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 閉鎖から凡そ1000年。

 その時より、人口の増減はほとんどない。

 依然として6000に満たない数の人間しか、この施設内には生存していない。

 人口調整が常に行われているからだ。

 その理由は主として限られた空間内という、この施設の特徴と、生産能力の限界のはっきり分かっている食料問題が常に付きまとっているからだ。


 一組の夫婦、或いは男女から生まれるのは、最大でも二人まで。


 このルールが無視された時、予測される未来は、凄まじい飢餓社会の到来。

 そして飢餓の果てにあるのはコミュニティーの崩壊という使命の放棄。

 施設が生き延びるには、施設の総人口を増加させないこと。

 種を残すという面から見れば、それはある意味、二律背反だ。

 しかし、文化を残し、文明を発展させるには、その他の方法は結局のところ、1000年という時を経て尚、見つけられなかったのだ。



 収容された人々の家業は様々だ。

 そして、長い時を経て、関連の深い家業同士の家が集団を形成し、一種の組合ギルドを成している。そして、それぞれの組合ギルドの施設内における立場、そして行動原理は、受け継がれた家業の種類によって全く違ったものとなっている。


 一つは、より良く、より効率的に、より合理的に変化し続ける革新的な集団。


 一つは、受け継ぎ、それを守り、何も足さず、引かず、磨き続ける事のみを目的とした保守的な集団。


 主として文明を担う前者の集団には農業、土建、研究、医療などの組合ギルドが該当する。

 そして文化を担う後者の集団には能、歌舞伎、落語、職工などの伝統的なものを生業とする者たちと、司法や行政、教育など公務員的なスキルを受け継ぐ組合ギルドが該当する。



 そもそも施設内では個人的な財産、資産など全く持って無意味だ。

 衣食住の内、食は年齢的な差異はあったとしても、その配給量にも質にも格別な配慮は為されていない。誰もが、農協が生産し、提供した食材を、調理師組合が調理し、それを食堂で食べることになっている。

 例外なのは生活圏と常駐場所の深度が深すぎ、日に二度も食堂に出入りするのが困難な発電関係の家業に従事する者達だけだ。

 無論、衣料品、住居に関しても差異はほとんどない。

 衣料品の元となる繊維は他の物を再利用した化学繊維系の物と、農協が飼育する山羊と羊を遺伝子交配した新種『ギープ』から刈取る自然由来の物に限られる。

 手触りや着心地は自然由来の物が勝っているが、耐久性と湿度対策には化学繊維由来の物が優れている。優劣を付けるのは難しく、あくまでも個人の嗜好の範囲だ。

 住居は、どの家も一律40平米の空間を与えられているだけに過ぎない。

 差は皆無だ。

 つまり、個人が持てる財産とは形ある物資という類の物ではなく、その家が受け継いだ「家業の知識」に他ならないのだ。

 故に、生まれた子は物心つくと同時に父、或いは母から、その伝えるべき知識を詰め込まれる。

 保守的な家業の一族はまだ増しな方だ。

 彼らは「変わらぬ」事を第一に考えている。

 だからこそ、我々は1000年経た今に至っても記録映像と寸分違わぬ歌舞伎を観劇して喝采をあげ、古典落語に腹を抱えて笑い、住民票をとり、婚姻届も、そして時には離婚届も出せるのだ。

