森の館
ファンタジー? ホラー? う~ん……。
森を彷徨うこと二日目。今自分がどのあたりにいるのか見当もつかない。
背の高い木々の生い茂る枝葉により太陽の光もろくに射さない森の中は、日中でも薄暗く、じめじめした肌触りのする空気で、気分もしけってくるというものだ。
薄暗い森であったとしても、太陽の浮き沈みはわかった。そろそろ夜になろうとしたときだ。森の奥から淡い光が見えた。気がした。
焚き火に引き寄せられる羽虫のようにその光に導かれ、辿り着いたそこには、古ぼけた屋敷が一軒、ぽつんと建っていた。
幻覚を見ているんじゃないかと思い、自分の頬をつねってみるが、痛いだけで目の前の屋敷が消えるわけもなかった。
とりあえず、これでどうにかなるだろう。と思うと、今まで感じていなかった疲労感がどっと身体にのしかかってきた。
屋敷からは仄かに光が漏れている。つまり人がいるのだ。
今晩は倉庫でもいいから泊めてもらおう。
そう思い、両腕を広げても余裕と通れそうなドアに着いたノッカーを叩く。
少し待つと、屋敷の中から誰何する声が聞こえた。
『どちら様でしょうか?』
「夜分すみません。道に迷ってしまい、このお屋敷の光が見えたもので。あつかましいようですが、一晩こちらに泊めていただけないでしょうか」
『……少々お待ちを』
それだけ言うと、どこかに去っていくような感じがした。
この屋敷の主人にでも確認にいったのだろう。
森はすでに暗く。屋敷から漏れる光により、いっそう暗く感じられた。
そのとき、背中を悪寒が駆け上がった。何か得体の知れないものに見つめられたような感覚。
それが屋敷の方から多重に感じられたのだ。そのせいか、やけに屋敷が不気味に見えるようになった。
いろいろ考え出してしまいそうになったが、それをさえぎるようにドアが開いた。
「お待たせしました。どうぞお入りください」
そう言って、ドアを開けたのは不思議な人だった。何が不思議なのかと考えようとするが、首をかしげたままドアを開けて待っているので、あわてて中に入った。
後ろでドアが重く閉じ、施錠された音がやけに高く内に響いた。
「こちらへどうぞ」
そう言って先を歩き出した不思議な人を追う。
その人は、給仕服を着込み。迷いなく屋敷内を進んでいき一つの部屋でとまると、鍵束の中から一つを選び、鍵穴に差込み解錠してドアを開けた。
「今晩はこちらの部屋をお使いください。何かありましたら私に、では」
そういって退室しようとするのを引き留め、
「あの、ここの主人にお礼を言いたいのだけど」
「申し訳ありませんが、もうお休みになっておりますので、明日に御願いいたします」
「あ、そうですか解りました」
そういて、一礼して去っていった。
「……」
不思議な人だった。体格からして女性なのだろうが、声や顔立ちは男でもなんとか通りそうだが、何よりもその雰囲気が、こう、何とも言い難いのだ。
それにしても、この屋敷も不思議といえばそうなのだ。なぜこんな森の中にあるのだろうか。
別荘にしてはこの森は何もなさ過ぎる。まぁ、金持ちの考えはよく解らないものも多いからなあ、と思い。疲れもあり早々に寝てしまおうと思った。
おそらく客室なのだろうこの部屋は、踏み机と椅子。それに簡素なベッドに添えられるようにある小さなテーブルだけのシンプルな部屋だった。
ベッドに横になり、すぐに睡魔が襲ってきて眠りに落ちる。
落ちる間際、誰かに見られているような気がしたが、睡魔には抗いきれずそのまま眠りに落ちた。
●
屋敷に泊めてもらい、既に二日が過ぎようとしていた。
翌朝から森に、濃い霧が立ち込めてしまい、仕方なくもう一泊させてもらい、そして霧が未だに晴れないために二日が過ぎようとしているのだ。
その間に、ここの主人にお礼が言いたく、面会を願い出たのだが未だに合うことは叶っていない。
「いつになったら霧が晴れるのやら」
泊めてもらってから、部屋にこもりきりで、さすがに気がめいりそうだった。それに、時折感じる見られているような感覚が余計に気がめいるのだ。
ベッドの上でふてくされていると、ドアがノックされる。
「どうぞ」
「失礼します」
ドアを開け一礼して入ってくるのは、ここに来たときに対応してくれた人だった。
