神子誕生祭~未来を夢見る者~
やっと序章が終わった感じでしょうか。
長い物語になりそうなので頑張って書きます。
「シャイン! 平気か?」
周りの視線を気にしつつ、微動だにしなくなった身体をクロウが何度か揺すると、ようやくシャインは大きく息を吐いた。
「……ん、クロウ? 私、帰って来れたの――」
シャインは僅かに視線を漂わせた後、心配そうに見つめるクロウの姿を認め、安心させるために微笑んだ。彼女が口にした言葉の意味を図りかねたクロウも、呼びかけに反応した様子に胸を撫で下ろす。
「クロウ、ごめんなさい。私……色々と話したいことがあるの。でもまずは天音の所に行かなきゃ。歩きながらでも、構わない?」
元よりそのつもりだったクロウは黙って頷き、シャインに続いてステージを後にした。途中で掴んだストールを露出した肩にかけてやるとシャインは小さくありがとうと言いながら身体を包み込むように腕を交差させた。
相当に怖い体験があったのだろうとクロウは推測したが、内容を自分から問いかけることは憚られ、結果二人の間には沈黙が流れる。慌ただしく二人の傍を通り過ぎていく騎士たちもやがていなくなった頃、クロウとシャインは星詠の裏手まで歩いて来ていた。二人の目の前に広がる地下への階段は、普段なら立ち入り禁止の場所だ。今も分厚い扉でその先は閉ざされている。
「私、何かしゃべってた?」
扉の前に設置されたパネルに、神子と王しか知らないパスコードが素早く入力されていく。
「いや、何も言ってなかったよ。ただ心ここに在らずというか……シャインが一瞬知らない誰かになったみたいで」
クロウはシャインの心の中で起こったことを知らないはずだったが、遠からず真実を言い当て、シャインは内心ドキリとした。そして同時に、敏いクロウが中途半端に真実を推測するくらいならあの場面をそのまま見せてやりたいと思った。
何故なら、シャインの心の中にはクロウの最愛の母、カレンの姿が出て来たのだから。
「ねぇクロウ。もし貴方のお母様が今日起こったことに関係していたなら――」
シャインはそこまで言ってしまってから、クロウにどんな答えを期待していたのだろうと疑問に思った。カレンが夢見の力を用いてシャインに言葉を残したのなら、今日の出来事と何らかの関係があることは間違いない。ただそれを知って、今更どうすると言うのだろう。カレンはすでに亡くなっているというのに。
「母さんが……?」
「ん、何でもないの。お願い、忘れて。そ、そうだ。クロウはあの光の帯、何に見えた?」
シャインは最後のパスコードを入力しロックが解除されたのを確かめてから、慌てて話題を逸らした。クロウはその不自然さに気づきつつも扉を開けなら小さく首を傾げた。
「光の帯か。あの少女が降りてきたの、だよね」
「ええ」
「そうだなぁ、天界と地上を結ぶ道みたいだったな。最初はテオリア神だと思ったんだ。でも降りてくる影を見てたら、思ったより小さな少女だったからびっくりしたよ」
「私はね、あの子が第一位とされる混血種だと思っているのよ。世界が灰色になった原因が彼女かは分からない。私のオラシオンが終わったのと彼女が現れたのはほぼ同時のようなものでしょ。もしかしたら私のオラシオンにテオリア神が怒って――」
「そんなことない! だって一緒に草花が音を奏でているの、僕は聴いていたら!」
「……ありがとう。でも原因がどうであれ、あの子が混血種であることは事実だと思うわ」
シャインは自分が心の中に閉じ込められそうになった時のことをゆっくりと思い出した。きっかけは、あの少女の瞳を見たことだった。一瞬見ただけで分かったのだ。彼女が同じであることを。彼女こそがシャインと対を為す存在であることを。さらに決定的なのは、無機質な声が告げた言葉。
「混血種の第一位って、今まで一度も見つかったことのない存在だよね」
「だから私も正直、実感はないのよ」
何度曲がったから分からないような入り組んだ地下通路を抜け、やっとたどり着いた部屋。天音と呼ばれるエスタンシア国の最重要人物の一人に不審な輩を近づけさせないために仕組みであり、シャインに付いて来ただけのクロウは再度同じ道を辿れる自信はなかった。シャインとの会話に気を配っていたせいもあるが、それほど通路は複雑に造られていた。
「ここが、天音様の部屋?」
クロウは正直、天音という存在を名前と噂でしか聞いたことがない。
エスタンシア国を陰で支える一人。星詠の地下に匿われ、会うことが許されるのは神子と王だけ。
