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前線

 連日続けられる会議に参集した六名の中隊幹部達の顔には洗っても拭い去れない皮脂が浮かんでいた。いずれもここ数日、職務に追われてろくな睡眠がとれていないことを、それが雄弁に物語っている。高い自意識がかろうじて他者に己の疲れを見せまいと肉体に演技を命じているのがせめてもの救いだが、同時にそれは事情を知る者にとっては痛ましささえ覚える光景でもある。

 

 「……重機小隊の備蓄状況については以上であります」


 膨大な量の書類を読み上げていた小栗三尉の経過報告がようやく終わる。この日の報告も結果は期待していた以上のものではなかった。誰もが予測していた範囲内であり、喜べるような趣旨の発言は一つもない。


 「ご苦労。では次は小官から」


 平一尉が立ち上がり、報告を始める。

 農協、土建との折衝の過程、そして結論。小栗三尉にも劣らぬ長い報告が続く。やはり、期待以上の成果は得られそうにない。明日馬自身が担当した研究所の新規製造分を合わせても必要とされる部品の半分をやや超える量の調達しか目途が立たない事が判明した。

 備蓄品は底をつき、製造も難しい。

 今日明日にも部品が損傷し、電力が消失する――――という訳ではないが、明確に「いついつ迄」という保証もない。

 一日でも長く電力供給をもたせる為、地下では発電施設の半分を停止させ、そこからの部品取りが検討されているという。そうなれば、通路や個人宅の照明等は真っ先に諦めざるを得ない。更にその状態が続けば、水耕栽培も縮小せざるを得ず、残った電力を酸素供給に優先的に回すほかはない。

 

 「いよいよ切羽詰ってきましたな……」


 平一尉が報告を終えると、柏木二尉が嘆息し、そう呟いた。小栗三尉は肩を竦め、平一尉は腕を組み、瞑目する。

 

 「残るは一手は本栖湖隧道との連絡のみか」


 明日馬がかすれた声で小さく絞る様に呟くと、平一尉が細く鋭い目を微かに見開き、無言で頷く。


 「生駒二尉はどうしたんですか? 会議にも出ずに……」


 「今、貫通工事の指揮をとっている。さすがに土建の連中だけに任せておく訳にはいかないからな。第二小隊は総員、パイロット坑内で作業に入ったようだ」


 「それなら我が小隊も直ぐに――――」


 問うた柏木二尉が身を乗り出す。何も仕事が与えられなかった彼は、困難な仕事を与えられた者よりも精神的に疲労している。何か少しでも役に立ちたい――――そんな感情が見える。


 「人間が二人並んで通るのがやっとの幅しかないんだ。うちの小隊も手伝っているし、これ以上の部隊投入は無意味だ。気持ちは分かるが余計に混乱するだろう」


 平一尉が柏木二尉をたしなめる。その言葉に大柄な二尉の身体が少し縮んだ様に見えた。


 「ところで一尉、貫通はいつ頃になりそうか?」


 助け船を出すかのように明日馬が割って入り質問する。


 「はい、思いのほか手間取っているようです。途中、かなり水を含んだ岩盤に行き当たったそうで……出水に悩まされているようです。排水作業は順調のようですが」


 「出水……水がでるのか? 地表が凍っているのに?」


 平一尉の返答を聞きとがめ、明日馬が重ねて問う。当然の疑問だった。


 「地熱があるからでしょう。我々はそのおかげで発電している訳ですし……」


 返答は素っ気ない。何を詰まらない事にこだわっている――――そう言っているも同然な口調だった。

 無論、明日馬も地熱があるのは分かっている。施設はそれにより発電をしているし、余禄として豊富な湯量を誇る温泉も湧き出している。だが、それらはいずれも地下深い層での話であって、掘り進んでいる様な坑道の深さではない。

 明日馬は重ねて問おうとしたが、いくら博識とはいえ地質の専門家ではない平一尉にそれを問い詰めても明確な答えは返ってきそうにない。質問は無駄だと判断し、次の議題に進もうとした時だった。


