疑惑
鈴鹿曹長との訓練を終えた明日馬が会議室に戻ると、既に中隊幹部が集合していた。
小さな四角い会議机に椅子は6つ。
一番奥の席に座り、鋭い視線で入口に立った明日馬に対し一瞥を投げかけてきた人物が第一小隊長を務める平一尉。階級的に明日馬に次ぐ高位であり、同時に副中隊長でもある。年齢は先代の中隊長と同年であり、四十代半ばに達している。笑った顔を見たことがないと評判の人物で、どこかとっつきづらい印象を周囲に持たれている。
その隣に座り、両腕を頭の後ろで組み、椅子の背もたれに寄りかかった姿勢で一人、くつろいでいるのが生駒二尉。
先代の二尉、つまりは父親が長寿だったせいか、まだ正式に二尉家を継承して二年ほどで経験は浅い。悪い意味で良家の跡取りらしさが抜けぬ人物で、女好きの放蕩者という烙印を押されている。
しかし、ここ一年ほどは他人との間に露骨な壁を作り、積極的に会話している姿を見た者はいない。
常に虚ろな目で中空を見つめ、他人が嫌がる様な毒を吐く。本人はペシミストを気取っているのかもしれぬが、ただ単に無気力そうにしか見えないところがある。もし、家柄が悪ければ、周囲の評価は相当、悪くなっていたであろう人物だ。
更にその隣、はちきれんばかりの筋肉を窮屈そうに制服に詰め込んだ坊主頭の人物が第三小隊を率いる柏木二尉。
実直そうな見た目そのままの人物で、年齢は丹羽准尉と同年。二人は大の親友であり、見た目同様、性格も良く似ている。
反対側、柏木二尉の正面に座るのが重陸戦型パワーアシストスーツを装備する重機小隊を預かる小栗三尉。
飄々とした風貌に痩せた体型、どう見ても強そうな印象は無いが、この施設内で彼に勝てる者はいない。文字通り、最強の戦士なのだ。
明日馬は平一尉と相対する位置に座り、その隣に補佐役の丹羽准尉が陣取る。幹部とはいっても下士官に過ぎない鈴鹿曹長に席はなく、彼女は入口に近い位置を占め、直立不動の姿勢で陣取る。
以上の七名が中隊幹部と言われる面々だ。
この七家の当主が二五〇名の隊員を指揮するのが、千年前から変わらぬ体制だ。
封鎖の日以降、昇進は凍結され、階級は父から子へ、或いは母から子へと、世襲されている。
当然、兵士は代々、同じ小隊に所属している。
千年という歳月が培った強固な団結力、隊員と隊長、そして固定化された各家同士の関係は家臣団を従えた封建領主そのものとなっている。各小隊長は、それぞれの部隊において絶対的に君臨しており、それを束ねる中隊長は更に上位の絶対的権力を持つ王の如き存在だ。
神官達との会談に同席した丹羽准尉と鈴鹿曹長が四人の小隊長に状況を説明する。
話しを聞くうちに、生駒二尉は片頬を歪めて状況を鼻で笑い、剛直さが持ち味の柏木二尉はただただ唸るばかり……。
小栗三尉は状況が分かっているのか、いないのか、いつもどおりにニヤついた笑顔を浮かべてしきりに頷いており、一番年輩の平一尉だけが静かに説明に聞き入っている。
「発電所の交換部品は多めに用意したと記録には残っていましたが……」
年長者である平一尉が、一つ大きく咳払いしてから話しだす。
「この湿度ですから……封を開けたら使えなかった、なんてこともあるのではないでしょうか」
藻から抽出した、とろみのキツイお茶をすすり、喉を湿らせてから柏木二尉が応じる。
施設閉鎖前に交換部品は大量に持ち込まれている。そしてその交換部品は完全に酸素を抜いた状態の二重構造のスチールコンテナに収められており、経年が原因での劣化、特に酸化に対しては細心の注意が払われており、可能性としてはかなり低い。
だが、やはりゼロではない。
それは我々、隊員達が使用する銃器や装具、パワーアシストスーツにしてもそうだったし、各一族が生業に使用している各種機械に関してもそうだった。
何しろ一旦、閉鎖状態に入ったら補給される可能性は皆無なのだ。
