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2040年、夏


 2040年 8月 山梨・静岡県境


 例年であれば山梨方面から伊豆に向かう海水浴客で渋滞に陥る筈の甲豆高速であったが、この日は閑散としている。

 季節は夏の筈だ。

 少なくとも数年前まで、北半球では八月はそういう事になっている。

 更にその数年前まで遡れば、春と秋も夏だった。

 

 それがいったい、どうしてこうなった――――蘇我三佐はトンネル外を映し出すモニターの画像を見ながら小さく唸った。

 

 画面は一面、白。

 ところどころ黒く映るのは、深く積もった雪から、かろうじて頭をだしている背の高い針葉樹、動く物など何一つない。

 外気温マイナス8度。吹きすさぶ風を考慮すれば、体感温度は更に10度は低いはず。

 夏の格好で外に出るのは、自殺行為だ。


 「中隊長、生駒二尉の小隊が帰還されました。南側です」


 「分かった。直ぐに行く」


 中隊本部を預かる丹羽准尉の報告を受け、蘇我三佐は簡易指揮所を出る。

指揮所といっても中倉隧道内に張られた小さなテントに過ぎない。キャンバスで織られた側面はトンネル入り口から吹き込んでくる風除け程度にしかならず、足元に置かれた小さな石油ストーブに至っては気休めにもならない。

 中倉隧道は、甲豆高速に穿たれた全長五五〇メートルほどのトンネルだ。二〇〇メートルの程の間隔をあけて上り線、下り線が並行して走っている。指揮所のあるのは、そのうち、上り線の南側出口に近い。

 隧道の拡幅工事が始まって18か月、予定されていた工事の九割が完工しているとはいえ、内部は地元の工事関係者、それに協力する中隊隊員達で喧騒に包まれている。

 作業用のパワーアシストスーツに身を包んだ作業員が巨大な削岩機を自在に操り、人間の下半身にフォークリフトのアームを取り付けた様な格好の双脚型自律汎用リフトが土砂や岩石を隧道外へと運び出す。その姿かたちは間抜けそのものだが、人間の歩く場所であれば階段や斜面でも自在に移動できる双脚型自律汎用リフトは二〇三〇年代の世界的な大ヒット商品であり、この国のロボット産業の象徴的な存在だ。それがこの隧道には無数にいる。

 


 南側出入り口に急ぐ途中、蘇我三佐は第三小隊長を務める柏木二尉の姿を見つけ、声をかける。

 三十代半ば、士官として脂ののった年代の柏木二尉だったが、長期に渡る地下での作業により全身は汗と粉塵にまみれ、まるで初老の男の様にすら見える。


 「作業の進行状況はどうか?」


 柏木二尉は上り線のトンネルと並行して走る下り線のトンネル、この双方を結節する連結路工事の総指揮を執っている。

 癖のありそうな工事関係者を良く束ね、同時に部下である第二小隊の指揮も滞りなく行う手腕はなかなかのものだと思わずにはいられない。あまりの多忙ぶりに、立ったまま寝ているのではないかと評判が立つほどだ。

 

 「先程、第7連結路が貫通しました。第9と第11も今日中には抜けると思います」


 「そうか。疲れているだろうが急いでくれ」


 「分かっています。閉鎖までにはあとどれぐらい時間がありそうですか?」


 長期間に渡る三交替制の突貫工事、肉体的にも精神的にも疲れは相当、たまっている筈だが、そんな事はおくびにもださない。


 「先程、東部方面普通科連隊本部から命令が出た。大寒気団が南下しているらしく北海道、東北の各収容施設は閉鎖体制に入ったそうだ……我々も収容作業の進捗状態を見ながら、早急に閉鎖する様にとの命令だ。一人でも多く収容したいとは思うが……閉鎖は、おそらく本日夕刻となるだろう」


 「今日ですか……」


 蘇我三佐の思わぬ言葉に二尉はそれっきり絶句した。

 太い眉の下の大きな目が一瞬見開かれ、何やら言いたげな様子を一瞬見せたが結局、無言のまま、再度敬礼し、作業に戻っていく。上官相手といえども、話している余裕は、今の二尉には無いのだろう。