 無論、そのどれもが芸術の域まで高められ、所作一つ一つまで磨き抜かれた物ではあったが……。


 比べれば、革新的な家業に属する家の子の苦労は想像を絶する。

 まず基礎となるのが1000年前の知識。

 そこから、代々、継承された研究の成果や思考の迷路を一つ一つ辿り、現在の知識に何故、どうやって行きついたのかを学ばねばならない。

 蓄えられた40世代分の知識と人生、教訓を受け継ぎ、子に伝える。

 時間の概念が希薄な地下空間とはいえ、それがかなりハードな物であるには違いなかった。




 明日馬は小栗三尉と別れ、彼の呈した疑問をギープの様に反芻しながら歩いていく。


 向うべき先は自ら交渉を担当すると宣言した研究所だ。

 途中、第一倉庫跡の戦技訓練所に立ち寄り、先程、着用した自分用のパワーアシストスーツのヘルメットを手に取る。

 今朝、雪乃との訓練中、激しく蹴りつけられた例のヘルメットだ。

 衝撃により、ほんの一瞬ではあったが、バイザーの機能が消失した事が気になっており、研究所にいる知人に点検と整備を依頼する為だ。

 無論、中隊本部付の整備担当に見させても良い。いや、むしろ、それが当然だし、本筋だ。

 だが、それは極めて個人的な思惑により避けたかった。

 その行為は、三佐が曹長に敗北した事を公言するのと同じだからだ。整備担当は事情を察し、苦笑しながらも整備作業を行ってくれるだろうが、ヘルメット内蔵の記憶装置には訓練の様子が映像として詳細に記録されている。

 それを見られるのが恥ずかしかった。

 あまりに無様で、圧倒的な負けっぷり。

 一七歳の少年にとって、それはやっぱり屈辱なのだ。



 第一倉庫跡の扉を開けると低周波、高周波二つのモーター音が聞こえてきた。

 先客がいる。訓練中のようだ。

 薄明かりの中、二人の姿が見えた。バイザーを下げてはいるが、見慣れた動きと部隊番号でその二人が誰であるかは直ぐに分かった。

 第三小隊の柏木二尉と、その部下である武藤陸士長だ。

 武藤陸士長は二五〇名の隊員の中でたった五人しかいない『レンジャー教官』の資格を持つ極め付きの猛者だが、バイザーを脱いでしまえば薄くなった頭髪をスキンヘッドにした、人懐っこい笑顔の持ち主だ。

 対する、柏木二尉は階級こそ上だったがレンジャー資格は『レンジャー助教二級』どまりだ。

 並外れた筋肉男だが、その筋肉を持て余している、というのが教官資格保持者たちの統一した見解だという。

 パワーアシストスーツは、そのアシストの名の通り、本来は着用する者の力、速度を増幅させる機能のものであるから、筋肉量が多いと言う事は、そのままパワーが出せるという事につながるのだが、柏木二尉の場合、根っから不器用なのか、それを活かし切れていないらしい。


 レンジャー資格は、上から『レンジャー教官』、その下が『幹部レンジャー』、『レンジャー助教』、そして通常の『レンジャー』の4段階になっている。

 そして更に教官以外の各資格が3つのクラスに分割されており、合計10のクラスに分けられる。

 この10のクラスこそが、隊員個々の戦技レベルを示す物であり、階級の昇進が凍結された今となっては、隊員達にとって、このレンジャー資格の昇級こそが、目標の希薄な人生において時間を費やすに足る目的となっている。