そんな稀有な存在だからこそ、まるで幽閉されているかのように薄暗い空間に浮かんだ扉を指さされた時は思わずシャインの顔を振り返っていた。
「そうよ。天音はその強大な力故に、この部屋から出られることはないの。私たちが会えるのも限られた時間だけよ」
シャインはそう説明しながらか細い指で印を結び封印を解いていく。そして。
「さぁ、終わったわ。貴方はここで待って――」
『お入りなさい、シャイン、そしてクロウ。貴方たちがここへやって来るのを待っていました』
シャインが一緒に入ろうとしたクロウを制しようとした時、扉の向こうから川のせせらぎのような声が聞こえ、クロウはびくりと肩を震わせた。神秘的な声だけに驚いたわけでもない。驚くべきは、まだ名乗ってもいないクロウのことを天音が的確に見抜き、声を掛けたことだ。
シャインとクロウはお互い顔を見合わせると無言のまま扉を開け、部屋の中へと足を踏み入れた。
そこは、未知の空間だった。
塔を思わせるような吹き抜けの薄暗い空間には所々に青白い光の粒が漂っている。そしてその光の一つ一つがまるで映像を映し出す鏡のようにいくつもの場面を反射させ、やがて消えていく。クロウが触れようとするとそれは砂のように砕け散ってしまった。
『いらっしゃい、お二人とも。クロウとは会うのは初めてね。私は永い間、貴方たちと出会うこの瞬間を待ち望んでいたわ。夢見た時から、ずっと。さぁ怖がらないでこっちへ来て』
この世のものとは思えない美声に足を竦ませながらクロウはシャインを見習って姿勢を正し、正面を向いた。
クロウの前にあったのは天上から差し込む一筋の光、その光が床に光の環を作り、中心には一人の女性が佇んでいる。
「貴方が天音様ですか……?」
クロウはそう問いかけてから、何て馬鹿な発言なのだろうと自分を責めた。彼女がエスタンシア国随一の夢見、天音であるほかないのだ。離れた場所にいるだけで足が震えるほどの威圧感。そして天からの恵みであるかのようにのどを震わせる美しい声。
天から夢で未来を視、ヒトのために音を奏でてそれを告げる。それが「天音」。
もちろん天音と言う名は本名ではなかったが、力を有する物がやすやすと真名を教えることはないのだろう、天音の身を保護する星詠さえ彼女の本当の名は知らない。
『ええ、そうよ』
天音はクロウの単純な質問にも気分を害することなく、床に座り込んだまま少しだけ頭を持ち上げた。クロウは光に照らされた彼女の姿をはっきりと目に移し、思わず息を呑む。
それは世界の誰もが望む美貌だった。腰まで伸ばされた黒い巻き毛。少し気だるげに見える目元。薄っすらと紅潮した頬。透き通るような手足に純白の布を身に纏った天音はまるでエスタンシア国を長年支えてきた存在には見えなかった。外見だけで言えば、二十代前半といったところだろう。
『驚きましたか、クロウ。貴方の知っている通り、私は数百年の時をこの世界で生きています。しかも私は混血種ではないから、その生に耐えうる肉体を持っていません。ですから、とっくに私の身体は朽ち果てているのです。貴方が今目にしているのは私の昔の肉体を映した幻影。私という魂はこの部屋に浮かぶ光の粒一つ一つであり、精神体に過ぎません』
あまりの告白に、シャインも思わず言葉を失った。彼女がこの部屋を訪れたのはもちろん初めてではなかったが、彼女はいつもその姿を晒してこなかった。アーネストの付き添いがほとんどであったし、暗闇の中から声が聞こえるだけで実際彼女と会うことはなかったのだ。エスタンシア国を語る上で天音という存在は古くから伝えられているから彼女が普通の人であるはずがないということは薄々感じていたが、精神体となった人に出会うのはシャインもクロウもこれが初めてだった。
『さぁ、私の話は終わり。貴方は私に聞きたいことがあったのでしょう?』
シャインはそう問われ、頭を振り払ってどうにか雑念を追い払った。
「ええ、天音。私のオラシオンが終わってから現れたあの少女の正体。世界が灰色に染まり自然が一瞬にして枯れ果てた災害の原因。そして私が神子としてどうすべきなのか、を。貴方は知っているんでしょう――?」
シャインは最小限の説明しかしなかったが、天音は外の世界で何が起こっているのか全て把握していた。小さく頷き、一度ゆっくりと瞬きをする。
