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答え

 渡されたヘルメットを試す為、明日馬はもう一度、第一倉庫跡へと足を運んだ。そこでは、柏木二尉と武藤陸士長がまだ訓練を続けていた。

 陸士長は入室してきた明日馬の存在にすぐに気が付き、年季の入った敬礼をしてみせるが、すっかり頭に血の昇っている柏木二尉は、そんなことにはまるで気が付く様子はない。

 新仕様のヘルメットを被るとバイザーを下ろしてみる。

 数秒を経ずに先程と同様の緑色の線が現れ、次第に人間の形へと変化していく。

 

 「すげぇ……」


 思わず感嘆の声を漏らす。

 緑線は的確に二人の予測動作を表示していた。どのタイミングで武藤陸士長が足を引っ掛けようとするのか、それがほんの一瞬早く表示される。

 柏木二尉がタックルを仕掛けようと蹴り足に力を込めた時には、武藤陸士長はどちら側に躱そうとしているのか既に決断していた。しかも、躱しながら右手で殴りつけるようふりをして肩を引き、その実、身体を瞬転させての右後ろ回し蹴りを狙っている様子など、まるで冗談か何かの様だ。

 武藤陸士長は柏木二尉の部下、無論、二尉のレンジャー資格昇級試験の為に練習相手を務めているのだろうが、実力差があり過ぎて、本当に二尉の訓練になっているのか、疑問を覚えずにはいられなかった。

 



 「二人とも休め」


 今が非常事態であり、訓練などしている場合ではないことを明日馬は理解しているが、この機会を逃さず、新型ヘルメットの機能を試したい欲求が勝っている。


 「陸士長、すまないが少しだけ自分の相手をしてくれ……柏木二尉は少し休んでいろ」


 「はっ!」


 ようやく明日馬の存在に気が付いた柏木二尉が姿勢を正す。スーツ越しではあったが、大きく肩で息をしているのが見て取れた。着用中は濃縮した酸素がヘルメット内に供給されているのだが、その機能をもってしても彼の膨大な消費量を前にしては、いささか足りないようだ。


 「陸士長、疲れているところ悪いな。あぁ……遠慮はするな」


 「かしこまりました」


 教官資格を持つ陸士長が、こちらを舐めているのは間違いないだろう――――明日馬にはそれが分かっていた。

 だが、それは仕方のない事だとも思う。

 明日馬の有しているレンジャー資格は柏木二尉と同じく助教二級。対する、陸士長は教官だ。その間には四つの階級が存在している。助教二級など、何人揃ってこようが鼻先であしらえると思っている筈だ。

 武藤陸士長が得意とするのは、柏木二尉との戦い方を見ていれば分かる。 合気の理論を応用したもので、相手の過剰な力を巧みに利用し、その失点を狙い、自滅を呼び込むスタイルだ。緊張と興奮のあまり、前後見境なくなる初心者の心理をいいように操る術に長けた達人タイプの戦い方であり、「人形使い」の異名の通りだ。


 「では――――」


 そうは言ったものの、陸士長は彫像のように動かこうとしない。自分から積極的に動くスタイルではない。あくまでも相手に先手を打たせ、カウンターを狙う。明日馬が動くのを静かに待っている。

 

 「行くぞ」


 助教二級と教官クラス。負けても恥ではない。思い切りぶつかっていっても相手に怪我をさせる心配をしては失礼というものだ。

 それに何より、このヘルメットの性能を見たいが為の対戦だ。動き回って攪乱し、相手の動きが正しく表示されるのか、そして、その表示があてに出来るものなのかを確認しなくてはならない。

 右に、左に、明日馬は跳躍を繰り返す。筋肉の動きをセンサーが察知すると内蔵された人工頭脳が解析し、モーターと油圧ポンプに指示を与える。完全に個人用に調整されたスーツは、衣服と変わらぬ着用感で、苦になる様な重さなどまるで感じない。軽やかな動きを信条とする明日馬の意志に従い、スーツは自在に操られる。

 バイザーは陸士長の身体の輪郭にそって緑線を表示しているだけで、予測線を表示しない。それは即ち陸士長が全身の力を抜いたリラックスな状態にあり、動く気が全く無いことを示している。