 会議机の上に置かれたガラスコップに満たされた水の表面が微かに揺れている。

 体に感じない程度の微細な揺れが起きている証拠だ。

 地震自体は珍しい事ではない。900年前と400年前にはかなり大きな地震を観測してもいる。幸い地下施設という特性により、地震による被害自体は深刻なものではなかったが、一部で崩落事故自体はあったようだ。

 

 「地震――――でしょうか?」


 コップの表面に唐突に発生した波紋に気が付いた丹羽准尉が呟く。皆、一斉に天井に視線を動かしたのは、それが崩れ落ちてくる心配をしたわけではなく、吊るされた電灯の揺れを確認したかったからだ。

 電灯は揺れていない。

 だが、コップ内の水は小さく波打っている。


 「馬鹿どもが。貫通工事に発破を使ったか……」


 平一尉が小さく舌打ちをする。坑道は既に施設から六キロ以上、延伸されている。岩盤を穿つ為に先端部で使用した発破が起した振動がここまで微かに伝わった、と判断したようだ。

 

 「問題でもあるのですか?」


 平一尉の舌打ちに柏木二尉が質問する。


 「考えて見たまえ。六キロ離れたここでさえ微かとはいえ振動が伝わっているのだぞ。どれほどの炸薬量を使ったか――――」

 

 発破に用いた爆薬が中隊の備蓄品なのか、土建の備蓄品なのかは分からないが、それでも補給される見込みも、自製できる可能性もないものであることには変わりはない。

 しかし、今、ケチケチしなくても良いではないか。今ほど時間が惜しかったことは、ここ千年で一度もなかっただろうに―――明日馬は平一尉の言動に不自然なものを感じた。




 「寝た子を起こすことにならねば良いですが……」


 小栗三尉の呟きを聞いた隣席の丹羽准尉が問う。


 「寝た子? それは何です?」


 椅子の背もたれに肘をかけ、足を組んだ姿勢の三尉は准尉に対し、身体を向ける。


 「一尉がおっしゃったではありませんか。ここで振動が感じられる程の炸薬量だと……ここまでは六キロ以上ありますが、あちらさんとはせいぜい二、三百メートルの距離しかない。彼らに注意を促すことになるかもしれません」


 階級は下でも年上の准尉に対して三尉の口調は丁寧だ。


 「それが腹立たしかったのではありませんか? 一尉は」


 小栗三尉は平一尉に向き直り、そう問い掛ける。どこか、見透かしたような毒のある口調であり、その視線は口調以上に鋭い。


 「おかしなことを言う。小官は腹など立ててはいない。三尉は何を勘違いしているのか」


 「別に……ただ、そう見えただけです」


 「見えたこと、思ったことを確証もなく軽々に口にするものではない。少しは口を慎んだらどうか」


 「小栗家は地表に慎み深さを置き忘れてきたもので……」


 「な……もういい」


 からかおうとして絡んでくる人間相手に正論を唱えても無意味――――そう考えたのか、一尉は話題を打ち切る。


 「……ちょ、ちょっと」


 柏木二尉が唐突に声をあげる。平素、肝の据わった男だけに、その声の調子がやや外れていることに一同は意外な思いを感じた。


 「どうした、柏木二尉?」


 明日馬が問い掛ける。柏木二尉の視線は一点を見つめている。視線の先にあるのは、自らの飲みかけのコップ……。

 一同の視線がそこに注がれる。

 水面が繰り返し小さく波打ち、それは次第に大きくなっている。振動が連続で訪れ、小さな波同士が融合し、大きな波へと変化している証拠だ。


 「これ……本当に発破ですか?」


 柏木二尉は面をあげ、一同を見回す。目に困惑の色が浮かんでいる。

 しかし、誰かが私見を述べはじめる前に、その答えは直ぐに出た。







 坑道の先端部において発破が使用されたのは事実だった。

 使用したのは坑道を掘り進めていた土建の者達だった。彼らにしてみればそれは当然の選択だった。長年、無意味に穴を掘りつづけた彼らが数百年ぶりに目的と意味を与えられ、掘っているのだ。何が何でも掘りつづけたい――――ただただそう考え、その考えを実行したに過ぎない。