『その通り、私は夢で視ていました。神子誕生祭に何が起こるのかも、貴方たち二人がここへやって来ることも。私が今教えられることは伝えましょう。約束に関わる貴方たちが、この時を迎えたことを祝福して』
シャインは「約束」という言葉を聞いて思わず肩を震わせた。未遂とは言え、意識が乗っ取られそうになった時に聞いた言葉だ。思い出すだけであの時の恐怖が蘇り、額の汗をぬぐった。一方のクロウはまだ意味がよく分かっていないために小さく首をかしげている。
『まずは一つ目。あの少女の正体は、シャインの想像通り混血種の第一位です』
「あんなに見つからなかったのに、どうしていきなり……」
『彼女は別の空間にいましたから……私たちでは救い出すことの出来ない場所に。ただ、今の貴方たちには彼女がいた場所について教えても、理解することは出来ないでしょう』
未来を視る力を持つという天音は、クロウ達に必要ない話をする気は全くないようだった。まるで天音が口を開くことで未来を揺るがしてしまうことを恐れているような――彼女の言葉にはそういった慎重さが見え隠れしている。
『二つ目、世界に起きた異変――これは今まで世界を支えてきた理の一つが綻んだことが原因です。安心してください、シャイン。貴方のオラシオンが原因ではありませんから』
「理が綻んだことで、混血種の第一位が僕たちの前に現れた――?」
創作したオラシオンが神の怒りに触れたのではないか、そう心の隅で自分を責めていたシャインはようやく肩の力を抜いた。代わりにそれまで黙って聞いていたクロウが口を開くと、天音は驚きで気だるそうだった瞳を最大限に見開いた。
『その考察力……本当に、貴方は母親そっくり』
その言葉に今度はシャインとクロウが目を見開く番だった。クロウの母、カレンは二人にとっては大切な存在だったが、エスタンシア国の夢見が興味を持つほど特別な存在ではなかったはずだ。
けれど、とシャインは思う。シャインの未来に言葉を残したカレン。ここへ神子であるシャインだけでなくクロウがやって来ることを知っていたという天音。もしも二人の間に関係があったのなら。
「どうして、僕の母親のことを」
『時が来ればいずれ話しましょう』
「…………」
やはり天音は余計な話題についてコメントするつもりはないようだ。クロウは渋々と言った様子で口を閉ざし、先を促した。
『とにかく自然が理の綻びで失われた以上、一刻も早く元の状態にと焦る気持ちは分かります。長引けば、シャインのことを、災いを呼ぶ存在だと吹聴する輩が現れることも想像に易い。けれど少しの間だけお待ちなさい。混血種の第一位が目覚め約束の輪が回り始めた時、自ずと道は決まるでしょうから』
天音は最後まで抽象的な言及に留めると、深く息を吸った。その様子を見てシャインの顔に落胆の色が見える。
「時間……ですか」
『ええ。私はまた、夢を見ましょう。決して違えることのない、貴方たちの未来を』
天音は最後にそう告げると目を閉じたが、すぐにその姿は闇に消えていった。どうやら魂が眠りに就いたことで幻影が消え去ったのだろうとクロウは理解した。
「天音は一日の大半を眠り、未来を視ることで過ごしているの。いつでも私たちと話せるわけじゃないのよ」
「じゃあ僕たちが来た時に天音様が起きていたのは」
「運が良かったのか、それとも眠りを押し殺してまで私たちを待っていたのか。今の状況を見ると、おそらく後者でしょうね」
シャインの質問に簡潔に応えてから、それ以上議論をする間もなく眠りに就いた天音。それだけ、この部屋にシャインとクロウが来ることをずっと前から待ち望んでいたようだった。
そして約束の輪が回り始めたら、という発言。
今日の神子誕生祭は前兆に過ぎないと言うのだろうか。シャインはクロウに見られないよう顔を伏せ、唇を噛み締める。
それなら。鍵を握るのは間違いなく混血種の第一位――あの、少女だ。
「クロウ、戻りましょう。あの子に話を聞かなきゃ」
「……うん、そうだね。やっと見つかった第一位だもんね」
いつもより鋭い声色で言い放ち踵を返したシャインの後に続き、しかしクロウはちらりと天音のいた場所を振り返る。
懐かしい、気がしたのだ。クロウの中に、天音と会った記憶などないはずだというのに。一介の騎士であるクロウが天音と出会う機会なんてなく、今日が初めてのはずだというのに。
クロウは違和感に首を傾げつつも前を行くシャインに追いつくよう駆け足で部屋を出た。
ここで神子誕生祭編は終了です。
次からは混血種の第一位について話が進んで行きます。