冥府 3
宮は今、文机に向かっていた。
宮がこの時まとっているのは、室内着である古代の民が着ていたような簡素な服である。
簡素とは言ってももちろん、美しい縁取りや刺繍が施された、上等な衣装ではあった。
髪は、まだ角髪に結い上げたまま。
宮は年の頃、八つか九つほどにしか見えない。
背もたれと座る部分に、貂の毛皮を張った椅子に座って宮は、何か書き物をしているようだ。
文机は、宮が横たわれるほどだが、書物が整然と四方を囲っていて、手元だけが空いている状態だった。ようやく、文を認められるだけの場所しかない。
そこで宮は文を認めたり、雑文を書いたり、気にいった文章などを引き写して、忙しい中の僅かな慰みとするのである。
その時の宮が、公式の書類を作成しているのに気付くと男は、軽く咎め立てるような声を掛けた。
「宮様」
男は、ここ三十年から宮に仕えている。
侍従頭ということもあり、他の者よりは宮にも心易い。
同じ宮仕えの者でも、直接宮と接する機会のない者は、謁見の栄誉を与えられても、宮の威光に口一つ聞けぬものである。
日頃から男は、宮に対して世話焼きのような口を利くことを己に禁じていたが、ついついこのように出過ぎてしまうこともあった。
男はその度に己を戒めるのだが、宮としては臣下と親しむことを好み、男がこのような物言いをすることを歓迎している節がある。
男の声に非難を認め、宮は悪戯でも見つかったかのようなバツの悪そうな顔を一瞬見せた。
この年端のゆかぬ男童こそ、宮その夭である。
宮本人のことを水宮と呼ぶし、この宮の坐わす居宮も水ノ宮と呼ぶ。
宮の正式名称は、水宮司(すいぐうじ/みずのみやつかさ)だが、これは役職名である。
宮の真名は、禁として決して明かされることはない。真名を知られるということは、命を握られるも同じことだからだ。
水宮司も、宮個人を指すだけでなく、役所や仕事の名前をも指した。
役所としての水宮司は、警察機構と裁判所と議会の役割を担っている。
水ノ宮は、徳と智の宮のもと、公明正大と迅速解決、正確無比を旨として、この冥府の調和と平和を総べているのである。
水ノ宮に五千夭もの登用者がいようと、八百万種とも八千万種とも言われる、冥府の種族全ての様々な問題を一手に解決できるものではない。
揉め事が起これば起こるほど、結局はそれが全て、水ノ宮の最高責任者である宮の、この小さな双肩にかかってくるのであった。
宮は、男に心配をかけないように、如何にも大したことはないといった言い方をする。本当に、大したことではないと考えているのだ。