 前方に固い岩盤を見つけた。

 削岩機でも打通は可能だが、それでは時間がかかる。

 幸い、発破があるではないか。

 岩など粉々にしてしまえば、更に前へと進める。

 そうとなれば、誰が何を躊躇うだろう。大量のダイナマイトを穿った穴に詰めこみ、安全地帯まで退き、スイッチを押す。

 手慣れた作業だ。

 爆煙と土煙が収まるのを待って、排土作業に用いる双脚型汎用リフトを伴い爆破現場へと向かう。

 しかし、彼らはそこで予想外の光景に出くわす。

 前方にぽっかりと穴があいていたのだ。穴の中は漆黒の、それこそ極上の墨汁の様な闇。一片の灯りさえ存在しない、完全なる暗黒の世界。

 坑道貫通――――。

 土建の者達はこれ以上、前へと進めない事を悟った。

 彼らはもう、掘れない。

 しかし、成し遂げたのだ。伝統に則り、彼らは万歳の声をあげ、誇り高く自らの功績を祝った。




 ◇


 生駒二尉率いる第二小隊は他の小隊と同様に小隊本部の他に四個分隊を置く。

 各分隊は一〇名編制であり、汎用型アシストスーツ着用者八名と火力支援を担当するミニガン装備の重陸戦型と、対物グレネード装備の重陸戦型各一名で構成されている。

 この四個分隊を小隊長以下、下士官二名、通信担当一名、衛生担当一名、整備担当一名、火力支援担当四名よりなる小隊本部が指揮しており、都合五〇名で一個小隊が編成されている。


 黒と濃緑の二色明細、左の肩には中隊章であるオニヤンマ、そして『東322』の番号。

 生駒二尉の下で第二分隊長を務める双葉結衣一曹は、この日の朝、肩で揃えた黒髪を後ろで束ね、ヘルメットにそれを押し込むとロッカーに備え付けられた鏡を覗き込む。

 化粧気のない顔ではあったが、切れ長の目、薄い唇、通った鼻筋――――美人と称えられる多くの特徴は母親から受け継いだものだ。

 一年前、蘇我三佐の率いる偵察隊の一員に志願し、二度と還ってこなかった母親。

 母一人、子一人のという家庭環境もあり、当初、母の志願に対して三佐は難色を示したという。

 しかし、母は三佐の執務室に赴き、直談判してまで参加した。

 全ては、自らの小隊長である生駒二尉の為に……。

 当時、任官して一年足らずだった生駒二尉が志願したと聞いて、その下で第二分隊長を務めていた母は、生駒二尉の補佐を務めるのが責務だと考えていたらしい。確かに、第二小隊の下士官の中で母は最古参であり、生駒二尉もそんな母を頼り、小隊の指揮に関してよく助言を求めていたのを記憶している。

 少々、変り者という評価があった生駒二尉の指揮に疑問を持つ下士官兵達も、母の威厳と実績を前にしては、ただ従うしかなかった。

 従う――――少し、違う。

 下士官兵達は、母がついているのだから大丈夫、という認識だったのではないか。

 だからこそ、母が偵察隊に志願したと聞きつけた時、第二小隊から多くの者が志願した。それだけの人望が母にはあったという事であり、実際、偵察隊の過半は第二小隊からの志願者で構成されていたようだ。

 そして、母も、第二小隊出身の志願者も、誰一人として還ってこなかった。

 只一人、生駒二尉を除いて……。



 自らの指揮する分隊の部下達と共に中隊本部の兵器庫に赴き、三八年式装甲歩兵銃とその弾薬を受領した。

 受領書類に署名をしていると、兵器庫の管理を担当する丹羽准尉が話しかけてきた。

 この大柄で、見るからに人の善い人物が私に対し好意を寄せているらしい事に気が付いて随分経つ。

 だが、どうも女性に対しては奥手の様で、はっきりとした事を口にしてくれない。

 この間だってそうだ。

 私が聞きたいのは「ギープに赤ちゃんが生まれたらしい。とてもかわいいという話だ」ではなく「ギープの赤ちゃんを見に行かないか」だ。

 もし、それを口にしてくれたら、ギープのおばあちゃんだって一緒に見に行くのに……。


 「どうして歩兵銃なんて持って行くのか? あぁ、無論、正規の書類付きだから渡すのは構わないんだが……」


 丹羽准尉が口に出したのは、ギープの話でも、食堂の担当者が新作のスイーツを提供し始めたという話でもなく、ただ単に仕事の話だった。なにか、すごく残念だ。


 「生駒二尉の御命令です」


 私は素っ気なく答える。もっと柔らかい言い様がある様にも思えるけど、男性の誘い方というものを母は教えてくれなかったから仕方ない。カップルでの参加者が多い秋祭りまでには、何とかきちんとした形で私を誘ってくれるのだろうか。