閉鎖前、どんなに緻密な頭脳の持ち主が各隊の主計を担当していたとしても、最大限に算出された必要量の二倍の数字を、そっと申請したと言われている。
だが、どんな理由であろうと地熱発電所の交換部品が枯渇したのは事実だ。この際、理由は問題ではない。
「小栗三尉、重機小隊は様々な電気部品や機械類を有しているだろう? 何か発電所の枯渇部品と互換性のある物はないのか?」
会議の席上、議長役を務めるのは平一尉の役目だ。
明日馬が若いからでも、経験が不足しているからでもない。指揮官は皆の意見を聞き、最終的な判断をするのが役目であって議事進行役ではない。儀式化した会議を進める一種の伝統だ。
「さあて、どうでしょうか……小隊の備蓄簿を洗い直してみますが、正直、期待は出来ません。発電関係の部品というのは結構単純な作りですが、安全値を大きくとっている関係で個々がむやみやたらと大きいのが特徴です。反対に軍事用ってやつは軽量化、極小化に特化している部分があるので、同じ用途の部品があったとしても強度的に使えるかどうか……」
小栗三尉は両手で長髪をかき上げると、後頭部でそれを束ね、赤い紐で縛りながらそう答えた。感情を静かに抑制し、事実のみを語るのがこの人物の特徴だ。
「重機小隊以外で発電部品に互換性のある物の備蓄を持っているとなると、可能性のあるのは土建屋と農協ですかな」
土建一族と農協一族は施設内では大所帯であり、それなりに大きな発言力と影響力を持つ。
自らの貴重な備蓄を取り崩して部品を融通してくれるかどうかは、分からないが、事態が事態だけに協力を仰ぐしかない。
「両方の一族には私から話してみたいと思います。宜しいですか?」
平一尉が明日馬に目線で了解を求める。交渉事には向き不向きもある。その点、一尉であればそつなくこなす能力がある。明日馬は小さく頷き、彼に一任する。
「枯渇している部品の内、一部は研究所に頼めば何とかなるのではありませんか? 連中、二〇〇年ほど前にパワーアシストスーツの交換チップを新造したと聞いておりますが」
生駒二尉が、さも、つまらなさそうな顔で提案した。
まるで他人事の様な口調。切迫した事態を飲み込んでいるのかどうかさえ怪しい。そのあまりの気の無さに苦言を呈したいと考える者も多いが、さすがに施設内では指揮権第三位の相手だけに直言できるものは少ないようだ。
研究所と呼ばれるのは、その名の通り、施設内に収容された科学者、技術者たちの屯する地区であり、研究施設と工作所が併設された一画で、第八連結路にある。
そこでは施設内で有用無用なさまざまな物が研究開発されているが、外部の人間を受け入れたがらない変人集団という目でも見られている。
天才的な科学者と、腕に自信のある頑固な職工が融合した結果、変り者の遺伝子が濃くなり過ぎたらしく、その意味では、発電所勤務の神官たちと同じ匂いのする連中だ。
生駒二尉の発言通り、施設内全体で使用されているパワーアシストスーツも彼らの開発したチップや新繊維のお蔭で閉鎖前の自衛隊制式化時代に比べ性能を飛躍的にアップしている。
何しろ、どうしようもなく長い年月があるのだ。
時間、そして予算という制約が無い以上、思考する事を本業とする科学者達と腕を磨くことだけに専念できる職工達にしてみれば、ある意味、収容施設は理想的な環境だった。
誰にもせっつかれる事も、嫌味を言われる事も無く、ただただ、研究に、職分に没頭できるのだ。
一つ問題があるとすれば、その折角の科学的な発見も、技術革新も、このちっぽけな隧道内に影響がとどまるという事だけであり、全人類共通の宝とはならない、という事だろう。
各小隊長の発言を聞きながら、明日馬は全く別な方法を考えていた。
各一族の部品庫をさらげるのも結構、研究所に代替品の開発製作を依頼するのも大いに結構。
だが、別な方法があるんじゃないか――――そう考えていた。
「地表に出てみないか?」
何気なく発した、その一言に室内の空気は凍結した。
「三佐、それは無理だとお分かりの筈です」
