6 妖怪ぬらり
「くそっ!」
玲七郎は観えないままパッと飛び退った。そのまま屈んで、「火焔狐!」と呼んだ。
玲七郎の頭上を熱いものが通り過ぎるのを感じると、すぐに、髑髏のものらしい「ぐあっ、やめろ!」という叫びが聞こえた。
暫くの間、激しく争っていたようだが、「ぎゃあああーっ!」という断末魔の後、急に静かになった。
「やったか?」
玲七郎は思わず尋ねたものの、元々火焔狐は喋らぬようで、「聞いてもしかたないか」と自嘲気味に呟いた。
と、真後ろから「もう大丈夫ですぜ、旦那」という声が聞こえた。
闇鴉の声のようだが、ふと、違和感を覚えた。羽ばたく音が全くしなかったのだ。ぞわっと背中に鳥肌が立った。
玲七郎は「何者だ!」と言いざま、斬霊剣で背後の何者かに斬りつけた。
「おっとっと。危ねえ、危ねえ。旦那、あっしですよ。止めてくだせえ」
相手はそう言うが、最早闇鴉の声でないのは明らかだった。
「違う! おまえは闇鴉じゃない!」
「困った旦那だねえ。さっきの髑髏に何か変な術を掛けられたみてえだねえ。あっしですよ、闇鴉ですよ、旦那」
玲七郎は迷った。最初は似た声だと思ったが、今はまるで違っているように聞こえる。しかし、もし、そういう術に掛かっているなら、それもまた理にかなっている。
「すまん、闇鴉。おれにはどうしてもおまえの声に聞こえない。念のため、おまえの羽根を触らせてくれ」
「ああ、いいですとも。ささ、どうぞ存分に触ってくだせえ」
そう言われ、玲七郎はゆっくり右手を伸ばした。
と、その手を誰かが掴んできた。反射的に手を引こうとしたが、物凄い力で押さえられている。
「きさまは闇鴉じゃないな! 誰だ!」
「まあまあ、旦那、そういきり立たずに話を聞いてくだせえよ」
手を振り解こうとしながら、玲七郎は背後に向かって「火焔狐! 闇鴉!」と呼びかけた。
「無駄なことだよ。一応、結界を張った。狐にも鴉にも、あんたの姿は見えないさ」
相手は闇鴉の口真似を止め、本来の口調で話してきた。脅すような感じはなく、むしろ穏やかである。なんとなく、聞き覚えがある気もする。
だが、握った手はそのままだ。
「手を放せ!」
「そうはいかないねえ。あんたのおっかない剣は、両手じゃないと使えないだろう。おいらを斬らないと約束してくれたら、手を放そう。言っとくけど、嘘は駄目だよ。『言霊縛り』をかけるからね」
相手の言葉どおり、両手でなければ斬霊剣は使えない。信用はできないが、ここは従うしかなかった。
「わかった。約束しよう」
「いい心掛けだね」
それでも相手は警戒しつつ、ゆっくり手を放した。
玲七郎は呼吸を整えようと努めたが、相手がどう出るか気になって集中できない。
「くそっ。おまえはいったい何者なんだ?」
相手はフフッと笑った。
「おいらは、ぬらりというケチな野郎さ。灰かけお婆や髑髏法師と同じく、元々この山に棲んでる。まあ、お婆や法師と違って、人間を襲ったりはしない。川の鯰を喰って、のんびり暮らしてた。そこへ、あいつがやって来たのさ」
「あいつ?」
「ああ。妖怪じゃないよ。人間さ。あんたも気がついたろうが、山の上にあるお財宝を見つけて、欲に目が眩んだ。取られたくないばかりに、招魔の術を使って魔物を召喚しちまった。今はもうその魔物と一体化して山頂に陣取ってる。周辺の魑魅魍魎を吸い込んで、どんどんパワーアップしてるよ」
あまりに明け透けな態度に、却って玲七郎は不審を感じた。
「何故そこまでおれに教える?」
ぬらりという妖怪は、またフフッと笑った。
「もちろん、あんたに助けて欲しいからさ」
「助ける?」
「そうだよ。確かに山全体の霊気が上がって燥いでるやつもいるよ。お婆や法師もそうさ。けど、おいらは違う。あいつのせいで、川から鯰がみんな逃げちまった。あんたがお婆の灰が入った眼を、川の水で洗わなかったのは正解だよ。上流から毒が流れて来てる。まあ、そんな理由で、あんたには頑張って欲しいんだよ」
玲七郎はフンと鼻で笑った。
「お生憎だな。頑張るも何も、この為体だ。とても闘えねえよ」
「わかってる。おいらを信用してくれるなら、暫くジッとしてて」
「ふん。好きにしろ」
玲七郎は、瞼の上を羽根のようなもので撫でられたのを感じた。
「いいよ」
言われて、玲七郎がゆっくり目を開く。最初は眩し過ぎたが、少しずつ目が馴れ、視界が戻ってきた。
目の前のぬらりの姿も見えてきた。
「お、おまえは!」
そこに立っているのは、同級生の後藤であった。