 全球凍結――――。

 全人類は、いや、全ての地球の生命体はこの現象を止める手段を持ち合わせていない。

 事の起こりは近年の温室効果ガスによる地球温暖化にあった。

 100年間で平均6度という気温の上昇により極地方の氷河の大部分は消滅、海面上昇によって水没する都市群、進行する砂漠化……。

 それに対処すべく国連主導で開始された二酸化炭素の固化処理という壮大な実験は、当初、全くのところ順調に進んだ。

 人体には無害とされる固化促進薬剤が各地で組織的に散布され、二酸化炭素は予測通りに減少し、結果として平均気温は順調に下がり、水没もしくは高潮などの被害に怯えていた沿岸の大都市は活気を取り戻し、停滞を余儀なくされていた経済活動は再び活況を呈すかに思えた。

 全てが上手くいっていた。

 しかし、二酸化炭素固化の進行が制御不能に陥ったという事実は長らく伏せられた。

 原因は単純な計算のミスだったのかも知れない。

 予測が甘かったのかもしれない。或いは、自然を、地球を甘く見たのかもしれない。

 理由はともかく、この壮大な実験を指揮した国連は人類史上最大の虐殺者の汚名を甘受する他は無いだろう。

 固化進行の制御不能――――この可能性を予測していた一部の科学者による警告は計画の主導者たちに長年、無視され続け、政治家や市民運動家の主張は妄言と嘲笑され、誠心から非常手段に訴えた者はテロリストと呼ばれる始末だった。

 しかし、不幸にも予測は的中し、温室効果ガスのかなりの部分が地球上から失われた時には全てが手遅れだった。

 均衡を失った地球は、氷河期という地獄の底にまっしぐらに転落していく。

 各国政府が、その事実を認めた時には、既に冬の時代は目前まで迫っており、各国は見境なく化石燃料を燃やすような真似までして温室効果ガスを空中に吐き出したが、そんなものは気休めにもならなかった。それはまるで、秋の夜に焚火をすれば、冬の訪れを遅らせることが出来ると信じるような愚かな行為に過ぎなかったのだ。

 以降、各国は国際協力というお題目に見切りをつけ、独自の行動、つまり自国の生存に全てを駆ける事になる。

 あくまでも『自国』だ。

 人道主義などそこには欠片も無かった。

 他国を助ける余裕は、今の世界には無い。

 日本もそうだった。

 急激に悪化する食料、燃料事情は政治家の唱える「全国民を救う」という建前を空疎な物にし、食料輸入はいつしか途絶し、全球凍結を前に大量の餓死者を出しかねない程、逼迫した。


 全球凍結を目前に控えた日本政府は国民に四つの案を示した。

 

 一つは、陸上自衛隊と土建業界を核とした勢力が示した地下世界への避難という案。

 日本には既に9700個を超えるトンネルがある。

 このトンネルの内、全長が十分で地質的に堅牢な物を拡幅延長し、地下へと生存域を拡大、活路を見出す方法だ。

 全球凍結すれば、地表は厚さ千メートルの氷によって覆われる。氷による荷重はトンネルを押しつぶすかに思えるが、実際には荷重は地表全てに拡散され、トンネルは重さに堪えられる筈だと考えられている。

 それに日本が多数の火山を抱えている点が、この方法の最大の利点だ。

 地下トンネルを延長し、地熱を利用し、発電できれば少なくとも地下世界のエネルギー問題は解決する。電力さえ供給されるのであれば、ここ数年の輸入途絶により飛躍的に進歩した促成水耕栽培システムが稼働でき、そうすれば食糧問題の解決にもつながり、同時にそれは酸素の供給システムをも兼ねる。


