うほどだ。
(ジョーイは素直に俺の言うことを聞いてくれるから、チーズケーキもこのティラミスも本当に完璧に作ってくれるよ。)
チーフも一押しだ。
(チーフ、ありがとうございます。)
私たち3人は、ジョーイのおばあちゃんが入所する介護病院へと向かった。
地下鉄を乗り継ぎ、着いたのはマンハッタンの北部に位置する病院だった。病院にしては大きな建物で、その中にある、介護施設、いわゆる老人ホームというとこにジョーイのおばあちゃんは入所していた。
(とても大きな病院だね・・・それにキレイ。)
私もエリカもちょっとびっくり。
(ここはマンハッタンでも有名な病院で、部屋もキレイなんだよね。でも・・・)
(でも?)
(入所するには、すごく高額だったような・・・ま、生活保護を受けてる人なら負担もそうないとは思うけど・・・)
(みんな、仲良しだから。おばあちゃん、元気だから。病院の人、みんな優しい。)
ジョーイもニコニコしながら私たちの手を引いた。
施設内に入ると、受付の人にジョーイの同級生ということを伝え、セキュリィティカードを渡され部屋へと向かった。
施設内の中も病院というより、高級マンションと言ってもおかしくないほどキレイでとても介護施設には見えない。それに、ジョーイのおばあちゃんの部屋は個室でその中にバスルームもあるというから驚きだ。
(おばあちゃん!来たよ! 今日は、大学のお友達も一緒なんだ。)
部屋に入ってさらに驚き。まるでホテルの一室のようで病室にはとても見えない。
(こんにちわ。私たちジョーイと一緒来ちゃいました。笑。)
(まぁ、可愛らしい女の子ね。ジョーイがいつもお世話になって・・)
エリカが言ってたとおり、おばあちゃんは末期ガンということもあってガリガリにやせ細っている。
(おばあちゃん、今日はティラミスを作ったんだ。チーフもサンドイッチを作ってくれて。みんなで食べよう。)
(ジョーイ、上手に出来てるじゃないか?ほんと、美味しそうだ・・・)
ティラミスをスプーンで一口、口に入れると、
(うん、この、ほのかなブランデーの香りと苦みのあるチョコ、それにチーズ、よく出来てる。ほんとに美味しいよ。)
(僕、おばあちゃんが喜んでくれるの嬉しい。ありがとう。)
(ジョーイ、チーフが作ってくれたサンドイッチ、食べようか。)
サンドイッチとティラミスを囲み、ディナータイムとなった。 おばあちゃんが入れてくれた紅茶がとても美味しい。なんていう紅茶だろう?
(この紅茶はね、(ハニー&サンズ)っていって、ニューヨーク産なんだよ。ちょっとスパイスが効いてるだろう?これはシナモンなんだ。)
シナモン入りの紅茶か・・・日本では黄色のリプトンという紅茶くらいしか飲んだことはないが、コーヒーと同じで紅茶もいろいろなブランドがあり奥が深いんだろうな・・・
ひとときの時間を過ごしてると、病院の職員らしき人が訪ねてきた。
(あの・・・ご家族の方・・ですか?)
(いえ、大学の同級生なんですけど・・・?)
(あ、そうですか・・・)
(あの、何か?)
何か話したいことがあるようだが、私たちは家族ではない。が、ジョーイは正常な判断もちょっと難しいし、おばあちゃんもこの状態だ。 エリカと私は、職員に事情を聞くことにした。
(ジョーイ、ちょっと私たち職員の人とお話しがあるから。すぐ戻るからね。)
(うん。分かった。)
おばあちゃんと楽しそうに過ごしてる時間を壊したくはない。私たちはそっと部屋の外に出た。
(じゃ、こちらへ。)
案内されたのは事務室。職員が深刻な顔をしてなにやら私たちに見せた。 英文の書面だが、私は何が記してあるかよく分からない。ここはエリカの補助が必要だ。
その書面を見て、エリカの表情が曇っていた。
(親族ではない方にこのようなことを伝えるのは、恐縮なのですが・・・)
エリカによると、この書面は(請求書)。 ジョーイはおばあちゃんを入院させたはいいが、介護費を始め、医療費、入院費、その他もろもろの(費用)を一切、病院側に支払っていなかった。それだけではない。ここの施設に来る前にも同じ状況で別の施設も強制退去になっており、一時的にこの施設で保護という形をとっていた。
(アイ・・これ、とんでもない金額だよ。 どうしたら・・・)
エリカによれば、この病院は、介護施設の他、内科、外科、小児科、リハビリセンターなどが一つになっている複合施設。その介護施設も一日、425ドル。日本円に換算して約4万円強となる。 この施設で過ごすようになり今月で3カ月目になるそうだ。ましてや、おばあちゃんの病気は末期ガン。治療費も相当なものだろう。 職員の話を聞いてるうちにこの病院がどういう病院なのかハッキリと分かってきた。
いわゆる、(富裕層向けの介護施設)なのだ。
ここの前でも同じ状況で強制退去させられてた。が、どのような経緯でこちらの施設に入所出来たのか・・・
(実は生活保護を受けてる方は、すべて無料で入所できるんです。ケースワーカーの方と一緒に来られたときもその経緯をお聞きしていたので、とりあえず一時的に、ということで施設側も了承したんですが、後になり、生活保護も受給資格がなく以前から他の病院とか支払などでトラブルを起こしていたようなんです。)
(それで、もし支払が出来ないとなると、おばあちゃんはどうなるんですか?)
(まず、これだけトラブルを起こしていると記録にも残りますので、介護施設や病院など転院はまず無理だと思います。ですから親族に引き取ってもらうか・・それも無理なら・・・)
それも無理なら・・というのは、ホームレスにでもなれっていうのか? だけど、おばあちゃんは、高齢で末期ガンだ。施設を出された後、どうなってしまうのか?
(このことはジョーイは分かっているのですか?)
エリカが問うと、
(何度も伝えています。しかし、本人・・理解は難しいのではないのでしょうか・・)
(何か別の方法はないのですか?)
(方法としては、破産手続きをするしかありません。それが唯一の方法ではないでしょうか? ケースワーカーの方とも相談をしてその後、生活保護の申請をするのが一番の方法だと思います。)
日本とは違い、アメリカには健康保険制度というものがない。生活保護そのものは日本に比べると手厚いようだが、健康保険となると次元が全く違う。民間の医療保険に加入するという方法もあるが、その保険料がとんでもなく高額なのだ。だから医療破産など、当たり前のように、ここアメリカではある。
(それに、このような低所得者向けに(メディケイト)という医療保険制度もあるんです。そういう制度を上手く利用するというのも一つの方法だと思います。)
ジョーイには、どう伝えたらいいのだろう。私もエリカも考えた。
(大学で先生にも聞いてみようよ。それにチーフにこのことを話せば何か方法を見つけてくれるかも?)
部屋に戻り、大学に帰ることをジョーイに告げた。
(エリカもアイチャンもありがとう。おばちゃん、喜んでくれた。)
(美味しい紅茶、ありがとうございました。)
(また、おいで。ジョーイと仲良くしてくれてありがとう。)
私とエリカは、すぐに大学に向かった。