縁起堂 28
銀丸が、水で髪の毛を撫でつけてみたりして遊んでいる間に、十五分ほど時間は経過していた。
銀丸が、こんなことをしている場合ではないと、廊下を戻ってみると、
「啖ったとなると、流石にまずかろう」と、言う、宮の声が聞こえた。
鏡を使って、誰かと話をしているようだ。
しかし銀丸が台所に入ってみると、宮も台所にいた。
もう、話は終わったのだろう。
話していた相手は、篁ではなく衛士次官だったようだ。
篁に裁断を仰がれ、宮は的確な判断をすぐに出した後、留守居を任せた外宮頭に、幾つか必要な指示まで伝えた後だとは、銀丸は流石に思っていない。
銀丸が己の顔に見とれている間に、宮はそれだけのことをしているのである。
宮は、コップに水を汲んだ物を右手に、左手に粉薬の包みのような薬包紙をつまんでいた。
卓袱台の前に宮は座ると、薬包紙から、山椒ほどの大きさの青い粒を水の中に落として、コップを回すようにして揺らした。
宮は、真剣にコップの底を見ている。
「先ほど、水呑童子達に、集めよと仰った雨滴にございますね」
銀丸は宮の前に腰を下ろしながら、そう言った。
雨滴とは、人間の周囲に洩れ出している記憶を、固めたもののことを呼ぶ。
雨滴という名は、固めた時の形状が、雨の滴に形が似ているからついたものである。
古い物や建物が、特殊な磁力を出しているように、人間も僅かではあるが、同じように磁力を出しているのだった。
その磁力の中には、その人間の生きてきた時間と、あらゆる思いが凝縮されているものだ。
何の先入観もなく初めて会った人間に、良くも知らないのに好意を持ったり嫌悪感を持ったりするのは、その人間の生き様や価値観が磁場に反映していて、それを感じるからなのである。
第一印象は外れる場合もあるが、大抵、初めに感じた印象から大きく外れるということはない。
外れるのは、人間が過去に生きている訳ではなく、現在を生きているからである。
過去にどれだけ荒んだ生き方をしていても、その生き方からは脱しているかもしれない。
反対に、以前にどれだけ真っ当であったとしても、いま現在、道を踏み外しているかもしれないからだ。
そこまでは、やはり、よく知り合ってしか分からないのである。
それでも、身元確認の参考程度に用いるのなら、雨滴の方が、他人が判断したり勝手に数値化した人間像より、よほど信頼が置ける。
何と言っても、雨滴が教えてくれるのは、その人間が生きてきた人生そのものだからだ。
他人の目は歪むものだし、数字でその人間自身のことが本当に分かる訳はないのである。




