#3
さて、あれは忘れもしない、一昨年の八月初旬のこと。収穫期真っ只中の、暑い真夏日でした。
収穫物の選別やパック詰めに追われて、帰宅する時間すら取れないほどの忙しさに、やむなく僕は、キャンプハンモックにくるまって野外で夜を明かすことに決めたのでした。
虫の音と夜風の息遣いを全身で浴びながら、気絶するように寝入り、やがて日が昇り始めた頃、そばで小さな声が。
「ねえねえ、僕の絵を描いて」
「え?」
「絵を描いて」
僕はびっくり仰天して、ハンモックから飛び起きました。
何度も目をこすって辺りを見回すと、ブカブカの茶色いズボンをはいて、肌触りの良さそうな緑色のシャツを着た男の子が、すぐそばのブルーベリーの株の前で、あぐらをかいて座っているではありませんか。
大の大人にワシャワシャとやられた頭をそのまま放置したかのようなヘアスタイルと、クリッとした黒い瞳が印象的です。
僕は、その子が人間以外の「何か」であることを、どういうわけか直感的に察知しました。
かつて園内で邂逅したカッコウの雛や、コバルトブルーのアマガエルや、ウサギの赤ちゃんと同様の、野生動物にしか備わっていない凛としたオーラを、溢れんばかりに放っていたからです。
俗世の垢にまみれた人間には、とてもじゃないけど醸し出せるような代物ではありません。僕にはそれが分かったのです。
「ねえってば、描いてよ!」
僕はやっと口をきけるようになると、言いました。
「ていうか、あんた、そこで何してるの?」
すると男の子は、とても大事なことのように、たいそうゆっくり言いました。
「ね……僕の絵を……描いてってば」
不思議なことも、あんまり不思議すぎると、とてもイヤとはいえないものです。
起きぬけの状態でいきなり絵を描いてと注文されても、面倒くさいことこの上ないし、困惑するしで、全く気乗りしなかったのですが、言われるがままに、僕は作業小屋のなかから鉛筆とノートを取ってきました。
が、その時僕は、地理と歴史と算数と文法だけしか取り組んでこなかったことを思い出したのです。
そこでその子に、やっぱり絵を描くなんて無理だ、僕は絵心が皆無だから、と言いました。