 一つは、海上自衛隊、海上保安庁と造船業界を中心とした勢力が提案した海面下への避難案。

 数百万トンクラスのタンカーの造船経験は既にある。

 世界最高峰と言われる潜水艦技術もある。

 あとは、巨大な潜水艦を作るだけだ。

 無論、海も氷に覆われるが、幸いにして日本は周辺に日本海溝やマリアナ海溝を抱えている。深海の底までは凍らない。

 耐圧の限界を計算しつつ、結氷しない程度の深度を維持すれば十分、現実的な方法だと思えた。

 巨大潜水艦の動力は無論、原子力だが、それはあくまでも補助的な動力に過ぎない。つまりは、移動する為の動力であって、深海で生存する為の動力ではない。

 生存する為の動力源には、海底から噴き上げる熱水噴出孔を利用しようと計画されている。

 ここでも日本が火山列島である事が幸いした。

 潜水艦本体から延ばされたブームをこの噴出孔にあてれば熱を回収できる。その熱を利用して発電機を回し、艦内の電力をまかなうという寸法だ。

 国内の大規模造船所全てがフル稼働し、この計画実現に邁進した。


 一つは、航空自衛隊、JAXA、それに重工系企業が推進した成層圏飛行船への避難案だ。

 全球凍結するといっても成層圏はほとんど影響を受けない。

 そして雲の上である成層圏であれば無限の太陽エネルギーを利用できるのがこの計画の最大の長所だ。

 真空に近い成層圏ならば、太陽パネルの劣化速度も地表の数百分の一に過ぎなかったし、電力供給の問題さえなければ、成層圏に浮くのはさして難しくは無い。水を水素と酸素に電気分解し、水素を気嚢に充当すれば船体は浮き続けるし、酸素は乗り組んだ人々へ供給される。

 問題は、雨の降らない成層圏で水を確保する事だが、小型の無人飛行船を随伴させ、必要に応じて雲海にこれを突入させ、氷粒を確保すれば必要量は調達できるはずだ。

 大量の太陽パネルを外皮表面に張った巨大硬式飛行船が日本各地で建造され、来るべき日に備えていた。


 第四の選択。

 それは、受け入れる事だった。

 地下も、海面下も、成層圏も、全て人類生存に有効な手段ではあったが、1億人を超える全ての日本人を収容する事はどうやっても不可能だった。

 地下世界への収容が二千万人、海面下が五百万人、成層圏にはせいぜい十万人だ。

 つまり、3/4の日本人は救われない。

 生き残るのは1/4。

 自分以外の誰かを生かす為、自らの死を受け入れねばならないという事実。

 常識的に考えれば、暴動、サボタージュ、騒乱が起きる筈だ。

 しかし、多くの日本人は凍てつく最後の日まで、日本人であることをやめようとしなかったようだ。

 さしたる混乱もなく、この国は最期の日を迎えようとしている。


 全球凍結は、およそ一千年間続くと予測されていた。

 人工的に始まった氷河期は、自然の修正能力により本来の姿へと戻る。だが、それにはそれだけの年月が必要となると予測された。

 今ではもう、誰もその予測を嘲笑する者はいない。

 既に日本から四季は消滅し、夏を経験していない世代が誕生している。親たちは子供たちに夏を説明する事に苦慮しはじめていた。


 「たった千年ではないか」


 地下に、海面下に、成層圏に向かう者達は口々にそう言った。

 たった千年間、世代数にしておよそ40世代を生き延びれば、子孫たちは再生した地球を手に入れられるのだ。

 生き延びるリストに入った者も、入らなかった者にとっても、それだけが希望だった。

 



 トンネルの出入り口は三重の鋼鉄製の扉によって外界と遮断されている。

 その扉が高らかな金属音のきしみをあげながら一枚ずつ開けられる。

 もっとも外界側にある扉の外には幌付きの数台の軍用トラックが停まっていた。いずれの車にも数センチの雪が積もり、ミラーからは氷柱が垂れている。僅か数時間、外界にいただけなのにこの有り様だ。

 

 「第二小隊、生駒二尉、只今、帰還致しました」

 

 生駒二尉自慢のヒゲも、眉も、まつ毛さえも霜で真っ白だ。これに対し、皮膚の露出した部分は雪焼けによって不気味な焦げ茶色に変色しており、その全身が雪と氷に支配されつつある外界の過酷さを物語っている。


 「ご苦労。早く入れ」


 今は風向きのせいか、外界からの冷気はさほどトンネル内には流れ込んでこない。

 それでも、空調の働いているトンネル内と外では別世界だ。外は一面、雪と氷に覆われ、もはや空に鳥は飛ばず、野を駆ける動物すら見当たらない。


 先頭の軍用トラックから飛び降りた生駒二尉は車輛の移動を部下に任せ、蘇我三佐に改めて報告を行う。

 