 「作業の邪魔じゃないか? 第二小隊は排土作業の支援任務だと聞いているが」


 丹羽准尉は、後ろに部下が並んでいるせいか、事務的な口調に終始している。終始はしているのだが、先に受領した第一分隊が三〇秒で済ませているのに対し、第二分隊の書類精査が始まって既に五分。不備がある訳ではない。ただ単に、ゆっくりと書類をめくり、そのめくる手も時々、止まったり、後戻りしたりしている。

 そんな准尉の姑息さが、少しだけ愛おしい。


 「邪魔なんてもんじゃないですよ、あのバカ小隊長」


 私は准尉の耳に顔を近づけ、小声で愚痴る。吐息がかかったのか准尉の耳が途端に赤くなる。見れば、首筋に薄っすらと鳥肌がたっている。


 「そ、そうか」


 あからさまに動揺している。

 三〇代の筈なのに、随分と「うぶ」な人だ。ふと視線をあげると、丹羽准尉の後ろで銃器をすっかり揃え終わっている中隊本部の面々がうつむきながら肩を震わせている。中には私に対し、深々と頭を下げている者までいた。

 その姿はまるで「准尉殿をどうぞ宜しくお願いします」とでも言っているかのようだ。

 私は、秋祭りには准尉を絶対に誘おうと思った。




 第二分隊の部下達に丹羽准尉との進展しない関係をからかわれながら兵器庫から第六立坑へと向かう。悪い気分ではない。しかし、その道すがら、私は昨夜の小隊幹部会議での会話のことを思い出していた。


 昨夜の小隊幹部会議において生駒二尉は重陸戦型に対しても作業に参加を唐突に命じた。

 その命令に疑問を覚えたのは結衣だけではなかったようで、他の下士官たちも同様に感じたようだ。第一分隊の市橋曹長、第三分隊の幹二曹、第四分隊の祠堂三曹、更には小隊本部で生駒二尉の補佐を務める後藤曹長までもが異論を唱える。

 元々、第二小隊は他の小隊に比べ、自由闊達な気風がある。

 下士官たちは、小隊長に対し自身の意見を述べることが伝統的に許されていたし、しかも、現在の小隊長は気の抜けた台詞しか言えない様な人物ときている。生駒二尉家に対する忠誠心に揺らぎはないが、あくまでもそれは二尉家に対するものであって、現在の小隊長個人に対しては、尊敬も敬意も持てずにいるのが第二小隊内部の実情なのだ。


 小隊員が自隊の小隊長に対し、一種、複雑な感情を抱く理由は全て一年前の偵察隊遭難事件に端を発している。

 最初から外界への調査行は危険を伴う至難な任務として発表されていた。

 故に、命令ではなく志願者を募ったのだ。だから、未帰還となってしまったことについて、誰を恨むという事も無い。その事は、中隊最大の損失を受けた第二小隊自身が一番、弁えていると言って良い。

 ただ問題は生駒二尉が生還したことについてだ。

 生駒二尉一人が生き残った事を責める考えは私にも、他の遺族にもないだろう。むしろ、一人でも生き残った事に喜びを感じる。

 問題の核心は、二尉が部下達の最期に関して「知らない」の一点張りだったことだ。

 父や母の最期の様子を少しでも知りたいと願う者達の想いを無視し、固く口を閉ざしている。その頑なな態度に対し、あからさまな不平や抗議を行うものは皆無だったが、人心は失ってしまっているのは確かだった。