この人は定期的に部屋に訪れ、掃除などを済ませて行く。
手際よく一連の動作には淀みが無く、精密機械のように掃除をしていく、一通り済ますと何か必要なもがないかと問われるので、特にないと答えた。
「それでは失礼いたします」
そう言って入ってきたときと同じ動作、さながら入室を逆回しにしたように退室していった。
「まさに完璧、だな」
そういって、ベッドの脇のテーブルに置かれた水差しから水を注ごうとして、中身がもう無いことを思う出す。
さっき何もないと言ってしまった手前、すぐさま呼び戻すのもなんともばつの悪い感じがしたので、仕方なく水は諦めベッドに横になった。
●
浮上するように覚醒し、自分が寝ていたのだと気づいた。
どれほど寝ていたのだろうかは、時計が無いこの部屋ではわからなかった。
ベッドの脇のテーブルに置かれた水差しに手を伸ばし、持ち上げて中身が無いことを思い出す。寝る前は我慢できたが、さすがに寝起きともなると、水が欲しくて仕方ない。
ベッドから降りて廊下に出て厨房からか、もしくは誰かいたのなら水をもらおうと思い、ドアノブを握り引く。
しかし、ドアは何かに引っかかり握った手に強く反動が伝わり、一気に寝ぼけた頭が覚醒した。
そこで初めに思い浮かんだのは疑問だったが、内側にあるドアノブについた鍵を捻りすぐに解錠する。
鍵が回り内部でデッドボルトが動き擦れた音をたてて開くが、すぐに施錠された。
鍵が勝手にしまるはずはない、つまりは、
「……誰かいるのか?」
それに答えるものはおらず、嫌な沈黙だけが続く。
「……」
ドアノブつきの鍵を回すと同時にドアノブも回し引く、それでもドアは微動だにしなかった。外から誰かが押さえている様な感じではない、今なら、そもそもこれはドアノブだけが着いた壁なのだ、そういわれたら素直に納得するだろう。
悪寒が背中をかける、見られている。無数の視線を感じる。
駄目だ、ここに留まってはいけない。
本能。そう、本能が、危険だと訴えだしたのだ。
まだ、この部屋にも出口になりうるところがあった。
窓だ。
開ければ人一人なら通れそうだ。急いで窓に駆け寄り、窓を開こうとして押しても引いても駄目なことに気づく。
そのとき、背後でドアが開く音がした。
「どうされましたか?」
首だけを背後に向ければ、いつもの様にあの人がいた。
「い、いや。外の空気が、吸いたくてね」
「そうですか、しかし、当屋敷は全ての窓ははめ殺しですので開きません」
「そう、か。なら、ちょっと外に出たいのだけど」
「申し訳ありませんが、霧が濃く、危険ですのでそれは出来ません」
この人は淡々と言う。既にある問答の答えをそらんじている様に機械的だった。
そこで、ふと思い至ったことがあった。この人への違和感が何なのかである。あまりにも中性的で、そう、まるで、
「……人形」
そう呟いていた。
「……」
それが聞こえたのかどうか解らないが、そう思うと、途端に目の前にいるのが得体の知れないものに思えてきて、それだけでいてもたってもいられなくなった。
「いいから! 霧とか危険なのとか、どうでもいいから今すぐ外に出せ!!」
「それは出来ません」
●
その後、どう言おうが、結局は外に出られないの一点張りだった。
今は監禁状態と言っても差し支えないだろう、飲食が出来れば生きていけるだろうが、精神的に死にそうだ。
そもそも、この森に入らなければよかったのだと、今更ながらに後悔する。
依頼が簡単で意気揚々と森に入り、依頼を完遂して帰ろうとして道に迷い、今に至るのだ。嫌になる。過去に戻れるのならばこの依頼は受けるなと、そのときの自分に言ってやりたい。
とりあえずこの部屋、いや、この屋敷を出たとしてもこの霧だ。出た所でまた迷うだけだろう。ならばせめて霧が晴れるのを待つべきだろう。その方が幾分ましだろう。それに出るのにも最低二日は掛かるだろう。森に入って二日で依頼場所に着いたのだ。帰りも二日かかって当然だろう、そうすれば食料が必要になる。ならばここで食料をある程度確保する必要がある。定期的に出される食料の中からある程度日持ちがして持ち運びやすい、パン等を食べずに取っておけば何とかなるだろう。