珍しく苦々しい表情を見せたのは平一尉だった。
いや、苦々しいではおそらく生ぬるい表現だ。
豹変に近い。
或いは『怒気を発する』という表現の方が適当なのかもしれない。無表情の仮面の下に隠していた「裏の顔」が垣間見えた様な印象さえ受ける。
「三佐の御父上がそれを志し、還らぬ人になった事、お忘れではありますまい……確かに本施設は閉鎖状態になってから1000年が過ぎました。正確には1035年が経っています」
平一尉は、上官に対してではなく、無分別な年少者に対する態度で説く。口調の丁寧さで威圧感は更に増幅し、眼力が如何なる反論も許さぬ力に漲っている。
「閉鎖前に科学者たちは言っておりました。この全球凍結は千年続くと――――。しかし、それはあくまでも予測に過ぎません。今でも外界は平均気温マイナス18度の世界のままです。地表は氷と雪が覆い尽くし、あの三重のゲートの向こう側には凍えた地獄しかないのです」
いつになく強い口調の平一尉に違和感を覚えたのは明日馬ばかりではなかっただろう。
平一尉と先代の蘇我三佐は幼馴染であり、無二の親友だったと言われている。
一年前、蘇我三佐と鈴鹿曹長の父親、つまりは先代の鈴鹿曹長、それに生駒二尉、そして中隊全体から募った志願者二〇名で二個分隊に集成し、ゲートの向こう側に向った時、最後に見送ったのが平一尉だったと言われている。
23名が旅立ち、22名が還らぬ人となった。
今、この施設内で三重のゲートの向こう側の光景を見た経験のある者は平一尉、そして偵察隊ただ一人の生き残り・生駒二尉だけだ。
ゲートの外、そこは分厚い氷に覆われた白い闇の世界だったと言う。
その光景を見て、何故、引き返す決断をしなかったのかは今でも謎だ。
生駒二尉自身は寒さの為に早々に気を失ったと主張しており、どの様な命令、決断が実行されたか詳細は依然として不明だ。
ゲートの開閉を担当し、後事を託された平一尉が聞いた蘇我三佐の最後の言葉は「1時間で戻る」だったという。
常人が着用しても、その10倍の能力を引き出すとされるパワーアシストスーツに身を包み、幾台もの熱交換式融雪機を携えた隊員の内、22名はそれっきり、帰ってこなかった。
そして行方不明となった父、或いは母に代わり、22名の若者が代替わりを余儀なくされ、それぞれの家の当主の座につき、今に至っている。
「でも、三佐殿の御父上が行方不明になって一年が経ったわけですから……もしかしたら溶けているかも知れないじゃないですか」
平一尉のきつい口調に公然と反論したのは丹羽准尉だった。
明日馬の従兄でもある丹羽准尉は、上官と部下という関係以上に明日馬の面倒をみ、陰日向なく常に的確な助言をし、適切な補佐を行おうとしている。
「馬鹿を言うな。あの氷壁が一年程度でどうにかなるものか」
平一尉の口調はあくまでも断定調であり、反論を許さぬ何かがあった。聞き様によっては、まるで意地になっているかの様にも聞こえる。
「小官は断固として反対です。三佐殿の御父上にもそう申し上げるべきでした……私は日々、後悔している。二度は御免です」
後悔している――――謹厳な人物が吐露した告白に、その場にいた多くの者は合点がいった。
平一尉は、罪の意識に苛まれているのだ。
先代・蘇我三佐を止めなかったこと。
1時間後に偵察隊が戻らなかった時、捜索隊を編成し、外界に赴かなかったこと。
そして、彼らの生存を諦め、ゲートを閉じる決断をしたこと……。
「外界に行くのは反対です。だが、互換部品が見つからず、研究所での開発も間に合わないとなる可能性は捨てきれません。そうなると小官も士官の端くれとして代案を出さざるを得ない――――」
平一尉はそこまで言うと制服の胸ポケットから携帯端末機を取り出す。
如何にも年代物だ。
同じ物は中隊全員が所持している。
