死神佐平 3
男は、サイドボード横の、クローゼットの扉のところで目を止めた。
まだ腐臭はしていないが、クローゼットの奥から漂ってくる死の匂いを、男の鼻はしっかりと嗅ぎ分けることができた。
この部屋の主が死体となって、クローゼットの下段に押し込まれているのである。
死体のある部屋で男は一晩、と言っても昼間ずっと寝ていたから、一昼過ごしたことになる。
別に、気持ちが悪いとは思わない。
死の匂いがしている方が、落ち着くぐらいだ。
死の匂いを嗅いでいるうちに、嫌な夢の余韻を拭い去ることができたが、もう暫くの間、男は動かずにいた。
男は、夜が近付くのを待っていたのだ。
寝る前と変わらず、男の腹はまだ空いていた。
一人分の命を一滴残らず吸いとっても、空腹はおさまらなかった。
八百年間にも渡って男は、ある場所に閉じ込められていたのだ。
そこでは、時間もなく眠りもなく、全てが漠としていた。
そんな中、あるのは己だけであった。
どれだけ叫んでも暴れても、誰とも会うことも、他者の声を聞くこともできないのだ。
それが、男が意識を失くす時まで、未来永劫続くのであった。
男の中に、閉じ込められていた時の恐怖が甦る。
男は深く呼吸して、もう大丈夫だと自分に言い聞かせた。
もう逃げ出せたのだ。
自分がいるのは、何も怖れるもののない世界だ。
人間達が、無防備そのものに暮らす、安全な場所なのだ。
男は実は、人間ではなかった。
日の光を嫌うところからして、化け者染みていることだろう。
男は、冥府と呼ばれる、人間の住む世界とは違う世界からやってきた。
男の外見は、ごく普通である。
茶髪の、二十代前半。二十二、三才ぐらいだろうか。少し痩せぎすだ。
瞼が浮腫んでいるのは、寝起きの所為だった。
まだあどけなさの残る顔の顎には、うっすらとヒゲが伸びてきている。
男は、パジャマ代わりのスウエットの上下を着ていた。
服は、この家の本当の持ち主のものだ。
この服の持ち主は、男に食い殺されて、クローゼットの中で死んでいる。
男の本当の姿は、こんな姿ではない。
単に怪しまれないよう、変化術で人間の姿をとっているだけだ。
人界に降りてきて、まず男が初めにしたのが、人界での隠れ蓑に使う人間を物色することだった。
餌ならば選り好みできるほどだったが、食べ物よりもまず、人界に人間として潜り込むことが、男にとっての先決だったのだ。
とある盛り場で、この家の主を見つけて、後をつけてこの家まで案内させた。
カギを開けて部屋に入るところで、襲って殺したのである。
相手は声一つ立てられず、殆ど苦しむこともなく死んだ。
血も出ない。
死体は奇麗なものだ。