 背筋に怖気が走る。

 通常のヘルメットでは感じなかった相手の心理状態までもが見えるようだ。


 「その気がないなら、こちらから行くまでだ」


 右に跳躍し、更に右へ。

 壁。

 壁を蹴る。高さを利用する。

 

 「きた!」


 陸士長の輪郭線が急速に動き始める。人型の輪郭線がスッと後方へと流れ、実態がその後を追うように後方へと飛び退く。明日馬の着地点を見極め、距離をおこうとする動きだ。

 同時に、両脚の油圧ポンプが過熱していく様子が表示される。そこに圧がかかっている証拠だ。

 

 着地したところを間髪入れず来る気だな――――圧のかかり方を見て、そう判断する。

 新たな輪郭線は陸士長と重ねっておらず、今度はその数メートル先を表示している。そこは正に明日馬が着地する筈の場所――――。

 着地。

 同時に横転。

 陸士長の前蹴りが空を切る。

 もし、着地点に立ったままであったならば、その前蹴りは明日馬を捉えていた筈のものだ。二回、三回と横転しつつ、明日馬は思わず頬が自然と緩むのを感じた。




 武藤陸士長にとって、それは楽な仕事のはずだった。

 蘇我三佐は雲の上の存在。対して自分は柏木二尉家に仕える陪臣の一人。

 三佐の事は無条件で尊敬しているし、どの様な命令であろうとも従うが、個人的な技量に関しては雲泥の差がある。

 二、三発、いいのを喰らわせれば終わる。

 そうしたら、二尉と一緒に晩飯を食いに行こう。

 第三小隊の他の面々も誘い、今日の二尉との訓練、そして三佐との訓練を肴に蒸留酒で一杯やるのだ。

 楽しい未来。

 確定した未来。

 予測された未来。


 「なんだと――――!?」


 前蹴りが躱された瞬間、陸士長は腹の底で唸った。

 手加減はしたつもりだ。相手が相手だ。だが、躱されるつもりはなかった。

 相手はゴロゴロと床を転がっていく。偶然か?


 「芋虫じゃねぇっての!」


 無様に転がる三佐を追う。跳躍。着地点には、二回転後の三佐がうつぶせ状態でいるはず。背に重い一撃を叩き込んで終わりにしてやる。

 渾身の左下段突き。

 回転する三佐とバイザー越しに一瞬、目があったような気がする。背筋に薄気味の悪さを感じる。


 着地点に三佐はいなかった。

 寸前で逆に転がり、距離をおいたらしい。

 視界からは完全に消えている。

 背後をとられた。

 躊躇わず、陸士長は前転する。

 前転しつつ、三佐の位置を瞬時に確認する。三佐は既に立ち上がっている。確かに噂通りの素早さだ。だが、それだけだ。

 拳を床に突きたて、前転の勢いを増す。そのまま壁を駆けあがり、身体を捻る。

 狙うは右の肘打ち、一発で片が付く。


 「ちょこまかと!」


 前転しながら確認したはずの位置に三佐はいなかった。一瞬の死角をついて移動したようだ。

 

 「どこだ!?」


 肘の一撃をも躱された。

 いや、そもそも、相手にすらされていない。

 三佐の位置は正確に予測していたにも拘らず、そこに三佐はいない。

 相手の位置がつかめない時は、とにかく動け――――。

 教本通り、陸士長は素早く動く。生身と違い、スーツの着用時は視界が悪い。当然、死角も増える。

 その死角のどこかに三佐てきはいる。

 

 首筋が粟立つ。最悪の予感。去年の夏祭り、決勝で対戦した小栗三尉にも感じた“あの”感覚だ。

 躊躇わず、上半身を捻る。右の裏拳。身長さを考えれば相手のこめかみを捉える位置。加速は上々、既に容赦はしていない。

 空ぶる。

 何にも当たらない感触に軸足がややぶれる。バランスが崩れ、たたらを踏みそうになる。

 違う、足元に何かいる!?