それは無線機とデータの送受信機を兼ねた物だ。出力も受信能力も微弱だが、中隊程度の部隊展開面積であれば支障はないし、遮蔽物の多い施設内ではいくつもの中継機を配置してあるので、どこにいても使える。
彼は、指先でそれを操作し、他の六人は一尉の端末と自身の端末を同期させる。
一同は自分の端末機に表示されたカラー画像に見入った。
「地図――――ですか?」
「地図――――ですね?」
質問口調なのが柏木二尉、確認口調なのは小栗三尉だった。
「見ての通りだ。データはもちろん古い。千年前のものだからな」
平一尉は二人の質問に答えず、話しを進める。
「中央の赤い三角の表示が現在、我々のいる場所、つまりここ、中倉収容施設だ。そして」
平一尉が画面を操作する。それに連動して各自の手にしている端末の画面も目まぐるしく変化する。
同期中は全員が同じ画面を見られるようになっている。
「この場所……これが本栖湖隧道収容施設」
平一尉が端末の画面を軽く二度叩くと、そこに小さな旗の様な表示がでた。
「我々の中倉収容施設とは直線距離で6.5キロメートル。最も近い施設だ。規模はここよりも小さいが、管理は富士教導団から集成した一個小隊程度が担当しているはず……折り紙つきの精鋭部隊だ」
一尉が何を言わんとしているか、最後の言葉で一同は正確に理解した。たが、同時に疑問にも思った。
いったい、外界に出ずに、この本栖湖隧道までどうやって行くつもりなのだ――――と。
隧道内の湿度は全ての金属表面に微細な水滴の膜を作るほどに濃厚だ。
「俺達は霧の街ロンドンに住んでいるのさ」
そう言って自嘲する者も多い。
無論、誰もロンドンになど行った事は無いのだが、記録映像や大昔の文学作品を読む限り、あながち間違いとは思えない。
何もせずとも、じっとりとした不快感が常に全身にまとわりついて離れず、湿気を含んだ着衣の重さに辟易とする。
洗濯物は乾燥機なくして乾かず、その乾燥機が吐き出す熱風と湿気が更に隧道内の湿度を高め、不快感を増幅させる。
ありとあらゆる場所にカビやキノコなどの菌類が繁殖し、ここはまるで彼らの天国だ。
火は起きず、全てが燻ぶる。
ここは、そんな場所だ。
平一尉の説明に対する、個々の疑問は長い沈黙によって報われた。
誰かが口火を切るべきなのだが、施設内の湿度によって一同の口火は当の昔に湿ってしまっているのか、誰もそれを為そうとはしない。
たった七人の会議ではあったが、士官ではあっても幹部ではない丹羽准尉が発言する事はほとんど無い。発言したとしても、その大部分は小声による明日馬への助言と援護に限られている。
下士官である鈴鹿曹長に至っては、事務的な発言以上は決してせず、意見というものを開陳した事は皆無だ。
明日馬自身は最終的な決断者だから発言は作法に適っておらず、基本的に控えている。
しかし、誰かが確かめねばならない事は分かっていた。
平一尉の真意を。
長い沈黙の果てだった。
「平一尉には何か腹案がおありの様ですね。手持ちのカードを見せて頂かないと、私としては賭ける訳にはいきませんが?」
小栗三尉だった。
謹厳な平一尉と、軽妙洒脱な小栗三尉、性格も見た目も正反対の二人だ。噂話が好きな輩の間では、不仲と言われている人物同士、自然と第一小隊と重機小隊の隊員達もその噂を耳にしている。
「外界に出ずに、本栖湖隧道まで行く方法についてかね? 君なら少し考えれば分かるのでないか?」
質問に質問で返す。自衛隊員らしからぬ問答。それに抗議の咳払いをしたのは愚直の権化・柏木二尉だろう。
「まぁ、分かりますけどね……例の第六立坑から延ばしているパイロット抗でしょう? 一尉殿の小隊が頻繁に出入りしていると噂の……」
「さすがだ、小栗三尉。いい耳をしている」
平一尉は片頬を吊り上げ、少し嫌味のある笑みを浮かべた。不仲という噂は本当なのかもしれない――――その場にいる誰しもが、そう思った。
「土建一族の連中が、あまり、好き勝手に掘りまくられても困ると思い、数か月前に彼らに指示をした。こっちの方角に掘ってみたらどうか、と」
