3 魔界のブラックホール
「駐在さん、違います! この人は悪い人じゃありません!」
千之助がそう叫んでも、警官は油断なく拳銃を構えたまま玲七郎に向かって、「こんな場所に子供を連れて来て、何をしとるんだ!」と追及した。
玲七郎は千之助の手をゆっくり離すと、そのまま軽く両手を挙げた。苦笑している。
「おいおい、焦って本当に撃たないでくれよ。なんか誤解してるようだが、おれは、上でこの子供を保護して、学校に戻るのに付き添ってただけだ。逆に、感謝されてもいいくらいだぜ」
警官は尚も玲七郎の言葉が信用できないらしく、「あんた、名前は?」と誰何した。
「ふん。仕方ねえな。答えてやるよ。おれは斎条だ。もし、不審なら、村役場の後藤に聞いてみてくれ」
後藤の名前を聞いた途端、ハッとして拳銃をしまい、頭を下げた。
「すまん。あんたが後藤さんの頼んだ拝み屋さんだったのか。わしは、てっきり」
言い淀んだ警官の代わりに、玲七郎が「チンピラ、って思ったろ。よく言われるよ」と笑いながら両手を下ろした。
警官はもう一度頭を下げた。
「本当にすまん。わしは見回り中に、そこの新川くんが学校と反対の方向へ歩いて行くのを見かけ、すぐに追いかけたが見失い、不安に駆られながら探しておったんだよ。あんたも後藤さんから聞いたと思うが、前任の篠崎くんがあんなことになってしまったのでね。おお、そうだ、わしは塙だ。何かできることがあれば言ってくれ。全面的に協力する」
「じゃあ、すまんが、この坊主を学校まで送ってやってくれ。一応、除霊したから大丈夫と思うが」
除霊という言葉にギクリとしながらも、塙という警官は「わかった。任せてくれ」と千之助を引き取った。
千之助もホッとしたように微笑み、玲七郎に礼を言った。
「ありがとうございました。お兄さんは、また戻るんですか?」
玲七郎は「ああ、それがおれの仕事だからな」と言って、両方の眉を上げてお道化た顔をして見せた。
それは千之助を怯えさせないための、玲七郎なりの心遣いであったらしい。二人が立ち去ると、再び厳しい表情になった。
「さてと。さっきの動物霊は、虎の威を借るなんとやら、だな。恐らく、上には虎みてえなのがいるはずだ。ちょっと斥候を飛ばすか」
玲七郎は右の人差し指を立て、「出でよ、闇鴉!」と命じた。
と、指先から黒い霧状のものが噴き出し、もやもやした黒い鳥のような形になった。嘴を開いて「旦那、随分お久しぶりだね」と低い声で言った。
「ふん。文句を言うな。おまえの出番が少ない時は、平和ってことさ」
「へえ。ってことは、今は戦かい?」
「そういうことだな。どうも、今回の相手は一筋縄では行かねえ気がする。さっきの鼬もそうだが、もう少し下にいた餓鬼も、この山全体の霊気の高まりに影響されて活気づいてやがる。他にも何か出て来るだろうが、結局、その本体を斃さなきゃ、解決しねえだろう。まあ、とりあえず、様子見だ。山全体をサッと見て来い。深入りすんなよ」
「心得た」
鳥の形の黒い霧は、羽ばたくように飛び去った。
「ふん。張り切ってやがる。まあ、こっちはこっちで地道に調べるか」
玲七郎は立ったまま、全身の力を抜いた。目を半眼に閉じ、ゆっくり呼吸する。感覚を研ぎ澄ましているようだ。
やがて、玲七郎に視覚がパーッと開く感覚が訪れた。自分の真後ろまで見えて来る。そのまま、範囲を拡げて行くと、山を下っている千之助と警官の姿も見えた。その状態で、見えるものを現界から魔界にシフトして行った。
やはり、千之助のいる部分の霊圧が低く、憑依され易い体質なのが見て取れる。
上の方では、闇鴉が上空を旋回しながら、時折高度を下げたり、急上昇したりを繰り返しているのがわかった。
玲七郎が山の方に意識を向けると、山頂近くに真っ黒な部分があり、周辺の霊気を吸い込んでいるのが見えた。
「こりゃあ、まるでブラックホールだな」
そう呟いた瞬間、そこから黒い矢のようなものが、玲七郎目掛けて飛んで来た。
「くそっ!」
玲七郎は集中を解き、両腕をクロスして「魔楯!」と唱えた。
山頂から飛んで来た黒いものは、玲七郎の数メートル手前で見えない壁にぶつかったように止まり、地面に落ちた。見ると、赤黒い血の痕のようなものが全体にこびり付いた矢であった。鏃はボロボロに錆びている。
「宣戦布告、ってわけだな」
クロスした腕を解いた玲七郎は、不敵な笑みを浮かべた。