ローザリア・バンクスは悪女見習い
ローザリア・バンクスはバレンティーナ・オルガの花園に集う小鳥の一人である。深い緑の理知的な瞳に、艶やかな黒髪を長く伸ばした美しき侯爵令嬢だ。
彼女は代々王宮勤めをしているバンクス侯爵家の長女である。下に跡取りとなる弟がいるため、ローザリアが無理に婿養子を取る必要はなかった。しかしながら、歴史の長い侯爵家ともなると縁を繋ぎたいという家は多かった。その上にバンクス家は複数の爵位を持っていたため、ローザリアは国の中でも屈指の人気を誇る花嫁候補なのだ。
幼い頃から釣書が山と積まれ、お茶会に出れば令息に囲まれる。そんな日々にローザリアは子どもながらうんざりしていた。彼らが見ているのはローザリアではなく、彼女に付随する家と権力だ。それは仕方のないこととはいえもう少しうまく隠せばいいのに、と思ってしまうほどに露骨で不愉快だった。
そんな折、彼女は衝撃的な事件を耳にする。誰もが知る奇跡のカップル、バレンティーナ・アヴェールとフェデル・バスティンが破局したというのだ。それも婚約を申し込んだ側のフェデルの心変わりが原因だというではないか。
この事件はローザリアに大きなショックを与えた。完璧で有名な淑女であるバレンティーナですら、心変わりをされたのだ。それも政略ではなく、お互いを思い合っての婚約だったというのに。
ならばローザリアが家のためにと紡ぐ縁など、簡単に切れてしまうものではないのだろうか。あるいは、その縁を繋ぎながらもふらふらと他に愛を求めてしまうのではないだろうか。
そんなことになれば。そして万が一、その間に愛の結晶が芽生えてしまったとしたら? 当然お家騒動は避けられない。
ローザリアは聡明な侯爵令嬢である。長い歴史を誇り、王宮への出入りも多いバンクス家には一点の醜聞とてあってはならなかった。婚約者を選ぶにあたってもその家格や人柄には慎重にならざるを得ない。
その結果、彼女は婚約者の一人もいないまま幼少期を過ごすこととなった。これは、侯爵家の令嬢としてはかなり珍しい状態だ。しかし、当主も彼女が望まないのならばと無理に婚約者を据えることはなかった。彼女が家のことを真剣に考えた結果だと、しっかりした子に育ってくれたと喜びすらしていた。
ローザリアが十四歳となった時、またしても大きなニュースが社交界を駆け巡った。彼のバレンティーナ・アヴェールが男爵位を得てバレンティーナ・オルガとなったのである。この時代において女性が一から爵位を得るというのは歴史的快挙であった。
二十歳となっても婚姻どころか婚約者もいないバレンティーナは世間一般的には行き遅れである。しかし、彼女はその鮮烈な美貌と卓越した能力でもって社交界に君臨し続けていた。
ローザリアは彼女に心からあこがれていた。独りになりながらも凛と立つその姿の美しいことといったら!
その日から、ローザリアは釣書を視界に入れることすらしなくなった。父親と同じく王宮に努めようとますます勉学に磨きをかけ始めたのだ。
しかしながら、彼女には突出するような才能はなかった。努力を重ねても才能ある人には追い付けない。それでも、彼女はそんな現実を前にしても折れるような人間ではなかった。
ひたすらに努力を重ね、己を磨き続ける。王宮勤めとしては及第点には達していたが、同程度の実力の令息を引き合いに出されればやはり霞んでしまう。王宮勤めの女性は誰にも文句を言われないレベルの能力が必要なのだ。
焦燥を感じながらも十六歳になったローザリアは貴族学園へと入学を果たした。大きな掲示板に張り出された試験の上位者を見ながらため息が出そうになるのを飲み込む。
跡取りにと幼い頃から教育されてきた高位令息の名前がそこには並んでいた。ローザリアも上位五十位以内には食い込んでいるのだが、逆に言えばそれだけ上の者がいるということでもある。
「……あら?」
ふと、上位陣の中に見慣れない家名を見つけ、ローザリアは目を瞬いた。サイモン・ハウンド。入学試験九位の男子生徒である。よくよく見れば、平民枠での入学とあった。並みいる高位貴族の跡取り息子を押しのけての快挙である。