一尉は三尉と交錯させていた視線を外し、一同を一人ずつ、ゆっくりと見回す。顔には、彼らしからぬ薄い笑みが浮かんでいる。
「どんぴしゃり、それが本栖湖隧道方面に延びています。坑道は既に6キロを大きく越えています。間もなく、本栖湖隧道に到達する見込み……」
平一尉の視線が明日馬の顔面に注がれる。
「外界に出ずとも、我々は本栖湖隧道に到達出来ます」
「それはまた都合のいい話ですね」
小栗三尉は端末機をテーブルの上に置きながら呟く。
「何か言いたい事があるのか? 小栗三尉」
「いえいえ、一尉殿の御慧眼、ただただ恐れ入るって事だけです」
空気が冷えてきた。外界に劣らぬ空気だ。
礼儀にかなっていれば何を言っても良い――――三尉はそう考えているようだ。
「……分かった。一尉、指揮を執れ」
これ以上、気温が下がらぬうちに、と丹羽准尉に肘で促され、明日馬が結論を出す。自分が開陳した意見を部下に即座に否定され、他に何ら有効な答えを持ち合わせていない三佐、それはただの若造にしかすぎぬ詰まらぬ存在だ。
対して、瞬く間にいくつかの方策を献言する一尉。
その場にいた誰もが、そのあまりの差に腹の底で唸った。
明日馬がしたことは、一尉の提案に対し、ただ頷きを返し、承認した事だけ。
それが惨めな光景であることは、他ならぬ明日馬自身が感じているだろう。
「では、小栗三尉は重機小隊の備蓄簿の洗いだしを、小官は土建と農協に互換部品の点検と提供の申し入れを、そして……」
一尉は一同を見まわし、一人に視線を止めた。
「パイロット抗が開通したら生駒二尉、君が本栖湖隧道施設に赴き、先方に部品提供の交渉を行いたまえ」
突然、名を呼ばれた生駒二尉は、いつもの気の無い表情から一変し、一尉に睨みつけるような視線を放つ。
怜悧で凄味のある表情、憎しみさえ感じさせる目。
その変化を察知した者は、こんな目のできる男なのだと、内心驚いた。
「小官が、ですか?」
屹然と二尉は問い返す。いつものヘラヘラとした物言いが消えている。
「そうだ。万が一の事態を想定し三佐殿ご自身が本栖湖隧道に向い、交渉を行うのは避けるべきだ。そして小官は忙しいし、小栗三尉には備蓄簿のチェックがある。柏木二尉には交渉事は向かない。消去法だが、理由が無い訳じゃない。君が行け」
整然として、理屈は通っている。
総指揮官が行くのは、何が起きるにしろある程度、話しがまとまるか、方針がまとまってからの方が良い。千年という時が相手をどう変質させているか分からない以上、警戒は怠らない方が良い。
平一尉はうるさ型の土建、農協との交渉に赴かねばならないし、一同の中でもっとも交渉事に適性が高そうな小栗三尉は膨大な書類の総点検を行わなくてはならない。
柏木二尉が論外なのは衆目の一致するところだ。
彼は、骨の髄まで筋肉の塊という見た目通りの男なのだ。ある意味、非礼極まりない平一尉の指示に対し、一番内心、ほっとしているのは柏木二尉自身だったろう。
相手方の管理を担っているのが小隊規模であるならば、指揮官は尉官なはずであり、丹羽准尉や鈴鹿曹長という訳にはいかない。こちらも尉官を交渉に出せば階級上の問題は無いはずだ。
「捨て駒、いやトロイの木馬ですか」
ペシミストの本領を発揮し、生駒二尉は言う。
その発言は常に厭世的だ。例え話や教訓めいた言葉を多用するが、大概、中身は空疎。しかし、この場にいた多くの者が彼の言う「トロイの木馬」という言葉の真意を測りかねる。
「いいでしょう。私向きの仕事という訳ですね。了解しました」
先程、一瞬だけ見せた凄味は既に消えている。いつもの呆けた様な無気力な口調だ。
「では、そういう事で――――三佐、宜しいですか?」
一応の承認を求める。
それはどう考えても一応であり、それ以上でも、以下でもない。軽んじてはいないが、反対も補足も求めてはいない。
