人界 1
「宮様。幾たりかが、人界の方に。穴抜けが行われたようです」
衛士頭の言葉に、宮は軽く唇を噛んだだけだった。
「火宮様から知らせが、あちらの用意も整ったとのこと」
宮は、それを聞くと、鞘から水神刀をスラリと抜き放った。
「宮様が、お出ましであられるぞ」
水ノ宮のあちらこちらで、そんな声が飛んだ。
宮は水神刀を握り締め、白魔の腹を蹴った。
宮を乗せた白魔は、床を蹴って雨の降る窓の外に飛び出していった。
水ノ宮は、俄かに慌ただしくなる。
【侍従頭の君の、頭痛の種であった末弟殿の不始末により、忌々しくも怖ろしい、極悪なる十妖どもが、解き放たれてしまったというのですから、これこそ一大事。
小さい頃、お母上様から、遅くまで出歩いてると、十妖の天狗藤吉郎に攫われてしまうと、言われませんでしたか。
貴方様は、悪さばかりしていたら青龍の辰が来ると脅されたと言うんですね?
それだけで震えあがってしまったと?
分かります、分かります。
雪女郎のおりんの話を聞かされた後、厠に立てなくなりましてね。粗喪をして叱られたことも、今となってはいい笑い話でございますよ。
しかし皆様がた、ただの昔話なら、寝物語ていどで済みましょうが、本当に奴らが出てきてしまっては洒落にもなりません。
その洒落にならないことが起こってしまったというのが、この物語の凄いところにございます。
さてもさてもお立ち会い、物語は思わぬ展開へ。
我等が水宮司様は、如何にしてこの窮地を脱しまするか。篤とご覧なされよ。
はてさて、宮様がとった方策とは】
縁起堂 一階 台所と続き間になった居間
夕方。夏前で、日が暮れるのが長くなった頃。
年端のいかぬ子供が、台所に立って、夕餉の支度をしている。台所の、細い横長の窓から、ちょうど西日が差し込んでくる。
少年と呼ぶにはまだ幼い男の子は、背が届かない為に踏み台に上って、まな板と包丁を使っていた。
包丁を使う音は、トントントントンと、まことに小気味良い。
男の子は、ガス台に火にかけていた鍋の蓋をとると、手際よく刻んだばかりの葱を鍋の中にいれた。
蓋をとった時に、味噌汁の匂いがサッと立ち上った。
男の子は、ガスの火をとめると、鍋に蓋をした。使ったまな板にサッと水を流し、包丁を濯いで洗い桶に入れる。
男の子は、何の変哲もないブルーのTシャツと、白の半ズボンとソックスを身につけている。
男の子は、エプロン代わりに、腰にタオルを巻いていた。
男の子の年の頃は、八才か九才ほどに見える。小学校の中学年ぐらいだろうか。
それにしては、家事を熟す仕草が堂に入っている。