 しかも、それを生駒二尉自身は承知している様子だ。

 自分自身と、部下の間に壁を築き、忠心からそれを越えようとする者がいれば露骨に退役を進めることまでして排除しようとした。

 いまや、第二小隊は芯の朽ちた巨木も同然であり、樹皮がいくら固かろうとも外部からの衝撃一つで崩れ落ちかねない危険性を孕んでいるように見える。

 そして、その事実を把握し、一番憂いているのは、兵と士官の間に挟まれる立場にある私や他の下士官たちだった。


 「小隊の任務は排土作業の支援です。それには総員に汎用型を着用させるのが普通ではないかと考えます」


 会議の席上、最初にそう主張したのは後藤曹長だった。小隊本部に属する後藤曹長は生駒二尉の補佐役であり、本来であれば他の下士官たちに生駒二尉の意図を説明するのが役目の筈、その後藤曹長が真っ先に命令に対し、異を唱えている。

 しかも「普通」という言葉まで用いて……。

 さすがにその言葉は言い過ぎなんじゃいかな――――と、その時、私は思った。

 あんたが言っている事は普通ではない。間違っている――――そう断言している様なものだと感じた。

 しかし、会議は後藤曹長の発言に同意する意見が相次ぎ、皆が生駒二尉の命令に異論を唱えはじめた。

 私自身は沈黙を守った。

 二尉が恐ろしい訳ではない。

 ただ単に、同じ意見を皆で一斉にいっても、意義があるとは思えなかったからだ。もし、決を採るとなれば、無論、反対意見に組みするつもりだ。

そもそも、狭い坑道内で作業に向かない重陸戦型を投入するなんて意味が分からない――――と思っていた。


 「好きにするがいい」


 いつもの生駒二尉ならそう言って不貞腐れ、下士官たちの意見に従うはずだ。小隊長という立場を理解せず、責任感も希薄な二尉は下士官たちに意見された時には、そう言って薄ら笑いを浮かべるのが常なのだ。

 この席上も、そう言うのだと思っていた。


 「これは命令だ」


 生駒二尉の続けて発した言葉に内心、驚いた。他の下士官たちも、いつにない二尉の頑なな態度に面食らった様子でいるのが分かる。部下達の驚愕にも動じず、二尉は続けざまに新たな指示を出しはじめる。


 「各分隊及び小隊本部の重陸戦型をもって分隊戦闘団を集成する。指揮は私自身が執る。汎用型着用者は各分隊長の指揮に任せる。排土作業の支援にあたれ」


 分隊戦闘団――――?

 重陸戦型を集めて?

 各分隊から二名、それに小隊本部の四名を合わせて一二名もの重陸戦型を集めていったい何をどうしようというのか?


 「二尉、宜しいですか?」


 思わず発言の許可を求めてしまう。許可など必要ないのが第二小隊の伝統だが、なぜかこの時、いつにない雰囲気を漂わす二尉に対して口を挟む事を遠慮している自分がいた。


 「二尉はその集成分隊をどうするおつもりなのですか?」


 ジロリと睨まれる。

 こけた頬、うっすらとのびた無精ひげ、黒ずんだ目の下、鍛えあげた肉体とは程遠い位置にある不健康さが滲み出た肢体。

 どれをとっても、真面さは微塵もなく、薬物中毒者の様な印象さえ受ける。好きにはなれない。


 「前線に配置する」


 前線――――?

 その言葉のもたらす違和感に衝撃を覚える。

 戦闘を生業とするにも拘らず「前線」などというものは、歴史上、ただの一度も自衛隊員の前に現れた事がない。

 戦争の神が集いし審判の場、戦場と呼ばれるその楽園の最深部、自衛隊員にとって最も神聖にして、不可触なる存在、それが前線。

 いったいそれはどこにあるのだ?

 本当に実在するものなのだろうか?


 「前線とは何ですか?」


 つい引き込まれた様に問い掛けてしまった。自分でも馬鹿な質問だったと後で後悔した。


 「おいおい。自衛隊員が前線を知らずにどうする? 母上はそんな初歩的な事も君に教育しなかったのか?」


 毒気のこもった口調での反撃。二尉の嫌味はいつもの事だ。挨拶みたいなもので小隊員はそれに慣れている。私もいつもの様にそれを無視し、軽く受け流そうとした。


 「だから、還ってこなかったんだ」


 続けて発せられた言葉が耳に入ってきた瞬間、両頬の産毛が逆立つのを感じた。胸の奥に怒りが固形物となって現れ、瞬間的に沸点に達した血流が奔流となって頭に駆け上がり、握りしめた拳の中で手のひらに爪が喰い込む。目の前がグラグラと揺れる様な感覚に五感が悲鳴をあげている。