ローザリアは単純に優秀な平民として彼に興味を持った。が、彼に興味を持った貴族は彼女だけではなかった。
それに気づいたのは、ローザリアが中庭でのんびりと花壇を眺めていた時のことだった。ざばざばと水をかき分けるような音が、池の方から聞こえてきたのである。気になって目を向ければ、一人の男子生徒が池の中に足を踏み入れていた。
プラチナブロンドと見紛うほとの艶をまとう白髪。黄金を宿す瞳は水面を見るために伏し目がちになっている。平民ながら入学試験上位のサイモン・ハウンドその人だった。彼は時折額の汗を拭いながら、池の中から何かを拾い上げている。
ローザリアはしばし言葉を失って固まっていた。容姿については噂に聞いていたが、直に見るその美麗な顔の破壊力たるや。
が、彼女は直ぐに気づく。彼が池から拾い上げているのは恐らく彼の持ち物だと。その上で校舎の方へと目を向ければ、意地悪くにやにやと笑いながら彼を見下ろす顔が汚らしくも窓を飾っていた。
「貴方、大丈夫ですの?」
声をかければ彼は濡れた手で髪をかきあげながらこちらを振り返った。額が露わになり、男らしさと色気が匂い立つ。言葉が喉に詰まって出てこない。
「大丈夫です。気にかけていただき、ありがとうございます」
丁寧に応じながらも黄金の目が伏せられる。この嫌がらせが初めてというわけではないのだろう。ひょっとしたら、ローザリアのことも警戒しているのかもしれなかった。
ローザリアはわざと不快感を隠さずに校舎の方を見上げる。窓から顔を出していた面々は気まずそうにしていた。サイモンの方へと視線を戻せば、彼は深く頭を下げている。
「こんな姿で申し訳ありません。私はサイモン・ハウンドと申します」
「存じ上げていますわ。入学試験の上位にいらっしゃいましたものね」
最初に印象に残ったのはそこだったのだ。ローザリアにはたどり着けなかった場所にいた平民。強さと知性、その上に美貌まで兼ね備えた男の子。
「わたくし、ローザリア・バンクスと申しますの。これからよろしくお願いしますわ」
にっこりと笑って手を差し出す。校舎から降ってくる視線の質が少しばかり変わった気がした。サイモンは戸惑いながらも令嬢に恥をかかせぬようにと握り返してくれた。その際、ハンカチで念入りに手を拭う様子がおかしくて、どこか心が温まるような心地がしたのだ。
それ以降、ローザリアはサイモンに声をかけることが多くなった。いじめをしていた生徒に見せつけるように親し気に振る舞うと、悔しそうに身を引くのだ。その中には釣書で見た令息も混じっていて呆れてしまった。やはり人柄を見極めるのは大事だと再認識しながらサイモンとの交流を深めていく。
図書館で一緒に勉強をしていると、彼の知識の深さや努力の跡をありありと感じさせられた。ローザリアは彼に勉強を教えてもらい、時には彼に請われて貴族のマナーを教えたりもした。
いつものように図書館で勉強していた時のこと。サイモンとローザリアは同じ課題で行き詰まっていた。図書館の本を机中に広げ、あーでもないこーでもないと話し合う。が、どうにも堂々巡りでどうしようもなくなっていく。
「先生にお尋ねするしかないのかしら。でもねぇ……」
ローザリアが言葉を濁すと、サイモンも苦笑していた。課題を出した先生は少しばかり性格に難がある人物なのだ。出来ないことをあげつらうくせ、出来たことを褒めはしないタイプなのである。小一時間は捕まる未来が目に見えているのだ。可能なら質問等したくはなかった。
「失礼。何か困りごとかしら?」
二人して唸っていると、不意に声がかかる。見上げれば、優しそうな上級生が心配そうに立っていた。
そんなに目立っていたのかと辺りを見回すと、何人かの視線がこちらを向いていた。うるさい、というよりはあの先生の課題か……と同情されている様子だった。
「わたくしでよければ、お教えしましょうか?」
柔らかい声音。赤みがかった茶髪も同じくふわふわと柔らかそうである。髪よりももう少し明るい色をした瞳が優し気に細められていた。
「ジェマ嬢……」
ふとサイモンがその女生徒の名を呼ぶ。ローザリアもその名には聞き覚えがあった。三年連続首位の才女、ジェマ・エバンスである。
