餓鬼大夫 4
執務の間の布の覆いを揺らして、空の盆を手にした火狐が一夭入ってくる。
処理済みの書類の盆と交換する時に仲間の火狐に、火宮を横目で見ながら「どうだ?」と、聞いてきた。
それを受けて、火宮の側に控えていた火狐も囁き返す。
「あれだけお騒ぎであったのに、どうされたものか」
それを聞くと、相手も耳許に口を寄せて、
「あとで何をふっかけられますか分かりませぬぞ。しっかり見張っておかねば」と、言った。
二人の火狐達は、顔を見合わせて頷き合う。
火宮にも、その会話はしっかり耳に入っていた。
それが主君に対する言葉かと彼らを嗜める代わりに、火宮は顔を歪ませて書類に印を押した。
腹を立てているのではなく、火宮の顔は今にも泣き出しそうな顔だ。
火宮の横に控えている火狐達は、そんな火宮の様子に気付かなかった。
火宮がその時何を考えていたか知れば、それが自分達の仕える火宮などではないことは、すぐに分かったことだろう。
――み、宮様。早くお戻りくださいよーっ。
その、火宮ではなく、火宮に仕事を押しつけられ身代わりとして火宮の姿に化けた〈身代わり地蔵〉の少年は、心の中で叫んだのだ。
その叫びは無論、人界にいた本物の火宮には届かなかった。
そして、人界。
縁起堂 一階 居間と台所が続き間になっている
朝 八時前
台所から、朝餉の支度をしているいい匂いがしている。
布団にくるまって怠惰な眠りを貪っていた銀丸は、食事の匂いに幸福な気持ちで目覚めたのだった。
冥府にいた時と違って、食事が片付かないと母親に叩き起こされることもない。
自分で起きると、起きたのかいと優しく宮に声を掛けてもらえ、そして朝食の献立を聞かせてもらえる。
寝過ごすと、これまた優しく宮に、起きて御飯にしようと揺り起こされるのだ。
『シロー、何をしておいでだい、早く起きるんだよ』で、布団を引き剥がされ、寝台から叩き出される以前の生活との、比べようもないこの黄金の日々。
銀丸はヌクヌクとした気分のまま、モゾモゾと布団から起き出した。
「宮様、今日の朝御飯は何ですか?」
宮は踏み台に乗って、味噌汁の蓋を開けて、中を覗いているところだ。
宮の細い肩に、銀丸は自分のひげだらけの顎をちょこんとのせて、いつものように甘える。
銀丸は、自慢の毛皮を失った代わりにひげを生やすことを思いついて、ずっと剃っていなかったのだ。
実際は、人界製の剃刀が怖かったとも言えた。
銀丸のひげは、顎や鼻の下にうっすらと金茶に、しかも疎らな様子で生えている。
それが日々伸びてくるのを、洗面台の鏡と自分の手で確かめては、銀丸は一夭悦に入っているのだ。