 「顔が赤くなっているぞ、双葉一曹。言いたい事があるならば言え。言えぬのであれば、早く婿養子をとって退役しろ」


 そこまで言ってから二尉は何かを思い出したかのように続ける。歪な形に顔が変化する。


 「それとも、一曹は男よりも女が好きだという噂は本当か? だったら仕方ない」


 せせら笑っている。

 自分自身の言った言葉に、自分自身で、この空間で只一人、笑っている。

 掛けていた椅子が後方に吹き飛び、壁に激突し、派手な音を立てているのに気が付いたのは、自らが立ち上がった後のことだ。だが、次の瞬間には左右に座っていた市橋曹長と幹二曹が私の制服の裾を机の下でがっしりと掴んでいる。身動きできない。

 落ち着け、相手にするな――――。

 二人は無表情で、ただ前方の壁を見つめているが、裾を掴む鍛え上げられた握力が無言で、そう言っている。


 「何かあるのか?」


 生駒二尉は片方の眉をあげ、更に挑発を繰り返そうとしている。顔に浮かんだ薄っぺらな笑みが、まるで作り物の面の様に不快で堪らない。


 「……!」


 「お行儀が悪いですよ、一曹殿」


 長い髪を後ろで束ねた祠堂三曹が吹き飛んだ椅子を元の位置に直し、結衣の震える肩に手をおく。ふくよかな中年女性らしく、柔らかく温かな手。その手が、娘の様な年齢の自分に対し「冷静になって」と言ってくれている。

 無言のまま椅子に腰を下ろす。

 初めて他人を殺したいほど憎んでいた。




 作業担当区間に到着すると、私は第二分隊に属する重陸戦型スーツ着用者二名――――松田陸士長と高野一士――――に生駒二尉が言う「前線」での勤務を命じる。

 他の七名の部下達は口々に「怠ける口実が出来たな」などと二人に対し軽口を言い、羨ましがる。

 それに対して、長身で整った顔立ちの松田陸士長と、相撲取りの様な体躯に金髪のモヒカンという異様な風体の高野一士はガッツポーズをして、おどけてみせている。

 部下達のその呑気な様子を見て、思わず苦笑する。

 自分も「前線」が存在するのならば、そこに行ってみたいと思った。

 そこでは少なくとも泥まみれになって、土砂の運搬をするなどという事はないだろうから。

 何より、私をそんな気分にさせているのは、昨夜、生駒二尉が重陸戦型の一件に続いて発した命令に対してだ。

 二尉は、小隊全員に三八年式装甲歩兵銃を装備する様に指示し、下士官たちには三五年式自動拳銃まで所持する事を命じていた。


 馬鹿げている――――。


 命令を聞いた時、思わず、そう呟いてしまった。

 口から、言葉が音となって漏れているのに気が付き、少々、慌ててしまったが、生駒二尉には聞こえなかったようだ。

 あまりに馬鹿げた命令、それはまるで口答えばかりして従順ではない小隊員に対する、何かの嫌がらせにも思え、二尉の意図が本当にそこにあるのではないかと勘繰ってしまったほどだ。実際、生駒二尉ならば、それぐらいの事をやりかねない。

 一二七キロに達する歩兵銃を担いで、やる事と言えば、土建の連中が掘り出した土の運搬。薄暗く、多量に水分を含んだ足元の土は滑りやすく、しかも雑に均されているだけで全く平坦ではない。

 加えて銃だけでなく弾薬を担いで作業だ。

 装甲歩兵銃は普通科隊員にとって命を預ける相棒或いは守護天使の様な存在ではあったが、作業中は邪魔以外の何物でもない。

 こんなものは訓練ですらない――――。

 重い銃器を担ぎ、作業をするなど「体力づくりの訓練を兼ねて」などという名目すら成り立たない。下手をすれば、銃器をあらぬところにぶつけて損傷させてしまうかもしれないし、作業に集中したくとも、銃の重さが無意味に体力を奪う。ただ単に兵も下士官も体力を消耗していくだけだ。

