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2番じゃダメなんですか?

2009年11月、埼玉県内のとあるビルの一室で、輪形のテーブルに座る数人の人物が固唾を呑んでテレビモニタに見入っていた。テレビモニタには、政権与党となって間もない共和党が鳴り物入りで始めた行政刷新会議――通称、事業仕分けの様子が映し出されている。

このビルは独立行政法人理科学研究機構――通称、科研の本部ビルである。そして、その一室に居並ぶ者たちは科研の幹部である理事たちであった。その中の1人、最も奥の席に座っている初老の男が口を開いた。

「大丈夫だ。多少の減額はあるかも知れないが、プロジェクト自体は問題なく認められるだろう。」

男の名は、野尻吉治。科研の理事長である。

テレビモニタに映る事業仕分けでは、今まさに、科研が1200億円以上の費用を投じて開発しようとしているスーパーコンピュータ(スパコン)のプロジェクトが俎上に載っていた。野尻を始めとする理事たちが注視しているのは、この事業仕分けの行方である。既に、様々な独立行政法人の様々なプロジェクトが、事業仕分けによって無駄の烙印を押され、予算の減額やプロジェクトの中止に追い込まれている。これまで科学研究の分野で多くの成果を上げてきた科研の一大プロジェクトと言えども、予断を許さない。

だが、野尻も理事たちも、さほど深刻には考えていなかった。今日のこの時のために、準備を万全としていたからだ。このプロジェクトで期待される成果は多岐に渡り、創薬などの実利的な分野から、格子量子色力学などの純粋科学にまで及んでいた。その1つ1つの項目について、意義・実現性・社会への貢献・万一失敗した際のリスク処理まで詳細に分析し、質疑応答についても考え得るありとあらゆる質問を想定し、それぞれに対する最適な回答を準備してあった。これならば、針の穴ほどの抜かりも無い筈だと、彼らは考えていた。

実際、テレビモニタから見える、文部科学省の担当者の説明も、わずかの淀みもなく順調だった。開発されるスパコンが世界最高の計算速度を達成するのが確実であることを説明し、最後にこう締めくくった。

「世界一を取ることによって国民に夢を与えることが、本プロジェクトの目的の1つでもあります」

「(勝ったな)」

野尻は心の中で呟いた。これだけ説明すれば、プロジェクトの重要性は理解してもらえたはずだ。多少の節約は要求されるかも知れないが、当初の計画通りにプロジェクトは進められる。他の理事達も同じ気持なのだろう。部屋は安堵の空気で満たされていた……仕分け人である女性政治家が、この言葉を発するまでは。

「2番じゃダメなんですか?」

「!?」

一瞬にして、室内が凍りついた。室内だけではない。事業仕分けの現場にいる担当者も、唖然とした表情のまま固まってしまっていた。

暫くの沈黙の後、ようやく理事の1人が声をあげた。

「2番じゃダメなのかだと? ダメに決まってるだろが!」

野尻も全く同じ気持ちだった。2番ではダメに決まっている。特許を取れるのは、最初に発明を申請した者だけだ。ノーベル賞を取れるのは、最初に発見した者だけだ。科学の世界では、1番手のみが全ての栄誉と利益を独占し、2番手は何も得られない。シミュレーション科学の分野も然り。2つのスパコンで同じ計算を始めれば、性能の優れた方が先に結果を出し、その結果を手にしたものが、全ての利益を手にすることになるのだ。充分に性能の優れたスパコンであれば、たとえ遅れて計算を始めたとしても、後から追い抜くことすら可能だ。だが、その逆はあり得ない。ただでさえ日本のスパコン事業は米国から大きく遅れている。日本にも高性能なスパコンはいくつかあるものの、総数が圧倒的に少ないのだ。これで性能でも世界一になれないのでは、その差は絶望的になる。