「よろしいんですか?」
「えぇ。実を言うとわたくしも一年生の頃、彼の先生の課題には頭を悩ませていましたの」
そもそも一年生にはまだ難しい範囲ですわ、とジェマは困ったように眉を下げた。二人はありがたく申し出を受け入れ、以降彼女とも交流を持つようになった。
ローザリアはジェマのことが不思議だった。彼女は学園に認められた才女なのだ。だというのに、彼女はいつも自信なさげに一人でいる。
その理由が彼女の移り気な婚約者のせいだと知った時は、やはり自分は結婚しない方がよいのかもしれないな、などと思った。一途な男というのは希少な存在なのだろうとも。
そんな折、サイモンの推薦者がバレンティーナ・オルガ男爵ということが明かされた。明かされたというよりかはローザリアが突っ込んで聞きに行ったのだが、それは置いておく。
更にはサイモンの友人としてバレンティーナ・オルガの屋敷に招いてくれるというのだ。青天の霹靂だった。昔からあこがれていた、バレンティーナ・オルガその人に会えるのだ。
「ごきげんよう。いつもサイモンがお世話になっていますわ。素敵な御学友が出来たと聞いて、いつかお会いしたいと思っていましたのよ」
とろりと慈愛を零すエメラルドの瞳。緩やかなウェーブを描く赤い髪。攻撃的なまでに赤いルージュが似合う人間は、この人しかいないのだろう。
この世の美しさの体現がそこにはあった。その上に自分自身で商会を立ち上げ、男爵位を得た才女である。天はふさわしい人には二物も三物も与えるのだと、そしてそれは自然の摂理であると納得すらするほどの淑女だ。
だが、それよりもローザリアの目を引いたものがあった。完璧な淑女のその傍らに佇むサイモンの表情である。
普段の彼には自然に見せようと振る舞う演技の影があった。恐らく大半の人はその美貌に目がくらんで気づいていないだろう。しかし、ローザリアは幼い頃から彼女をあの手この手で絡め取ろうとしてきた令息に慣れていたせいで気づいてしまったのだ。
だが、今の彼にその面影はない。ただただその顔、全身でもってバレンティーナ・オルガに情を向けていた。彼女に褒めて欲しい、認めて欲しい。そんな感情が透けて見えるほどに。
あぁ、何と一途なのだろうか。唯一の人に自分の持つ才能を捧げるそのひたむきさ。バレンティーナ以外見えていない、盲目なまでの愛。
それは正しく、ローザリアの理想の男だった。
その日以来、ローザリアはバレンティーナの小鳥として、彼女の花園へ招かれるようになる。彼女はバレンティーナのために侯爵家の人脈を捧げ、彼女の商会を盛り上げるために尽力した――それは全て、ローザリア自身のためであった。
やがて、ローザリアが紹介した家とグロリオーサの大きな取引が決まることとなる。その際、ローザリアはバレンティーナにお願いして二人きりでの茶会を開いてもらった。バレンティーナは快く受け入れ、給仕すら下げて二人きりでテーブルにつく。
「それで? わたくしのかわいい小鳥。何がお望みかしら?」
バレンティーナは全てを見透かしたように微笑んでいる。ローザリアはふふ、と小さく笑った。
「サイモン・ハウンドとの婚姻を、認めて頂きたいのです」
まぁ、とバレンティーナは口元を覆ってみせた。続けてどうしてかしら、と尋ねてくる。
「わたくしが彼を、最良の結婚相手と思うからですわ。それにわたくしの家には浮いている爵位がありますの。わたくしの結婚相手であれば、最高で伯爵家の当主となれますわ」
交渉にあたってはメリットも同時に開示しなければならない。侯爵家は弟が継ぐ予定だが、バンクス家には先祖から代々継いできた他の爵位と領地がある。ローザリアを妻とする男であれば、一代とはいえ伯爵家当主となれるのだ。
「勿論、サイモンをお姉様から引き離すようなことはいたしませんわ。わたくしは弟と同じ教育を受けておりますので、領地の運営は一人でも出来ます。サイモンにはこれまで通り、お姉様のお傍で仕事をしてもらいたいと思っておりますの」
バレンティーナは少しだけ首を傾げた。あまりにもサイモン側のメリットが大きすぎるのだ。確かにサイモンは見た目、才覚ともに一級品である。磨き上げたバレンティーナが言うのだから、そこに間違いはない。