 「ありがとう、陸士長」


 愕然としつつ見下ろせば、バイザー越しに三佐が笑顔を浮かべている。いい笑顔、実に楽しげな顔だ。


 「勉強になった。さすが教官クラスともなると動きが違うものだね」


 「……いえ、こちらこそ。ありがとうございました」


 あっさり礼を言われてしまっては続ける訳にも行かない。

 納得はできないが仕方ない。まるでこちらの動きを読まれたかの様な気分だ。頭の中を覗かれている様で、実に気味が悪い。

 

 「陸士長は強いな……私も精進しよう。また、宜しく頼む」


 陸士長は孫のいる歳、娘は三佐よりも年上だ。そんな小僧に強いと褒められた。

 強い? 当たり前ではないか。

 この域に達するまで、三佐の年齢の倍もの期間、日々、鍛錬したのだぞ。


 「はい」


 驚愕、不信、混乱、傷心。

 さまざまな感情が心を支配する。

 自分は、負けたのか――――?

 その疑問だけが残る。

 

 屈辱に塗れた敗北感を感じた陸士長が再び視線を上げた時には、既に三佐は着替えを終え、倉庫を後にしていた。

 

 

 

 研究室の一画、パーテーションで区切られた自らの席で島津博士は見詰めていたモニターのスイッチを切ると、眼鏡を外した。

 口角があがり、歪な微笑が美しい顔に浮かぶ。

 

 「調子に乗っちゃって……坊やの癖に」


 その独白は周囲の誰の耳にも届いてはいない。彼女がモニターで見ていたのは、明日馬のヘルメットに内蔵されているカメラから送られてきた映像だった。

 無論、映像が送られている事など明日馬は知らない。

 彼女が仕込んだのは0.2秒後の世界を映しだす魔法のチップだけではなかったのだ。内蔵の通信装置にハッキングし、彼女専用のモニターだけに映像が送られてくる。

 親しい故の悪戯――――で済む様な行為ではない。

 盗撮とハッキングの相手は、何といってもこの施設の最高責任者なのだ。もし露見すれば、いくら島津博士と言えどもお咎めなしとはいかない。

 島津博士はデスクの引き出しをあける。一見して分からぬがそれは二重底構造になっていた。

 その下から一枚の写真を取り出す。

 施設内の者であった誰でも知っている人物が笑顔でその写真には写っていた。


 「坊やは貴方が期待する程の人にはなれないかもしれないわ」


 島津博士の細められた両眼は、少しだけ哀しげだった。



 動作予測システム――――島津博士が名づけた――――は昨日今日に開発されたものではなかった。

 その原型は数年前にはもう完成しており、運用試験はその時点で終えている。量産しようと思えばいつでも可能であり、それ用の設計や設定用のマニュアルまで作り終わっている。

 このシステムを最初に装着したのは、島津博士が隠すように所持している写真に写っている人物だった。

 システムを試し終えた時、その人物は、彼女に対しこう言った。


 「これは皆の為にはならないだろう」


 画期的な開発だと自負していた彼女はその言葉に衝撃を受けた。そんな彼女に対し、その理由をいつもと変わらぬ慈愛に満ちた口調で、こう説明した。


 「レンジャー資格の昇級は、変化の無い世界で唯一、自分自身の力で変化を持たせられるもの……このシステムは、その個人の努力を無意味にしてしまうものだ。これを使えば初心者が教官クラスを圧倒することだって不可能ではない。それは全体としてみれば中隊全体の平均点を上げる事にはなるだろうが、同時に最高点を落とすことにもつながるだろう。積み重ねた努力が無意味かもしれないと感じてしまえば、それは向上心を打ち砕く凶器としかなり得ない」


 彼女はその言葉に驚きつつも納得せざるを得なかった。

 同時に開発者と運用者の間に横たわる超えようのない思想の壁の存在を感じもした。このシステムを中隊全員に装着すれば間違いなく全体のレベルアップにはつながる。だが、つながったからといって何だというのだ? 己の目標に届く為、ただただ研鑽を重ねてきた昨日までの鍛錬全てが無意味だと分かった時、どうやって士気を維持するのか? 高めるのか?