 「どうか?」


 蘇我三佐が発した問いに主語は無い。それでも、生駒二尉は質問の意図を正確に理解した。

 

 「伊豆口農協より提供されたリスト通り、市内農家25家族118名を収容いたしました。ただ……」


 生駒二尉は一瞬、言い澱んだが、そのまま報告を続ける。


 「はい……いくつかの御家族の老齢な親御さんは収容を拒否されました。自分たちは良いから他の人を、と」


 「……そうか。強制は出来ない。本人の意思を尊重する他はあるまい」


 「はい」


 「ご苦労。中で温まってくれ……鈴鹿曹長」


 蘇我三佐は振り返ると、影の如く寄り添う中隊本部付の下士官・鈴鹿曹長を呼ぶ。

 年齢は十歳以上、鈴鹿の方が上であり、当然ながら隊歴も長い。間もなく満期定年という年だ。


 「これで我が隊の収容予定人員は全てか?」


 曹長は小脇に挟んでいたリストを上から下へと視線を移し確認する。

 その目線の動きにより彼が二度、確認している事が伺える。


 「はい。指定の方々の収容はこれで全てです」


 微かに声が震えている。寒さ故ではない。平素、豪気な曹長だが、さすがに緊張が隠せなかった。万が一にもミスは許されない。

 蘇我三佐は鈴鹿曹長の言葉に小さく頷き、命令を下す。


 「排土作業を中止、最低限、必要となる他は全ての出入り口を封鎖せよ。封鎖時間一七〇〇時」


 「復唱、封鎖一七〇〇時」


 「よし」


 踵を返し、鈴鹿曹長は指揮所へと戻っていく。

 その肩の落ちた後ろ姿をしばしの間、見送った後、蘇我三佐は外界に目をやる。これが見納め――――そんな想いで白い世界を見つめる。

 六〇〇〇人足らずの人々と暮らす地下での千年。

 どんな社会がそこで生まれ、形成されるのだろうか――――。

 生き残る側に入ってしまった自身を幸運とみなすべきかどうか、今の蘇我三佐には、まだ確信が持てなかった。

 



 外界との施設内部とは遮断する三重の閉鎖扉は、それぞれの出入り口より30メートル程、内側に作られている。

 扉は分厚く、重い。

 その重量により、機械的な動力がなければ、動かすことすら不可能だ。そもそも頻繁に開閉を行う用途の物ではなく、一旦、閉めてしまえば再び開く時の事など、最初から想定していない。

 トンネルの外側は地球が再び温暖な気候に戻る過程で、氷河により削り取られてしまうはずだ。氷はコンクリートも、鉄板も、触れる物全てを根こそぎ剥ぎ取るだろう。だから安全値をとって隧道入口から30メートルも内側に扉を設置したのだ。

 扉の設計者自身、千年後に開ける時には千年後の人間が考えれば良い、というどこか捨て鉢な諦念の中で、むやみやたらと頑丈な構造にすることだけに腐心したと言われている。


 全長五五〇メートルに過ぎない中倉隧道は、収容先に指定された日本全国の隧道の中では最も短い部類に入る。最大の物は、青森・北海道間を繋ぐ青函トンネルで、そこには一〇〇万人を超える人々が収容されるという。

 中倉隧道が、その短い全長にも拘らず収容施設に指定されたのは、上り下り両線の距離が近く、連結工事による収容面積拡幅が容易だと考えられたからだ。連結路は、都合12本が掘られ、隧道出入口閉鎖後も拡張工事は継続される。その為の資材も十分に運び込んである。

 この国の政府中枢が収容されたのは、東京湾アクアラインの第二アクアトンネルだ。全長16キロを超える長い海底トンネルであり、ここから各地の収容施設に指揮をとる事になっている。

 この様な事態になって尚、東京という場所にこだわるのは実に笑止なこと――――そう非難する声もあった。第二恵那山、南アルプス往還、関越など地質的、構造的に頑丈で、全長と収容面積に優れたトンネルならばいくらでもあるからだ。

