冥府 脱書 5
若い頃、人界に暮らしていたことのある妖かしが、死期が近付いたために人界を懐かしがって、勝手に間道を開いてしまったのだ。
そこまでは動機が動機であるので、宮もそう咎めだてはしないが、その妖かしの孫が誤って間道に落ちてしまった。
人界に落ちた幼い妖かしの、捜索願いが出されることになっている。まだその子供は、見つかっていない。
これとは反対に、妖かしが勝手に開けた間道から、人間が迷い込んできてしまうこともあった。
これは人界では、神隠しやチェンジリングなどと呼ばれている。
迷い込んでいるのが発見され次第、水と火の両宮は、その人間を人界へと送り返してやることにしている。
時には、発見された時既に遅く、妖かしに殺されたり怪我をさせられた後であることもあった。
宮は、重い怪我であっても捨てておかず、最期まで助けようと努力する。治癒するまで面倒を見てやり、快方すれば人界に帰してやる。
神隠しにあって、何年もたってから戻ってくる者がいたり、結局帰ってこない者がいるのは、そういう訳があった。
中には、冥府に住み着いてしまって、人界に戻らない者もいた。
そういう者は、客人としてお宮で世話をする。
今は、火にも水にも、そのような人間はいなかった。
このような交流が、唯一冥府と人界に行われている交流と言えた。
まあ、誤って人界に落ちた妖かしの方が、哀れな扱いを受ける。
大抵の妖かしは、自分の場を侵略されない限り、向かってきたりはしないものである。向かってくる者は、犯罪者として処罰の対象となる。
冥府では、知らずにあっても相手の場を犯し、それで怪我を負ったり死んだりするのは、仕方のないことと言うよりは、当り前のことだと思われている。
人間は、相手が妖かしであるという理由だけで、何もしていなくとも平気で攻撃を仕掛けてくる。
相手がどのような生き物であっても、礼儀さえ守ってくれれば受け入れる、冥府の基本的な倫理感とは、彼我の差があった。
そもそも人界は、幾つもの国に別れているが、冥府には国という形態はない。
同じ種族、または同じ系統(水妖、雪妖、山妖等)に属する者が邑を作り、または気の合う者同士が集まって暮らす。
一匹で行動するのを好む種族もいる。
冥府では、互いの趣味嗜好を一番に尊重し、己の主義を押しつけ合うこともない。
妖かしは、協調意識に乏しい。個を大切にする。他人に構わないと言い換えてもいい。
それを人は、冷酷無比と見るのだろう。
人は協調性を尊び、全体を大切にする。他人と関わり合わねば生きていけないと言い換えてもいい。
それを妖かしは、愚の骨頂と見る。
人と妖かしは、対極に位置する価値観を持っていると言えよう。