結構は二日後以降の霧の晴れた日だ。
そう決意すると、幾分か余裕が生まれたのか、気持ちが楽になった。
●
監禁された状況は変わらなかったが、生きていくために必要なものは最低限与えられたので死ぬことは無かった。
あれから三日目にしてやっと霧が晴れた。
俺は直ぐに行動を起こした。
椅子を持ち上げ勢いよく窓に叩きつける。
破裂したような破砕音と、勢いのついた椅子が音をたてて折れる音が外から遅れて聞こえてきた。
急いで窓に駆け寄り、枠にまだ残った破片を素早く取り除き足をかけ、ぐっと足に力を入れたとき。
「お待ちください」
そういわれて足首を掴まれた。
いつの間にそこにいたのか、そもそもいつこの部屋に入ってきたのかすらも判らなかった。
その人はいつものように無表情だったが、掴む手に入る力だけがその感情を表しているようで、力強くはあるがどこか不安のようなものが伝わってきた。
「……出て、行かれるのですか?」
「……すまん」
そう言って外に飛び出す。掴まれていた手は何の抵抗も無く離れていた。
地に足が着くと勢いよく森の中に走り去った。
――なんで謝ったんだろ。
●
その後、二日目の昼ごろに森を抜けることが出来た。
依頼の完了の報告に行きくと、そのまま受理され報酬をもらい、なんとも釈然としない気持ちを引きずって食事に出かけた。
昼を少し過ぎたそこは若干少なくなっていたが、それでもそれなりの賑わいを見せていた。
適当に端のカウンター席に座る。
「なんにする?」
タイミングを見計らったかのように、厨房から店主であろう恰幅のいい初老が出てきた。
「とりあえず、酒と……こってりしたもの無いかな?」
あそこの館は、本当に必要最低限で、まずくは無いがうまくも無い、しかしあきがこないように微妙に工夫が見られるぐらいの手間は掛かっていた。
……あれ? それなりにもてなされてはいたのか。
あの時はそんなことに思いも着かなかったが、今にして思えばそうだったようなきがする。
「はいよ。まず酒だ。メシはもう少し待て」
俺は出された酒をもやもやした気持ちを飲み下すかのように一気にあおった。
「……はぁ。うまい」
「そりゃよかった。ほれ、お待ち」
出されたのは、野菜と細切れ肉を煮込んだスープと煮込んだ何かの肉にチーズを乗せたものと、パンだ。それをかみ締めるように食べながら、店主に問いかける。
「なぁ、あの森。ここから北東に行ったところにある森なんだけどさ」
店主は訝しげにこちらを見てきたが、気にせずに続きを話す。
「そこに館があるだろう? そこって――」
「お前! 見たのか!?」
言葉の途中で遮り、店主が声を荒げた。
それに驚いたのか、店内が静まりかえた。
なんだろうか、背中に好奇な視線を感じるが、気のせいではないようで見せ中の奴らがこちらを見ていた。
「……道に迷ってな。そこで何泊かさせてもらった」
「なん……だと! 無事に出られたのか!?」
「まぁ……ごらんの通りで」
なんだろうか、このいたたまれなさは、
「よかったなぁよかったなぁ。ちょっと待ってろ」
そう言って店主が奥に引っ込んでいった。
「ほら、これは俺のおごりだ飲め!」
そう言って、なみなみと注がれた酒が少し零れながら前に置かれた。
「え、っと。何が?」
「ん? ああ、お前さんここら辺の奴じゃないみたいだから知らんのかもしれんが、あの森は曰くつきの森でな、ここら辺では『帰らずの森』って呼ばれて、結構有名なんだよ」
そんなやばい所だったのか、どうりで簡単な割りに、微妙に報酬がよかったのか。
「あの森で館に入って出てくる奴は誰もいねぇって言われるぐらいだ。森の中には貴重な植物とかもあるから、ここらの奴も仕方なく森に入ることもあるが、みんな館が見えたら一目散で逃げるんだよ」
「いや、あの時は霧が出ていたし」
「霧より、あの館の方が怖ええよ」
それから、店にいた連中からも、酷い目にあったなとか、無事で何よりだったななどと、励ましだか慰めだかの声を掛けられた。
それが何だか、とても不快だった。
俺は出されたものをそそくさと平らげ、店を出た。
●
その後、何度か森の中に入ったがあれ以来一度も館を見ることは無かった。