 しかし、アクアトンネルは単体ではない。

 既に東京には極度に発達した地下鉄道網があり、それが十分利用可能と目されているからだ。加えて東京外環、山手など100万人単位の収容能力のある巨大トンネルが複数あり、しかもそれらは地下同士で連結されている。東京及びその周辺の地下には最終的にリストに載った者の30%を超える人々が収容される予定であり、これはつまり、東京は全球凍結期においても依然として世界最大の都市という事になる。

 政府がアクアトンネルから指揮を執ると言っても、現実的には連結された、いくつかの周辺地下収容施設にしか、その影響力は行使できない。他の孤立した収容施設などには実質的に何もできる事は無いのだ。

 分厚い氷が間もなく全てを覆い尽くす。

 一応、陸上収容施設間には無線、有線両方の通信設備が用意されているが、その程度の設備がいつまで有効なのか予測は不可能であったし、海面下や成層圏に漂う収容船との通信は最初から不可能と考えられていた。

 もっとも、通信が出来たからと言って、互いに支援が出来る訳ではない。各施設はこれから千年間、完全に孤立する事を前提に全ての計画が進められている。



 一七〇〇時、微かなきしみを残し三重の扉が閉じられた。

 扉の前には、外界を最後に一目見ようという収容者たちで溢れていた。嗚咽する者、歯を食いしばる者、ただ、無表情で見つめる者……それぞれが、それぞれの想いで、白い世界に別れを告げる。

 近隣、親戚、同僚、知人……顔を知る者の多くが外界に残っている。それら生身の人々は数日、或いは長くても数週間の内には全てが凍てついた世界の中で生を終える。

 その事を思えば収容されるという幸運に感謝する気持ちにはなれず、むしろ、言いようのない後ろめたさが残り、心を暗くさせていた。




 夕刻、外界の気温はマイナス20度に達するが、閉鎖された隧道内はたちまち収容した人々の体温と呼気で堪えがたい湿度と温度となった。

 あまりの湿度に室内が白く感じられる程だ。

 空調は電力の消費を抑える為に最低限に抑えられており、この湿度にも、温度にも、収容者は慣れる他はない。この先、改善される見込みは極めて薄いからだ。

 隧道内への電力供給は富士山地下深くから得られる地熱を利用した発電によって得られている。この発電設備は、隧道直下250メートルにあり、この発電設備を維持管理する為に地元の電力会社がリストアップした25名の技術者と、その家族160名が収容されている。

 そこで得られた電力の大部分は、上り線と下り線の連結路沿いに設けられた促成水耕栽培農場に供給される予定だ。

 促成水耕栽培農場は、この収容施設の生命線となる施設だ。その運用には、生駒二尉が最後に収容した農業知識に富んだ農家25戸があたる予定となっている。

 昨今の機械化された農業を営む農家は、単に農業に関する知識だけを持っている訳ではない。日々、蛮用される農機具の修理を一々、メーカーに依頼する者などいない。農機具や発電機の整備保守や修理などは自分自身で行うのが普通であり、彼らはその機械いじりのエキスパートでもあるのだ。

その汎用性の高い技術と知識は、これからの施設内において、掛け替えの無いものとして活かされるだろう。

 単純な野菜や穀物の生産だけでなく、水耕栽培農園の水流を利用し、鯉や鮒、泥鰌など淡水魚養殖、それに肉と乳、そして毛を得る為に山羊と羊をかけ合せたギープと呼ばれる家畜の飼育も彼ら農家の担当だ。動物性たんぱく質の確保は健康面を考えると長期的に必須となる。


 収容された職種は多岐にわたっていた。

 政治家や法律家、学者。医師や看護師、薬剤師などの医療専門家、隧道拡張拡幅作業にあたっている土木建築の作業員たち、教員、警官、消防士、自動車整備士、電気設備や施設管理の専門家、調理師、科学者、技術者、地元の僧侶や神主、更には落語や能、歌舞伎などの伝統芸能の継承者、漆器や陶器、木工などの職人たち、そしてその家族……。

 無論、中隊の隊員たちの家族も収容されている。

 これには、当初、異論が噴出した。

 その異論は主に外部からでなく、内部からだった。

 隊員の家族を優先的に収容することに猛烈に反対したのは当の隊員たちだ。しかし、職務に従ったとはいえ、家族を外界においたまま、自分だけが生き延びたという事実は中長期的に精神的な悪影響が強いという専門家の判断が決め手となり、結局、収容されることとされたのだ。

