冥府 15
男は気が抜けたように「はぁ」と呟いて、あとは惚けたようにぼんやり座っていた。
緊張の糸が、ぷっつり切れてしまったようだ。
この男は放っておいてももう大丈夫だろうと、宮は侍従達に任せる。
宮は、侍従の一夭が恭々しく捧げた、三種の神器の一つである水神刀を受けとった。
普段は、内殿の一番奥にある宝物蔵に仕舞ってあるもので、宮自らが捕縛に向かう時を除けば、儀式の時にしか蔵から出されない。
全ての魔を断つ、破魔の剣である。
しかし如何に破魔の剣と言えども、不死の妖かしに死を与えることはできなかった。
入口から、数名の衛士によって、宮の騎乗用の白魔という、大型の猫科の動物が連れられて入ってきた。
宮は、これに白美と名付けて可愛がっている。
白魔は、知能はあまり高くないが、頑健で疲れ知らずである。
竜馬は、一日に万里駆けれると言っても、実際にそれだけ走らせると、あとあと使い物にならなくなってしまう。
その点、白魔は数日間の休みない行軍にも堪えられた。
ただ白魔は、数が非常に少ない。現在冥府にいる六頭の内の、これが一頭である。
それに気性が荒く決して懐かず、また非常に扱い辛い獣と言えた。
ただ、この白魔も、宮にだけはよく懐いている。
宮以外の者には、それこそ毎日世話をしている相手にすら気を許さない白魔であるが、手綱と鞍をつけられて引き出されてきた時には、ひどく神妙な様子だった。
普段の世話では、とうてい白魔に大人しさを求めるのは無理というものだ。
ただし引き出される時は狩りと決まっていたので、白魔も暴れたりしなかった。
白魔は、久しぶりの狩りに興奮して、白い鼻の穴を広げたり閉じたりしている。
それを宮が落ち着かせる為に、ゴシゴシと頭を掻いて宥めた。
宮は、白魔の世話が行き届いているか、腹の毛皮を撫でてその感触を確かめた。
白魔は、ムーッとこの獣には不似合いな可愛い声を出して、宮に身体を押しつけてくる。
甘えているのだ。
宮は小さく、白魔はひどく大きい為、押されると宮は倒れそうだ。
宮は状態が万全であることを確かめて、よしと白魔の首筋を一つ叩いた。
宮は、白魔の手綱を受けとった。その時、自失していた男が自分をとり戻す。ハッとしたようにこちらを見た男に、宮は最後に言った。
「臣下の不始末は、主の不始末も同じ。勝手に腹など切ってはならぬ。沙汰は追ってなす」
男は、無言で深々と両手をついて頭を下げただけだった。
白魔が足を折って、宮が背に乗るのを助ける。
報告に、衛士頭と外宮頭が水鏡によって姿を見せた。