 それでも、命令が下された以上は従う。

 それがどんなに無意味で、無慈悲で、過酷であろうとも、士官により下された命令は絶対であり、それを兵に徹底させるのが下士官の務め――――それは亡き母から教わったことの一つだ。


 部下達と共に、二人一組となって土砂搬出用の大きなパレットを持ち坑道内へと向かう。私も部下の一人と組み、二人でそれを持って分隊の先頭に立って進んでいく。天井高、幅ともに二メートルも無い。幅の広い担架の様な形状のスチールパレットを持っていては、すれ違うのにすら難儀する。

 第二分隊が配置されたのは、奥側から数えて三番目の位置だった。

 坑道の最深部には、分隊戦闘団と小隊本部が。

 続いて第一分隊が。

 結衣の第二分隊は、その第一分隊と、後方の第三分隊に挟まれた位置で、立坑側から凡そ三キロから五キロに渡る区間を担当する。

 坑道内では天井から吊るされた電球がかろうじて足元を照らしていた。

 足元も、側壁も、冷たい水を大量に含んで黒ずみ、折角の光を吸収してしまい、反射する事が無い。それが余計に暗さを増している。

 時折、坑道内を黄緑色の小さな灯りが点滅し、宙をゆっくりと漂う様に舞っているのに気が付いた。最初、目の錯覚か、或いはバイザーの故障かと思ったが、その一定の間隔を刻む灯りの正体を見て納得した。農協の者達が飼育している蛍が坑道内を照らす照明の補助として放たれているのだ。

 虫の灯など何の役に立つかと思わないでもないが、光度を増幅させる機能の付いたスーツのおかげで、電灯の届かない場所であっても、その微かな灯りがあれば薄暮時程度には視界は効き、歩くのに困る事はない。元々が、星明り程度の下でも、問題なく任務をこなせるようにと開発された代物だけに、こんな状況下であっても性能自体に不満は無い。もっとも、完全に光源の無い場所だと、まるで役には立たないらしいのだが。



 1トンを超える土砂を載せたパレットを二人で息を合わせ運ぶ。所定の位置まで来たら、別の隊員にそれを渡し、逆に空のパレットを受け取り、奥へと戻る。

 繰り返す単調な作業。

 眠気すら覚える様な単純さだ。

 緊張感は微塵もなく、ヘルメット内のスピーカーからは漏れない程度の音量でお気に入りの曲を流している。1960年代に世界的な大ブームを起こした4人組の英国人グループによるものだというそれは、語学教育を受けていないので歌詞を理解することはできなかったが、それでも軽快なメロディーに合わせて適当に口ずさみながら作業を行う。


 お母さんも、この曲を聞いていたな――――。


 その事を、ふと思い出す。

 懐かしく、母のいた頃の家族の情景が脳裏に浮かぶ。

 父と早くに離婚した母との二人暮らしだったが、母と父の関係は悪くはなく、時折、結衣を訪ねるという名目で父も家を訪ねてきていた。

 離婚に至った経緯は聞いていない。多分、兄弟姉妹のいない者同士の結婚であったことが原因だったと思っている。お互いの家を断絶する訳にはいかず、父はその後、生家である医師の家を継ぎ、再婚しており、結衣には異母弟が一人できた。

 母の気持ちを慮って、将来、医師家を継ぐであろう異母弟とはあまり親しくはしていなかったが、狭い施設内の事なので、日によっては幾度もすれ違う事もある。そんな時は互いに気が付かないふりをするのが定番となっていた。

 母の葬儀が行われた後、父と、父の再婚相手、そして異母弟は一緒に暮らすように勧めてくれたが、最愛の父と離婚してまで、双葉の家名を守ろうとした母の想いを思えば、ありがたくはあっても丁重に断る事しか出来なかった。

 だが、それ以降、休日には誰もいない自宅よりも、父の家で過ごす事が増え、再婚相手や異母弟とも親しくしている。




 水分を含んだ土砂はほとんど泥の塊のようなものだ。

 スーツのアシストのおかげで、身体に感じる重量自体は凡そ十分の一程度に軽減される。それを二人で運んでいるので、一人あたりで言えば、更にその半分の重量という事になる。背負った歩兵銃と腰の拳銃、それらの弾薬を含めれば体感的には八〇キロ程度の荷物を持って歩くのと同じだ。