 何より、統率がとれ、実力を伴った自衛隊員の存在なくして収容施設の運営など不可能だ。早晩、内部崩壊を起こすのは自明の理だろう。





 完全封鎖状態に入った中倉隧道収容施設の指揮所において、蘇我は制服の内ポケットから厳重に封印の施された書類を取り出した。

 表には蘇我の氏名、裏には上級司令部である普通科連隊長の名と陸幕長の名が記されている。一中隊長に過ぎない蘇我が、陸幕長から直接命令を受けるなど指揮系統から考えて通常、あり得ない事だ。


 封緘命令――――。


 前時代的な代物だが、封鎖状態に入ってから開封する様にと連隊長より厳命され、数日前の最後の会議の際に出席者一同が渡されたものだ。

 二重に封の施された封筒を開ける。

 この様な形で命令が下されるのは、蘇我の長い隊歴でも初めての事だ。どの様な命令が書かれているのか全く想像がつかない。何もかも異例な事なのだ。緊張を覚えているのか、命令書を取り出すべく封筒に突っ込んだ指先が微かに震えている。

 中に入っていたのはA4サイズの紙が一枚。

 蘇我は、そこに書かれている文字列を読み進める。指先の震えは、読み始める前よりも更に激しくなっていた。

 読み終えてからもしばらくの間、偶像の様に固まったままその書類から視線は外せない。

 そこに記されていた命令に対する感想は、第一に驚きであり、第二に憤りであった。自衛隊に奉げた自分の半生を思い返すと、膝から下に猛烈な脱力感を覚えずにはいられない。

 それほど衝撃的な内容だった。

 絶望にも似たその深淵から浮かび上がり、与えられた命令を自分の中で咀嚼して整理する時間が今、蘇我には必要だった。


 指揮所内の時計、その秒針が刻む音が反響している。

 その何かを急かすかのような機械音が異様に神経を逆なでし、癇に障る。

 閉鎖と同時に工事は一旦、中断された。いずれ再開されるだろうが、閉鎖初日とあって、収容者はいくつかのグループに分かれての説明会に参加している。 

 それぞれの集会所に集まった収容者は、今、その説明に耳を傾けているだろう。指揮所前の通路を歩く人影は皆無だ。

 蘇我は、中隊本部の丹羽准尉、そして鈴鹿曹長を呼び寄せた。

 第一小隊長の平一尉、第二小隊長の生駒二尉、第三小隊長の柏木二尉、重機小隊の小栗三尉はいずれも優秀であったし、信頼に足る部下ではあったが、丹羽准尉と鈴鹿曹長の二人とは、蘇我が中隊長を拝命する前からの付き合いがあり、それだけに互いを良く知っている間柄だ。

 蘇我は封緘命令を二人に手渡し、中身を読むように促す。

 准尉と曹長は下士官叩き上げの古参であり、自衛隊の良い面、悪い面全てを知り尽くしている。年齢的にも成熟しており、防大出身の四人の若い小隊長よりは腹が据わっている。

 陸幕長の名の記された命令書を渡された二人は、少しだけ怪訝な顔を示しながら書類を黙読する。

 終始、無言だった。

 二人はそのまま書類を読み終えると蘇我の手前に置き、腰のホルスターから三五年式自動拳銃を引き抜き、装弾を確認する。

 その見慣れている筈の顔に浮かぶ表情は何もない。

 その様子を見て、蘇我は自分の選択が間違っていなかったことを確信した。彼ら二人は、これからこの封緘命令に書かれていた内容を実行する事に何ら躊躇いをみせていない。


 「丹羽准尉、下り線に行ってまいります。状況開始は一八〇〇時を予定」

 

