縁起堂 10
このように、人界で暮らしていた妖かしは数多く、人界での歴史書にその名が散見するのも珍しくない。
日本であれば平安時代、中国であれば三皇五帝の時代、イギリスは紀元前においてが、最も妖かし達が人界交流を盛んに行った時期となっている。
菅公や篁、晴明狐も、人界への公的な留学生であった。
けれど、もうずっと前に留学の制度は廃れ、今では復活の話もなかった。
しかし、ではある。
交流が盛んにされていた時代以降も、私的に留学を行った者、人界を乗っとろうとした者など様々であった。
両宮は、それらの妖かしを時に罰し、時に許し重用したりしている。
妖かしの多くは、人よりも長命である。
年をとるのも遅い、または全く年をとらない場合もある。
篁は不老不死の妖かし。
晴明狐は不死ではないが、一定以上年をとるとそれ以上老いることはなかった。
菅公も不死ではない。
こちらは晴明狐と違って、死ぬまで緩やかに老い続けていく。
ただし、人界で年をとらぬのは異常なので、微妙に変化に手心を加え、いい加減年をとれば偽装の死を迎え、人界での生を全うするよう、留学生達は義務付けられていた。
人界に下りれば、妖かしであることを悟られぬよう、気を付けなければならない。
気を付けてはいても、やはり本性は隠し通せるものではなかった。
為に奇談として、色々な話が残ってしまったのである。
小野篁と共に百鬼夜行を見た者とか、安倍晴明の屋敷は人がいないのに一人でに蔀が上がったり下がったりするとか、菅原道真が鬼と歌合わせをしていたとか。
のちの人々は、ただのお話と信じていないからいいようなものの、実際は全ての逸話が事実に根差したものであるのだ。
それこそ道真は、政敵にあらぬ罪を着せられ品位を汚されたことに腹を立て、人界において妖かしとしての力を使って、報復を行うという大騒動を起こしている。
菅原道真が、怨霊となって祟りをなしたことは『北野天神縁起絵巻』などに詳しく描かれている。
がしかし道真は、死んで怨霊になったのではない。
単に妖かしの本性を見せた、というのが、冥府側の知る事実である。
怨霊(妖かし)となった菅公の、その怒りを鎮める為に、道真は太宰府天満宮に、神として祀られることになったのだ。
己を抑えられなかったのは、菅公がその頃、まだ若かったこともあった。
人界で騒動を起こした罪は償わせたたので、過去はすっかり精算されている。
何より、本夭が反省していた。
年をとって分別臭くなり、若い頃の人界経験が生かされてくるようになると、なぜあんなことをしたのかと、首の一つも傾げたくなるようだ。




