第四章
俺は灯籠坂鋭次である。
今回より数話において、芹沢静夢氏に代行して、語り部をさせて頂く。
俺のそれまでの人生は、読者には語るに足りないものである。
よって、俺の物語は、専ら大学に入ってからの、静夢さんと過ごした日々に限られる。
いや、寧ろ、そうでなくてはならないのだ。
これは、俺という語り部を通して語られる、彼女だけの物語なのだから………。
きっと、俺の過去が描かれることは、きっとないだろう。たまに触れても、二行続くかどうかである。
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それは、桜の花が半分ほど青葉に入れ替わった、一浪して十九歳の春の、大学の入学式での出来事だった。
小学校でもそうだったのだが、それまでと違う世界に入るときは、理由もなく不安になるのは、俺に限ったことではないと思う。
自分のような人間が、本当にこんな場所でついていけるのか?
本当に卒業できるんだろうか?
大体、高校を受験する時だって、優秀な成績を誇りながら、留年したときの心配なんてものを本気でしていたのである。
きっと、気を病んでいたに違いない……………。
そうして俺は、漠然とした不安に駆られながら、十九歳の青年には青年にはふさわしくないくらい、辺りをきょろきょろと、鳩のように見回していた。
その時、自分のいた席から右に十席以上向こうに、河を流れる水のように滑らかな、腰まである黒髪の、小柄な少女を見かけた。
肌は紙のように白く、目は大きかったが。
その顔は少し俯いており、何となく不安げに見えた。
しかし、その全貌は健康な男子の純粋なハートを擽るには足りていた。
その後少女の姿は、流れ込んだ人混みに呑まれて見えなくなった。
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その日の夜。
俺の脳裏に、その少女の横顔が焼き付いて離れなかった。
異性のあんな切な気な表情を見せられたら、誰でもドキッとするのに、それもあんなに顔立ちの整った少女のものを見てしまったのだから、脳裏を離れない筈が無かった。
そして、その密林で出会った謎の植物の香りのような甘い気分のまま、その記憶をおかずに飯だけを三杯食い(何となくやってみた)、風呂に入り、歯を磨き、そして床に着いたのだが、清らかな少女の残像を性欲処理に使うのも、彼女に悪い気がしたので、ただ暖かい布団の中で、思い出を噛み締めながら眠った。
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翌朝学校に行っても、彼女の姿は見られなかった。
その後、教授さん方の自己紹介も程々に、一通り授業が終わった頃、俺はキャンパスへと赴いた。
様々なサークルが、新入生を勧誘しようと網を張っているからである。
サークルに入る。
それは、自分が大学生活に於いて、最も憧れていたことであった。
あとは貧乏臭い下宿に住むとか、同じ志を持つ学生たちとばか騒ぎをするなど、本来大学ですべきこととは大きく離れていた。
また、宗教の勧誘には、注意を払わなければならなかった。
そうして、キャンパス中央の、円形の噴水付近に来ると、昨日見かけた少女が、どうやら怪しげなサークルに勧誘されているようだった。
少女は周囲に助けを求めるように、きょろきょろと辺りを見廻していた。
《こ…これは、彼女居ない歴十九年脱却の好機!!!!》
直ちに救出を決意したが、私も勧誘されてしまった。
これが、その後の私の大学での四年間を狂わせていく、事件の最初の布石だったのだ。
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実際に話してみると、彼女は存外に冷やかな言葉を使った。
例えば、昼休みに、キャンパスの中央、噴水がある辺りで取ったこんな会話がある。
「おや灯籠坂先輩じゃありませんか。どうしたんです?阿呆みたいな顔して。大脳新皮質に蛆でも沸いたんですか?」
こんなことを毎日言ってくるから、彼女は私を拒絶しているようだった。
「俺が一浪してるからって先輩と呼ぶのは止めろ」
「蛆」発言は無視。
「へえ、私は最近、母から『いくら紫外線は身体に悪いって言ってもあんたの肌は白過ぎるからちょっと日向ぼっこしてきなさいという勧告に従っているんです』」
「なるほど、親は大事なんだな」
「いえ、あんな親バカは出来るだけ早く逝って欲しい所です」
「ひでえなあんた…………」
「ええ、私は、愛とは無縁何ですよ…………」
「どうした?」
「いえ、何でもありません。それより、良いのですか?午後からも授業ですよ?」
「ああ、行くよ。図書館には放課後寄るさ」
「何で昼休みに行かないんです?」
「君に会うためさ」
「キモいです、蛆虫」
「その毒舌が、またいい」
「私には、近寄らないほうが良いですよ」
「?」
「傷付くのは、貴方です………」
それだけ言うと、彼女は歩み去ってしまった。
俺は気付いていなかった。
彼女が心に抱える、深い闇に………。
これで少しはシリアスにはなりますが、やっとまとまったストーリーが書けそうです。