11 最後の手段
後藤は、人とも猿ともつかない顔になり、牙を剥いて立ち上がった。
「ぼくのどこが馬鹿だというのだ!」
玲七郎は少し距離をとって立ち、冷笑した。
「まさに、今のおまえの姿さ。すっかり魔境に堕ちやがって。さっき泣いたのは、僅かに残っているおまえの良心だろう。いい加減に、目を醒ましやがれ!」
後藤を挑発しながらも、玲七郎の目は、後藤の背後に近づく人影を捉えていた。
髪を振り乱し、ボロボロの服を纏った初老の男で、片手に抜き身の日本刀を持っている。ずっと何かをブツブツと呟いているようだ。
怒りが頂点に達し、今にも玲七郎に襲いかかろうとしていた後藤も、ハッと気配を感じたように振り返った。
「に、楡小路? 何故おまえがここに?」
「とぼけるな! よくもわしの古文書を盗んだな! この山の埋蔵金は、全部、わしのもんじゃ!」
言いざま、楡小路は袈裟懸けに日本刀を振り下ろした。
「違う、ぼくのものだ!」
言い返しながら、後藤は日本刀を素手で掴んだ。掌からタラタラと血が滴る。普通の人間なら、指を斬り落とされていただろう。だが、後藤が力を籠めると、パキンという音と共に、刀身が折れてしまった。
勢い余ってたたらを踏む楡小路に、玲七郎は「どいてろ!」と叫び、パッと左手を開いた。
「出でよ、火焔狐!」
玲七郎の左の掌から炎が噴き出し、燃え盛る狐の姿となって、後藤に飛びついた。
が、後藤はニヤリと笑い、掴んでいた折れた刀身を捨て、右腕をグッと突き出した。すると腕は太い蛇のような黒い塊となり、パックリと大きく口を開くと、轟々と空気を吸い始めた。先程見せた普通の蛇の腕とは、全く違うものであった。
玲七郎の顔色が変わり、「こ、これは」と呻いた。
後藤は勝ち誇ったように、「のづち丸、とか言ったな。すでにぼくがいただいたよ。そして、こいつもな!」と告げて、のづち丸の口を火焔狐に向けた。
蛇が自分より大きな獲物を呑み込むように、のづち丸の口が火焔狐を吸い込んで閉じると、後藤の体全体がメラメラと炎に包まれた。後藤は満足そうに笑っている。
「ふふん、ありがとう、斎条。体が暖まるよ。ところで、もう式神のストックはないのかい?」
「くそっ!」
玲七郎は認めたくなかったが、打つ手がなく追い詰められていた。
一方、楡小路が駆け戻って、刀身の折れた日本刀でさらに後藤に斬りかかろうとした時、遠くの方から「止めるんだ、楡小路さん!」という声が聞こえて来た。
自転車に乗って坂道を上がって来るのは、塙と名乗った新しい駐在所の警官だった。
玲七郎は舌打ちし、「今は来るんじゃねえ!」と叫んだ。
塙は炎に包まれた後藤を見て、ギョッとしたような顔になったが、「後藤さん、今すぐ火を消してやるから、辛抱してくれ!」と叫び、自転車を降りて走り出した。走りながら拳銃を引き抜くと、銃口を楡小路に向けた。
玲七郎は「馬鹿野郎! 勘違いするな!」と塙に教えようとしたが、塙自身も、後藤の異常さに気づいて立ち止まった。
「後藤さん、あんた、苦しくないのか?」
後藤は揶揄うように一度炎を大きくし、スーッと消して見せた。
「ぼくなら平気だよ、駐在さん。早く、そこの刀を振り回している男を逮捕して連れて行ってくれ。ぼくは親友の斎条と二人きりで話がしたいんだよ」
塙は困惑して玲七郎を見た。
「ふん。おれの顔を見たって、答えは書いてねえよ。少なくとも、これ以上犠牲者を出さないために、そいつの言うとおりにした方がいいだろう」
だが、塙が動く前に、楡小路が「騙されるな! 後藤は最早人間ではない!」と叫ぶと、刀身の折れた刀を後藤に投げつけた。
後藤は笑ったままそれを避けず、刀は左胸に突き刺さった。
「ああ、痛いよ痛いよ、駐在さん。そいつを殺人罪で射殺してくれよ」
ニヤニヤ笑いながら言う後藤を、塙は凍りついたような表情で見ていたが、拳銃の銃口を楡小路から後藤に向け直した。
後藤は外国人のように肩を竦めた。
「どうした駐在さん? 相手を間違ってるよ」
「た、確かに、楡小路さんが日本刀を持ち出して山に向かったという通報でここに来たが、どう見ても、あんたの方が異常だ!」
「ほう。撃てるもんなら、撃ってみな!」
塙の拳銃を握った手はガクガクと震えている。
玲七郎はハッとして、「そうか。その銃をおれに渡せ!」と叫び、手を差し出した。
塙は「し、しかし、規則が」と首を振る。
「今は、法律がどうのとか言ってる場合じゃねえ! いいから、おれに任せろ!」
ついに塙は決心したらしく、フックから拳銃を外し、駆け寄ってそれを玲七郎に渡すと、楡小路を引っぱって距離を取った。
後藤は胸に刀が刺さったまま、その一部始終を見ていたが、「拳銃なんかで、ぼくを倒せるとでも思っているのか?」と嘲笑った。
「思っちゃいねえさ」
そう言うと、玲七郎はレンコン型の弾倉から弾丸を全て抜き取り、改めて両手で銃を構えた。
「さあ、行くぜ!」