河童与之介 1
普段の宮の捕縛の際の出立を、銀丸は側仕えではない為に知らない。
本来なら、何十夭もの者が宮の支度を手伝い、一分一秒も無駄にしないようにするのだが、冥府での出立とはあまりにもかけ離れた姿だ。
騎乗である白魔も狩り装束も、水神刀もない。
宮は、ガタピシ言う立て付けの悪い引き戸の鍵が、なかなか掛からずに手こずっていた。
時間帯から言っても場所柄から言っても、親子でこれから銭湯にでも出かけるといった風情だ。
銀丸は宮を見ながら、
「何か、閉まりませんね」と、声を掛けた。
宮は苦笑して、
「私もそう思う」と、答える。
え?と銀丸が聞き返した為に、締まる違いだったかと、宮は自分の勘違いを笑った。
銀丸は、その間違いのおかしさに気付かずに、きょとんとしている。
宮は楽しげに、ふふふと笑った。
【ええ、そうです。水宮司様だって、もちろんおかしければ笑うのでございます。罪を犯した者にすら、決して厳しいお方ではないのです。
水宮司様に仕えている水狐で、まず叱りつけられた者はないのでございます。
反して火宮司様は、火狐達にも厳しく接すると言いますが、火宮司様とて決して無情な方ではありません。
火宮司様と赤熊の逸話を、皆、皆様もよくご存じでございましょう。
火宮司様は、捕り物の帰りの道すがら、崖から落ちて木の枝に串刺しになった、赤熊の子供を見つけたのでございます。
種争いの中で、誤って崖から落ちたのでありましょう。
まだ幼獣であった赤熊の、のちの炎虎は、木の枝に腹を串刺しにされるという瀕死の傷を負いながらも、火宮司様にしっぽを振って親愛の情を示したのです。
火狐達は、放っておけばそのうち死にましょうと、気にも掛けぬ在り様。
火宮司様は、何も言わず黙って赤熊の子を見ていましたが、その場を離れてお宮に戻る火宮司様の腕の中には、腹を血止め帯で巻かれて布にくるまれた、赤熊の子がいたのです。
こうして火宮司様は、命を一つ、己が負うことにされたのでありました。
この一件、火宮司様と赤熊の、まことに友愛を表していると言えましょう。
しかし、今お話しているのは、我等が水宮司様のこと。
さて。
物語は、ここからが本番にございます。
河童子の与之介を捕縛される水宮司様の、鮮やかなお手並みを、いざ拝見】
東京都台東区 閑静な一戸建の住宅街
夜の九時を回った頃
人気のない街路の等間隔に並んだ街灯の下を、スーツ姿の二人連れが歩いてくる。
片方は、四十前の小柄な男だ。
随分後退した髪をオールバックにしているが、顔が童顔なためアンバランスな感じがする。
かけている丸眼鏡が、男を銀行員か小さな役場の会計係とでもいった風情に見せていた。