だが、ローザリアは才覚の方は今まで通りバレンティーナへ捧げられるようにすると言うのだ。ならば見目の方をそんなにも気に入ったのか、と考えられるが彼女がそれだけで結婚相手を決めることなどないだろう。何せ彼女もバレンティーナの認める小鳥なのだ。そんな愚かな考え方はしない。
「わたくしは二人には幸せになってもらいたいのよ……サイモンは仕事人間だけれど、貴女はそれでいいの?」
見ようによってはサイモンはローザリアをないがしろにすることとなる。彼がバレンティーナに抱くのは恋愛的な愛ではなく、信仰に近いものではあるが。
バレンティーナはそう尋ねたが、ローザリアは緩く首を振った。
「だから、よいのです」
ローザリアはきっぱりとそう言った。バレンティーナがその猫の目を緩く見開く。
「サイモンはお姉様しか見ていないわ――つまり、彼は何があったとしても、浮気をしない。例えわたくしたちの結婚が白いものになったとしても、庶子の問題は絶対に起こり得ませんわ」
ローザリアが唯一恐れるのは相手の心変わりなのだ。だが、サイモンの心が変わることはない。ローザリアに向けられることがなくとも、彼女がバレンティーナの小鳥である限り、少なくとも表面上は仲睦まじくいられるだろう。
そして、彼が心を傾ける相手がサイモンに応えることはない。サイモンもそれを望まない。
ローザリアとてサイモンの見た目と才能は気に入っているが、そこに情熱的な愛はない。芸術品を愛でる感覚が一番近いだろうか。
ローザリアに必要なのはサイモンの持つ、ある種の一途さだ。そしてそれがどれほどに得難いものであるかは、バレンティーナとて身に染みて知っている。
「わたくし、サイモンのお姉様への愛を利用しようとしていますの。その代わりに、サイモンにはよりお姉様に役立つための地位を。お姉様には侯爵家の人脈を捧げますわ。領地の方も、お姉様に必要と思う場所を選んでいただければと思いますの」
そしてこういう言い方をすれば、サイモンとて断らないことを、彼女は知っている。バレンティーナのためとなれば、その身すら捧げる男であると、知っているのだ。
「そう……そこまで言うのなら、どうぞ。口説き落としてやって頂戴な、わたくしの小鳥。貴女がとっても素敵な淑女であることは忘れないようにね」
バレンティーナは穏やかに微笑む。お姉様の許可を得た小鳥は、早速子犬の元へとこの事業計画を伝えに行った。
子犬は寝耳に水だったようで、たいそう驚いていた。そこに畳みかけるように小鳥がうたう。
「我が家の所有する領地にレースを特産としているところがあるの。そこがグロリオーサと提携出来れば、よりデザインの幅を広げることが出来るわ」
「……ローザリア嬢。本当に、私で良いのですか? 私は路地裏に住んでいたことすらある平民なのですよ?」
サイモンはこの大きなメリットを見逃す男ではない。しかし、それが無条件で与えられるものではないはずとも知っている。ローザリアの真意を探ろうとしているのか、黄金の瞳がじっと彼女を見つめていた。
「あら、貴方バレンティーナお姉様の子犬だというのに、ご自分の価値をわかっていないのかしら?」
ローザリアがわざとらしく小首を傾げて見せる。そうして、バレンティーナを真似て微笑むのだ。
「お姉様が認めたという事実以上の価値がこの世にあって? わたくしは知らないわ。貴方は?」
「えぇ。私も、知りませんね」
ふふ、とサイモンが小さく笑う。彼が契約書にさらさらとサインをしていくのを見ながら、出来れば一人くらい子どもが欲しいな、とローザリアはそんなことを考えていた。この美麗の遺伝子は後世に残すべき宝である。
こうして彼らは一年生の終わり頃に婚約者となった。バンクス家の方もグロリオーサと縁を結べることを喜び、要望通りの伯爵領をローザリアに引き継がせることを約束してくれた。
その後の学園生活はなかなかに愉快なものだった。この年になるまで婚約者を決めてこなかった侯爵令嬢と、抜きん出た才能と美貌を持つ平民のカップルである。サイモンを観賞用としていたご令嬢はハンカチを噛み、バンクス家との縁を求めていた令息たちはぎりぎりと歯噛みしていた。