 准尉の敬礼に蘇我は小さく頷きを返す。


 「鈴鹿曹長、第三連結道に行ってまいります。状況開始は同じく一八〇〇時」


 完全に感情を押し殺し、無表情の仮面を被った准尉に比べると、年輩の曹長の表情には、疲れと哀しみが伺える。憤りではなく、怒りでもなく、ただ、哀しげな表情。


 「了解。第六連結道には私自身が行こう――――二人とも、すまない。嫌な役目を頼むことになった」


 蘇我は率直に詫びる。

 詫びねばならないと思った。

 言葉こそ少ないが、それであるが故に役目の重大さを物語っている。


 「いえ……我々は千年単位で物事を考えねばなりません。今日一日の事など些末でありましょう」


 丹羽准尉は少しだけ表情を取り戻すと、そう言い、指揮所を出て行った。


 「准尉殿と違い、小官には千年とか、そういう難しい事は分かりませんが……これが蘇我三佐殿の為になることだとは思います。蘇我三佐の為という事は中隊全体の為にもなるという事です。喜んで従いましょう」


 鈴鹿曹長にとって中隊は家族同然。

 中隊員は中隊長を父とも母とも思えと教育されている。

 だから蘇我の命に従うし、蘇我と家族の為ならば何でもする。隊員歴の長い鈴鹿にとってはそれが極自然な考えだった。


 「ありがとう」


 蘇我の言葉に曹長は目礼し、足早に指揮所を出ると第三連結道に向かっていった。

 その後ろ姿が薄暗い隧道の向こうに消えたのを確認すると、蘇我も自分自身の三五年式拳銃の装弾を確かめ、指揮所を出る。

 履き慣れた筈の軍靴が異様に重く感じることに蘇我は気づく。

 それは、これから実行する命令に対する気の重さ故だと自分を納得させるほかはなかった。





 上り線と下り線、二つの本線は高さ6メートル、幅12メートルある。

 これの中央2メートル部分を通路として左右に二分割、更にそれを上下二段に分割、そしてこれを幅4メートルごとに区画する。

 つまり、幅4メートル、奥行き5メートル、高さ6メートルの二階建て状の空間が一つの家族に割り当てられた空間だ。

 台所も、風呂も、トイレも共同使用なので、この40平米ほどのスペースは純粋に居室と寝室という事になる。

 隣家との仕切りなどキャンバス生地が下げられただけだ。

 いずれ、持ち込んだ資材を用いて壁を作ることになるだろうが、今の段階では布でプライベート空間を確保するのが精一杯だ。



 蘇我は居住区画の置かれた本線をゆっくりと進み、目的地である第六連結道のとある区画の前で大きく深呼吸をした。

 そこには異質な空気が漂っている。

 本線や他の連結路とは明らかに違ったものだ。

 背広姿の男女、老人と呼べる年齢から、若造程度の者まで凡そ20人ほど。

 彼らは、地元選出の国会議員、県議会議員、それに市長や市議などだ。貴重な筈の電気を煌々と点け、談笑し、空疎な議論に勤しんでいる。

 ここが居酒屋でないのが不思議な程だ。


 「何か用かね? 蘇我隊長」


 入口で無言のまま佇んでいた蘇我の存在に、ようやく気が付いた県会議員の一人が声を掛けてきた。頭の禿げあがった肥えた男であり、元は教員であったらしいが、教育者らしさは微塵も感じられない。