 カスタムメイドされた重陸戦型アシストスーツを纏った柏木二尉が、地響きを立て、突進する。

 動きは速い。気迫、圧力ともに申し分ない。

 左肩の多連装ポッドが激しく振動で上下し、右腕に装着されたミニガンの長大な銃身はまるで中世騎士のランスの様だ。

 対する、武藤陸士長は通常の汎用型アシストスーツを使用し、その突進を寸前で躱しながら時折、スッと足を引っ掛けている。

 面白い様に二尉が転ぶ。

 唸り声をあげながら身を起こした二尉が剛腕を唸らせて殴りかかる。

その突き出された腕を軽く引っ張ると、そのまま二尉はつんのめり、たたらを踏みながら壁に激突する。

 バランス―――。

 圧倒的なバランス感覚の差がそこには見える。上級者は常にこのバランスが極めてよく、無駄な力を使うことなく対戦相手のバランスを崩し、優位を確立する。

 明日馬自身は自分のバランス感覚はかなり良い方だと思っているし、筋肉量は年齢相応にしかないが、動きの俊敏さでは中隊でもトップクラスだと自負している。

 十代では珍しく助教二級の資格を有しているのが、その証拠だ。際立った才能ではないが、平均以上の才能は有しているのだろう。

 しかし、雪乃にはただの一度も勝ったことが無い。

 二人の差は「読みの差だ」と教官資格のある部下達には指摘されている。

相手の微細な動きを見逃さず、何が本命で、何がフェイントか、それを読み切る判断が甘いという事だ。

 部下達のその指摘は、戦技だけに限らず、明日馬自身への人物評にも聞こえていた。


 柏木二尉が間合いを詰め、陸士長が軽くいなす。

 二尉は訓練に夢中で、まるで見物客の存在に気が付かない様子だったが、陸士長は気を付けの姿勢をしてから、ゆっくり貯めまで作って敬礼するほどの余裕がある。

 まるで、マタドールと闘牛の様な闘い。痛々しいほどの力量差が見えてしまう。明日馬は今朝も無様に負けた我が身の事を思い起こすと少しだけ不快な気分になり、早々にヘルメットを手にすると、研究所へと向かった。




 研究所と、それに併設された工作所は、敷居の高い区画だと思われており、多くの者は彼らを敬遠している。

 敬遠だ。

 ハッキリ言えば、避けている。

 しかし、嫌っている訳ではないし、忌避している訳でもない。

 だが、訳のわからない数式や実験データがびっしりと書かれた資料をいきなり鼻づらに突き出され、それについての意見を求められても、答えようがないし、こちらが答えられないことに対し、怪訝な表情でじっと見つめられても困るからだ。おまけに舌打ちまでされては避けて当然だ。

 誰しもが、自分にはそれが見当もつかない事であり、意見を聞く相手を間違えているのではないか、などと説明するのは鬱陶しいし、屈辱を感じざるを得ない事に違いないだろう。


 中倉隧道収容施設内の研究所は無論、全ての分野の研究を同時並行して行える人員がいる訳ではない。

 そもそも、中倉収容施設の収容規模は限られており、しかも全体から見れば小規模の部類に入る。

 当初、この隧道内に収容されたのは隧道南側出口、即ち静岡県伊豆口市に工場のあった電子部品メーカーの研究者と技術者達、それに隧道北側出口近くにあった私立大学の機械工学部、国立大学の繊維工学部に属していた研究者達だ。

 併設された工作所は、この研究所の要請に応じて、その研究開発の支援を行うのが目的とされているが、実情は近隣中小企業の工場関係者が、自前の各種工作機械と共に収容されたのが、その始まりだ。

 つまり、研究所と銘打っているが、その実情は電子工学と機械工学、繊維工学の分野に限られている。そして、他の分野に関して言えば、その技術レベルは1000年前とほとんど変化はない。

 但し、こと三つの分野に関してならば、研究開発は世代間に渡って永続的に進められており、その発展には目を見張るものがあるのも事実だった。



 「お邪魔するよ」


 ゆっくり一度、深呼吸してから、研究所と通路を隔てる扉を開ける。元は白衣だったらしい丈の長い薄汚れた衣服を着込んだ研究者たちがジロリと視線だけを送ってきた。

 愛想の良さをこの場所でも求めても全く無意味な事は、明日馬は百も承知だが、ほんの一瞬だけ視線を寄こしただけで、その後、全く興味を示されないというのも、正直なところ、心が折れそうにはなる。

 まるで「お前には価値が無い」と結論を出された様に感じるからだ。

 この場所にいる研究者たちは、電子工学と機械工学、繊維工学のエキスパートだ。彼らにとって研究とは人生とイコールのものだ。愛想をよくすれば成果が出るとなれば、彼らは揉み手をしながら明日馬を歓待するだろうが、残念ながら、相手にその力が無い事は承知している。だから、興味が無いのだ。


 もっとも、明日馬自身はこの場所が好きだった。


 子供の頃から、三佐家の次期当主という特権に物を言わせて、相手の迷惑など顧みずに頻繁に遊びに来ていたほどであり、よく帝王学の課題をこなしていない事を父に叱られたものだ。