だが、遠く離れた室内でいくら歯軋りをしたところで、無意味であることも事実だった。野尻は、今すぐにでも事業仕分けの現場に飛び込んでいって、女性政治家の勘違いを正してやりたい衝動に駆られた。だが、それは不可能なことだ。

そうこうしている間にも、事業仕分けは進んでいた。現場にいる担当者も何とか持ち直そうとして入るが、しどろもどろになってしまい、見ていて痛々しい有様だった。結局、議論の末の結論は、

「予算計上見送りに近い縮減」

だった。事実上の、凍結である。

「理事長、どうしましょう?」

蒼い顔をして、理事の1人が野尻に問いかけてきた。野尻に問いかけてみたところで、既に下されてしまった判断を覆すことなどできるわけがないのだが、それでも何か言わずにはいられないという面持ちだった。だが、野尻から返ってきたのは、意外な言葉だった。

「まだだ。まだ、手はある。」

「えっ!?」

「至急、連絡をしたい方々がいる。それと、記者会見の準備だ。できるだけ早く開きたい。」


数日後、科研本部で記者会見が開催された。集まった記者たちは、記者会見で登壇した人物たちの錚錚たる顔ぶれに驚愕した。前日に野尻が連絡を取った人々、それは歴代の日本人ノーベル賞受賞者たちだったのだ。受賞者たちの中には、科研のスパコンのプロジェクトに期待していた者も多く、野尻は彼らのノーベル賞受賞者という権威を利用することを考え、協力を要請したのだ。自身もノーベル賞受賞者である野尻を中心として居並んだ登壇者たちは、口々にスパコンの必要性を訴えた。

効果は絶大だった。この記者会見のことをニュースや新聞で知った世間の人々の多くは、ノーベル賞を取るような偉い先生方が言うのだからその通りなのだろうと考え、世論は一挙にプロジェクト賛成へと傾いた。政権も、世論の大きな変動は無視できず、あっけないほど簡単に、数日前の判断は覆された。数十億円の削減のみで、予算が復活したのだ。

「理事長の狙い通りでしたね。」

「ああ、上手くいって良かったよ。」

部下の賞賛に顔を綻ばせながら答えた野尻だったが、内心では無念の思いもあった。数十億円の予算削減の影響は意外と大きく、このスパコンはおそらくは世界一にはなれないだろうと考えられたからだ。科研のスパコンと競うように同時期に稼動する予定の米国のスパコンに、僅差で負けると予想されていた。

「(だが、今はこれで良しとする他あるまい。)」

兎にも角にも、野尻の目論見は的中したのである。同時に恐ろしくもあった。1000億円を超える巨大なプロジェクトを凍結するか推進するかの判断が、かくも簡単に変わってしまう。野尻が目論んだこととは言え、ここまで成功するとは期待していなかったのだ。結局、あれだけ苦労して万全とした準備は、用をなさなかった。プロジェクトの意義も実現性も社会への貢献も、無理解な政治家の一言で雲散霧消してしまったのだ。代わりにプロジェクトを救ったのは、ノーベル賞の権威だった。そう、世間に対しては、言葉を尽くして意義を説明するよりも、見て分かり易い成果の方が、はるかに効果的なのだ。

「(これまでのように、ただ研究をするだけではダメだ。たとえどんなに有意義な研究であっても、世間一般の人々は意義など理解してくれない。これからは、分かり易い成果を出すことが必要だ。ノーベル賞のような、子供でも凄いと分かる、インパクトのある成果が。そして、それを世間にアピールしなければならない。)」

これが、野尻が一連の騒動から得た教訓だった。


2年後、完成した科研のスパコンは、幸運なことに、世界一となった。ライバルだった米国のスパコンのプロジェクトが中止になったことによる、言わば不戦敗だった。中止になったと言っても、仕分けられたわけではない。僅差で世界一の座を得るよりも、多少時期を遅らせて、圧倒的に高性能なスパコンを開発すべきとの判断により、米国の複数のスパコンプロジェクトが統合された、その結果だった。

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