9 火焔剣
玲七郎は、肩の上の闇鴉に「上から誘導しろ!」と声を掛けると、目を閉じた。
闇鴉の羽ばたきが聞こえ、「いいぜ、旦那!」と上から声がした。
玲七郎は、斬霊剣を正面に構えたままだ。敢えて霊眼は開かず、自然体を保つ。
「旦那、今だ!」
闇鴉の声に「おう!」と応えて、斬霊剣を突き出した。
「ぐはっ!」
手応えを感じながら、全身の力を籠めて相手を押した。
「うおおおおおーっ!」
上から闇鴉が「旦那、そのまま真っ直ぐだ!」と教える。
相手の背中がドンと何かにぶつかった。玲七郎が見当をつけていた立ち木だ。玲七郎は俯いたまま少し目を開き、扇子を握った自分の手を見た。
「火焔剣!」
相手を突き刺したまま、玲七郎の左手側から斬霊剣を伝って炎が流れ、相手を業火で包んだ。
「ぎゃあっ!」
それでもまだ剣から手を放さない。普通の炎とは違うとはいえ、玲七郎自身も耐え難い熱さに顔を歪めた。
「旦那、もういいでしょう」
闇鴉に言われて漸く相手から斬霊剣を抜いて離れた。
灰かけ婆と髑髏法師が合体した妖怪は、立ち木に縫い留められたように固定されて燃えていた。
「トドメを刺しとこう」
玲七郎は扇子をしまい、呼吸を整えた。両手を複雑に動かし、最後に左手の二本の指で空中に五芒星を描くと、くっきりその形に空気が光った。それを、スッと前に押し出す。
「浄霊明星!」
空中を飛んだ五芒星が、燃えている相手に吸い込まれた。すると、内側から光が溢れ、口や目や耳から漏れ出て来た。その光の圧で体が風船のように膨らむと、ボフッと弾けて消えた。
「一丁あがり、だな」
玲七郎がホッと息を吐いた時、闇鴉が「旦那、人が来やすぜ!」と告げた。
「何だと」
玲七郎が耳をすまして気配を探ると、少し上の方からガサガサと下生えの草を掻き分けて歩く足音が聞こえて来た。
「まさか、とは思うが」
玲七郎が怪訝な顔で待っていると、風に乗ってぷんと厭な臭いが漂って来た。何日も風呂に入っていない人間の体臭のようだ。
ついに、樹々の間から姿を現したのは、ボロボロの服を身に纏った男だった。髪も髭も伸び放題になっていた。茫然とした顔で玲七郎を見ている。
「おまえ、後藤、なのか?」
思わず玲七郎が声を掛けると、男も驚いたように口を開いた。
「さ、斎条か?」
「そうだよ。おまえ、大丈夫なのか?」
男の目に、みるみる涙が溢れてきた。
「斎条、助けてくれ」
後藤は、崩れるように、その場に座り込んだ。
玲七郎の肩に闇鴉が留まり、小声で「旦那、気をつけなよ」と囁いた。
玲七郎は黙って頷くと、ゆっくり後藤に近づいた。
「どうした? 随分非道い状態だな」
後藤は、涙とも鼻水とも涎ともつかない液体でグシャグシャになった顔で玲七郎を見上げた。
「すまない。こんなところを見せてしまって。もっと早く斎条に相談して置けば良かった。もう、ぼくの手には負えない」
「鵺か?」
玲七郎がその言葉を口にすると、後藤はブルブルと震え出し、怯えたような目で左右を見回した。
「そうだが、その名は呼ばない方がいい」
「わかった。話があるなら、聞こう。たが、その前に」
玲七郎はそれ以上近づかず、立ったまま再び両手を複雑に動かし、最後に左手の二本の指で空中に五芒星を描くとその形の光を、スッと前に押し出した。
「浄霊明星!」
五芒星は後藤の体に吸い込まれるように消えたが、何の変化も起こらない。後藤は不思議そうに首を傾げている。
「これは、何かの咒かい?」
玲七郎は苦笑して「気にするな」と告げると、後藤の横に座った。
「さあ、言いたことを言っちまえ」
「ありがとう。だけど、大丈夫かな?」
後藤が周囲を気にする様子を見て、玲七郎は肩の闇鴉に「上から監視してくれ」と頼んだ。
闇鴉には珍しく、すぐには返事をしなかったが、「わかりやした」と飛び立った。
「いいぜ。何か近づいたら、あいつが知らせる」
「本当にありがとう。でも……」
後藤は言い淀んで、俯いた。
「どうした?」
後藤は躊躇うように顔を上げたが、その表情は気味の悪い笑顔だった。
「これから近づくんじゃなくて、もうおまえのそばにいるんだよ」
そう言うと、後藤は口から何かを吐き出した。それは、光の消えた五芒星だった。




