第一章
私は、幸運なことに一度も浪人せず、京都の一流大学に入学した、十八歳の少女である。
私が大学に入った理由は農学部で毎日顕微鏡を覗き微生物の神秘にウハウハするためだけではない。
私は、それまでの根暗な自分を変えるために、サークルに入ることを決意したのである。
私のそれまでの人生を振り返ると、見るに堪えない。
その冷やかな眼光と言動であらゆる生物を拒絶し、その生真面目な生活のせいで社会の輪に入ることもできず、ただ学力だけがメキメキとタケノコのように伸び、友達はゼロになった。
なんでこんなことになってしまったのか………。
何故こう、私の周囲に散らばるそう多くもない筈の地雷を三秒に一回の割合で踏み、立てる必要のないフラグを墓場に連なる卒塔婆のように乱立させてきたのか………。
責任者は誰か。
親か。
義務教育時代の先公か………。
とにかく、私は今までの自分を変えたいと切実に願っていたのである。
しかし、また私は折角のチャンスを自ら溝に投げ捨ててしまった。
それが、自虐倶楽部への入部である。
私は、自分に合うサークルを探し求めて、大学のキャンパスを歩き回っていた。
すると、何故か、髪を真っ白に染めた見るからに変人らしい青年と、十九世紀の貴族のような姿をした女子大生に、無理矢理部室に引きずり込まれ、「入部してくれるわよね、ね!?」という彼女の剣幕に圧され、その後何をしたか覚えていないが、気付いたとき、目の前には私の名の書かれた入部届けとおぼしき塵紙が存在していた。
なぜこう泥沼の布石ばかり踏みたがるのか(もはや体がそう思っているとしか考えられない)。
仮説を立ててみた。
どうやら、私の背後には江戸時代の先祖が殺した河童か何かの霊が付きまとっているらしい。いや、きっとそうである。
≠≠≠≠≠
灯籠坂鋭次に出会ったのは、私が謎の自虐倶楽部なるサークルに引き摺り込まれたとき、私と同じようないきさつでその場にいた。
肌は黒く、筋骨隆々、身長はざっと百八十五センチ前後。
まるで、脳髄まで横紋筋で出来ている筋肉阿呆のようだった。
「……筋肉阿呆」
「酷いことおっしゃる、オタマジャクシ」
これが私の人生の中で最悪の会話であった。
灯籠坂は農学部の私と同じ研究室にいる、一浪して十九歳の青年である。
その後我々は、時々下宿(私の)に集まってはアルコールを飲む(未成年なのに)仲となった。
勘違いされなうように言うと、男女の仲というよりは悪友の仲である。
「でさ、何で大学来たんだ?静夢さん」
「農学部を出て、製薬会社にでも入ろうかと考えているのだ」
「へえ、頑張るねえ。じゃ、どうしてこのサークルに?」
「!?」
この筋肉阿呆……………。
そう、彼の記憶力は鳩並みに悪いのである。
「覚えてねーのかっ!!!!お前と同時に連行されて来たわっ!!!!」
「おー、思い出したっ!!!!」
思い出しただけ増しである。
こいつは完全に忘却していることの方が多いのだから……………。
「誰があんな名前ねサークルに好き好んで入るかね、全く」
「まぁ、確かに…でも、意外といい人達だよな?」
「はぁ!?」
近代の英国貴族擬の独裁女と、髪を真っ白に染めた昆虫オタクのどこがいいのだっ!!!!
「どうした?」
「虫オタクと独裁者の何処がいい人なのだっ!!!だいたい、私は昆虫という生命体が惑星一嫌いなんだぞっ!!!!」
「何を言っている?弥次郎先輩は立派な環境工学者の卵だぞ、大体、顕微鏡でバクテリア覗いてはあはあ言ってる女子大生も中々キモい………」
「るせえ!!!!」
私は手元に転がっていたスリッパを杯を持っていない左手に持つと、円盤投げの要領でそれを天井の裸電球に投げ、近辺を飛んでいた巨大な蛾を撃墜した。
「あっ、うちの同居人になんてことをっ!!!!」
「人ちゃうやん!!!!」
「人だよ、俺が人間である以上、蛾の0.2%は人間なんだっ!!!!」
「おお、流石自虐倶楽部員…」
我々はいつもこんな阿呆な会話をしている。
貧乏な学生には勉強と食事と睡眠以外の時間は悉く暇であり、こんなことをしてやり過ごす他ない。
《お邪魔しまーす!!》
ここで第三者、四者の襲撃。
先に玄関の扉を蹴破って現れたのは、ウェーブの掛かったロングの黒髪を風になびかせ、近代の英国貴族のような格好(具体的には、赤と黒を貴重とするゴシックドレスに巨大な灰色の羽根が付いた白い帽子)をして日傘を差して歩く長身の独裁女、部長、江見谷荷昼。
後者は、何の勘違いか、髪を真っ白に染めた、灯籠坂の次に背の高い虫ヲタ、狩沢弥次郎。
何故か、大量のビニール袋を弥次郎だけが持っており、その中に、野菜やら菌の塊やらホタルイカやらが大量に詰め込まれている。
これから鍋を喰うつもりらしい。
これらが自虐倶楽部の全部員、私と灯籠坂は一回生、虫ヲタと似非貴族は二回生である。
≠≠≠≠≠
「でさ、絹井先輩の研究がついに大詰めに………」
江見谷さんが箸を持った手をわたわたと動かしながら話し出す。
「あの人体オタクのことは言うな。茸が食えなくなる」
と静かに何故か角切りの大根だけを摘まむ弥次郎先輩。
「そう?絹井先輩は天才よ、この前なんか、研究室を覗いたら生体分子を利用した新型の電動義手を作っているところだったわ」
「確かに、俺も彼のスキルは認めるが、あの人間そっくりのマネキンみてーなロボットを作り上げていく最中の笑い方よ、あんな恐ろしいものはありませんな」
「おれの中学の時の理科の先生はもっとヤバイぜ、豚の解剖したときに水晶体抉り出してニヤニヤしてやがんだからよぉ………!!!!」
今度は灯籠坂である。
「私は小学生の時分に、味噌汁に入れるために両親が買ってきていたアサリを数匹解剖したのがバレてだな…………こっぴどい目にあった…」
これは私である。
「皆阿呆な会話してるなあ、隣もみてえだが………」
隣からは缶ビールを持参して宴会を開いている十人ほどの中国人の声がする。
きっと、海を一つ越えて、こんな火山と地震しかない土地に来たものだから不安で仕方なく、それをまぎらわすためにアルコールを摂取しているのだろう。
「思えば我々が出会ってから三ヶ月が経過しましたなぁ…………」
と弥次郎先輩。
「ああ、相変わらず阿呆なことばかりしている」
と灯籠坂。
「阿呆だな……」
と私。
「そういえばさ、大体今は夏だよ、何故鍋なんか食ってる?」
と江見谷。
「中東じゃ、暑いときに熱い物を喰うらしいぜ」
と弥次郎。
「アラーに忠誠は誓っておりません」
と冷たく言い放つ灯籠坂。
「というか、この会話って終わりあるのかい?」
と江見谷先輩。
そうして我々は、深夜二時まで阿呆の語らいをすることとなった。
いいや、今回は奴らの阿呆ぶりを全く表せなかった。
しかし宣言しよう。
私はこれから、彼らの人間失格ぶりを、丁寧に丁寧に書き留めていくと………………。
カオスとなりました。作者も阿呆の一人のようです。