2 山林の闘い
玲七郎は、臍下丹田に力を籠め、フーッと長く息を吐いた。動揺が鎮まると、何よりも先ず千之助の憑依を解くべく、技の態勢をとった。
両手を複雑に動かしながら気を高め、最後に左手の二本の指で空中に五芒星を描くと、薄くその形に空気が光った。それを、スッと前に押し出す。
「浄霊明星!」
光る五芒星が千之助の身体に触れると、パラパラと弾けて飛び散った。
再び千之助の口が開いた。
「無駄なことだ。そのような小手先の技でわれらを退治するつもりか。笑止千万!」
だが、今の技は陽動であったらしい。
その間に玲七郎の右手が動き、「出でよ、のづち丸!」と命じると、太い蛇のような黒い塊が出現した。パックリと大きく口を開くと、轟々と空気を吸い始めた。
そちらに引っ張られるように、千之助がよろめいた。
「うぬぬ。式神か。ならば」
千之助は足を踏ん張りながら、一旦手を挙げ、下ろした。周辺の熊笹から、葉を掻き分ける音がし、体に何本も矢が刺さった鎧武者が現れた。さらに左からもう一体、右からも一体、計三体である。皆、兜の下に顔がなく、真っ黒な闇のようだ。無言で、鎧を軋ませながら、ゆっくり歩いて来る。
玲七郎は「雑魚め」と吐き捨てるように言うと、ポケットから扇子を取り出し、刀の柄を持つように握った。
「斬霊剣!」
そのまま見えない刀を振るい、まず正面の一体を袈裟懸けに斬った。返す刀で背後から迫るもう一体の胴を水平に斬ったが、回り込んで来た最後の一体に右腕を掴まれた。
「くそっ!」
玲七郎は扇子を捨て、自由になった左手で印を結ぶと、パッと五本の指を開いた。
「火焔狐!」
左の掌に丸い炎の塊が現れ、みるみる膨らんで狐のような姿になった。大きく口を開け、炎の牙で玲七郎の右腕を掴んでいる鎧武者の手を噛み千切った。さらに、ところ構わず噛みつくと、鎧武者の体が燃え上がった。
玲七郎は落とした扇子を右手で拾おうとして、「うっ」と呻いた。
「痛えじゃねえか、馬鹿力め!」
玲七郎は鎧武者に掴まれていた右腕を擦った。
振り返ると、千之助は、まだ動けずに立っている。
「今度こそ、覚悟しやがれ!」
玲七郎は、再び両手を複雑に動かし、最後に左手の二本の指で空中に五芒星を描くと、今回はくっきりその形に空気が光った。それを、スッと前に押し出す。
「浄霊明星!」
明るく光る五芒星が千之助にスッと吸い込まれた。
千之助の体全体が光り、「ぐはっ!」と口から何かが飛び出した。茶色の毛の塊のようだ。それが解けると、鼬のような獣の姿になって逃げて行った。
「ふん、やはり動物霊か」
玲七郎が「のづち丸、火焔狐、戻れ!」と命じると、二体の式神は左右の手に吸い込まれるように消えた。
見ると、千之助は白眼を剥き、口を開けた状態のままで立っている。玲七郎は背中側に回り、千之助の両肩を掴むと、「吽!」と活を入れた。硬直していた身体が柔らかくなり、倒れそうになるのを支える。
「ぼ、ぼくは……」
千之助に正面を向かせ、玲七郎は叱責した。
「馬鹿野郎! 危ない真似しやがって。なんでついて来たんだ」
「ごめん、なさい。お兄さんのことが気になって、様子を見ようと歩いているうちに」
「わかった。もういいよ。おまえ、一人で学校に行けるか?」
千之助は心細そうな顔で俯いた。
「しょうがねえな。乗り掛かった舟だ、連れて行ってやるよ」
「すみません」
「さあ、行くぜ」
玲七郎は少し照れくさいように顔を背けながら、千之助と手を繋いでやった。
二人で並んで山道を下っていると、麓の方から自転車に乗った年配の警官が登って来た。
千之助は顔見知りらしく、「あ、新しい駐在さんです」と声を上げた。
だが、警官は、玲七郎たちを見つけると自転車を停めて飛び降り、厳しい顔つきで走って来た。玲七郎の目の前に立つと、ホルスターから拳銃を抜いて構えた。
「未成年者略取の現行犯で、逮捕する!」