 もし、自分に三佐家を継ぐという責任がないとしたら、或いは職業選択の自由があるとしたら、きっとこの場所にいただろう――――そう想像した事も一度や二度ではない。

 白衣を身に纏い、難解な数式と格闘している自分自身の理想の姿。

 だが、残念ながら、そんな子供じみた将来の夢を口に出せる雰囲気は施設内には無く、その想いを他者に語ったのは、ほんの数えるほどだった。


 「やぁ、いらっしゃい」


 卓上に並べられた無数の端末機の一台を操作していた人物が、そう声を上げると立ち上がる。

 研究所の主任の一人、島津恵子博士だ。

 先代の研究所所長の娘で、年齢は二十代後半、大人の女性特有の魅力に満ち溢れた雰囲気と、すれ違いざまには目で追わざるを得ない様な容姿の持ち主だ。

 肩にかかる程度の長さの髪は後頭部でキチンと纏められ、自分自身で調合したと思われる化粧品を用いて、しっかりと年齢相応に身だしなみも整えている。

 その知的な雰囲気、そして魅力的な立ち居振る舞いは、女性もかなりの割合で働いているこの研究所の中でさえ、異質さにも似た際立ったものを感じるほどだ。


 「どうしました、明日馬くん?」


 第三八代蘇我三佐家当主、中倉収容施設管理者、東部方面普通科連隊第三中隊長……明日馬の肩書は無数にあるが、下の名前で呼ぶのは彼女だけだ。

彼が幼い頃、当時、十代だった彼女の膝の上で甘え、男の子特有の興味の赴くままに端末機に触らせてもらっていた頃から変わらぬ態度だ。その頃、遊び場所か何かと勘違いしたかのように頻繁に訪れる有力者・三佐家の跡取り息子の相手をさせられていたのが、他ならぬ当時の所長の娘だった彼女であり、いわば態の良いベビーシッターという訳だ。


 「あの、これ、チェックしてもらえないかな? 少し調子が悪い様で……」


 小脇に抱えていたヘルメットを彼女に差し出しながら、依頼を伝える。

 彼女は電子工学の専門家であり、バイザーが起したエラーの原因と対策を依頼するには最適の人物だ。

 そして何より、彼女に対してならば、自分自身のどんな一面を晒しても今更、恥ずかしい事は無い。

 二人はそういう関係だった。

 彼女は何も問わず、小さく頷くと早速、チェックを始める。ヘルメットにコネクターを接続し、端末機に稼働状況のモニターデータを落とす。明日馬との位置関係から画面は見えないが、さまざまな数値が表やグラフといった形式で表示されているのが、彼女の視線の動きから推察できる。


 「何よ、表面が微細な傷だらけじゃない―――ちょっと、君」


 しばらくして、彼女は近くにいた助手の一人を呼び、傷がついたヘルメットに構造的な問題が起きていないかを調べる様に指示を出した。

 それからゆっくりと視線を明日馬に移す。


 「さては、また、雪乃ちゃんにこっぴどくやられたのかしら?」


 椅子から立ち上がった彼女は、近づいてくると机に寄りかかり、ベージュ色のスカートから伸びた長い脚を軽く組む。すこしだけ意地の悪そうな笑みを浮かべているのは気のせいだけではないだろう。


 「今朝、戦技訓練をしていたんだ。まぁ、いつものことながら、鈴鹿曹長には適わない。まるで歯が立たないよ」


 戦技訓練の内容など、専門外である彼女に取り繕ってまで語る必要は無い。

 見たければ、彼女は内蔵記録装置からいつでも、その光景を見られるのだ。隠す意味が無い。


 「ふふ……で、どうなの? 二人は上手くいっているの?」


 「――――問題はないと思っているけど」


 答えるのに少しだけ間が空いた。不甲斐無く、弱い自分に対する不安が時間となって現れた。明日馬の周囲には、明日馬が越えられない壁が無数にある。雪乃も、平一尉も、そして島津博士もその壁の一つだ。