 己の浅はかさを恥じ、詫びた。

 写真の人物は、そんな彼女に対し、より一層の微笑みを浮かべ、その肩を優しく抱きしめ、こう言った。


 「いつか、誰かが、これを必要とするかもしれない」


 彼女は問うた。すがる様に。


 「それはいつ?」


 「昨日と変わらぬ明日が過ごせなくなったとき」

 

 


 島津博士は、明日馬がこのシステムを取り外すように求めてくる事を密かに期待していた。

 だが、新しいヘルメットはロッカー内の所定の場所に収められ、その扉は閉じられ、送信されてきた映像はそこで途絶えた。

 ため息をつく。

 深いため息だった。



 

 小隊詰所において重機小隊長・小栗三尉は書類の山の中で遭難しかかっていた。かろうじて生き残っているのは、書類関係に明るい数名の部下の助力があればこそだった。

 インテリ然とした風貌のまま、小栗三尉は何事にも得意不得意のないオールマイティーな人物だ。彼に言わせれば、周囲の言う「格闘戦の達人」という評価ですら不当に偏った見方に過ぎないのだ。格闘戦が上手いと思われているのは、単にその大会があるからこそであり、書類仕事の大会があれば、自分はそこでも優勝争いに加わるはずだと――――。

 そんな小栗三尉ではあったが、電子化されていない書類の束を見るのは久しぶりであった。

 千年に渡って蓄積された膨大な情報量。

 必要とされる部品に近い仕様のものの足取りを洗い直し、今、それがどこにあるのか、使用されているのか、未使用の状態なのか、使用されていたとしても、それが本当に必要不可欠なのか……それを一つずつ、確認していく。

 事務方に明るい部下の存在なくして、やはりそれは困難を伴う作業だった。


 いくつかの部品は流用できるが、全てではない――――。

 結論は、最初から予測されていた通りのものだった。

 最初から予測されていたのであれば、書類をかき分けての発掘作業など無意味にも思えるが、それはそれで必要な手続きには違いはない。


 「まぁ、農協も、土建も、研究所も似たようなもんだろうな――――」


 机に行儀悪く足をのせ、椅子の背もたれに体重を預けながら三尉は呟いた。

 視線が中空を泳ぎはじめる。

 周囲にいた部下達は、若い上官のいつになく疲れ切った様子に思わず苦笑した。

 疲労や困惑など我らの小隊長には似つかわしくないものだと今日まで信じていた彼らは、上官もやはり人間だったのだと安心していた。

 

 「……それにしても、だ」


 何を企んでおいでか――――三尉の脳裏には、平一尉と生駒二尉、その二人の顔が浮かぶ。

 一尉の言動の怪しさは、三佐に忠告した通りだ。

 何故、本栖湖隧道を目指して坑道を延ばしていたのか?

 何故、扉は溶接されていたのか?

 何故、発電部品の枯渇を知っていたのか?

 答えは出ている。だが、それを俺は認めたくないだけだ。

 加えて、生駒二尉の発した『トロイの木馬』という言葉……。

 それはいったい何を意味する?

 問題は、二人が通じているのか、いないのか……。

 生駒二尉があの時、垣間見せた鋭く、憎しみのこもった目。

 あれは――――。


 「三尉、コーヒーをどうぞ」


 突然、声を掛けられる。思考が中断し、現実に引き戻される。


 「あ、ありがとう」


 コーヒーは貴重品だ。

 限られた生産力の中では高カロリー高栄養価の食品の生産が優先されており、この様な嗜好品の生産はほとんど余禄の様なものだ。当然、コーヒー豆などはタバコと同じくその最たる物で、来るべき解凍の日に備え、種子の保存の為に必要最低限の量を栽培しているに過ぎない。

 おかげで、コーヒー豆とタバコは施設内では最も高価なものとして年に数回、少量が配給されるのみであり、結果として闇取引が横行している。この施設内で起きる犯罪と言えば、この二つの嗜好品の密売ぐらいだ。そして、三尉は常にその摘発される側の一員なのだ。


 丹念に手作業で焙煎された豆。

 香ばしさの中に薫る微かな甘み。

 ほのかな苦味を美味いと感じてしまうマゾヒスティクな欲求。

 偉大なる先人が遺した至高の発明品に感謝しつつ、三尉は思考をやめ、明日の幹部会議に提出する厄介な報告書の作成に取り掛かった。

 どっちみち坑道は数日後には貫通する。その時、答えは出るだろう。自分自身が火中の栗を拾う必要は無い――――。


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