 加えて、足元の悪さ。

 足を地に降ろせば滑り、滑らないようにと踏み込めば、粘り、抜きがたい。

 実に無駄に体力を消耗する。


 「何か面白い事でも起きないかなぁ」


 飽き飽きして、そんな妄想を呟く。

 そんな妄想が、実現するとは思いもしなかった。




 「あれ、揺れている?」


 後ろを振り返り、分隊員の六車一士に尋ねる。


 「揺れてますね」


 六車一士は、一年前の調査行に父親が志願しており、結果として家を継いだ者の一人だ。当主となって日は浅いが、その日の為の準備は万端であったらしく、任官一年足らずにも拘らず古参兵の様な雰囲気を醸し出す頼りがいのある兵士だ。年齢は二十代半ば、年齢相応に何事にも動じない落ち着き払った性格をしている。


 「地震でしょうか?」


 「地震にしては少し変な気もするけど……」


 全く単発の揺れ。

 振動に驚いたのか蛍が興奮したのか、周囲が一段、明るくなる。


 「崩れませんよね……?」


 六車一士は珍しく、不安気な様子で天井を見上げる。補強資材の不足から、ほとんど天井は土がむき出しの状態だ。振動で剥がれたのか、周囲で少なくない量の土がパラパラと落ちてくる。


 「こちら双葉一曹。第二分隊員、無事か?」


 携帯端末を操作し、部下との通信を試みる。程なく、排土作業に従事している7名の部下全員の無事が確認された。


 「崩落の可能性もあるかもしれない。危険を考え全員、作業を一旦、中止し、分隊長の下に集まれ」


 そう指示を出しながら、今の揺れが発破によるものだという情報が、前方で同じく排土作業に従事している第一分隊の市橋分隊長から入る。


 「発破か。爆破するなら爆破するで、先に言ってよね」


 「全くです……あ、何か聞こえてきますよ」


 一士の言葉に自分もヘルメットのバイザーを開ける。

 裸眼で見る周囲は本当に真っ暗だ。一列に並んだ電球の灯りは実に心もとない程度にしか周囲を照らしていないし、蛍に至っては、裸眼では何の役にも立ちそうにない。むしろ、大小が混じりあっていて遠近感に錯視を起こしそうだ。


 「聞こえるわ――――歓声みたいな?」


 「……多分、万歳って言っています」


 耳の良い一士が顔を綻ばせる。


 「万歳? あ、繋がったんだ……」


 坑道貫通。

 ようやくこの泥運びからも解放される。

 その吉報に思わず小さく拳をつくり、振り上げかける。


 「あれ?」


 私は違和感を覚え、肩の高さで右腕を止めた。握りしめた拳は怒りではなく喜びによるものだが、その喜びが行き場を失ったかのように空中で霧消する。


 「一士、何か聞こえない?」


 「……聞こえます」


 一士の顔から笑顔が消えている。口調も神妙だ。多分、発破の後、続けて聞こえてきた音に関して、私と同じ推論に辿り着いたのだ。

 聞き慣れた音。

 私の相棒。

 その鳴き声。


 「あれって……あの音って三八式サンパチシキの――――」


 闇の中、六車一士が肩のホルダ―から三八年式装甲歩兵銃を外し、遊底を操作する音が聞こえる。私も同じく装甲歩兵銃を構え、装弾を確認する。


 「射撃音よね」



 ◇


 「三佐殿!」


 会議室の扉が唐突に開け放たれる。開けたのは中隊本部で通信を所掌している石岡二曹だった。慌てているのか、入室前のノックすらしていない。


 「なんだ?」


 反射的に明日馬は問い返すが、丹羽准尉は規律を重んじ、小声で叱責する。石岡二曹は准尉の部下でもあるのだ。


 「だ、第二小隊より緊急通信です。坑道先端部において――――」


 石岡二曹は続いて放つ言葉が本当に適当なのかどうか、この時一瞬、考えたようだ。

 喉仏が大きく動く。唾を飲み込み、まずは自分自身を落ち着かせているのだろう。


 「敵性勢力と交戦状態に突入した、とのことです」


 この日、突然、戦争が始まった。



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