 「そう、それは残念」


 目を細め、口を少し尖らせた博士の仕草、その艶やかさに一瞬、ドキッとする。

 大人の女性そのもの。そして大人の女性特有の少年に対するからかい。

 明日馬は慌てて顔を伏せた。自分の頬が少しだけ赤くなってしまったことを、はっきりと自覚したからだ。


 「冗談よ、冗談」


 明日馬の様子を見た島津博士は、口に手をあて、小さく笑う。そのさり気ない動作にさえ、女性らしさが溢れている。

 からかわれているのは分かっていても、それでも、いろいろとあらぬ想像をしてしまうのは、やはり明日馬が少年だからだろう。



 すこしばかりの雑談の後、本題に入る。

 島津博士は、三部門よりなる研究所の一つの部を預かる研究主任という立場、機密保持の資格は十分にあるし、電気関係の専門家という立場からして、発電所の枯渇が懸念されている保守部品の製造に関しては彼女の助力と助言は不可欠なものだ。

 状況の説明を聞くうちに、彼女は眉間に皺をよせ、すこしばかり厳しい表情となる。

 彼女をして尚、発電関係の部品というものの製造は難しいのだろう。

 無論、工作所には3Dプリンタはある。それを使えば必要な部品と寸分たがわぬ同型の部品を製造することは十分可能だが、3Dプリンタ製品は、その素材の性質上、強度的には相当に厳しい問題があるのも確かだ。

 発電所員から渡された枯渇部品のリストのコピー、そしてその部品に必要な仕様の書かれた書類を渡し、意見を求めた。


 「電力は、私たちの生命線だから、何をおいても協力したいとは思うけど」


 仕様書のページを次々とめくり、それを眺めながら島津博士は言う。


 「明日馬くんの希望には添えそうもないわ。パッと見たところ、この中で製造に問題がないと直ちに判断できるのは二種類だけ。所長と他の主任二人にも見てもらうけど、多分同じ結論になると思うわ……ただ、専門外だから判断は控えるけど、もしかしたら、もう一種類に関しては可能かもしれない」