 「一七〇〇時、隧道出入口を閉鎖。施設は完全封鎖状態に入りました」


 「そうか―――どれぐらいの住民がこの施設に?」


 地元の若い市会議員が尋ねてくる。年齢は蘇我よりも大分、若いようだが、口のきき方は実に尊大だった。


 「生存適正者847家族、施設管理中隊250家族、合わせて5485名です」


 「5485名か……結構、入るものだな。狭苦しいが」


 「早いうちに議会を開設すべきです。早速、与党側と協議しないと――――与党側が陣取っているのは第三通路でしたかな?」


 「いや、彼らはたしか、下り本線側にもいる筈だ。早期に選挙を行い、施設内の政局を安定させないとなりませんね」


 議論が熱を帯びる。

 彼らは選挙をやる気のようだ。

 蘇我は小さくため息をつく。

 封緘命令に記されていた通りの事が目の前で起きている。議員たちは何も理解しておらず、理解しようともしていない。

 命令の実行は不可欠なものとなった。


 「まだ、何か用かね? 蘇我隊長」


 ようやく、一人が部屋の入口に無言のまま、佇んでいる蘇我の存在に気づく。


 「猿人が生まれて400万年が経ちました。原人から数えても200万年に近いようです」


 良く通る声で蘇我は詠唱するかのように澱みなく用意していた台詞を唱える。


 「何を言っているんです、貴方は?」


 赤いワンピースを纏った女性議員がきつい口調で問いかける。若い頃はかなりの美人だったに違いないと思わせる容貌だ。


 「人類の歴史について、です」


 蘇我は即答する。


 「だから、何故、今、それを? 私たちは忙しいの。見て分からない? あなたの歴史の講義に興味はないわ」


 「民主主義の歴史はいつからですか?」


 女性議員の問い掛けを無視し、蘇我は話し続ける。命令を実行する事に対する躊躇いの想いが徐々に消えていく。


 「古代ギリシャですか? 或いは古代ローマ? どっちにしろ三〇〇〇年程度のものでしょう。近代民主主義に至っては僅か二〇〇年程度でしょうか」


 「……だから、何だ? はやく出ていけ、軍人などに用は無い!」


 野党の幹事長を務めていたという国会議員が苛立ったように叫ぶ。収容されて数日しか経ていないにもかかわらず、隧道内の湿気と温度が痩せた老齢な躰には相当にこたえているらしい。怒鳴れば相手が黙ると思い込んでいる様子からして、猿山のボス猿と大差はない。


 「つまり……つまり、こうです……人類の長い歴史、その大部分において民主主義は必要が無かったという事です」


 蘇我は腕時計に目をやる。佐官になった時、記念に家族からプレゼントされたものだ。

 秒針が進み、長針がそれに押されたかのように真上を指し、短針はそれと正対する。

 一八〇〇時。

 小さくため息をつくと、腰のホルスターから三五年式を引き抜いた。腰のボンベから送られる圧搾空気によって撃ち出される固化流体弾は、ほとんど発射音がしない。

 カートリッジが空になるまで、それを撃ち続ける。

 照準を合わせ、引き鉄を引く。その一連の動作を繰り返しながら、死体を始末する方法について、あれこれ考える余裕すら蘇我にはあった。





3075年 夏 中倉収容施設


 蘇我明日馬は私室のベッドで目を覚ました。

 身を起こすと、隣で寝ている雪乃が寝返りをうつ。まだ微睡の中にいるようだ。

 雪乃は明日馬より一歳年上、先月一八歳になったばかりだ。


 「おはよう」


 「おはようございます、蘇我三佐」


 雪乃は大きな瞳を見開き、シーツをずりあげ、少し恥ずかしそうに明日馬を見上げる。軽くウェーブのかかった長髪が頬からベッドに垂れ下がり、年齢以上の色香を感じさせる。

 幼馴染の彼女とこういう関係になってどれぐらい年月が経つのか、明日馬にはハッキリとした記憶はない。

 子供の頃には、もうそうだった様な気もするし、つい最近の事だったような気もしてしまう。時間感覚の喪失は、昼夜の区別が無い隧道内に住む者にとっての宿命の様なものだ。時間の流れはある者にとっては早く、ある者にとっては緩慢に過ぎていく。自分が何歳だったのかも判然としない時がある。


 「鈴鹿曹長、今日の予定は?」


 鈴鹿雪乃曹長は、中隊本部付下士官として事実上の秘書役を兼ねている。その彼女への質問は実に意地の悪いものだ。

 何故なら予定など、ある筈がないからだ。

 そんな事は明日馬にも十分、分かっている。それでも、朝にはそう聞くのが古くからの習わしだった。

 隧道内にいる大部分の人間は、かれこれ千年余り、何の変化も無い一日を過ごしていた。

 無論、仕事はある。

 施設を維持し、保守し、食料を生産するだけで一日中、そして一生涯、追われ続ける。

 だが、やはりそれは昨日と一昨日、一週間前、更には一年前と差のない、区別のない一日だ。


 この一年間で起きた変化と言えば、明日馬の父である第三七代蘇我三佐の死ぐらいだろうか。

 父が死んだあの日以降、当時一六歳に過ぎなかった少年は、第三八代蘇我三佐を襲名、この隧道の指揮官を務めている。


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