美味しくなくても好きなんだ
早朝からサッカー部の朝練のために家を出て、見慣れた風景を視界に入れながらアスファルトの上を歩く。そして、見慣れた道沿いのパン屋で買い物をする。毎日毎日同じ行動をしていると、見えない力に操られるように身体が勝手に動いた。
左右に開く自動ドアの間をくぐり、トングとトレイに目をやる。
「いらっしゃいませ」
少々控えめな声でレジの後ろの少女が小さく礼をする。それに対して俺も礼を返した。
彼女は俺と同じ高校の制服の上にエプロンをしていて、後ろにまとめられた髪の上に三角頭巾が乗っかっている。それも見慣れた光景だ。でも見ていて退屈しない。
トングとトレイを持っていつも通りのカレーパンをトングで挟む。サクサクしたいい硬さが間接的に伝わってきた。それからクリームパン。今日もやはりいい柔らかさ。
あともう一つは気分で選ぶことにしている。店内のパンたちを見渡すと、一際目を引くものがあった。『パンだからパンダ』という名前のパンダの顔を象るパンだ。
ダジャレかよ。
そう思いつつも、かわいらしい見た目にボリューム感もあったので、そいつ優しくトングで挟みトレイに乗せた。レジ前の少女にトレイを渡す。
「カレーパン一つ、クリームパン一つ……あっ」
素早くレジを操作する彼女の手が止まる。俺が今まで見たことなかったパンだから、今日初めて置かれたものなのだろう。値段を把握していないのかもしれない。
「ぱ、パンだからパンダ一つ……合計で550円です」
「はい」
少女は恥ずかしい名前のパンを恥ずかしそうに呼びながらレジを操作した。レジのトレイに500円と50円を置いてちょうどの会計で済ませる。
「ありがとうございました」
俺がレシートを受け取らないのを知っているからか、俺が背を向けると少女はすぐにそう言った。
店を出る前に、パンの棚にポップが一枚垂れさがっているのに気づいた。それは例の『パンだからパンダ』の所に貼られていた。『娘が考案しました!!』こう書かれている。
さっきレジで戸惑っているのが納得いった。
俺と少女は近しい関係じゃない。制服から同じ高校だとは分かるが、学年も名前も知らない。ただ、毎日通っているから容姿や声やしぐさは見慣れている。
今日も、かわいい声だった。
朝練がおわると、教室でカレーパンを食べる。今食べないと昼までもたない。残りの二つのパンは昼用にとっておくようにしている。だが、今日の俺はやたら空腹らしく、『パンだからパンダ』も手に取っていた。
小さな耳からかぶりつく。目の部分にも歯形がつくほど大きな一口でパンを口の中に入れた。
耳の穴を表現するために表面に塗られていたチョコと噛むほどほんのり甘くなるパンの味がした。どうやら耳の中には具が何も入ってないらしい。ゴクリとそれを飲み込む。
噛み跡からパンの中身覗くと、中にはクリームが入っている。だが、同じくらいの大きさのクリームパンと比べて量が少ない。
顔の部分にもかぶりつき、ホームルームが近いのもあってその後手早く完食した。
総評、具が少ない。いつものパンたちに比べると劣るのは確実だが、まあ美味いっちゃ美味かった。
パサついた口の中にスポーツドリンクを流し込んだ。
朝練のためにいつもの道を歩き、いつものパン屋に入る。自動ドアが左右に割れると、いつものかわいらしい声がした。
「いらっしゃいませ」
やはり見慣れた少女がレジの後ろで礼をする。俺も礼を返した。
カレーパンとクリームパンをトレイの上に乗せて、残りの一つをどれにしようかパンの棚を見渡す。吸い込まれるように一つのパンに視線が動いた。『パンだからパンダ』だ。
いつものパンに比べて劣るくせにちょっと値段が高いそのパンをトレイの上に乗せてレジに向かった。
それから一週間、俺の三つ目のパンの枠は『パンだからパンダ』が占有することになった。今日もいつも通りにカレーパンとクリームパンをトレイの上に乗せて、すっかり位置を覚えた三つ目のパンにトレイを運ぶ。
しかし、目的地にはたどりつけない。いつもの場所にはあの耳の小さいパンダがいなかった。新しいパンが鎮座していて、新しいポップが貼ってある。
ポップの中に『娘』の文字を探したが、どこにも書いてなかった。
その新しいパン以外のパンを適当に選び、レジに進んだ。少女がパンの商品名を言って合計金額を告げる。そして今日は小銭がなかったので1000円札を出し、おつりの小銭を色白い手から受け取る。
「ありがとうございました」
いつものやりとりを済ませて、俺はパン屋を出て朝練に向かう。
その分かり切った朝の行動に初めて変化が起きた。
「あの、パンダのパンありましたよね?」
少女は文字通り目を丸くした。営業的なスマイルが剥がれ落ちて、戸惑う表情が見れる。
「あれ、なくなっちゃったんですか?」
「はい、売れ残りが多くて。味もあまり評判よくなかったですから」
彼女のかわいらしい声を、事務的な言葉以外で初めて聞いた。同時にいつも白い彼女の頬が色を持ち始める。
「そうなんですか」
「はい」
確かに、あのパンはいつも置いてあるパンに比べると劣る。見た目にインパクトがあるだけで、その味は毎日求めるほどのものではない。
だから、「あのパン美味しかったですよ」とは言えなかった。俺が素直に思ったことを口に出す。
「あのパン、好きでした」
視線を合わせていた彼女の瞳が揺れ始める。
まだストレッチもしてないのに、俺の身体は火照り出した。
「ありがとう、ございます」
それはいつも聞く言葉だが、聞き取るのが難しいほどの消え入りそうな声だった。
今までで、一番かわいい声だと思った。
読んでくださってありがとうございます。臥龍でございます。
構成上の問題で一切名前は出ませんでしたが、男子の方は『風見恭介』、女子の方は『田麦園花』といいます。
長編を書くための文章力強化のためにしばらくはバンバン短編書いていこうかと思いますので、次の作品にも期待していただけると血反吐吐いて喜びます。
ありがとうございました。