 明日馬は思わず呻く。そこまで厳しい現実が付きつけられるとは想像していなかったのだ。


 「二、ないしは三種類か……全く足りない」


 必要な部品リストは分厚いファイルにぎっしりと羅列されている。二、三種類では気休めにもならないだろう。想定はより最悪へと加速していき、深いため息が漏れる。


 「えぇ……ごめんなさいね」


 島津博士は本当に申し訳なさそうな口調だ。

 他の二人の主任、そして所長を交えて意見を集約し、研究所としての正式な報告書の形式での提出を求めると、博士は快諾してくれた。

 研究所でも難しいとなると、いよいよ、切羽詰ってきたな――――そう実感せざるを得ない。胸の奥まった場所に言いようのない苦しさを感じる。

 農協、土建にも打診はしているが、当てには出来ない。いくつかの部品は譲り受けられるだろうが、おそらく全てを賄う事は難しい。

 重機小隊にしても同様だろう。

 小型機械類と重電部品では、あまりにも求められる強度が違いすぎる。最初から無理な相談だ。電子レンジと軍事用レーダーぐらいの違いがあるのだから。

 本栖湖隧道から当該部品を譲ってもらわないと、この施設の維持は遠からず困難になる。

 その遠くない現実に恐怖を覚えた。




 明日馬の険しい表情を見た島津博士は、話題を変える様にハキハキとした口調で言った。


 「気休めぐらいにしかならないかもしれないけど――――」


 彼女は、いつの間にか明日馬のヘルメットを手にしている。助手がチェックしたところ、傷は塗装が擦れているだけで構造上の問題は無いということだ。

 彼女はヘルメットの顎の部分にあるパネルをドライバーで勝手に開く。


 「何をしているの?」


 彼女の器用に動く指先を見つめ、明日馬は尋ねる。 

 細く、真っ白な指。

 左手の薬指には指輪。

 爪には、やはり自分で作った透明なマニキュアをしている。細やかな女性らしさがそんなところにも感じられる。

 見たところ、基盤の一つを交換しているようだ。


 「ちょっとしたイタズラかな……よし、これでいいわ。被ってみて」


 調整プログラムをインストールし終えたところで、彼女はそう言った。


 「イタズラって何?」


 「まぁ、いいから、いいから」


 戸惑う明日馬に強引にヘルメットを被せ、部屋の隅を指し示す。そこには、重い実験用機材を運ぶ為なのか、パワーアシストスーツを着用した二人の所員がいた。


 「あの二人を見て……どう?」


 「別に、何も……」


 「何か表示されない? 緑色の線とか……」


 「いつもと変わらないけど」


 「うーん、ちょっとタイト過ぎたかな? もう少し甘くするか」


 島津博士は独り言を言いながら、タッチペンでパネルの操作を行い始めた。


 緑色の線がボヤッとバイザー内に表示されはじめた。その線は、次第にスーツを着用した二人の所員の全身の輪郭を包む様に表示が変化していく。


 「なんか、緑色の線が見えるけど」


 「ふむふむ、じゃあ、このぐらいまで上げてみるか」


 彼女は調整作業に熱中しはじめた様子だ。どんなに毛色が変わっていても、彼女もまた、やっぱり研究所の一員なのだという事実を実感する。


 「あぁ、あぁー――――!」


 明日馬が素っ頓狂な声を上げると、ビックリした研究員たちが顔をあげ、非難がましい視線を送る。

 しかし、それどころではない。

 スーツを着た二人を囲む様に表示された緑色の線、それが二人の動きに合わせて動いていく。

 いや、違う。

 線に合わせて、二人が動いているのだ。

 二人は力を合わせ、機材を持ち上げようとしている。

 緑色の線で描かれた二人の輪郭も、又、機材を持ち上げようとしている様子を示している。

 しかし、二人が膝を曲げ、実際に持ち上げるよりも早く、線の表示は膝を曲げている。

 ほんの僅か、時間にしてコンマ何秒かだが、線の表示が先行しているのだ。二人は、その線にまるで沿ったかのように動きをトレースしている。


 「どういうこと? これ?」


 「ねぇ、スーツは何で動いているか知ってる?」


 島津博士の目がギラギラしてきた。何かのスイッチが入ったかのように口調に熱がこもり始める。

 それが彼女の本性――――。


 「モーターと油圧です」


 知らず知らずのうちに敬語になってしまうのは、彼女にスイッチが入った時の条件反射、子供の頃から抜けぬ習慣だ。


 「正解。じゃあ、スーツ用の駆動モーターは回転数によって周波数が増減するのは分かっているわね?」


 「はい」


 「では、スーツに装着されているハイドライト式油圧ポンプに圧力がかかると、どうなるかは?」


 「圧縮される分だけ熱エネルギーが生成されます……」


 島津博士の目に、歓喜の色がありありと浮かんだ。期待通りの正解を返す教え子の成長した姿に喜んでいるのだ。


 「そう、そうよ。じゃあ、分かったわね……?」


 分かりません――――そう答える以外になかった。脈絡のない質問と答え。質問の意図すら明日馬には理解できていない。


 「さっき組み込んだ基盤はね、ヘルメット内蔵の赤外線カメラを使って、温度変化を捉えているの。それと周波数を拾うマイクもつけたわ。これで完璧」


 教えて下さい、の一言を言う前に、彼女は勝手に解説をはじめていた。完全に自分のした行為に酔いはじめ、自慢したくて仕方ない様子だ。


 「スーツは必ず何かしら動作する前にモーターが回り、油圧ポンプに圧がかかる。だから、微細な周波数の変化と温度変化を監視していれば、どこの部分が次に動作するか予測できるのよね――残念ながら、ほんの0.2秒前だけど……その情報をバイザーに表示しているの。それが、緑色の線」


 彼女は喋りつづける。説明が終わるまで、誰も彼女を止めてはならない。


 「つまり、緑色の線は、未来の位置―――0.2秒後の位置を示しているという訳。凄いでしょ? 素晴らしいでしょ?」


 「凄い……ですね」


 「でしょう?」


 「未来の位置という事は、先を読めるっていう事ですか?」


 この線の表示が、本当に0.2秒後のスーツの動きであるのならば、それは確かに凄い事だ。


 「読んでいる訳じゃないわ、予測を表示しているだけ。それをどう使うかは明日馬くん次第。0.2秒をどう活かすか……」


 島津博士は意味ありげに微笑む。

 明日馬は、彼女が自分と雪乃の訓練映像を見た事を確信した。




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