一尉に向って小さく頷きを返した明日馬は、研究所には自分自身が行くことを伝える。
「ありがとうございます。では、これにて――――」
一尉が立ち上がると、他の者も席を立つ。明日馬に一礼し、次々と会議室を後にしていった。
「私、どうも平一尉という人が好きになれません―――三佐殿をないがしろにしているように思えて」
明日馬の一歩後ろを歩く雪乃が周囲に聞こえぬ様に小声で言う。
雪乃が他人を批判的に評するのは稀だったし、好悪の感情を露わにするのは更に珍しい事だ。
「僕は一七歳、平一尉は父と同じ年……まぁ、仕方ないさ。いずれ彼も変わるだろう。それに平一尉の示した方針は間違っていないと思うよ」
さり気なく平一尉を擁護するふりをしながら、明日馬は自分自身の力不足、見識不足を年齢のせいにしてごまかそうとしていた。
「しかし、先代の三佐殿や父の判断が間違っていたかのように言われると――――」
更に雪乃は言い募ろうとする。
明日馬自身は、死亡した偵察隊員の遺族から直接的に非難めいたことを言われた覚えはないが、下士官の雪乃に対しては何かしらあったのかもしれない。恐らくはその度に、雪乃は下唇を噛み、耐え続けていたのだろう。
それが、父親に対する擁護の口調となっている。
「痴話喧嘩の最中のようですが、少し宜しいですか? 三佐殿」
突然、背後から声を掛けられ、振り返ると、そこには小栗三尉が立っていた。口調は相変わらず軽妙だが、顔つきにはいつもと少し違う何かを感じる。
「喧嘩している訳ではないが、構わないよ、三尉」
「そうですか……鈴鹿曹長、すまないが少しの間、三佐殿をお借りしたい。構わないか?」
「……はい」
雪乃は敬礼すると足早に立ち去って行く。
大股で歩くその背中には不平と不満がありありと浮かんでいた。
明日馬と小栗三尉は、三尉に促されるまま下り線をそのまま進んでいく。 各施設からもれる明かりが微かにしか届かない場所、そこは行き止まり。
他より一段と薄暗いその場所には封鎖された三重のゲートがあった。
「見て下さい……これを」
「何か?」
三尉の指し示した先にあるのは鋼鉄製のゲート、一年前、偵察隊員達はここから外界へと旅立ち、そして消えた。
外開き構造の二枚扉、その中央の金属の一部が溶けている。
「溶接……か」
「そうです……一年前の偵察隊による開放後、いつの間にか、誰かがここを溶接し、外界と施設内を完全に遮断したようです。恐らくは平一尉の指示でしょう」
「私は何も聞いていないが――――?」
彼は鼻を軽く鳴らす。持ち前の皮肉な雰囲気全開だ。
「でしょうね。この場所には何もありませんから、普段、あまり人も来ませんし、三佐殿が御存知ないのも無理はありません。それに三佐殿以外のほとんどの者も気が付いていないでしょうし」
三尉は眉を寄せ、向き直る。インテリめいた風貌、怜悧な頭脳。何かを考え込んでいる。
「おかしいと思いませんでしたか? 先程の会話の流れ……」
「会話……パイロット抗が本栖湖の近くまで延びているという件か? 正直、偶然にしては出来過ぎだと思ったが、土建一族の無分別な行動はいつもの事だからね」
三尉は首を左右に振り、小さく息を吐く。
違う、そうじゃない――――と無言で主張している。
周囲には誰もいないにも拘らず、三尉の声は相対している明日馬に微かに届くほど小さい。囁く様な声。
「会議の冒頭です。平一尉が言ったんですよ『発電所の交換部品は多めに用意したと記録には残っていた』とね」
「……」
「おかしいと思いませんか?」
「すまない、三尉。意見具申は簡潔に頼む」
三尉は更に声を落とし、耳元に顔を寄せる。
「三佐殿が神官連中からその事実を聞いたのは今朝でしょう? そして我々四人の小隊長がその一件について聞いたのは会議の初めに丹羽准尉と鈴鹿曹長が説明した時の筈です。なのに、どうして、一尉は発電所の備蓄状況の記録を知っていたんです?」
小栗三尉の言葉に、僕は頬が粟立つのを感じた。