そんな令嬢令息の中には命知らずにも彼らにちょっかいをかける者もいた。サイモンは特に、婿入り先を探す貴族令息からの風当たりが強かった。元より平民でありながら上位の成績を残している実力者であるため、彼らがあげつらうのはもっぱら彼の血筋についてだ。
「彼は平民の上、元コールマン家の人間だそうですよ。あの、没落貴族の血筋です。そんな者と縁を繋ぐのは、バンクス侯爵家にとって損失なのでは?」
ローザリアに面と向かってそう言ったのはとある子爵家の三男坊である。それもサイモンが傍らにいるのを認識した上での発言だった。
ローザリアは少しだけ眉を上げる。彼はローザリア宛の釣書の一つにあった顔だった。あんまりよく覚えてはいないのだが。
「えぇ、そのことは存じ上げておりますわ。わたくし、自分の婚約者についてその程度のことも調べないほど馬鹿だと思われたのかしら?」
ローザリアはわざとらしく悲しそうな表情を作ってみせる。令息がわかりやすく慌てるのを尻目に、サイモンがその肩を抱いて寄り添った。そうして令息の方を睨みつける。
「私のことはともかく、ローザリアのことを貶めるのはやめて頂けませんか」
「いや、ッ私はそんなつもりはなく……!」
サイモンへの攻撃がいつの間にかローザリアへのものへとすり替えられていることに気づき、令息はうろたえながら否定する。しかし、サイモンの腕にしだれかかって目を伏せる彼女の様子に、周りの目は一気に冷ややかなものになった。
「たかが子爵家の、それも三男坊が侯爵令嬢の婚約者に難癖を?」
「ご自分ならふさわしいとでも思っているのかしら。自信があるのは良いことだけれど……」
「彼、成績上位に名前はあったかしら? ううん、きっとわたくしが見落としたのね」
ひそひそと小鳥たちが囁く。令息はたまらずその場から逃げ出していた。
ローザリアはサイモンの腕に隠れて、くすくすと悪辣に笑っていた。サイモンも彼女を慈しむように。もしくは、彼女の顔を隠すように抱き締めてみせた。
婚約者となったからといって、彼らの関係が大きく変わることはなかった。いつも通りに図書室で勉強し、放課後は必要な勉強のために、ローザリアは実家へ、サイモンは商会へとそれぞれ足繫く通っていた。
対外へのアピールとして仲睦まじくすることは忘れずに。二人ともバレンティーナの小鳥と子犬なのだ。それも彼女の花園の中で結ばれた、初めてのカップルである。醜態をさらすことなど絶対にあってはならないのだ。
卒業と同時にローザリアはレース工房を含む領地を受け継ぎ、姓をハウンドと改めた。サイモンはハウンド家の当主代理として、伯爵家に名を連ねることとなる。これは路地裏の少年のシンデレラストーリーとして、長い間語り継がれることになるが、ここでは割愛とする。
何せ、今日は彼らの晴れの舞台なのだ。空は晴天、風は心地よく、花々が咲き乱れる教会で、ローザリアとサイモンは結婚式を挙げるのである。
サイモン側の親族は影も形もないが、ローザリアの親族とグロリオーサの関係者が揃って祝福しに来てくれていた。勿論、バレンティーナ・オルガも。
「健やかなるときも、病めるときも。喜びのときも、悲しみのときも。富めるときも、貧しいときも。これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
神父の言葉にふ、とローザリアが笑みを漏らす。
「えぇ、サイモン。心を尽くして、支え合いましょう」
「えぇ、ローザリア。貴女の献身と真心に感謝を。同じものを返せるよう、尽力いたします」
お互いに愛するとは誓えない。神ではなく、お姉様の前で嘘はつけない。サイモンはローザリアの顔を覆うベールをそっとめくった。ローザリアが顔を上向ける。
そっと唇が重なり、会場が割れんばかりの拍手と祝福で包まれた。
それから二人は社交界でも有名なオシドリ夫婦として名を馳せることとなる。その実態がどうであったかは、彼らの女神のみぞ知るところである。
二人が愛し合えるかはわからんですが、彼らの間に生まれた子はグロリオーサの専属モデルになります。